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岩徳線 岩国〜櫛ケ浜

【第25回】岩徳線 岩国〜櫛ケ浜


かつて山陽本線に編入され、昼夜を問わず優等列車が駆け抜けた歴史を持つ岩徳(がんとく)線。しかしこの路線は、幹線から一夜にしてローカル線へと転じた悲劇の鉄路でもある。幹線時代の遺構が今なお、そこかしこに残る歴史路線を訪ねた。

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吹き抜けの高い天井とシャンデリアの存在が歴史を物語る西岩国駅

デアゴスティーニ編集部

西岩国駅に今も残る木製の改札口は、昭和4(1929)年の開設当時のもの。吹抜けの高い天井やシャンデリアの存在が、幹線の中心駅だったことを物語る。

その駅を出て振り返る。すると、どっしりとした洋風建築の中に、この界隈では最も知られた観光名所、錦帯橋の姿をかたどった3本のアーチが美しい調和を見せ、丸みを帯びた窓と三角の屋根がいかにも昭和初期の建築であることを思わせる駅舎に目を奪われた。
中に入ると、吹抜けの高い天井に当時としては最高の贅沢であったシャンデリアが飾られている。木製の改札口からは多くの乗客が大きな荷物を片手に、長大編成の列車が着くたびに乗降していたであろう姿が目に浮かぶ。
かつてここは一大幹線の中心駅であった。この駅のひとつひとつに込められた建築美には、中心駅であった事実と当時の建設に携わった人たちの情熱を感じ取ることができる。

駅の復元された姿から感じられるかつての誇り

デアゴスティーニ編集部

三角屋根に錦帯橋を形どった洋風駅舎の西岩国駅。昭和54(1979)年に復元されたものだが、かつての岩国駅としての誇りを感じられる。

岩徳線西岩国駅は、かつて山陽本線岩国駅だった。昭和4(1929)年4月5日、岩徳線麻里布(現・岩国)〜岩国(現・西岩国)間が開通、その後、昭和9(1934)年12月1日までに麻里布〜櫛ケ浜間が全通して山陽本線に編入されている。
この路線は山陽本線のバイパス線として組み入れられ、特急、急行列車はこの線を経由して東西を駆けることになった。それまで瀬戸内沿いに迂回していた麻里布〜柳井〜櫛ケ浜間を経由する路線は柳井線と改称。これを機に事実上、このバイパス路線は山陽本線として幹線の座に就いたのだった。
その象徴として、昭和54(1979)年に開業当時の姿に復元された旧・岩国駅駅舎からは、当時の世相と期待、そして鉄道に対する情熱が伝わってくる。時の経つのも忘れ、この駅の時間と空間の狭間に、ただポツンとその身を置いてみた。

暮れなずむ鉄路の表情にかつての栄華を偲ぶ

デアゴスティーニ編集部

鶴の里で名高い八代への最寄り駅である高水駅にはタクシーが常駐、ホームにはナベツルのモニュメントがある。

岩徳線は、現在では山陽本線の岩国と徳山(営業上は櫛ケ浜)とを結ぶローカル線だが、かつて幹線時代のバイパス路線として活躍していた頃の遺構を随所に見ることができる。岩国駅1番ホームに停まる列車に乗り込み、その跡を辿ってみた。
近代的な街並みが広がる中を進み、開業当時は岩国駅だった西岩国駅を出る。旧市街の街並みはだんだん小さくなり、列車は山間部へと入っていく。
右手車窓にちらりと見える錦帯橋を見逃さないように目を凝らしているうちに、列車はいつのまにか全国でも有数の清流である錦川を渡り、道祖峠トンネルを抜けると、まるで山間のミステリーゾーンのような錦川鉄道との分岐点である森ケ原信号所に進入する。
またすぐにトンネルに入り、これを抜けたところにある柱野駅に着く。この駅は交換施設があり、なんとも長いホームが印象的である。ちなみに、この特徴的なホーム、岩徳線にとっては、珍しいものではないということに気がつくのに、時間はかからなかったことも記しておきたい。
ここからは長い上り勾配が続いて、全長3149mの欽明路トンネルへと入っていく。

幹線からの転落の要因となった欽明路トンネルは今……

デアゴスティーニ編集部

岩徳線最大の難所、欽明路トンネルを抜ける。西側には同線で最も新しい、平成2(1990)年9月に開業した欽明路駅があり、辺りはベッドタウン化が進んでいる。夕暮れ時、都市近郊路線となった列車が道を急ぐ。

このトンネルが、岩徳線を本線の座から引きずり下ろした原因になったという、いわばいわくつきの代物だ。確かに勾配は25‰が連続しており、3149mという長さは、蒸気機関車時代にはかなりの難所だったことだろう。現在のディーゼルカーでも、ここを走り抜ける時はほとんど全開状態となる。そのエンジンの響きとエキゾーストノートが、車内にも伝わってきた。
やっとのことで難所を抜けると、平成2(1990)年9月に開業した欽明路駅に着く。かつての難所を間近で見たかったこともあり、欽明路トンネルの西側坑口に近いこの駅で列車を降りてみた。
辺りは新興住宅地の開発が盛んに行なわれているため、真新しい家並みが目につく。その近代的な街並みからそう遠くない場所に、欽明路トンネルの坑口は口を広げていた。
大型蒸気機関車が数え切れないくらいの往復を繰り返していたであろう坑口には、巨大な排煙施設と思われる遺構が異様な姿を晒している。それはあたかもここが難所であったことを無言のままに物語っているようだ。

機関車の咆哮が聞こえ 吸い込まれるような佇まいのトンネルを見つめる

デアゴスティーニ編集部

岩徳線が幹線の座から一夜にしてローカル路線となった原因の欽明路トンネル。その西側には、巨大な排煙のための施設だったであろう遺構が残る。キハ47のエキゾーストノートが当時の蒸気時代を彷彿とさせる。

昭和19(1944)年10月11日、瀬戸内沿いを迂回する柳井線が沿線の人口増加や勾配の緩和などで複線化され、再び山陽本線に編入、それまで山陽本線の一部だった西岩国経由の岩国〜櫛ケ浜間は再び岩徳線に改称された。
トンネルを通り抜けた、長大編成を連ねた蒸気機関車の咆哮が中から聞こえてくるような気がして、吸い込まれないように気をつけながら、ただじっと、真っ暗いトンネルの中を見つめてみた。一夜にして幹線からローカル線へと化し、岩徳線と名を変えた過去に思いを馳せながら……。

土地の香りを残しつつもベッドタウン化が進む沿線風景

デアゴスティーニ編集部

岩徳線の岩国、徳山近郊はベッドタウン化が進み新興住宅地が目立つが、ほぼ中間の中山トンネルを挟んだ米川、高水の辺りにはまだ、この地方特有の石州瓦屋根の民家が点在していて、車窓を楽しませてくれる。

欽明路からは、イチゴの栽培など、農業が盛んな平坦な玖珂盆地をのんびりと走る。岩国、徳山という都市に挟まれている同線沿線は、宅地開発も盛んに行なわれているようである。ベッドタウン化が進んでいるのが車窓からでも見て取れる。
そのため、平成2(1990)年に開業した欽明路駅や農協合築駅である勝間駅など、駅自体の改築も進み、幹線時代を彷彿とさせる駅は少なくなってきているようだ。
現在、岩徳線内の駅は両端の岩国駅、櫛ケ浜駅を除くと13駅あり、そのうち、今でも6駅が交換可能な施設を整えている。これらの駅はどこも、やたらとホームと交換の線路が長い。

現在も活躍中の周防高森駅の長大ホーム

デアゴスティーニ編集部

幹線時代の駅の佇まいを最も色濃く残す周防高森駅。4〜5線を有した長いホームが残る。交換シーンが目に浮かぶ。

欽明路トンネルを体感したあと、どこかホームに特徴のある駅で降りてみようと前方を眺めていると、本屋側の相対式ホームと島式ホームを各1面持ち、いかにも本線の交換線だった頃の風格を感じる駅舎を持つ、周防高森駅が目に入ってきた。
早速列車を降り、ホームの長さを検証してみると、その有効長は400〜500m。機関車を含め、軽く10両程度は十分に交換できる長さを持つことが分かった。しかも、路線のほぼ中間に位置しているためか、待避線の跡は4〜5本確認できる。
現在では、2〜4両程度のディーゼルカーがホームの中ほどに停車するのみ。いたずらに長いホームは、まさに「無用の長物」だ。
今では雑草が生い繁り、もう何年も人が踏み固めたことのない様相を呈するホームの端だが、昔はギリギリまで頭を出した蒸気機関車が煙を休め、数本の長大編成を連ねた列車が旅人を運び、ここで昼夜を問わず、頻繁に交換していたのだ。そんな光景を思い浮かべつつ、このホームの端で来るはずのない機関車を、いつまでも待ってみたいと思った。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/01/31


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