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365GTB/4

【第4回】365GTB/4


1960年代後半のカームーブメントに一石を投じたといえる365GTB/4「デイトナ」は、スポーツカーとしての独特なデザインと驚異的なスペックでファンを魅了。数々のレースでも、輝かしい戦績を残している。

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記録的な生産台数

▲一新するのではなく、マシン構造のすべてが常にパーフェクトであること。これが洗練されたクルマ365GTB/4「デイトナ」の哲学であった。(写真/DeA Picture Library)

365GTB/4「デイトナ」(フェラーリがデイトナ耐久レースで1、2、3位を独占したことに由来)が、これまで製造されたフェラーリの中でもっとも美しく重要なマシンの一台であるということは、広く一般的に知られている。マラネロのクラシックなグランツーリズモを代表するマシンでもあり、スーパーカーの最終的なコンセプトとなる豪華さと快適さの追求という、新しい要求に応じたクルマだ。デビューした時は、伝統を重んじるフェラーリファンを驚かせたものの、今日でも魅力溢れるピュアで未来を先取りしたボディラインは、その後のオーナー達の心を掴んで離さないものとなった。誕生したのは1968年。翌年にはフランクフルトのモーターショーで、スパイダーバージョンが披露された。生産台数は1,350台(当時としては記録的な数字)。その後、リトラクタブル・ヘッドライトを設置した新型モデルも登場した。最高出力352馬力のエンジンは、V型12気筒に4本のカムシャフトを備えるなど、いかにも当時のフェラーリにふさわしい仕上がりになっている。最後の365GTB/4モデル(スパイダー)は、1973年12月にマラネロから出荷され、もうひとつの有名な赤い車512ベルリネッタ・ボクサーが後を受け継いだ。

スポーツカーとしての独特なデザイン

▲丸い4つのテールランプが際立つ、先端を切った様な特徴的なテール部。(写真/DeA Picture Library)

すべてのスポーツカーにとって1960年代末は決定的な時代といえるが、それはボディライン、ハイスペックなマシンテクノロジー、エンジンの配置など、新時代に向けて大きな変化を目前にしていたからである。365GTB/4のエンジンは、フロントの中央、つまりコクピット前方中央に設置されたが、この試みはフェラーリにとって確固たる自信があったわけではなかった。当初の設計では、それまでのマシンで経験を重ねてきたフロント・エンジンと、トランスアクスル方式のギアボックスを備えたクラシックな選択をしている。最初のプロトタイプの後、さらに開発を重ねて完成したのが新バージョンのエンジンで、排気量4.4リッター、2バルブ、352馬力と、当時のスポーツカーとしては、まさに驚異的な数値である。その上、トランスアクスル方式のギアボックス(フロントとリヤで最適なバランスを取れる)や、4輪独立のサスペンションなど、新開発されたメカニズムが多数取り入れられた。伝統を否定するわけではないものの、実際には各パーツを一新したマシンテクノロジーとなっている。
1968年10月、パリ・モーターショーでは365GTB/4が観衆の羨望の的となった。そして翌1969年、新しいベルリネッタの初期バージョンが登場し、このクルマは数々のレースで好成績をおさめたのである。注目度満点な365GTB/4の外観は、スポーツカーとしての特徴を強調したデザインであり、長いノーズがボディの前半を占めたため、コクピットは後方へ移動。フロントエンドも独特で、ヘッドライトの下にラジエーターグリルを備えている。そして1971年、アメリカの法規定改正に合わせてボディが変更され、ノーズ先端にある帯状のパースペックス製に包まれたヘッドライトが姿を隠し、リトラクタブル・ヘッドライトとなり、ボンネットの中に収納された。先端を切った様な短いテール部分も美しく、275GTBから再び取り入れられたトランクリッドと丸いテールランプが際立っている。新しい365GTB/4は全長4.430メートルで、その1年後に誕生したスパイダーも魅力的な姿を披露。デイトナは、アメリカの雑誌『モータークラシック』で、美しいフェラーリベスト10の第2位に常時ランキングされているのだ。

驚異のレース戦歴

▲365GTB/4のダッシュボードは8つのメーターを備えている。左から油量計、スピードメーター、その他の小さな装置として水温計、油温計、電圧計、油圧計、その右には必需品の大きなレブカウンターと小さな時計を配置。(写真/DeA Picture Library)

デイトナのレース戦歴は1969年にはじまる。アメリカのフェラーリ・ディーラーであるルイジ・キネッティが、総アルミ製365GTB/4デイトナの特別バージョンをマラネロでつくらせ、ル・マン24時間耐久レースに参加したが、マシンはそこで事故にあってしまった。その後、他のフェラーリ・オーナーたちが、耐久レースに数多く参加していく。1970年、デイトナはル・マンで5位、翌年には別のデイトナが12位につけた。1971年、フェラーリはアルミのボディとグラスファイバー強化樹脂製パネルで、15台の特別なレース用デイトナを製作。続くシリーズでは、デイトナはより複雑なV12気筒に403馬力(その後450馬力)を搭載し、重量も軽量化されて1170kgとなった。これらのクルマは、頭角をあらわしてきたコルベットとポルシェに挑むべく、もっとも貢献度があり信頼できるチーム(キネッティ、ポッツィ、スウェーターズ)に託された。セブリング(アメリカ・フロリダ州)では1972年、6台ものデイトナがクラス優勝のために戦い、続くル・マン24時間耐久レースでは、カテゴリー上位5位を独占。その他の輝かしい勝利としては、ワトキンズ・グレン(アメリカ・ニューヨーク州)の6時間レース、1972年、ヨーロッパステージでもっとも有名なレースであるツール・ド・フランスでの成功が挙げられる。さらに1973年、ル・マン24時間耐久レースにおいてクラス優勝、その後も重要な勝利をおさめた後、最後の大きな成果として、1978年のデイトナ24時間レースで2位を獲得したのだった。

フェラーリ 栄光の系譜<1962年~1964年>

●250GTルッソ (1962年)
レーシングタイプである250GT SWBのイメージを生かしながら、公道で乗りやすいように仕立て直したのがルッソ。グリルの下を短いバンパーで引き締めたシンプルなマスク、同じく引き締まり感の強いリヤなど、全長4410ミリのサイズよりコンパクトに見えるのが特徴だ。現役寿命の3年間で350台という販売実績は、当時のフェラーリとしては破格の大成功である。エンツォ自身にとっても、このクルマは大のお気に入りだったという。

●250GTO (1962年)
1962年からFIAのルールが変わり、世界メーカー選手権の得点が純粋のレーシングカーであるプロトタイプではなく、市販車として認定されたグランツーリズモを対象として与えられることになった。そこでフェラーリが開発したモデルが250GTO。末尾のOは「オモロガータ(ホモロゲーション=公認)」の頭文字だ。それまでのフェラーリ・グランツーリズモと趣の異なる機能一点張りのボディは、社外から招かれたジオット・ビッザリーニの作。

●250LM (1963年)
1961年からフォーミュラカーをはじめ純レーシングカーをミッドエンジン化したフェラーリは、1963年の250LMでグランツーリズモ部門でもミッドエンジンに転向。実質的にはレーシングカーそのものだったが、ナンバーを付けて公道を走ることも可能だった。この250LMによってフェラーリ・グランツーリズモの戦闘力は飛躍的に向上し、1965年のル・マン24時間をはじめ、各地のGTレースで大活躍した。もちろんLMは「ル・マン」の頭文字である。

●250GTO’64 (1964年)
初のミッドエンジンGTである250LMのFIAによる公認作業が遅れたため、つなぎのレーシングカーとして250GTO’64が開発された。250GTO(1962年)の主要メカニズムをそのまま応用しているが、スカリエッティによるボディは全高を10センチ以上も低くし、重心を下げると当時に空気抵抗も減らしてある。また、ファストバックだった背面を大胆にカットし、テールの先端を反り返らせることで、高速走行時の車体の浮き上がりを防いでいた。

●500スーパーファスト (1964年)
400スーパーアメリカ(1960年)がアメリカで好評だったことを受けて、さらに排気量を5リッターに拡大し、内外装ともゴージャスに仕立てたモデルが500スーパーファスト。2650ミリのホイールベースで2+2としたところにも、スポーツカーでありながら実用性も重んずる富裕層の要望の反映が見える。紡錘形をベースとするスタイリングは400スーパーアメリカの流れを汲むが、フロントの処理などはより一般的になっている。

●275GTB (1964年)
創業以来のフェラーリ・グランツーリズモの歩みのなかで、初めて大きな曲がり角を迎えた記念すべきモデル。FRのフェラーリとして初めてリヤにも独立式サスペンションを与えられ、ギアボックスも後部のファイナルドライブと一体のトランスアクスルになった。12気筒エンジンも当初はSOHCだったが、1966年のマイナーチェンジでDOHC化され、300馬力にパワーアップされた。また軽合金ホイールの採用も、FRフェラーリとしては第1号だった。

●330GT 2+2(シリーズⅠ) (1964年)
12気筒を暗示する長いボンネットを持ちながら、キャビン部分も大きく見せて居住性の良さを表現するなど、かなり平和なフェラーリ・グランツーリズモ。これもアメリカで大歓迎され、1967年まで生産が続けられて通算1000台以上も売れるヒット作になった。同時期に登場した275GTBとは異なり、リヤサスペンションは半楕円リーフによるリジッドのままだったが、当初4速だったMTは、デビューの翌年には5速化されている。

●275GTS (1964年) 
1950年代の250GTからスパイダー仕様も併売してきたフェラーリは、64年の275からその路線を強化した。基本的に共通のボディで、ベルリネッタとスパイダーの両タイプをカタログに並べることになったのだ。275GTSも275GTBと同じ内容を持つが、オープンで走る楽しさを優先するとともにボディ剛性の低下も考慮し、ややエンジン出力を引き下げてある。また、幌の形のせいで空気抵抗も増すため、最高速度も少し低下している。

(この記事は、フェラーリ・グランツーリズモ<デアゴスティーニ・ジャパン刊>をもとに構成したものです。)
[タイトル写真] DeA Picture Library

公開日 2013/04/24


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