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飯田線 豊橋〜辰野

【第15回】飯田線 豊橋〜辰野


4つの異なった景色を見せる4私鉄が起源の日本一長いローカル線、飯田線。
かつて旧型国電最後の聖地としてファンで賑わったこの路線は、今も変わらぬ車窓美を提供してくれる。市街地、山村、渓谷、そして高原……。日本の持つ典型的な風景の展開は、この路線の特殊な成り立ちに由来していた。

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同じ線路を名鉄が走ってくる 最初から驚きがいっぱい

デアゴスティーニ編集部

静まり返った夕刻の天竜に、鉄橋を踏む列車の音だけが響く。今でも人を寄せつけない中部天竜〜天竜峡間は、敷設に困難を極めた。弱まりつつある陽光が、秘境感をさらに強調する。

「ローカル線」を地方交通線と定義した場合、日本一長いのは北海道の宗谷本線である。しかしいくら列車本数が少ないとはいえ、「本線」というのはローカル線のイメージにはそぐわないのではないか。そこで地方交通線の中で「本線」とつくものを除くと、日本最長となるのが飯田線である。そうと分かると乗ってみたくなるのが人情というものだ。さっそく6時ちょうど発の下り始発列車に乗るべく、早朝の豊橋駅2番ホームへと向かった。

乗り込む前から飯田線はそのおもしろさを見せてくれた。豊橋駅の在来線ホームは1番から8番まであるのだが、なんと、間に割り込むように3番ホームが名鉄のホームになっているのである。特異な光景は列車に乗ってからも続く。豊橋駅を定刻に発車した119系2両編成。先頭部に乗り前方を眺めていると、上り線を名鉄の電車が走ってくるではないか。乗車しているのはJR東海の車両なのに、向かってくるのは名鉄の車両。なんとも不思議な感覚である 。下地駅を過ぎ右に大きく曲がったところで、線路はふた手に分岐するのだが、実はここ豊橋を起点に3.9km地点までの区間は、複線の下り線をJR東海、上り線を名鉄が所有し、両社の線路を共用することで複線運転を実現する、極めて珍しい区間。そのためJR東海と名鉄が駅を共用、両社がすれ違うという現象が起こるのだ。
左に分岐していった名鉄に別れを告げ、いよいよ「最長」の旅へと乗り出していく。

日本の鉄道情景の見本市のようなバラエティに富んだ沿線風景

デアゴスティーニ編集部

始発駅豊橋を出た列車は住宅街を抜け、平坦な区間を新城に向かう。東上近辺には田園風景が広がる。

飯田線の総延長は195.7km。車窓を彩る風景は、本州で見られる海辺以外の風景をすべて内包しているのではないか、と思えるほどバラエティに富んでいる。これが飯田線の大きな魅力となっているのだ。
飯田線の沿線風景は大まかに、豊橋〜新城間の比較的平坦な「市街地区間」、新城〜中部天竜間の山間ののどかな「山村区間」、中部天竜〜天竜峡間の雄大険峻な「渓谷区間」、天竜峡〜辰野間の緩やかな山容の「高原区間」の4区間に分類できる。
列車は今、高校生が乗降を繰り返した市街地区間を走り終え、山村区間を走行している。有名な長篠・設楽が原の合戦の舞台となった長篠城駅を過ぎ、奥三河の緑溢れる風景を車窓に見ながら山間へと分け入る。まばらだった乗客も、愛知県最後の駅東栄からは急に増え、車内が活気づいてきた。その活気の主は浦川駅近くにある学校に通う、黄色い帽子の小学生たちだ。彼らにとって飯田線はスクールバスのような存在なのだろう。
浦川駅で駆け降りていった小学生たちの背中を見送ると、車内は再び静寂を取り戻しゆっくりと走り始めた。

クライマックスは敷設にも苦心した人を寄せつけぬ秘境的渓谷

デアゴスティーニ編集部

飯田線をはじめ国鉄、JRで活躍した車両が保存・展示される鉄道博物館「佐久間レールパーク」は中部天竜駅に隣接。

列車はこれから始まる困難に備えるかのように、中部天竜駅で5分間の停車。
この駅には、さまざまな引退車両を静態展示する「佐久間レールパーク」が併設されている。午前7時50分、かつての鉄路の勇者たちに見送られ、列車はクライマックスに向かって歩み始めた。
次の佐久間駅を出ると、線内で2番目に長い峰トンネル(3619m)を抜ける。国道152号線にほぼ並行して水窪駅まで走ると、今度は飯田線一長い5063mの大原トンネルを通って大嵐(おおぞれ)駅へと抜けていく。
大嵐から列車は、雄大な流れを見せる天竜川に沿って走り始める。ここから天竜峡までが飯田線最大の見せ場である、水を満々とたたえた川から迫り立つ深緑の斜面。トンネルがいくつも連続するため車窓に風景が映る時間は短いが、そのわずかな合間からは、人も容易に踏み込めない秘境的渓谷美が飛び込んでくる。日没前後にこの区間を通ったなら、きっと神秘的な光景に恐れすら感じることだろう。

路線完成までの労苦を物語る138ものトンネル数

デアゴスティーニ編集部

天竜河畔にぽつんとたたずむ唐笠駅。この駅や秘境駅で有名な小和田駅など、渓谷の雄大な風景が展開する中部天竜〜天竜峡間には、周辺に人の気配の薄い駅が数多く点在する。

ところでトンネルに入るときに入り口を見ていると、黒い正方形のプレートに白い文字で書かれた数字を見つけることができる。車掌さん曰く「豊橋側から順番につけたトンネルの通し番号」とのこと。飯田線のトンネル数は全線で138、それらのほとんどがこの渓谷区間に集中している。こんなに険しい区間なのだから、やはりその敷設に当たっては多くの困難と犠牲を伴ったようだ。
まず測量からして一筋縄ではいかなかった。視界が5mと効かないうっそうとした原始林と岩の斜面が天竜川の激流に急激に落ち込む過酷な自然を前にして、本州の測量隊は手も足も出なかった。そこで召喚されたのが、技術的評価が本州にまで轟いていたアイヌ人測量隊だった。測量機器の持込みが不可能だったため、彼らの徒渉能力と目測技術に期待が寄せられたのである。のちに分かったことだが、その測量結果は実に正確であったという。
こうしてやっとの思いで敷設できたのだが、そこに至るまでにこの困難な地形は100名近い人命を奪っていった。

4私鉄が1つに結実した地点は今は人家もない名高き秘境駅

デアゴスティーニ編集部

豊橋〜飯田間に2往復設定される特急「(ワイドビュー)伊那路」が、小和田〜中井侍間の連続するトンネルの合間から一瞬顔を出す。はるか下方には天竜川が悠々と流れている。

列車は愛知、静岡、長野の3県の県境付近に位置する、秘境駅として名高い小和田駅に到着。その急峻さは徒歩以外では駅にアプローチできないほどで、そんな秘境駅も飯田線にとって記念すべき場所である。
飯田線は、実は最初から国鉄が敷設した路線ではなく、4つの私鉄が独自に敷設した別々の路線だった。
明治30(1897)年7月15日、豊川鉄道が豊橋〜豊川間に開通したのを皮切りに、明治33(1900)年に豊川〜大海間を豊川鉄道が、大正12(1923)年に大海〜三河川合間をその子会社である鳳来寺鉄道が、昭和2(1927)年に天竜峡〜辰野間を伊那電気軌道がそれぞれ開通させた。こうなると当然、三河川合〜天竜峡間を鉄道で結ぶ構想が持ち上がる。豊川鉄道と東邦電力の間で合意のもと、昭和2(1927)年に三信鉄道を設立。昭和12(1937)年8月20日、三河川合〜天竜峡間が開通し、ついに4つの私鉄を介して豊橋〜辰野間が結ばれた。このとき最後に敷設された区間が、ここ小和田〜大嵐間であった。
そして、昭和18(1943)年8月、4私鉄は国鉄によって買収され、飯田線が誕生。東海道本線でさえ東京〜沼津間しか電化されていない当時、奇しくも飯田線は買収と同時に日本最長の電化路線となった。
狭隘な渓谷にモーター音を響かせ、列車はひたすら天竜の流れに沿って天竜峡駅を目指している。

長時間乗車のエピローグはアルプスの麓を行く高原列車

デアゴスティーニ編集部

高校生たちの通学の足となるのは、ローカル線の重要な使命のひとつ。彼らの1日の生活は飯田線から始まる。

天竜峡駅では列車を乗り換える。12分の接続で9時36分発。ここから先は伊那盆地に入る。さっきまでの険しかった渓谷が嘘のように、穏やかな光景が周囲に広がる。
長野県南部の中心都市飯田に近づくと、列車は大きく向きを変えながら市街地を進む。
飯田駅を挟む下山村〜伊那上郷間の線形がΩ形をしているためで、これを利用したゲームが何度かテレビなどで紹介されたことがある。下山村駅で電車を一度降りて伊那上郷駅まで走り、同じ電車に再び乗り込めるか、という電車対人間の珍競争である。電車の走行距離が6.4km、両駅間の距離が約2km、なかなかきわどい勝負になるようだ。
飯田駅からは辰野に向けていよいよ旅の終盤となる。列車は中央アルプスと南アルプスの麓をのんびりと走り抜けていく。開けた窓から流れ込む高原の風がすがすがしい。駒ケ根、伊那市と進む列車。いつしか車内には学校帰りの高校生たちが増えてきた。
徐々に標高を稼ぎ、12時37分、終点辰野到着。1日の4分の1をかけた日本最長ローカル線の旅は、ついに終わりを告げた。
しかし、列車の終点は中央本線をさらに2駅走った岡谷となっている。9分間停車する間に乗務員はJR東海からJR東日本に交代し、列車は辰野駅を出ていった。

天竜峡駅では列車を乗り換える。12分の接続で9時36分発。ここから先は伊那盆地に入る。さっきまでの険しかった渓谷が嘘のように、穏やかな光景が周囲に広がる。
長野県南部の中心都市飯田に近づくと、列車は大きく向きを変えながら市街地を進む。
飯田駅を挟む下山村〜伊那上郷間の線形がΩ形をしているためで、これを利用したゲームが何度かテレビなどで紹介されたことがある。下山村駅で電車を一度降りて伊那上郷駅まで走り、同じ電車に再び乗り込めるか、という電車対人間の珍競争である。電車の走行距離が6.4km、両駅間の距離が約2km、なかなかきわどい勝負になるようだ。
飯田駅からは辰野に向けていよいよ旅の終盤となる。列車は中央アルプスと南アルプスの麓をのんびりと走り抜けていく。開けた窓から流れ込む高原の風がすがすがしい。駒ケ根、伊那市と進む列車。いつしか車内には学校帰りの高校生たちが増えてきた。
徐々に標高を稼ぎ、12時37分、終点辰野到着。1日の4分の1をかけた日本最長ローカル線の旅は、ついに終わりを告げた。
しかし、列車の終点は中央本線をさらに2駅走った岡谷となっている。9分間停車する間に乗務員はJR東海からJR東日本に交代し、列車は辰野駅を出ていった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/03/14


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