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テスタロッサ

【第1回】テスタロッサ


1984年のモーターショーで披露された時、フェラーリファンはその魅力的な姿と斬新なメカニズムに虜になっただろう。時速290キロを超えるテスタロッサは、7年にもわたって生産された1980年代を代表するスーパースポーツカーである。

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全く新しいスポーツカーが誕生

デアゴスティーニ編集部

▲テスタロッサは全長4485ミリ、全高1130ミリと、スポーツカーとしては標準的なサイズであるにもかかわらず、他のクルマと比べても車内スペースの快適性は確保されている。(写真/DeA Picture Library)

 512BBiの後継モデルとして、1984年のパリ・モーターショーで発表されるまでは、テスタロッサはあまり革新的ではないとの評判だったが、いざその姿を現すと、メカニズムからボディに至るまで一新されたモデルであった。メカニズムの特徴は、ベルリネッタの中央に配置された12気筒ボクサーエンジン(フェラーリでは180度のV型12気筒)で、公式データでは最大出力390馬力、最大トルクは4500回転で490Nmという驚異的なポテンシャルを示している。1973年、そのルーツにあたる365GT/4BBから進化をはじめ、グランツーリズモとしてのメカニズムの改善が重ねられた結果、テスタロッサは全く新しいスポーツカーとして、およそ7年にわたって生産が続けられたのだった。
 名作レーシングカー(1956年の500TRと1957年の250テスタロッサ)にちなんで「テスタロッサ」(「赤い頭」の意で、赤く塗られたカムカバーが車名の由来)の名称が与えられたこの新しいミッドエンジン12気筒スポーツカーでは、冷却装置である大きなラジエーター2基がシートの後方に移されたことにより、空力特性が512BBiと比較して目覚ましく進化した。それと同時に、車内の居住性も改善され、シートの後ろには小さいながらもラゲッジスペースを確保することに成功。この改良は、テスタロッサの重量配分を変化させ、結果としてグリップ力やコントロール性を改善することにつながったのである。

最先端の空力技術を採用

デアゴスティーニ編集部

▲全長4485ミリのテスタロッサは、サイドにインテークルーバーがあり、スポーティなラインを特徴としている。(写真/DeA Picture Library)

 テスタロッサのボディは、前モデル(512BBやBBi)と基本的には同じ系統のデザインといえるが、サイドはトレッド幅の違うテールとフロント(テールの方がフロントよりワイド)が合流することで、ボリューム感溢れるラインとなっており、一目見てBBの滑らかなサイドラインとは異なっていることがわかる。テスタロッサは、空力に関して当時最先端の技術を導入して、研究開発されたクルマだったのだ。このデザインは、後継モデル(512TRとF512M)をはじめ、同時代の小型自動車にも採用された。一方、フロントは伝統的なデザインではなく、バンパー下部が横長のノーズグリルとなり、ボンネット上に設置された丸目4灯のリトラクタブル・ライトを配置。ノーズに向けて極端に低くなり、フロント部分はすっきりとしたラインとなっている。ノーズグリルの印象と同じように、テールでもグリルがライト類を覆うように設置され、同車の個性的な要素のひとつとなっている。
 テスタロッサが搭載する、180度V型12気筒で390馬力、224.5kgのエンジンは、ピストンの相対的な位置からして、正確にはボクサーではない。1973年以来変更がない基本構造で、クランクシャフトの下にトランスミッションが配置された、コンパクトな高性能エンジンである。メカニズムで新しくなったのは、アメリカのマーケット向けに基準適合認定の取得を可能にしたボッシュ・Kジェトロニック・インジェクションの採用と、1シリンダーあたりを4バルブにしたこと。ドライサンプによる潤滑と、5速マニュアルトランスミッション、リミテッドスリップのディファレンシャルギアはクランクシャフトの下に配置され、一組のギアによって駆動される。タイヤは、フロントとリヤで異なるサイズを使用。パワーステアリングやABSなどの安全装置はついておらず、車重は1506kgとなっている。

高品質のインテリア

デアゴスティーニ編集部

▲テスタロッサの全体的なデザイン、フロントのボリューム、リヤフェンダーのくさび形の形状は、365GT/4BB(1973年)よりも優れた空気抵抗係数を生み出し、ダウンフォースをコントロールしている。(写真/DeA Picture Library)

 テスタロッサのようなスーパースポーツカーは、最大で2人分のシートスペースしかないが、デザイナーたちは、どんなに車内が狭くても、快適なスペースを提供できるように設計を何度もやり直した。とはいえ、早く走るためにつくられたクルマには、ゆったりしたスペースを設けることはやや困難だった。2つのシートの後ろに大きな12気筒ボクサーエンジンが配置されるという状況は、コクピットが狭くなる以外にも、エアコンの非効率性および走行中のノイズという問題も少なからず引き起こしている。
 一方でインテリアは、シートやダッシュボードなど、すべて職人の手で仕上げられており、当時のスーパースポーツカーとしては驚くほど高い品質といえるだろう。側面部の内張りや高級レザー仕様のシート、車内ルーフピラーの柔らかなレザー張りなど、細部に至るまで丁寧な仕上げを追求しているのだ。
 ドライビングに関しては、正確なハンドリングをできるように、また山道や悪路などでも操縦に集中できるようにと、様々な状況に応じた走行に対して研究されている。ただし、通常の運転であればブレーキは優れた働きをするが、車重増加のため、アグレッシブなドライビングにおいてはより慎重なコントロールが必要。さらに、車両重量の55%もがリヤにかかっているので、濡れた路面では特に注意して運転をしなければならなかった。
 スポーツカーに関しては高性能こそが人気や価値を決定する判断基準となっていた1980年代、最高時速291キロも可能だったテスタロッサは、マーケットで成功する資格を十分に得ていたのである。

フェラーリ 栄光の系譜 <1940年~1953年> 

デアゴスティーニ編集部

▲1948年のミッレミリア優勝を記念し、そのイニシャルを取って命名された166MM。(写真/DeA Picture Library)

●アウト-アビオ・コストルツィオーニ815 (1940年)  
事実上の第1号モデル。まだ「フェラーリ」と命名されていないのは、戦前アルファ・ロメオのワークスチームを率いていたことから、自身の名を付けることが許されなかったためで、開戦とともに航空機部品をつくる軍需産業として設立したアウト-アビオ社の名称を使った。主な部品はフィアット1100のものを利用し、4気筒エンジンを2基つないで直列8気筒に仕立ててある。2台が製造され、1940年のミッレミリア(イタリアの自動車レース)に出走した。<1496cc/直列8気筒/72ps/160〜170km/h>

●125S (1947年)  
第二次大戦の惨禍から立ち上がり、「フェラーリ」の名を冠した本格的な第1号車。1.5リッターの小排気量ながらV型12気筒という凝った構成のエンジンは、ジョアッキーノ・コロンボの歴史的な名作といわれる。これにより、早くも12気筒は「跳ね馬」の象徴になった。同車はデビュー2戦目にしてローマ・グランプリ(カラカラ・サーキット)で優勝。その後もフランコ・コルテーゼによって6勝し、フェラーリの名声を不動のものにした。<1497cc/60度V型12気筒/118ps/170km/h>

●166インテル (1948年)  
1948年シーズンを彩ったのが数々の166シリーズで、いずれも2リッターのV12エンジンを搭載し、フォーミュラ(F2)をはじめレース用のバルケッタやベルリネッタなど各種ボディの架装が行われた。そのなかで、優雅さや快適性を重視して仕立てられたベルリネッタが、トゥリング製のボディを持つインテル。競技用のモデルとは異なり、グリルの周囲やフェンダーに配された装飾的なラインが特徴で、ほかにヴィニャーレ製のボディを持つものも存在した。 <1995cc/60度V型12気筒/110ps/150km/h>

●166MM (1948年)  
「MM」はイタリア長靴半島を1600キロにわたって三角形に巡る伝統の公道レースである「ミッレミリア」の頭文字。デビュー早々の1948年、クレメンテ・ビオンデッティによりフェラーリが初優勝を遂げたのを記念する名称である。140馬力までチューンされたエンジンは、フォーミュラ仕様を除けば166シリーズで最強力。680kgの軽量ボディにより最高時速は220キロを誇る。同車は翌年もミッレミリアで上位を独占し、ル・マン24時間レースでも優勝した。<1995cc/60度V型12気筒/140ps/220km/h>

●166SC (1948年)  
「SC」は「スポルト・コルサ(スポーツレーシングカー)」の頭文字。ほとんどフォーミュラそのままといったボディに、ライトとサイクルフェンダーなど、公道走行のための必要最小限の装備を施したレース仕様である。大戦をまたいでイタリア中を熱狂させた天才ドライバーのタツィオ・ヌヴォラーリは、1948年のミッレミリアに同車で出走。途中でスプリングが折れたが、それでもフィニッシュ直前までダントツの首位を守るなど、伝説のドライビングを展開した。<1995cc/60度V型12気筒/130ps/225km/h>

●166インテル (1950年) 
1948年に登場した166系の最終期を飾る完成形。ロードカー仕様のエンジンは多少パワーアップされ、最高速度ものびた。さまざまなカロッツェリアが華やかなデザインを競い、若き日のジョヴァンニ・ミケロッティもデザインの実務を担当。主なメカニズムは初期のフェラーリに共通で、ダブルウィッシュボーンと横置きリーフによるフロントサスペンションを持ち、リヤはリジッドである。<1995cc/60度V型12気筒/110ps/170km/h>

●195インテル (1950年)  
166シリーズの排気量を拡大して、1950年からの195シリーズが生まれた。166も195もエンジン1気筒当たりの排気量を示す、フェラーリ独特のネーミングである。各種ボディの架装も行われ、コーチビルダーのヴィニャーレがかなり装飾的な造形を試みた例もある。ヴィニャーレやギアは、フェラーリらしくレースのイメージを強調するより、華やかさや贅沢さを訴えるデザインを得意とし、それがアメリカにおけるフェラーリ人気の発火点にもなった。<2341cc/60度V型12気筒/130ps/180km/h>

●195S (1950年)  
「スーパーレジェッラ」と呼ばれる軽量設計を特技とするトゥリング製のボディをまとい、各地のレースで活躍した195シリーズの最速バージョン。主に公道レースで強く、1950年のミッレミリアでは1、2位を独占した。潜在性能があまりにも高かったことから、すぐにフェラーリが排気量拡大による性能アップを決定。そのため、残念ながら同車の現役時代は短かった。<2341cc/60度V型12気筒/170ps/199km/h>

●212エクスポルト (1951年)  
当時ヴィニャーレに籍を置いていたミケロッティのデザインによるバルケッタ(オープンカー)のほか、212エクスポルトには優雅なベルリネッタもあり、それが販売の主力になった。また、フォンタナがボディを担当したユニークな姿のレース用ベルリネッタも存在した。フォンタナ仕様はヴィットリオとジャンニーノのマルゾット兄弟が購入し、コッパ・ディ・ドロミテなど各地の公道レースに活躍。ミッレミリアで首位を奪った記録もある。<2563cc/60度V型12気筒/150ps/220km/h>

●212インテル (1951年)  
性能はともかく、派手な2トーンのカラーリングやホワイトウォール・タイヤなど、極端なまでのアメリカ風味でファンを驚かせたギアのデザインが特徴。同車にはほかにも数多くのボディの架装が行われたが、この頃からピニン・ファリーナも手がけるようになり、シックでバランスの良いデザインがエンツォ・フェラーリに高く評価されていた。それだけに、ギアやヴィニャーレはさらに強烈な個性を打ち出し、独自の存在感を強調する必要があったのである。<2563cc/60度V型12気筒/155〜170ps/185〜200km/h>

●340アメリカ (1951年)  
イタリア系の移民としてアメリカで事業を興したルイジ・キネッティは、エンツォの旧友として新世界でのフェラーリの販売に尽力した。彼の勧めでアメリカ向けに大排気量のエンジンを搭載したモデルが340シリーズである。車体も大型化され、ギアなどによるデザインもアメリカの顧客の好みが強く意識されていた。それと並行してヴィニャーレによる軽量ボディのレース用バルブもつくられ、ルイジ・ヴィロレージにより1951年のミッレミリアを制した。  <4102cc/60度V型12気筒/220ps/240km/h>

●340アメリカ ※スパイダー仕様(1951年) 
1950年代のフェラーリを色濃く物語るのは、やはりレースのイメージである。当時はスポーツカーとレーシングカーの区別もあいまいだった。そこで、レースの気分でスポーツカーを楽しみたい顧客の求めに応じ、ヴィニャーレは質実剛健なスパイダー仕様も手がけた。ウィンドスクリーンは非常に低いレーシング仕様で、もちろん幌など雨に対する配慮はなく、内張りも皆無に近かった。<4102cc/60度V型12気筒/220ps/240km/h>

●342アメリカ (1951年)  
ボア、ストロークなどは340シリーズと変わらないが、少しだけ上級という意味で「342」と名乗ったのがこのモデル。1951年のミッレミリア制覇を機に、アメリカ向けのロードカーとして企画された車種である。簡潔なラインでまとめられた優美なボディをデザインしたのはピニン・ファリーナで、粗い格子状のグリルを低位置に置くなど、後々まで続くモチーフを早くも採用している。ただし生産数は1953年までにわずか7台のみと、非常に少なかった。  <4102cc/60度V型12気筒/200ps/186km/h>

●342アメリカ・カブリオレ (1952年)  
342アメリカのオープン仕様。レース用車とは別に、快適に公道を走れるオープンカーが好まれるアメリカ市場(特にカリフォルニアやフロリダの富裕層)を念頭に置いて開発された。フェラーリの標準からすれば、排気量に比してパワーを低めに抑えているのも、高回転でのパンチより低中速域での扱いやすさを優先させたため。このデザインが好評を博したことにより、フェラーリにおけるピニン・ファリーナの地位が確定的になった。<4102cc/60度V型12気筒/200ps/186km/h>

●250S (1952年)  
その後長く続く250シリーズの第一歩である250Sにも各種ボディの架装が行われた。ヴィニャーレ製のレーシング・ベルリネッタは、1952年のミッレミリアにジョヴァンニ・ブラッコとアルフォンゾ・ロルフォのコンビで出走し、第一線に復帰してきた強力なメルセデス・ベンツ300SLプロトタイプをわずかの差で破って優勝。その際の「611」というカーナンバーは、スタート地であるブレシアを6時11分に出たことを示している。<2953cc/60度V型12気筒/230ps/250km/h>

●250エウローパ (1953年)  
ヨーロッパ(エウローパ)と名乗っているが、2800ミリもの長いホイールベースからわかる通り、基本的にはアメリカを意識したモデル。ボアもストロークも68ミリという、フェラーリにしては異例のスクエアな設計も、普通に公道で扱いやすいようにという配慮の結果である。ピニン・ファリーナによるデザインの基本は340アメリカを踏襲したもので、余分な小細工を施していない。ベルリネッタが15台のほか、たった1台だけカブリオレもつくられている。<2963cc/60度V型12気筒/200ps/218km/h>

(この記事は、フェラーリ・グランツーリズモ<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真] DeA Picture Library

公開日 2012/12/14


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