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大糸線 松本〜糸魚川

【第17回】大糸線 松本〜糸魚川


電化・非電化区間が混在する、信州と日本海を結ぶアルプスライン、大糸線。
この路線は、他線区には決して見られない車窓からの景色や駅のムードを持つことで知られ、北アルプスの美しい風景を望むことができる。訪れたときには国鉄色の気動車が復活し、彩りを添えていた。

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雄大な北アルプスの山並み 美しい安曇野を行く

デアゴスティーニ編集部

北アルプスをバックに安曇沓掛〜信濃常盤間を走る大糸線の電車。標高2696mの爺ケ岳、2889mの鹿島槍ケ岳が連なる。山麓はのどかな安曇野の里。

「こんな路線が珍しいのかね? ほかにないのかね?」
一面に広がる田んぼの中、自転車を走らすオヤジさんはそう言ってびっくりしていた。
新宿から特急「スーパーあずさ」に乗って2時間半。途中にも小海線など景色もよくて雄大なローカル線はある。それでもわざわざ「大糸線がいいから」と訪れたことにオヤジさんは驚いていたが、ちょっと嬉しそうだった。そして
「あの辺は内山だけど、そこから常念(岳)、大天井(岳)と続いてずっと北アルプスだよ。きれいだよ」と、今度は自慢げに地元を語る。
晴れたり突然雨が降ったりの天気の中、急に雲が割れて雄大な北アルプスの山並みが姿を現す。一面に広がる田んぼは穏やかな風景となり、踏切がカンカン鳴ると2両編成の電車がのんびりやって来る。
小さな駅は一日市場と書いて「ひといちば」。どこか懐かしさと安堵感のある駅。よく見れば跨線橋がない。ホームの途中を崩して作った構内踏切があって、お客さんはそれを渡って木造駅舎の改札に向かう。ローカル線に限らず、都内の電車の駅もかつては駅の構内に踏切があって風情を感じさせたものだが、今ではほとんどが立体交差式の大量通行型に姿を変えた。通路が拡幅されて便利になった分、失ったものもあるということだ。新宿から乗った「スーパーあずさ」は、そんな都会の現実や秩序を乗せたまま松本に着くので、その違いを余計感じさせるのである。
松本駅から乗る大糸線は駅のホームも離れ、のんびりムード。松本を出発してすぐに北松本、島内、島高松と小さな駅にこまめに停車する。駅を出たと思ったらすぐ次の駅。一面のホームのみの停留場も多く、交換設備がある駅でもその線路やホームの有効長は短い。長い列車は停車できないスモールサイズ。一
日市場もそうである。これが、ほかのローカル線にはない大糸線ならではの味なのだ。そしてこの「いい雰囲気」を醸し出すその理由は、大糸線の松本〜信濃大町間がもともと国鉄ではなく、私鉄として開業していたことによるものなのである。

松本~信濃大町間は元私鉄 架線柱も当時の面影を残す

デアゴスティーニ編集部

安曇野はいつも四季折々の表情を見せる。春は残雪の北アルプスが誘い、夏は緑があふれ収穫の秋を迎え、冬は一面の雪景色となる。

大糸線は、いわゆる北国街道に沿って建設されている。日本海の塩を内陸に運んだ「塩の道」でもある、重要なルートだ。大糸線は新潟県(日本海)、長野県側の双方から建設が進められ、大糸北線、大糸南線となったが、松本〜信濃大町間は、私鉄の信濃鉄道が大正5(1916)年に開業させていた。これが現在の大糸線の始まりである。
その後、信濃鉄道は昭和12(1937)年に国有化されたが、信濃大町までは私鉄の雰囲気が色濃く残り、駅間距離もホームの長さも短い。
電化路線なので「電車みち」の姿がある。架線柱も大半は信濃鉄道時代のままだ。このなじみ深く郷愁漂う電車模様に、田んぼや北アルプスの雄大な風景がでんと構えている。それも大糸線の魅力のひとつである。信濃鉄道がなくなったのち、北国街道の鉄道ルートを懸命に築いたが、山岳地帯の建設は難航。昭和32(1957)年8月に最後の中土〜小滝間がようやく開通して、名実ともに大糸線として結ばれることになった。

思わず途中下車したくなる 変わることなく続く車窓風景

デアゴスティーニ編集部

硬券ではないものの、懐かしい切符の買える駅、そして温もりのある窓口が数多い

「駅のホームに下りるだけで大抵のお客さんは驚きますね。春は電車が来なくても山の写真だけ撮っている人も多いですよ」
中萱駅で業務委託され切符を売るご主人が語る。きれいに掃除された駅待合室の向こうには、おっしゃる通り北アルプスの山並みが連なっている。さらに電車に乗って穂高、細野、北細野、信濃松川とどんどん進むと、山並みも刻一刻と表情を変え、近づき、ゆっくり遠ざかる。大糸線ファンには電車マニアながら北アルプスの魅力に取り憑かれ、ついには山岳写真家となった人も多い。大糸線から見える山の頂ひとつひとつに拘って旅をし、写真を撮るのだという。
「タタン、タタン」とジョイントを心地よく刻む電車に乗って見る風景からも、その魅力が伝わってくる。北アルプスの山麓はのどかな里、安曇野である。名前の通り安らぎ、穏やかに風が流れている。安曇沓掛で途中下車をしたら田んぼの彩りに加え、蕎麦の花が真っ白に咲いている。畦にある道祖神が笑って迎えてくれる。有明では鉄橋の際にわさび田、水は清く潤う。まるで名水のコマーシャルのようだが、そんな風景がずっと車窓から見える。松本市内からさほど遠くなく、住宅地も多く特別な観光路線というわけでもない。普段のままの暮らしの中にこの風景がある。大糸線の電車はその中心で毎日走っている。

松本~信濃大町間は元私鉄 架線柱も当時の面影を残す

デアゴスティーニ編集部

木造の跨線橋にペンキで描かれた駅名板。特急も停車する駅だというのにその佇まいはいたってのどか。

大糸線は、いわゆる北国街道に沿って建設されている。日本海の塩を内陸に運んだ「塩の道」でもある、重要なルートだ。大糸線は新潟県(日本海)、長野県側の双方から建設が進められ、大糸北線、大糸南線となったが、松本〜信濃大町間は、私鉄の信濃鉄道が大正5(1916)年に開業させていた。これが現在の大糸線の始まりである。
その後、信濃鉄道は昭和12(1937)年に国有化されたが、信濃大町までは私鉄の雰囲気が色濃く残り、駅間距離もホームの長さも短い。
電化路線なので「電車みち」の姿がある。架線柱も大半は信濃鉄道時代のままだ。このなじみ深く郷愁漂う電車模様に、田んぼや北アルプスの雄大な風景がでんと構えている。それも大糸線の魅力のひとつである。信濃鉄道がなくなったのち、北国街道の鉄道ルートを懸命に築いたが、山岳地帯の建設は難航。昭和32(1957)年8月に最後の中土〜小滝間がようやく開通して、名実ともに大糸線として結ばれることになった。

「暴れ川」から受けた甚大な被害より奇跡的に回復

デアゴスティーニ編集部

南小谷では国鉄色のキハ52が待っていた。ここから先はいよいよ非電化区間となる。

南小谷で電車は終点。ここからは電化されておらず、糸魚川行きの気動車が待っている。まったく別路線のようだ。車両はJR西日本糸魚川運転センターのキハ52で、3両のうち1両が平成16(2004)年7月から懐かしい国鉄色に戻され、人気を集めている。 
南小谷を出発すると姫川沿いの切り立った渓谷を行く。今までとはまったく異なる風景で、人家もまばらで深い谷間に川が激しく流れている。姫川はたび重なる水害をもたらす「暴れ川」としても知られ、大糸線や国道148号線をたびたび寸断させた。地滑りが多く、土石流がもたらす土砂で川が堰き止められ、洪水を引き起こすのだ。
平成7(1995)年7月11日の集中豪雨では、観測史上まれにみる降雨があり、鉄砲水、土砂崩壊など流域に甚大な災害をもたらし、家屋も多数流失する大災害となった。大糸線も各地で路盤が流失し、流木が橋脚を倒し、橋梁が全壊するなど壊滅的な被害を受け、南小谷〜小滝間21.7kmが不通となった。このため、運行本数の少ない大糸北線においては存続が危ぶまれたが、全力をあげて橋梁や路盤の建設整備を行なった結果、2年後の平成9(1997)年11月29日に奇跡的に甦った。

国鉄色のキハ52も活躍 災害から復興し新たな出発

デアゴスティーニ編集部

非電化区間はほとんどが山の中。トンネルをいくつも抜けたのち、日本海に達する。

平岩駅で下りると、あちこちに水害の爪痕が見られ痛々しい。土砂崩壊の跡、新しく建設したコンクリートの橋脚、擁壁、災害による被害からも復興を遂げ、新しく出発をしたレール、駅、そして町……。
「7月11日の出来事は忘れられません。ですが総力を上げて復旧に取り組みました」
駅員さんが熱くなる目頭を押さえるように語ってくれた。
静けさのなかにエンジンが響く。やって来るのは大糸線の国鉄色のキハ52だ。水害による痛手など微塵も感じさせず、明るいクリーム色と朱色で元気いっぱいの様子である。カランカランと音をたてるエンジンは往年の名機DMH17H。車内にはボックスシートが並び、窓際のテーブルには栓抜きも付いている。車内で楽しく乾杯しているうちに、列車は終着駅の糸魚川に近づいてくる。
一気に平地が開けると大糸線の長い旅がようやく終わる。北陸本線に合流して、キハ52は何事もなかったようにアイドリングを続けている。駅前から5分ほど歩くと、そこはもう日本海である。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/05/14


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