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天竜浜名湖鉄道

【第20回】天竜浜名湖鉄道


天竜浜名湖鉄道は、浜名湖北岸を走る穏やかなローカル線だ。沿線住民の切望により非常時の東海道線迂回ルートとして結実したこの路線は、赤字廃止の危機を免れ、第三セクター鉄道として再出発を果たした。そして今なお開業当初の雰囲気を色濃く残すこの鉄道は、ほかの多くの鉄道が失いつつある日本の鉄道原風景が体感でき、素朴な旅情を味わわせてくれる。

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白いディーゼルカーの内外に漂う穏やかでどこか明るい雰囲気

デアゴスティーニ編集部

緑色のホームが明るい雰囲気を放つ掛川駅。ほのぼのとした完全手動の案内板が、次の列車の発着番線を知らせる。

静岡と浜松の中間に位置する町、掛川から天竜浜名湖鉄道の旅は始まる。これから車窓に展開する風光明媚な沿線風景を想像させる社名を冠するこの鉄道は、沿線の人々から親しみを込めて「天浜線(てんはません)」と呼ばれている。
天浜線の列車はJR東海の掛川駅の北側、JR化後の昭和63(1988)年3月に開業した新幹線駅とは東海道線ホームを挟んで反対側から発車する。JR駅舎の西側に隣接する当鉄道の駅舎をくぐると、1面2線のホームの1番線に、ホワイトを基調にしたさわやかなカラーリングのディーゼルカーが、1両で待機していた。
車内は、すでにほとんどの席が埋まっている。乗客の大半は高齢者のようだ。日本は車社会と呼ばれて久しい。特に静岡県は自動車の普及率が高いが、鉄道が「大事な足」である人もたくさんいるのだ。
「もう発車かね?」
 待ちわびた乗客が、車内を点検している運転士に問いかけた。
「あと2分で発車だから、もうちょっと待っとってね。ごめんね」
答える運転士。フレンドリーなやりとりが、これから始まる旅が楽しいものになるであろうことを確信させる。

原谷、遠州森と続く味わい深い駅の数々

デアゴスティーニ編集部

開業当初からほとんど変わっていないと思われる遠州森駅。幾人の乗客がこのベンチに腰掛け、時を過ごしたのだろうか。

掛川を発車すると、すぐに東海道本線、新幹線から分離する。2分ほどで平成8(1996)年開業の線内では最も新しい駅、掛川市役所前に到着。その後、単行のディーゼルカーは2〜3分間隔で駅を繋いでいき、徐々に北方へと向かって行った。
掛川から数えて7つ目の原谷駅で、上り列車と交換をした。この駅は、平成16(2004)年7〜9月にフジテレビ系列で放映されたドラマ「ウォーターボーイズ2」で「姫乃駅」として登場した、雰囲気ある木造の駅だ。
10駅目の遠州森も、何十年もその姿が変わってないのではないかと思わせる、味わい深い駅である。赤銅色に日焼けした老駅員の、列車を見送る穏やかな表情が印象的だった。

天竜二俣駅周辺の遺物が語る天浜線の紆余曲折の歴史

デアゴスティーニ編集部

天竜二俣駅構内にある扇形庫には「鉄道じおらま館」が併設。目玉は体験運転できる大型のNゲージ・レイアウトである。

のどかな田園風景の中を単行のディーゼルカーは軽快に走る。アイボリーの車内を午前の陽光がひと際明るくする。ブルーのモケットを纏ったシートは、掛川発車時よりも空きが目立ってきた。
15駅目の上野部を出ると、間もなく線内最大の駅、天竜二俣に到着だ。天竜二俣は「鉄道じおらま館」を擁することでもよく知られた駅だ。先頭部に立ちながら前方の風景を眺めていると、「この先の2つのトンネルの内壁をよく見ていて下さい。ボルトが突き出ているのが見えますから」と運転士が話しかけてくれた。
今まで通ってきた駅々とは打って変わって、山間の町の中心駅といった装いの天竜二俣駅で下車した。木造の重厚な屋根を頂く2面のホームや、瓦葺き、木造平屋建ての駅舎は、昭和15(1940)年に二俣線の遠江二俣駅として開業した時から、ほとんど変わっていないらしい。ほかのいくつかの駅でもそうなのだが、駅構内の線路も開業時のもの。30kgレールがそのまま使われている。レール側面には敷設工事中の年代に当たる「1936」の製造年の刻印も認められた。
この駅で下車したのには理由がある。二俣線として開業した天浜線の歴史を感じてみたかったからだ。

国指定の登録有形文化財に指定された扇形庫

デアゴスティーニ編集部

天竜二俣駅構内には、転車台や木造扇形庫をはじめ、国指定の登録有形文化財に指定されている建物が点在する。

天竜浜名湖鉄道は、国鉄の分割民営化に先立つこと半月前の昭和62(1987)年3月15日、赤字で苦しむ国鉄二俣線を引き継ぐ第三セクター鉄道として開業した。二俣線が全線開通してから47年目のことだった。
そもそもこの地域に鉄道敷設が計画されたのは明治28(1895)年のこと。地元有志により、掛川〜森〜二俣間に掛川鉄道として計画されたのだが、発起人代表者の死去により実現に至らなかった。しかし、その後も地元住民の鉄道を求める熱意は衰えず、ついに敷設されることとなった。昭和7(1932)年、戦時に東海道本線のネックとなる浜名湖近辺の迂回ルートとして、二俣線計画は誕生した。
昭和8(1933)年4月、工事着工。昭和10(1935)年4月、掛川〜遠江森(現・遠州森)間営業開始。昭和11(1936)年12月に三ケ日〜新所原間、昭和13(1938)年4月に金指〜三ケ日間が営業を開始。そして昭和15(1940)年6月1日、掛川〜新所原間67.9kmの全線が開通した。この時に創設されたのが、天竜二俣駅構内掛川寄りにある運転区だ。遠江二俣機関区と呼ばれた当時の諸施設が、今も現役で使用されている。それらのうち、今や貴重な木造の扇形庫や転車台をはじめとしたいくつかの建物が、国指定の登録有形文化財に指定されている。

忘れられつつある光明電気鉄道の遺構に刻まれた歴史

デアゴスティーニ編集部

天竜二俣駅西の路地沿いの草むらを掻き分けると、光明電気鉄道の阿蔵駅ホーム跡の石積みが現れた。

実は、天浜線にはさらに前史がある。袋井を発して二俣(現・二俣高校付近)へと至る、光明電気鉄道という名の民鉄が昭和3(1928)〜10(1935)年の7年間だけ走っていた。結局、経営難から廃止されてしまうのだが、天浜線の豊岡〜天竜二俣間はこの光明電気鉄道の軌道跡をそのまま使用しているという。先程、ディーゼルカーで運転士が教えてくれた2つのトンネルが、正にこのルート上にあったのだ。「トンネル内壁のボルト」は、電鉄時代に架線を吊っていた吊り金具の一部らしい。さらに、光明電気鉄道の遺構は天竜二俣駅近くにも存在した。草に埋もれて、教えてもらわなければわからなかったが、駅西側の広場脇の阿蔵駅ホーム跡だ。
このように天竜二俣駅付近は、駅前にあるSL時代の主役C58や、駅脇にある二俣線旅客輸送の主力キハ20なども含めて、歴史の語り部の宝庫なのだ。
運転区を見学しての戻り道、駅構内を行ったり来たりする単行のディーゼルカーがあった。聞けば、運転士の試験に挑む20歳の青年の訓練運転だという。そして彼の祖父も二俣線で働いていたのだそうだ。ここでは人も深い歴史を刻んでいた。

大河・天竜越えは旅のクライマックスの一つ

デアゴスティーニ編集部

掛川方面に向かう単行のディーゼルカーが、西鹿島駅を出発した。南西に広がる市街地を背負いながら、間もなく差しかかる鉄橋で大河「天竜」を越えていく。

天竜二俣駅から再び車内の人となり、後半の旅へと乗り出した。列車は次の二俣本町駅を出たところで天竜川を渡り、西鹿島駅に停車する。西鹿島駅は遠州鉄道との接続駅で、駅は遠州鉄道側が管理。国鉄時代の一時期、遠州鉄道が保有するディーゼルカーが、この駅を介して二俣線に乗り入れ、遠江森まで走ったこともあったそうだ。
西鹿島を出ると、きついカーブもなくディーゼルカーは緩やかに西へと向かう。軽やかなエンジン音が車内に響く。前出の掛川市役所前駅と同日開業の新しい駅であるフルーツパーク駅を経て、天竜二俣から数えて9つ目となる金指駅に到着。遠州森に負けず劣らず、笑顔の印象的な老駅員が列車を出迎えてくれた。ここで上り列車との交換待ちとなった。
しばしの停車後、さらに列車は西へと向かう。コトン、コトンという心地よいリズムに身を任せていると、何か日本の鉄道の原風景に触れているような錯覚に陥る。車両こそ新型が走っているものの、のどかな沿線風景、何十年も変わらない鉄道情景、そして何より、自分たちの鉄道を愛する鉄道マンたち。沿線の人々の思いが結実した鉄道は、かつてはどの鉄道も持っていた素朴な旅情を現在に体感できる、巨大なテーマパークといえよう。

遠つ淡海・浜名湖を眺めながら鉄道の原風景に思いを馳せる

デアゴスティーニ編集部

車窓を彩る風景のクライマックスは、浜名湖。その北岸を取り巻くように、天浜線は走る。青々とした水をたたえる雄大な湖の姿は、古くから見る者の心を和ませてきた。

すぐにまた体感イベントはやって来た。2つ先の気賀駅では、駅員在勤時間に販売されるきっぷが今でも硬券なのだそうだ。前半で通って来た原谷、戸綿もそうらしい。残念ながらこれらの場所では、せっかくのイベントを体感し損ねてしまったのだが……。
気賀を出てしばらくすると、ついに鉄道名の元になっている浜名湖が見えてきた。ここからしばらく、南側の車窓に沿線随一のパノラマが展開する。
ところで、この辺りの古い国名は「遠江(とおとうみ)」という。これは、都人から見た近つ淡海「琵琶湖」(滋賀県の旧国名は近江=おうみ)に対する遠つ淡海、つまり浜名湖からきている。太古から日本人に親しまれているこの風景を見て、穏やかな気持ちにならないはずがない。
天浜線には、それを存分に楽しむ列車があった。トロッコ列車「そよかぜ」だ。編成は貨車を改造したオープンデッキのトロッコ車両2両にディーゼルカー1両。4月下旬から11月上旬にかけて、土・休日を中心に天竜二俣〜三ケ日間で運行されている。湖面を渡る風に吹かれながらこの風景を眺められれば、どんなに楽しいことだろう。
いつしか太陽は西に大きく傾いていた。列車は終点から2駅手前の知波田を出、車窓から浜名湖は消えていた。
日本の鉄道の原風景に触れる旅も、残りわずかだ。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/08/11


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