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F40

【第2回】 F40


1987年、フェラーリ創業40周年となる記念すべき年に登場したF40は、それまでにない高い運動性能を持つスーパースポーツカーとして、愛好家たちの羨望の的になるほどの人気を博したのだった。

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コンセプトはレーシングカー

▲シンプルだが個性的なF40のライン。限定生産だったが、最終的には1000台以上が世に送り出された。(写真/DeA Picture Library)

エンツォ・フェラーリ(フェラーリ創始者)の強い意向を受けたF40は、1987年にフェラーリ社の創業40周年を記念して生まれた(「F40」の名前は、フェラーリの「F」と創業40周年の「40」からとったもの)。並外れたデザイン性と性能を兼ね備えるこのクルマの登場は、スーパースポーツカーの歴史において画期的な出来事であった。478馬力、最高時速324キロ、排気量2936ccのV8エンジンには、ターボチャージャーが搭載された。当時、すでにターボの性能は頂点に達しており、その後、世界中のクルマにとって欠かせないものとなった。F40はレーシングカーのコンセプトに沿ってデザインされた、「走る」ためにつくられたクルマであるため、軽合金と複合素材を使用し、最高のフレームで仕上げられている。空力(空気力学)を追求した結果、大型のリヤウィングや「グラウンド・エフェクト」を生むボディ下部が採用され、ストレート、コーナー、高速走行のいずれにおいても安定性がある。当初は熱狂的なユーザーのための限定生産が予定されていたが、最終的には生産台数1000台をはるかに超えるものとなった。これほどオリジナリティー溢れるクルマを手に入れるためなら、金に糸目はつけないという特殊なマーケットにおいて、世界中のコレクターやスポーツカー愛好家の羨望の的となったのである。

熱い血潮みなぎるV8ツインターボ

▲テール部においてもF40は興味深いアイデアを採用している。それは、大型のウィングと、リヤウィンドーやボディ下部にも見られる多くのエアアウトレットなどだ。(写真/DeA Picture Library)

F40のシャシーは288GTOと同じ流儀だが、複合素材パネルによりチューブラー構造の剛性は最大値を示している。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーンで、何より性能優先で仕様が決められた。ブレンボ製ディスクブレーキは特注で、ここにもアルミと銑鉄の複合素材を使用して重量軽減を図っている。進化し洗練されたV8エンジンは、冷却装置の効率がよく出力もアップし、4バルブ、総排気量2936cc。さらに低回転でのトルクを上げるためにターボチャージャーが2基備わった。燃料噴射システムも凝った構成で、二系統の吸気チャンバーに続くインテーク・マニホールドには、各シリンダーごとに専用のバタフライ・スロットルが配置されている。電子制御の燃料噴射ノズルも各気筒2セットずつ。吸気ダクトやオイルサンプに高価なマグネシウムを使ってあるほか、各部のチューブも軽合金製が多い。

常識を超えた高い運動性能

▲美しく流れるようなF40サイドビュー。全長4.358メートル、全高1.124メートル、ホイールベース2.450メートル。ドア後部には、エンジン冷却用の大きなエアインテークが2つ開いている。(写真/DeA Picture Library)

F40は比類なき性能を発揮する、格別のグランツーリズモだ。そのことは、データがすべてを語っている。静止状態から時速100キロまで4.56秒、そして時速70キロから220キロまでは26.3秒と、わずかな時間があればF40の性能は理解できる。タイヤが焼け付くように白煙を噴き、常識を超えた立ち上がりをみせた後、あっという間に最高速度326.193キロに到達。この高い運動性能は、ターボによる太いトルク、エンジンの高出力、そして、これらを余すことなく地面に伝えるサスペンションとタイヤから生み出されたものだ。今から約20年前に開発されたとは思えないほどの高いポテンシャルはブレーキにも及んでおり、サーボ無しであっても、短い距離(時速140キロから73メートルで停止。ABS機能の付いた最高のスポーツカーに匹敵)で停止できる。この強力なブレーキを限界まで使いこなすことができたのはサーキットのレーサーだけだったが、通常の運転も安全性は非常に高かった。ステアリングにはパワーアシストは付いてなかったが、交通量の多い公道でも走る状況に応じたハンドリングが可能だった。
F40は乗り心地のいいクルマを目指してつくられてはいない。しかし、硬いけれども調節可能なダンパーによって、コーナーでのロールは適度に抑えられ、グラウンド・エフェクトを最大限に活用できたほか、路面状態の変化にも対応できた。フェラーリは、まさにF40によって高速走行時の運転性能を飛躍的に上げ、その後のスポーツカーが辿るべき道を開いたと言ってもよいだろう。

フェラーリ 栄光の系譜 <1953年~1956年>

●250MM (1953年)
3リッター・エンジンは、もはやフェラーリにとってひとつの時代を象徴するまでになっていた。それをウェバー36IF4Cキャブレター(3基)などで240馬力まで高度にチューンし、250Sの流れを汲むシャシーに搭載した戦闘モードいっぱいのクルマが250MMだ。可能な限り贅肉を削ぎ落とし、機能美をたたえるベルリネッタはピニン・ファリーナが担当。ジャンニーノ・マルゾットの操縦で1953年のミッレミリアに優勝している(フェラーリは6連勝)。

●375アメリカ (1953年)
4.5リッターを超える大きなエンジンの採用は、その名の通りアメリカをターゲットにしたもので、ホイールベース2800ミリ級のビッグ・フェラーリの伝統も受け継いでいる。しかし1953年秋のパリ・サロンでデビューした時、メカニズムや性能よりファンの目を惹きつけたのは、ピニン・ファリーナの手による新しいデザインだった。そこには、ヨーロッパ伝統の落ち着きとアメリカらしい華やかな明るさが見事に融け合っていた。

●375MMクーペ (1953年)
ホイールベース2600ミリと、375アメリカよりシェイプアップしたシャシーに、大幅にパワーアップしたエンジンを積んだ特別なモデル。各種のボディが架装されたが、なかでも鮮やかに記憶されているのが、熱烈なフェラリスタとして知られた映画監督のロベルト・ロッセリーニが、妻で女優のイングリット・バーグマンにプレゼントするため、ピニン・ファリーナに特注した1台だろう。

●625TF (1953年) 
アウレリオ・ランプレーディが提案した4気筒プログラムは、初期のF1で成功してからほかのモデルにも応用され、1950年代の後半まで受け継がれた。そのエンジンを搭載した尖兵が625TF。コンパクトに引き締まった魅力あふれるベルリネッタはヴィニャーレが担当した。このクルマはレーシングドライバーのフランコ・コルナッキアが購入したが、現存していない。この625TFを最後に、ヴィニャーレはフェラーリを手がけなくなった。

●250エウローパGT (1954年)
1953年の250エウローパにGT(グランツーリズモ)の記号を追加したニューモデル。フェラーリとしてGTと名乗る最初のクルマである。ほとんどピニン・ファリーナが一手に引き受けたボディには多くのバリエーションが存在。全体的に375アメリカをスケールダウンしたまとまりになっているものや、ルーフの後端を大胆にカットし、テールに向けてフィンを立てたタイプなどが知られている。

●250GTクーペ (1956年)
1954年の250エウローパGTの完成度が高かったため、主なメカニズムをそのまま受け継ぎ、ピニン・ファリーナによるデザインを少し進化させたヒット作。のびやかなラインはやや直線的に改められ、楕円を基調とした格子状のグリルも少し平たく、鋭い印象を与えるようになった。これが1950年代前半の、ピニン・ファリーナによるフェラーリ・グランツーリズモの完成形と言える。高性能スポーツカーとしては乗りやすいことでも定評があった。

●410スーパーアメリカ (1956年)
375アメリカの後継モデルとして企画され、それまでで最大の排気量を誇るフェラーリ・グランツーリズモ。340馬力のエンジンは、後に360〜400馬力にまで強化され、1958年モデルでは最終的に時速295キロが可能になったとされている。ピニン・ファリーナによる“標準”デザインはさらに直線的になり、ボンネットの先端に折り目を持つようになった。そのシンプルさゆえに、かえってボリュームを感じさせるデザインであった。

●410スーパーファスト (1956年)
410スーパーアメリカをベースとして、ピニン・ファリーナが大胆きわまるデザインを試みたのが1956年の410スーパーファスト。メカニズムはスーパーアメリカと共通だが、ヘッドライトをプレキシグラスでカバーした簡潔なフロントと、まるでアメリカ車のように大きなテールフィンを立てたリヤとの不思議なミスマッチ感覚がおもしろい。ルーフは後端のみで支えられるカンチレバー式で、いわゆるAピラーはなく、ガラス同士が密着する。

(この記事は、フェラーリ・グランツーリズモ<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真] DeA Picture Library

公開日 2013/03/01


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