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大井川鐵道大井川本線 金谷〜千頭

【第36回】大井川鐵道大井川本線 金谷〜千頭


江戸時代までの交通の難所・大井川をその名に戴く鉄道は旧型車両の宝庫だ。中でも蒸気機関車たちは、同鉄道のスタッフからの愛情を一身に受け、現役時代さながらに運行されている。そしてそれらは、ただの観光列車ではなかった。
第22回で紹介した大井川鐵道井川線に続き、今回は大井川本線の旅をお届けしよう。

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失われた旅情が溢れる なんともいえぬ魅惑の空間

デアゴスティーニ編集部

山々に汽笛を響かせながら、SL列車がゆったりと走り行く。もうもうと吐き出される煙、「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」というブラスト音、そして匂い。そこには、ほかの鉄道車両が持たないSLならではの味わいがある。

ここは静岡県の中西部、「箱根の山は馬でも越すが、越すに越されぬ」と詠われた、旧東海道の難所・大井川。その西岸、江戸時代の渡河点・金谷宿の一角に大井川鐵道の新金谷駅はある。
駅の佇まいは、まるでタイムスリップしたのではないかと錯覚してしまうほどノスタルジックな雰囲気を醸し出している。まず目につくのが木造の駅舎。その奥、駅構内には、今ではもうほとんど見られなくなった旧型客車が、多数留置されている。
駅の南側には車両基地・新金谷車両区が広がる。そこに停まっているのは、大手民鉄出身の懐かしい電車たち。大井川鐵道では、近畿日本鉄道南大阪線初の特急車16000系、京阪電気鉄道のテレビカー3000系、南海電気鉄道ズームカー21001系などが、ワンマン化などの大井川鐵道仕様にアレンジされ、2両編成で活躍している。いずれもオリジナルカラーなのがうれしい。
留置線にはついこの間まで運用に就いていた、戦後復興時生まれの元近畿日本鉄道名古屋線特急車420系や元西武鉄道351系も置かれている。そして何よりも目を惹くのが奥の木造機関庫前、黒い体に逆光を受け輝いている蒸気機関車たち。鼻を心地よく刺激する香りと、生きているかのごとき熱を発しながら蒸気と煙を吐き出すその姿は、居並ぶ車両の中でも際立った存在感を主張している。
新金谷駅を取り巻く空間には、かつてはどの鉄道も持っていた、ゆったりとした旅情が満ちている。乗る前からこんなに楽しめるのだから期待は膨らむ。SL列車が待ち遠しい。

大きな汽笛とともに金谷を出発 リズム感あふれる客車の音がBGM

デアゴスティーニ編集部

南海「ズームカー」をはじめ、大手民鉄出身の電車が活躍する。いずれも元の鉄道では廃車、または希少の車両である。

 「ポーッ!」
11時47分、新金谷駅のホームに立っていると、遠くから汽笛が聞こえてきた。SL列車が隣の金谷駅を発車した合図だ。大井川鐵道の中心駅は新金谷駅だが、SL列車はJR東海道本線との接続駅、金谷が始発となる。
SL列車入線を告げる案内放送が入ると間もなく、白い煙を吹き上げながら昭和5(1930)年生まれの蒸気機関車C10 8が姿を現した。後ろに従えているのは、西武鉄道の電車を改造したお座敷客車1両と、それを挟む2両の旧型客車の計3両。列車がホームに横付けされると、一斉に乗客が乗り込む。あっという間に車内は満席になった。木製の直角椅子に腰を降ろした人々の顔は、老若男女の隔てなく、みんな柔らかだ。
11時55分、大きな汽笛とともにSL列車はゆっくりと動き出した。車内では、お昼時ということもあり、あちこちで駅弁の包装を解く音がしている。「コトン、コトン」という客車のリズミカルな音をBGMに食べる弁当は格別なものがある。

被災からの奇跡的復旧が今日の旅をもたらした

デアゴスティーニ編集部

列車が出たあと、しばしの静寂に包まれる家山駅。田野口駅以外にも雰囲気のいい駅が同線には点在している

代官町、日切と市街地を進み五和を過ぎると、間もなく車窓には茶畑が広がる。しかし、ほどなく左手には山が迫り、右手はすぐ大井川という狭隘な地形に変わる。これが次の神尾まで続く。
平成15(2003)年8月、この神尾駅を災難が襲った。集中豪雨による土砂崩れが発生。駅周辺は完全に土砂に埋もれてしまった。一時は復旧の目途が立たなかったものの、翌年3月には見事復活を果たした。
列車は神尾駅を通過後、すぐトンネルに入る。すると、たちまち車内が味わい深くなった。外を走っている時には気付かなかったが、天井の照明が蛍光灯ではなく白熱灯だったのだ。トンネル内でボワッと光る黄色い光。車内がなんともいえない暖かさに包まれる。
SL列車は福用、大和田を通過し、中間の主要駅、家山へ。家山駅の手前には幾本もの桜並木が連なっている。桜の開花時期には桜祭りが催され、たくさんの見物客で賑わう。しかし、今窓越しに見えている家山の町は、人影がまばらで少し寂しげだ。
家山に到着。新金谷を出てから初めての停車となる。

永い刻が熟成させた動態保存蒸機運転

デアゴスティーニ編集部

晴天の下、上りのSL列車が大井川を渡る。客車にはクーラーなどないが、窓を開けるだけですがすがしい気分になる。

大井川鐵道大井川本線は、昭和2(1927)年6月10日に金谷〜横岡(現・廃止)間に開業。昭和6(1931)年12月1日に金谷〜千頭間が全通している。その後、昭和24(1949)年11月18日に全線電化開業し、一旦蒸機運転を終えた。
ところが、昭和50(1975)年に北海道で引退したC11 227を国鉄より購入。昭和51(1976)年7月9日より、日本初の蒸機の本格的動態保存運転を開始し、再び蒸機の走る路線となった。その後、各地で蒸機の復活運転が盛んになったことは周知の事実。これらは、ある意味大井川鐵道の成功があったからなし得た、ともいえよう。「動力近代化」という当時の風潮に逆行し、蒸機を産業遺産としていち早く認め、本格的な動態保存運転という難関を日本で初めてクリアした功績は大きい。
そのためか、大井川鐵道の蒸機はほかの動態保存蒸機とはどこか違う。観光列車特有の浮ついたお祭り臭さがないのだ。それは、ほぼ毎日運転に近い、定期列車並みの運行スケジュールにもよるのだろうが、やはり30年という永い時間の蓄積からくるものに違いない。この間に動態保存運転は熟成を極め、今や蒸機は大井川鐵道にとって、なくてはならない存在になった。
機関士、機関助士、車掌、駅員、車両区員、蒸機の運行に携わるすべての人たちにとって、蒸機は「日常」なのだ。現在、大井川鐵道にはC11 227に加えてC10 8、C11 312、C11 190の3両と、日本ナショナルトラスト所有のC12 164が在籍し、いずれも常時運転可能な状態を保っている。

茶畑を眺めつつもC10 8は大井川遡上していく

デアゴスティーニ編集部

元京阪電気鉄道テレビカー3000系が第一橋梁を渡る。2両編成と短くなってはいるものの、大井川本線の電車はいずれも原塗色のままなのがうれしい。川根温泉笹間渡駅の手前に架かるこの橋で同線は初めて大井川を渡る。

家山で客車内の約3分の1の乗客を降ろして身軽になったSL列車は、大井川を右手に見ながら走り続ける。車内では、新金谷を出た時から楽しいトークや歌、ハーモニカなどで旅を盛り上げる、名物「おばあちゃん車掌」のマイクパフォーマンスが続いている。
さすがは「川根茶の里」という一面の茶畑の中に建つ抜里を過ぎると、列車は初めて大井川を渡る。ここからしばらく大井川は、列車の左側を流れる。
駅近くに大規模な日帰り温泉を擁する、川根温泉笹間渡を通過。地名、塩郷と大井川沿いを上流に向かって遡上していく。山間へと入り込むため、上り勾配が続く。先頭のC10 8も全身であえぎながらの走行だ。
下泉駅で、久々の停車。しかし乗降のないまま、SL列車はすぐに発車した。次の田野口は先頃、改修工事を終えたばかりだ。その内 容がユニークで、無人駅なのに、きっぷ売り場、小荷物取扱い口、駅事務室などを復元。ホームにも木製駅名板や木製ベンチが設置された。これは、映画やテレビのロケに使用してもらって実益と地域の活性化に繋げよう、というのが狙いなのだそうだ。
田野口を通過し、隣の駿河徳山で再び停車すると、SL列車に揺られるのもあとわずか。

旅を終えた乗客たちの笑顔が語るもの

デアゴスティーニ編集部

千頭までの楽しい旅を演出してくれたSL列車とともに記念撮影。何組もの乗客が、代わるがわるSLの前に立つ。

ひっそりとした佇まいに心惹かれる青部を過ぎると、しばらくぶりの大井川渡河。そして崎平の先で2度大井川を渡ると、ついに終点だ。
13時08分、SL列車は千頭のホームにゆっくりと滑り込んだ。1時間21分の旅の疲れなど微塵も見せず、降り立つと同時に蒸機に駆け寄る乗客たち。何かを言葉にするよりも、蒸機の前で記念撮影に興じる彼らの笑顔が、大井川鐵道の魅力をストレートに語っているようだ。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/01/01


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