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鶴見線

【第3回】鶴見線


東京駅から京浜東北線に乗ってわずか30分足らず、本・支線を合計しても約9.7kmの総距離しかない鶴見線。わずか7kmの本線上に駅が10もあるうえ、駅間に至ってはほとんどが1km以下。そこに2カ所も支線があるという凝縮された路線であり、その大部分は埋立地を走っている。

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今も昭和の面影を残す都会の小路線

デアゴスティーニ編集部

夕焼けに浮かび上がる複雑な形をした架線柱や線路、貨物線の信号機……鶴見線の特徴ともいえる光景の中を、仕事を終えて家路に向かう人々を乗せ、鶴見行き電車が走り去る。昔から変わらぬ光景だ

かつては、首都圏最後の旧型国電が走る路線として親しまれた鶴見線。最近では都心から気軽に行けることから、「最も海に近い駅」として有名になった海芝浦駅や、ノスタルジックな雰囲気に誘われて訪れる人たちも多いという。
京浜東北線で鶴見駅に到着し2階コンコースに上がると、まるで私鉄へ乗り換えるように「鶴見線乗場」の表示板とともに自動改札が並んでいる。その独特の光景は「JR路線なのに……?」と思わせる。これは、鶴見線の赤字による合理化のため、鶴見駅を除く全駅が昭和46(1971)年に客扱い無人化されたことで、各駅から乗車をチェックする改札を設けたものなのだが、独立して2階にあるホームなど、どこか私鉄のような雰囲気が漂う。事実、鶴見線はかつて「鶴見臨港鉄道」という私鉄として運営されていた時代があり、その歴史には複雑な経緯があった。
鶴見臨港鉄道は、浅野財閥の浅野総一郎を筆頭に、進出した企業などにより設立された。大正15(1926)年3月、浜川崎〜弁天橋間の開業を皮切りに、埋立地を網羅するように路線を伸ばした。当初は貨物輸送のみの運行だったが、各工場への通勤輸送などを考慮し、昭和5(1930)年10月に弁天橋〜鶴見(仮)間2.1kmの電車による旅客営業の開始とともに、電化線として順次整備されていった。軍需産業の発展期を迎えると巨大な臨港工業地域が形成され、それに伴う貨物・通勤輸送が急増。しかし、太平洋戦争が勃発すると、昭和18(1943)年7月に政府による、いわゆる戦時買収がなされ、名称を鶴見線と改称し、国有化となったのである。

下町の雰囲気漂う生活路線へ

デアゴスティーニ編集部

鶴見〜国道間の高架下は住宅となっている場所も多く、木造住宅から干されている布団が午後の日差しを浴びている。そんな、少し前の下町っぽい景色も多く見られる。

鶴見線用の改札を抜けて、2面2線相対式ホームへ立つと、ステンレスボディが誇らしげな新型車がすでに入線している。開業当初からのものか、ホーム内は無骨かつ機能的な鉄骨が交差し、どこか懐かしい雰囲気だ。発車を待つステンレスボディの車両との組合わせには、なんとなく違和感を感じるが、昭和と平成がミックスされて一つの空間を創り上げる、面白い光景でもある。
東海道本線を横目に、当初はモダンな造りであっただろう高架線を、次の停車駅である国道に向けてトコトコ走る。
発車後、数百メートルのところに、駅ホームの痕跡が現れる。この廃駅は本山前(のちに本山に改称)といい、目の前の総持寺参拝を目的に鶴見延伸時に開業となったが、太平洋戦争中の昭和17(1942)年に廃止となってしまった。現在でも鶴見から高架沿いを歩くと、高架下の臨港バス車庫からホームと乗降階段基礎部分が確認できる。
電車は、本山前駅跡を通過すると、大きく左にカーブし一気に東海道本線をオーバークロスする。鶴見から0.9km、加速するのも束の間、カーブで車輪を軋ませながら国道(こくどう)駅へ滑り込む。ちなみに、この「国道」というなんともストレートな駅名は、直下にある第一京浜国道(国道15号線)から名付けられたものである。実は、鶴見線はほとんど埋立地を走るために、もともと地名が存在しなかったのだ。そこで、おもに埋立地を開発した浅野財閥系企業や関係者の名を冠した駅名が誕生し、それが地名となっていった。
国道の次の駅、鶴見小野で半分くらいの乗客が降りる。つられてホームに降り立ってみた。駅を見渡すと、国道と同じように住宅地に囲まれていた。造りは典型的な相対式で、年季の入った木造上屋と小駅舎……。近年までよく見かけた、下町の私鉄駅のような景色が広がっている。駅周辺は再開発中のため、新築マンションが建設されており、どこか「下町に取り残された昭和の駅」という感じが漂う。利用者は時間帯を問わず多く、近隣の高校に通う学生らしき姿も見え、そこからは工場通勤路線という雰囲気は伝わってこない。
懐かしい光景を眺めていると、幼少の頃から鶴見小野に住んでいるという老紳士から声をかけられた。
「昭和の初め辺りは草地でな、人家なんてなかった。小野駅もできた当初は丸太に板を渡しただけの粗末な造りだったよ。ホーム際まで沼地が広がっててな、いろんな鳥やフナがいて、よく釣りをして遊んだものだ」
老紳士の世代は、今でも鶴見線のことを「臨海線」と呼ぶ。時が過ぎても、変わらないものもあるのだ。
やがて海芝浦行きの車両が入線してきた。3両編成にレトロな駅と、まるで昭和初期にタイムスリップしたかのよう。レールの繋ぎ目を通過するたびにガタガタ揺れる窓、止まった扇風機、そして、車内放送のくぐもった独特な音声……。昭和が漂う鶴見線には、やはりこの車両が似合う。いつまでも元気に懐かしいモーター音を響き渡らせてもらいたい、そんな思いにかられるのだ。

貨物線の性格を帯びた工業路線の線形

デアゴスティーニ編集部

所狭しと建ち並んだ住宅地をすり抜け、工場地帯へ吸い込まれるように走る光景は、まるで沿線利用客の姿を体現しているかのようだ。周囲は近年の再開発からかマンションが目立つ。

鶴見小野までは、下町の電車という親近感があったが、産業道路をアンダーパスすると車窓からの景色は、がらりと一変する。「トンネルを抜けると雪国……」ならぬ「道路を抜けると工業地帯……」なのである。工業地帯特有の貨物線・専用線が徐々に複雑な線形を形成し、沿線には大手の工場が広大な敷地を構える。いかに重要な工業臨海地帯であるかを感じ取れるが、同時に生活の匂いが消えつつあると実感する。
列車は海芝浦行きのため、浅野で本線と分かれ、大川支線と同様に直角に分岐する。海芝浦行きは弁天橋発車後しばらくすると、上り線と貨物線をクロスポイントで一気に渡り、浅野駅では車輪を軋ませながら、急カーブの専用ホームに停車する。なんともジオラマ的な光景だが、貨物線の性格をうかがわせる線形でもある。
浅野の駅名は浅野財閥創始者・浅野総一郎から命名された、本線用島式ホームと海芝浦支線用のカーブ状相対式ホームが混在したデルタ状に展開する駅で、両線間には駅舎やミニ公園を兼ねた三角州の敷地がある。三角形の駅というのも珍しいが、空が広く感じられ、晴れた日などはまるで公園にいるような気持ちよさがある。
広い浅野駅を横断して扇町行きを待つ。跨線橋や地下道が整備された最近では、ホームへの構内踏切も、懐かしく思える。
数十分待ち、扇町行きに乗車。発車したと思ったらすぐに安善へ停車。なんともあっけないが、両駅間は鶴見線で最も短く、その距離わずかに500m。さらに次の武蔵白石までは600m。目を凝らせば隣駅が見えてしまう距離なのだ。
武蔵白石まで来ると工場の敷地がやたらと目立ち、平日ともなればトラックが行き交う騒々しい駅だが、隣接する工場への専用踏切がある。一般人は踏切を通れないが、ホームから眺めることができ、鶴見線が人間ありきの鉄道であることを改めて実感できる。

貨物線を間借りしたかのような終着駅・扇町へ

デアゴスティーニ編集部

のんびりとした日中の扇町駅には利用客よりも野良猫の数の方が多かった。鉢植えがずらりと並べられ、すっかり人に慣れた猫が餌を待つ光景は、駅というよりも民家の軒先のようだ。

駅間の短い鶴見線の中で一番長い区間は、次の浜川崎までの1.6km。これで最長なのだから、いかに鶴見線が短路線に密集して駅があるか想像ができよう。
浜川崎は南武線浜川崎支線の乗換え駅でもあるのだが、ホームからは貨物駅以外は見当たらない。「尻手方面乗換えは階段を上がり道路を横断した先……」との表示が記されている。まるで下車するかのように道路へ出ると、なるほど向かいに浜川崎支線用駅舎が構えていた。同駅乗換えなのに一度駅を出てしまうのもなんだか奇妙だが、これはお互いの前身が鶴見臨港鉄道と南武鉄道という違う私鉄同士だったためで、戦時買収による国有化後も同じスタイルのまま現在に至っているのだ。両線の浜川崎駅に挟まれた道路には、定食屋兼飲み屋もあってなかなか面白いが、雨の日などは乗換え客もさぞかし面倒だろう。
浜川崎貨物駅があるために線路と転轍機が複雑に絡み、いかにもヤードという光景の中を、鶴見線は隅っこの方を走る。あたかも貨物が主役であるかのごとく、目立たぬよう、走り抜けていく。
この辺りまで来ると、工場通勤輸送という性格が色濃く現れてくる。線路は複線であれども、片方を貨物線に取られたように単線扱いとなった鶴見線は、終点・扇町を目指す。
扇町は、貨物線を間借りしたみたいに、端に1面1線のホームを構えるだけの簡素な構造。これが、7kmの本線の終着駅かと思うとなんとも味気ないのだが、ホーム上屋を支える重厚な鉄骨などには、やはり、その歴史の重みが感じられる。
電車のドアが開くと、近隣の工場関係者や近くの住人がまばらに駅を出て行き、残ったのは鶴見への折返し電車を待つ数人のファンくらい。無人の終着駅に券売機とSuica用パネルがポツンと設置されており、やはり閑散としているが、貨物詰所が併設されているので、そこだけはわずかに活気がある。
駅構内に鉢植えが並べられていたり、野良猫用に餌が置かれていたりと、他駅とはまた違ったのどかな表情を見せてくれる。ひなたぼっこする猫たちも、人がいなければ昼寝。そんなまったりとした世界が広がる終着駅である。

鶴見線随一の景色が見られる駅・海芝浦

デアゴスティーニ編集部

平成3(1991)年頃の海芝浦駅。車両は変われども、ここを訪れ、ホームからの絶景を楽しむ人々の姿は変わらない。

もう一方の海芝浦支線は、中間駅が新芝浦のみの1.7kmの路線である。デルタ状の浅野を発車すると急カーブで軋む車体の振動が体に伝わり、広大な工場と運河に挟まれながら、埋立地の突端を目指すように直進する。新芝浦を過ぎると埋立地を沿うように直角に曲がり、ほどなく終点、海芝浦へ到着する。昭和15(1940)年に開業されたこの0.8kmの区間が、鶴見臨港鉄道最後の開業区間となった。
海芝浦駅は海に面した駅ということで関東の駅百選にも選ばれているが、敷地が東芝工場内にあるために、関係者以外は残念ながらホームから外へ出ることはできない。しかし、ホームに降りた途端に磯の香りが漂い、電車内からも海が間近にあることを実感できる。海といっても入り江なのだが、目の前の運河を船が行き交い、首都高速道路湾岸線鶴見つばさ橋のハープ橋が遠望できるなど、ホームからの景色は鶴見線一といってもいいだろう。
利用客たちは、夕方で茜色に染まりつつある空を眺めたり、カメラ付き携帯で撮影したりと、思い思いのスタイルで楽しんでいる。
埋立地の端にある小さな終着駅は、憩いの空間になっているようだ。そこにちょこんと停車する3両編成の車両が愛しく思えた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/03/25


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