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わたらせ渓谷鐵道  わたらせ渓谷線

【第26回】わたらせ渓谷鐵道 わたらせ渓谷線


もともとは銅の運搬のために敷設された「足尾線」としてスタートした、「わたらせ渓谷鉄道」。銅山の閉山とともに廃線の危機に陥ったが、渡良瀬川の渓谷美と、銅の町の歴史的価値を求めて、現在は多くの観光客がこの鉄道にやって来る。

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風光明美な非電化のローカル線 単行ディーゼルカーに身を委ねる

デアゴスティーニ編集部

わたらせ渓谷鐵道は日本有数の景勝地・日光にもほど近く、秋には沿線が艶やかな紅葉に彩られる。のんびりと車窓を楽しもうと、紅葉シーズンの列車は観光客で賑わう。「わてつ」の車両は色が地味だが、それだけに景色を損なわず、うまく馴染む。

群馬県の高崎駅から乗り込んだ両毛線の列車に揺られて、これから始まろうとする旅に想いを馳せる。その名称が示す通り、わたらせ渓谷鐵道の旅は明媚な風景が車窓を彩り、乗る者の目を楽しませてくれるに違いない。
高崎を出て40分ほどで桐生駅に到着する。ホーム2面と4線を有する近代的な造りの高架駅だ。ここが始発駅となっている。わたらせ渓谷鐵道の列車は1番線から発着するのだが、両毛線の列車もこの1番線を使用する……というか、駅はJRの所有。1番線をわたらせ渓谷鐵道も使わせてもらっている、というわけだ。地方駅としてはかなりの大きさを持つ桐生という街は、すでに奈良時代から絹織物の産地として名高く、戦前までは生糸・織物の街として日本の基幹産業を支えるなど、大いに栄えた。市街地には、いまも江戸期の区割りや建物が残るなど、風情漂う街でもある。
さて、わたらせ渓谷鐵道だが、全線が非電化のローカル線である。乗り込んだのは、単行の赤茶色をしたディーゼルカー。車体側面にはうさぎをかたどった金色の銘板が貼り付き、先頭部には「あかがね㈼」という名称のヘッドマークが掲げられている。車内に入ると、座席はありがたいことにセミクロスシート。朝夕は通学の学生や通勤者で賑わうのだろうが昼間はだいぶ、ゆったりとできそうだ。
車掌の乗らないワンマン運転であるため、運転士が忙しく出発前の確認をし、発車時刻を迎えた。ガラガラとエンジン音を奏でながら、近代的な高架駅から単行のディーゼルカーが走り出す。その姿を外から見ると、なかなかにユーモラスなことだろう。

いかにも昔ながらの鉄道駅で車両基地をじっくりと眺める

デアゴスティーニ編集部

沿線の紅葉が逆光に彩を放つ。その下を足尾方面からの単行「わたらせ㈼」がくぐり抜け、桐生を目指す。

なんとも長い「わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線」という名前。当然地元では略称・愛称で呼ばれている。「わた渓」「わてつ」と呼ばれることが多いようだが、今回の旅では、わたらせ渓谷鐵道側も推奨している後者を使うことにしよう。
桐生駅を出てしばらくは、両毛線と線路を共用する。そして1.9km先の下新田信号場で両毛線から北側に分岐すると、わてつの中で最も新しい駅・下新田へ到着だ。ここではまだ南側に両毛線が並行しているが、下新田駅を出てすぐに、線路は北側に大きく右カーブを描いて両毛線から離れていく。すると今度は東武鉄道桐生線と並行して、相老駅に到着する。ここには東武鉄道の駅が隣接し、東京・浅草へ直通する特急「りょうもう」号も停車する。また大手の企業も駅の周辺にあり、乗降客は多いようだ。そのためだろう、無人駅がほとんどのわてつにあって、相老は貴重な有人駅なのである。
東武鉄道と別れ、上毛電鉄上毛線の下をくぐって運動公園駅を経るとしばらく住宅街が続く。「東国文化歴史街道」の別名を持つ国道122号線と並走すると、まもなく大間々駅に到着する。駅舎をはじめ、いかにも昔ながらの鉄道駅といった雰囲気だが、ここがわてつの中心駅である。運行を管理するCTCが設置され、本社も駅近くに建っている。対向式ホーム2面2線と1線分の頭端式ホームを持つ広い構内には、車両基地も併設。大抵の列車が数分間の停車をするので、じっくりと車両基地を眺めることができるのである。
わが「あかがね㈼」と同様の赤茶色のディーセルカーが何両か停まっていて、それぞれに「わたらせ」「あづま」など、沿線にまつわる地名、名称のヘッドマークが付いている。それらのディーゼルカーはすべて富士重工製だが、それらのデザインに携わったのが、当時富士重工業に勤務していた、マンボ・ミュージシャンであり、公認サンタクロースとして知られるパラダイス山元氏だった。ま、これは余談であるが……。
駅の少し北側には、トロッコ列車「わたらせ渓谷号」用の車両も見える。このトロッコ列車は春〜秋に、大間々〜足尾間で運行される、わてつの看板列車だ。今では珍しくなった、機関車牽引の客車列車である。

車窓に映える渓谷美と木造駅舎 趣のある風景に安らぎを感じる

デアゴスティーニ編集部

上神梅駅は大正元(1912)年建築の趣のある木造駅舎。ホームとともに、国の登録有形文化財に登録されている。

上り列車との交換を済ませ、「あかがね㈼」は再び走り出した。大間々駅を出てしばらくすると上り勾配を始める。人家が減り、車窓が急に山間の風景に変わると、右手にはゴツゴツした岩場を流れる渡良瀬川が寄り添ってくる。この辺りからが、わてつの「渓谷鐵道」としての本領発揮といったところだ。高低差のある勇壮な景観をより楽しめる新緑や紅葉のシーズンには、前出のトロッコ列車が予約でいっぱいになるという。
渓谷鑑賞を終え、線路が一旦渡良瀬川から遠ざかったところで上神梅駅になる。無人駅ではあるが、大正元(1912)年築造という趣きのある木造駅舎は、映画のセットか鉄道模型のレイアウトに出てきそうな趣きだ。
車窓にまた渓谷が映り始める。
断崖にへばりつくように置かれた本宿駅を過ぎ、列車は水沼駅に到着。こちらもやはり無人駅だが、立派な駅舎が建っている。駅舎には温泉施設が入っており、「駅の温泉」としても有名なのだ。
次はホームにうさぎと亀の石像がある花輪駅。列車の接近・到着を知らせるのに、「もしもし亀よ 亀さんよ」の童謡も流れる。ここは、「兎と亀」をはじめ「金太郎」「花咲爺」などの童謡を手がけた作詞家・石原和三郎の出身地なのだという。
中野、小中と1面1線の棒線駅が2駅続き、列車は神戸駅に着いた。駅名は「こうべ」ではなく「ごうど」と読む。無人駅とは思えないほど構内は広く、列車交換もできるようになっている。2面あるホーム内、桐生方面用の脇には、東武鉄道のかつての名車、DRCこと1720系特急用電車が2両横付けされている。でも残念なことに中間車のみで、塗色もオリジナルではない。「列車のレストラン 清流」という看板が付いており、ちょっと心が揺れる。正午前だが、予定を変更して早目の昼食にしようか。

我が国最大の産出量を誇る銅を運ぶために産声を上げた

デアゴスティーニ編集部

紅葉シーズンと並んで、渓谷が美しく輝くのは新緑のシーズン。渓谷を覆う若緑色の木々の間から、あかがね色のディーゼルカーがちらちらと見え隠れするさまは、まるで穏やかな環境映像を見ているかのようだ。

さてさて、わたらせ渓谷鐵道は第三セクターの鉄道だが、元は「足尾線」と称していた。足尾というと、「銅山」「田中正造」「鉱毒事件」などといったキーワードとともに、教科書や映像などで一度は見たり聞いたりしたことがあるのではないだろうか。足尾線も、銅山とは切っても切れない関係であった。わてつのディーゼルカーの赤茶色は「あかがね色」という名称がついている。「あかがね」とは周知の通り銅のことである。
そもそも足尾で銅が発見されたのは戦国時代、天文19(1550)年のことだという。江戸時代に入って幕府直山となり、本格的に採掘されるようになった。江戸城や東照宮の銅瓦を製造したり、通貨を鋳造したり、「足尾千軒」といわれるほどに足尾の町は栄えたが、のちに採掘量は減少。幕末から明治にかけて一時、閉山状態となった。
しかし、明治10(1877)年に古河財閥の創始者・古河市兵衛が銅山の経営権を得ると、探鉱技術の進歩も伴って、新たな鉱脈が次々と発見された。彼は西欧の近代的な鉱山技術を導入し、20世紀初頭には一躍、わが国最大の生産量を誇ることとなる。国内産出量の4分の1ともいわれた大量の銅を運ぶため、当時の先進的輸送手段・鉄道が必要不可欠な存在に。そこで両毛線の桐生から足尾に至る鉄道が計画され、明治42(1909)年に足尾鉄道株式会社が設立された。
明治44(1911)年4月、まず両毛線との分岐点・下新田信号所〜大間々間が開業(桐生〜下新田信号所間は現在同様、両毛線を借用)。路線はその後も延伸を続け、翌大正元(1912)年9月には大間々〜神土(現・神戸)間が、11月には神土〜沢入間が順次開業していった。同年の大晦日には足尾まで開通している。さらに大正3(1914)年8月、足尾〜足尾本山間が開業し、全線が開通した。ただし、このときはまだ貨物輸送だけの鉄道だった。
この間、銅は国策上重要な物資であることから、大正2(1913)年10月にこの路線を国が借り入れることになり、同時に足尾線と命名。大正7(1918)年6月には正式に国が買収、国鉄足尾線となった。桐生〜間藤間では旅客営業もし、間藤〜足尾本山間は貨物専用線となった。昭和48(1973)年には隆盛を極めた足尾銅山も、銅が掘り尽くされて閉山。それでも他所から鉱石を持ってくることにより、精錬所はなおも操業を続け、この原料鉱石運搬は足尾線が担った。
しかし、昭和59(1984)年9月、足尾線は廃止対象の特定地方交通線に指定されてしまう。さらに昭和62(1987)年4月、国鉄の分割民営化に伴い、開業以来足尾線の重要な使命であった貨物輸送が廃止。間藤〜足尾本山間の1.6km区間は事実上の休止線扱いに。そのわずか2年後の平成元(1989)年3月、今度は第三セクターの鉄道、「わたらせ渓谷鐵道 わたらせ渓谷線」として開業し、現在に至っている。このとき間藤〜足尾本山間1.6kmの休止線も、わたらせ渓谷鐵道が未開業線として継承したが、のちに免許が失効している。

思わず納得させられる「日本一の三セク鉄道」

デアゴスティーニ編集部

廃線跡には、トンネルや腕木式信号機が残されている。今にもトンネルの向こうから、貨物列車が姿を現しそうだ。

神戸駅でやや長い6分間の停車を終え、「あかがね㈼」は再び走り出した。ちょっと未練は残るものの、結局、食事は諦め、予定通り終点まで乗り続けることにした。
前方にトンネルの入口が見えてきた。5242mもの全長を持つ草木トンネルだ。その大半が直線の単線トンネルで、ローカル線には珍しいスラブ軌道になっている。トンネル内はずっと上っており、入口と出口では標高差が約140mもある。
草木トンネルは、昭和48(1973)年6月に開通。沿線に草木ダムが建設されるに当たり、神戸駅と次の沢入駅との間の路線が、ダム湖に沈むことになる。その代替として造られたのが、この草木トンネルを含む新線区間だ。ちなみに、かつて足尾線といえばC12型蒸気機関車の重連が有名だったが、長大トンネルの蒸気機関車走行が困難なため、新線切替えと同時に、足尾線は無煙化された。
約10分かけて「あかがね㈼」は草木トンネルを通り抜けた。鉄橋を渡り、もうひとつトンネルを抜けると沢入駅だ。駅舎は山小屋風のシャレた雰囲気だが、下りホームの待合室が、年代もので味わい深い。
140mもの標高差を目隠し状態で一気に上ってきたため、車窓の風景は突然山深くなった感がある。渓谷は荒々しさが少し薄れ、もの静かな雰囲気を醸す。気がつけば乗客はほとんどいなくなり、車内はガランとしている。それを幸いに、窓を開け渓谷を流れる風を浴びてみる。しばらく前に朝日新聞の全国版で、「読者が選ぶ日本一の三セク鉄道」 の第1位として、わてつが紹介されたそうだが、たしかに「なるほど」の渓谷美である。
次の原向駅まで所要時間約10分。駅間が比較的長い。ここで群馬県から栃木県駅に移るためかもしれない。上り勾配やカーブが続き、列車は比較的ゆっくりと走る。景色を味わうにはちょうどいい。しかし、贅沢なもので「ご馳走」もずっと続くと、さすがに満腹になってくる……そう思ってきたところで、列車は原向駅を過ぎ、頃合よく車窓に渓谷を映すのを止める。
今度は一転、人工的な、しかし人の気配の少ない不思議な光景を映し出す。どうやら列車が足尾の町に入ったらしい。銅で繁栄していた頃の施設や集落の名残、遺構が、次々と現れては後方へ消えていく。今までの渓谷美とはまったく趣きを異にする光景に戸惑いを覚える。にもかかわらず、列車は淡々と走り続け、町の玄関口・通洞駅に停車した。

「足尾のフォード」と呼ばれたガソリンカーの存在が語るいにしえの記憶

デアゴスティーニ編集部

「足尾のフォード」と呼ばれるガソリン機関車。多数の同系車が町内の軌道を走っていた。

足尾の町には、足尾線が敷設される以前から町の中を巡る軌道があったという。明治24(1891)年に敷設が開始され、馬車軌道として運営された。昭和元(1926)年に動力が馬からガソリンカーに変更されるが、このガソリンカーがユニークだ。「足尾のフォード」と呼ばれ、自動車(A型フォード)のエンジンユニットをボンネット部分も含めてまるごと利用したという車両なのである。
近年、足尾では、産業遺産としての町の価値を見直し、これを広めていこうという活動が、官民一体となって活発化しているが、その中で「足尾のフォード」が復元されるそうだ。完成後は、駅近くに建つ「足尾歴史館」の敷地内に敷設されているエンドレス軌道で運転されるらしい。
次の足尾駅もまた面白い。開業当時の姿を色濃く残しており、その駅をそっくり博物館にしようという活動が起こっているのだ。活気づいていた時代を物語る広い構内には、タラコ色のキハ30、キハ35や濃硫酸輸送に使われたタキ29300など、足尾線時代の車両も置かれていた。

トンネル、鉄橋、腕木式信号機……「足尾の繁栄」を実感する

デアゴスティーニ編集部

旅も終盤に近づき、桐生へと戻る列車の中、渓谷に夕暮れが迫る。光を存分に浴びた昼間の新緑や紅葉の渓谷もいいが、黄昏の風景もまたいい。わたらせ渓谷鐵道は、さまざまな渓谷の姿を車窓に映し出してくれる。

新たな活気を見せ始めた足尾の町を抜け、最後のひと駅、間藤を目指す。1時間40分の旅の終わりでもあるし、なんといっても紀行作家の宮脇俊三が、足尾線時代の昭和52(1977)年5月28日に国鉄全線完乗を果たしたという記念すべき駅でもある。自然と期待が高まる。が、到着してみると、1面1線の無人駅。取り立てて駅舎に特徴があるわけでもなく、ちょっと拍子抜けの下車となってしまった。
これで終わってはなんとなく心地悪い。そこで駅を出て北へ歩き出す。すると間藤駅から先へさらに線路が続いていることがわかる。そうなのだ、この線路こそが足尾本山駅に至る廃線跡なのである。ところどころ途切れていたり、落石があったりするものの、全区間ほとんど線路は残っている。さらにトンネルや鉄橋、腕木式信号機までが、ついこの前まで列車が走っていたかのように完全に残っている。
そして煙突が聳える精錬所跡、今は市営住宅となっている元・社宅群、「日本のグランドキャニオン」ともいわれる樹木のほとんどないハゲ山の連なりなど線路を取り巻く環境も含めて、このエリアだけが、まるで冷凍保存されているかのような錯覚に陥る。
終点の足尾本山駅の直前まで辿り着いたものの、駅は私有地内にあるため、残念ながら立ち入ることはできなかった。しかし、多少なりとも足尾の繁栄を想像することができた気がする。
その充足感を噛みしめながら、間藤駅への道を戻っていった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/02/28


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