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ディーノ

【第3回】ディーノ


フェラーリ初のミッドシップ・エンジンを搭載した「ディーノ」。エンツォの早世した長男のニックネームから名づけられたこのクーペは、美しく官能的な曲線美を携え、方々からその操作性とスピードを絶賛された。

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フェラーリの新ブランド「ディーノ」が誕生

▲ディーノ・シリーズで最も販売台数の多い246GT。このシリーズは、1969年から1974年までに3913台が製造された。(写真/DeA Picture Library)

1960年代に入り、多くの自動車メーカーがフロント・エンジンからミッドシップへと車体レイアウトを変化させていく中、その流れに反してエンツォ・フェラーリだけは従来のフロント・エンジンとV型12気筒にこだわり続けていた。だが、さしものエンツォもF1のレースで2年間未勝利という事態を重く受けとめ、ついに1961年にフェラーリ初の「ミッドシップ・エンジン」を製作。そして、そのクルマで出場した世界選手権で優勝を手にしたのだ。搭載されたエンジンは、V型6気筒のディーノ。こうした流れにより、フェラーリは1965年初頭から従来の主義を捨て、ミッドシップV6エンジンの開発をスタート。また、この時期はフェラーリが企業戦略に失敗したときでもあり、この路線変更はまさにフェラーリの変革と呼べるできごととなったのだ。当時F2レースへの参加基準は、年間生産台数500台のエンジンを使用することと義務づけられていた。フェラーリはこの規定を遂行するため、トリノにあるイタリア最大の自動車メーカー「フィアット」と契約を結び、6気筒エンジン・ディーノの一部をフィアットで製作することとなった。そして、この「メイド・イン・トリノ」のエンジンを搭載したフィアットがスポーツカーの新時代を築いていく中、フェラーリにとって技術面で真の改革となったのは、ディーノ206GTの誕生だった。初のミッドシップ・エンジンを搭載した、排気量2リッターのクーペであるこのクルマのために、エンツォは新しいブランド名(ディーノ)を付けたが、それは1956年にわずか24歳の若さでこの世を去った長男のニックネームからとられたものだった。

フェラーリGT初のV6ミッドシップ

▲246GTのリヤ部は、個性的なルーフとリヤ部を囲む長いピラー、リヤウィンドーをコクピット側に窪ませて効率よくエアを排出するためのスペースを確保している。また内部には、エンジンスペースとバゲージスペースがある。(写真/DeA Picture Library)

フェラーリのV型6気筒エンジンは、グランツーリズモとして発売されたディーノ206GTに搭載されるまで数々のレースで使用された。F1コンストラクターズ(マシン製造者、チーム)選手権では、1958年2位、1961年にはチャンピオンという輝かしい成績を残し、高性能エンジンとマシンレイアウトであることが証明されている。
1965年パリのモーターショーで、ピニンファリーナが発表したコンセプトカーはセンセーショナルだった。これには量産も視野には入れているものの、当面はレース用エンジンとして開発された「ディーノ」が搭載されていた。同年5月、フェラーリはディーノエンジンの提供を定めた契約をフィアットと結び、新たなクーペのプロトタイプを考案したのである。新しいブランド名として「ディーノ」と名付けられた、2シーター、ミッドシップのマシン。ピニンファリーナの職人が当時最高の技術によって製作したボディは、美しく官能的な曲線美を携えていた。このクルマで特に印象的な部分は、フロントのダイナミックな形状である。ノーズの先端が左から右まで大きな帯状のプレクシガラスで覆われ、その中にヘッドライトも包み込まれていた。また、後ろから眺めると、リヤクォーターパネルが垂直のフィンとなって長く延び、全体を包んでいるような印象を与えるのである。

最高のグリップ性能と敏捷性

▲ダイナミックな装備により、抜群の操作性と高い速度を誇っているディーノは、より大きな排気量のスポーツカーに匹敵するほどの性能を持っている。素早いステアリング操作に反応し、またブレーキ性能も高いため、フラットな路面でなくても正確な運転が保証されている。(写真/DeA Picture Library)

ディーノのグリップ性能と走行性について、方々から歓喜の声が上がり、ステアリングを握った人々は、その操作性とスピードを絶賛した。V6エンジン、2リッターのこのクルマは野性味に溢れ十分荒々しかったが、さらに高出力が求められた。そして2年後、走行経験から得たデータをもとに根本的な改良が行われ、総アルミ製2リッターのエンジンから鋳鉄製2.4リッターへと生まれ変わったのである。246GTディーノは雑誌『ザ・モーター』誌上で、後方視界、操作性、パーツ装備において高い評価を受けた。さらに、パワーアップされた2.4リッターではトルクが強く、ツインキャブレター3基の助けもあって、一瞬にして1800回転からレブリミットの8600回転にまで達することができる加速性能も備えている。コクピットはスポーティーな走りからドライバーを守る構造となっており、そのためマシンの限界まで挑むことができた。素晴らしい性能(最高時速245キロ、0-100キロで7.1秒、0-160キロで17.6秒)であるが、燃料消費率は低く、また高速での安定性は抜群であった。ディーノのグリップ性能と安定性は最高であり、また、サーボ・アシスト付きの4輪ディスクブレーキが装備されているため制動による不安は少ない。さらに、この種のクルマとしては、快適な乗り心地であることも魅力となっていたのである。

フェラーリ 栄光の系譜 <1956年~1960年>

●250GTコンペティツィオーネ <250GT ツール・ド・フランス>(1956年)
創業当時からのシャシー設計方針を受け継ぐ、最終世代のフェラーリ・グランツーリズモ。コンペティツィオーネ(コンペティション=競技)の名称から想像するよりはるかに運転しやすく、さまざまな道路状況に対応できるクルマだった。そのため、フランス各地のサーキットを転戦するツール・ド・フランスで好成績を挙げ、それを記念して「TdF」の愛称で呼ばれている。すっきりしたスタイルのボディを担当したのはセルジオ・スカリエッティ。

●250GTカブリオレ (1957年)
250GTクーペから派生したオープンモデル。デザインとしては1950年代前半のピニン・ファリーナ方式の集大成というところだが、1956年の410スーパーアメリカから、レース用以外のフェラーリ・グランツーリズモも、ダブルウィッシュボーンのフロントサスペンションのスプリングが横置きリーフからコイルに変わるなど、メカニズムが少し進化した。一方リヤは、まだ縦置き半楕円リーフで吊られたリジッドアクスルのままだった。

●250GTカリフォルニア (1957年)
公道向けではあるが、ある程度はトップアマチュア向けのレースにも使えるよう考慮されたセミ・レーシングカー。エンジンもギアレシオもコースやイベントの性格に応じて選べたほか、最終期の1960年にはホイールベースを2600ミリから2400ミリに短縮し、ほかのフェラーリ・グランツーリズモと共通化を図ったうえで、コーナーでの運動性能を向上させた。ピニン・ファリーナのほか、セルジオ・スカリエッティがデザインした車体もある。

●250GTクーペ (1958年)
実際に買うことができる富裕層だけでなく、一般のファンにとっても「フェラーリといえばこれ」という意識を浸透させた記念碑的なグランツーリズモ。12気筒エンジンを連想させる長いボンネットや適度に引き締まったコクピット、それらと巧みにバランスの取れたリヤのボリューム感など、当時「スポーツカーの黄金分割」と呼ばれた美しさが映える。そして、このモデル以降、ピニン・ファリーナ自身は新しいデザイン戦略に取り組むようになった。

●250GTベルリネッタ (1959年) 
通称「SWB(ショート・ホイールベース)」。グランツーリズモとはいえ公道で楽しく運転する目的ではなく、フェラーリの伝統に忠実なレース仕様だったので、俊敏な身のこなしを得るため、ホイールベースを2400ミリまで短縮してある。初期のSOHC方式のなかでほとんど完成の域に到達した12気筒エンジンは、パワフルなだけでなくあらゆる回転域で有効なトルクを生み、バランスの取れたシャシーとの相乗効果で、世界のGT部門で無敵の存在だった。

●400スーパーアメリカ (1960年)
1960年春のジュネーブ・ショーに出品された400スーパーアメリカで、またまたピニン・ファリーナの大胆な提案が世間を驚かせた。高速で回遊する巨大魚のような姿が、空気抵抗の小ささを直観させる。実際にはそれほど大きくなく、ホイールベース2600ミリはフェラーリ・グランツーリズモとしては中間的なサイズだ(カブリオレは2420ミリ)。運転感覚も非常にマイルドで、主な輸出先のアメリカでは好評だった。

●400スーパーアメリカ (1960年)
フィアットの社主ジョヴァンニ(ジャンニ)・アニエッリからの注文に応じ、ピニン・ファリーナが特製した角張ったクーペ。フレームやメカニズムはオリジナルの400スーパーアメリカのままである。角張ったノーズとグリルに4灯式ヘッドライト、ラップアラウンドのウィンドシールドなど、同時期にピニン・ファリーナがランチアを素材として手がけたモチーフの多くが応用されている。アニエッリは、1台限りのフェラーリをほかにも数多く特注した。

●250GT 2+2 (1960年)
高性能スポーツカーでありながら実用性も求める声が多かったアメリカ市場のために、ピニン・ファリーナがリヤシートを設けた2+2仕様。いわばフェラーリ流の“ファミリーカー”だ。ベースとなった250GTと同じ2600ミリのホイールベースのまま2+2の乗車スペースをつくるため、12気筒エンジンは2シーターより20センチほど前方に押し出されている。テールライトまわりのデザインなど、細部の造形には何種類か存在する。

(この記事は、フェラーリ・グランツーリズモ<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真] DeA Picture Library

公開日 2013/03/27


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