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飯山線 豊野~越後川口

【第5回】飯山線 豊野~越後川口


長野県北部から新潟県にかけて千曲川に沿って走る長大なローカル路線、飯山線。ここは日本一といわれる豪雪地帯を貫く路線としても知られる。かつて展望車両「ふるさと」が走っていたこの路線は、多くの日本人にとっての原風景かもしれない。車両が新系列の気動車になっても、昔と変わらぬ空気が沿線を包む。しかし現在、ここにも新しい時代が訪れようとしている。

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日本人の「心のふるさと」に触れる旅

デアゴスティーニ編集部

沿線に点在する山里。数十戸が斜面に寄り添っている。多くの人の「ふるさと」のイメージとは、こんな光景ではないだろうか。

長野から信越本線を直江津方面へ進んで3つ目の駅・豊野。ここから飯山線の旅ははじまる。新潟県の越後川口までの96.7kmの道のりは、全線非電化単線。旅を案内してくれるのは、白いボディーに緑色が配色された110系ディーゼルカーだ。比較的新しいこの車両は、車内も明るく乗り心地もまずまず。軽やかなエンジン音とともに、約3時間の旅がはじまる。
最初に停車する駅、信濃浅野を出て次の立ヶ花が近づいてくると、右手に大きな川が見えはじめる。この川は、長野県、埼玉県、山梨県の3県が接しているあたりに源を発し、長野県を縦断して流れる一級河川、千曲川である。そして飯山線は、ここからずっとこの千曲川の流れにつかず離れずしながら、終点を目指す。
列車は4つ目の替佐に着く。この駅のある豊田村は、「うさぎ追いし、かの山……」の童謡「ふるさと」を作詞した文学博士高野辰之(1876〜1947)の生まれ故郷だ。日本人であれば誰の心にも響くこの歌の原点にある風景が、いま車窓に映っている。「小鮒釣りし、かの川」は、飯山線とともに豊かな流れを北へ向けている千曲川だろうか? みんなの「心のふるさと」を走る路線、それが飯山線なのかもしれない。

成り立ちは異なる歴史を持つ2つの鉄道の合併から

デアゴスティーニ編集部

一面の雪原を静かに、しかし力強く駆け抜ける単行のディーゼルカー。戸狩野沢温泉〜十日町間の列車は、1日にわずかしかないが、沿線で生活をしている人々には重要な足なのである。

飯山線はもともと、飯山鉄道(豊野〜十日町)という民営鉄道と、国有鉄道の十日町線(十日町~越後川口)という別々の路線が、その起源である。
前者の飯山鉄道は、大正10(1921)年10月20日、豊野を起点に飯山まで開業した。当時、水力発電所の建設にあたり、資材運搬の必要が生じていた信越電力の後押しが、開業実現に大きく貢献した。
大正12(1923)年7月6日には終点が桑名川まで伸び、同12月1日には西大滝まで、大正14(1925)年11月19日には森宮野原へと徐々に路線は延伸していった。そして昭和4(1929)年9月1日、ついに線路は十日町に到り、豊野〜十日町間75.4km(現在は75.3km)の全線が開通することになる。
一方、後者の国有鉄道十日町線の方は少し遅れて、昭和2(1927)年6月25日に越後川口〜越後岩沢間が開通した。しかし全線開通はこちらの方が一足早く、同年11月15日の越後岩沢〜十日町間の開通により、越後川口〜十日町間21.4kmが完成している。
その後、十日町駅を接続駅として、それぞれ走りつづけてきた両路線だったが、昭和19(1944)年6月1日、転機が訪れる。時はまさに戦時下。迅速な物資輸送が叫ばれるなか、信越本線と上越線の短絡線の必要性が高まった。そこで飯山鉄道が注目され、国有鉄道として買収されることが決まる。かくして飯山鉄道と十日町線は1本の路線となり、飯山線が誕生したのである。

日本有数の豪雪地帯を走る

デアゴスティーニ編集部

駅の軒先に、長剣のようなつららが無数に垂れ下がる。その長さは、明日の朝にはさらに伸びていることだろう。

「緑あふれる山間を、車窓から千曲川を眺めつつ揺られていく。」そんな飯山線の旅は、のんびりとして気持ちがいい。しかしこの路線の本当の醍醐味を味わいたいのなら、ぜひとも冬に訪れて欲しい。なぜならば、「日本有数の豪雪地帯を走る路線」、これこそが飯山線の真の姿だからである。
そこで冬の列車に乗り換えて、旅を再開していこう。替佐から先、車窓に映る風景はだんだんと雪深くなってくる。
やがて長野県側で沿線最大の街、そしてこの路線の名の元となった飯山に到着。駅構内には、かつての飯山機関区の名残り、三角屋根の立派な木造機関庫が目につく。乗降客も多く、朝夕は高校生たちで賑わっている。
そこから2つ先の駅、信濃平あたりでは、あたり一面真っ白の開けた光景が展開し、有名な木島平スキー場を抱える高社山なども望まれる。
戸狩野沢温泉に到ると、列車は編成を切り離し、1両だけの単行となる。ここから十日町の間は、列車本数も1日9往復となり、乗客もめっきり減ってしまう。積雪の多い日には昼間の列車を運休にして除雪作業することもあるので、その場合にはさらに運行本数が減る。しかし山間深くを県境目指して走るこの区間が、同時に最も静かで、美しく、趣きのある区間でもある。日本有数の豪雪地帯を走る路線である醍醐味を味わえるのもこのあたりだ。
ゆったりとした流れが変わらない千曲川を右手に、単行のディーゼルカーがコトッ、コトッと雪にくぐもったジョイント音をたてて走ってゆく。どの駅もみな駅舎は小さく、駅の周りの集落はひっそりとしている。
そうして「走」と「停」を繰り返すうちに長野県最後の駅、森宮野原に着いた。ここは1面ホーム2線を持つ比較的大きな駅である。この駅を出るとすぐに新潟県との県境になる。ともに走ってきた千曲川も、ここからは信濃川へと名前を変える。

駅舎横に佇む積雪量日本一の標柱

デアゴスティーニ編集部

これぞ豪雪地帯の証し。森宮野原駅前に立つ「日本最高積雪地点」の標柱。民家の屋根はおろか、電線までもが足元にあるという想像を絶する状況だったらしい。すでに半世紀以上、標柱は堂々たる姿でそびえ続ける。

「日本最高積雪地点 積雪七.八五M 昭和二十年二月十二日記録」。
これは森宮野原駅の駅舎脇に、青空に届かんばかりにそびえ立つ標柱に書かれた文字である。当時この標柱の示す高さまで積もったということらしいが、ビルの3階は優に越える高さだ。駅舎の屋根などは軽く雪のなかに埋もれてしまったことだろう。待合室にはそのときの集落の様子が、写真で紹介されている。
いまでもこの積雪記録は抜かれていない。

静かな中にぬくもりを秘める沿線情景

デアゴスティーニ編集部

背丈よりも高い雪の壁が、あたかも建造物のように、集落のいたるところにそびえ立つ。

県境あたりの豪雪区間の冬は、晴れる日が少ない。しかしどんよりとした空の下、しんしんと雪の降りつづける山里の光景には、陽光に輝く快晴の雪景色では味わうことのできない、しっとりとした美しさがある。
もちろん、雪のない土地から訪れた者には、雪国に暮らす人々の生活がいかに厳しいものであるか、想像することすら難しい。しかしそこには、屋根に積もった雪を降ろし、学校へかよい、仕事に精を出すといった確かな暮らしがある。
ある駅で列車を待っていたときのこと。列車が来るまでまだ30分以上あった。すると駅員さんが、
「こっちに入って、あったまってなよ」
と駅員室に招いてくれた。そして出していただいた入れたてのお茶。そのぬくもりが今でも思い出される。

豪雪路線の印象薄れる新潟県内へ

デアゴスティーニ編集部

だれもいない待合室に、ひっそりと置かれた木製のベンチ。刻まれている蒸気機関車の動輪の意匠が、鉄道の誇りを醸しているようだ。

さて、森宮野原を出発して新潟県へ入ると、同じ山間を走っていながらも、寂しい感じが薄れ、豪雪路線の厳しさが少しずつ薄まってくる。
駅舎のなかに温泉を持つ津南を過ぎ、越後鹿渡を出ると鉄橋にさしかかり、川を渡る。ここまでえんえんと千曲川、信濃川の左岸を走ってきた飯山線が、ここではじめて右岸へと転じる。そしてここから終点の越後川口まで、こんどはずっと右岸を走り続けるのである。つまり約100kmの道のりのなかで、並行する大河を渡るのは、唯一ここだけなのだ。
車窓風景は、山間のそれから、しだいに両脇に真っ白な田んぼの広がる田園風景へと変わる。
かつての飯山鉄道と十日町線の接続駅、十日町が近づいてくると、車窓には街の風景が映りだした。現在の十日町駅は、高速在来線、北越急行ほくほく線との接続駅として、重要な役割を果たしている。飯山線の方は、この駅を境に列車の運行が分離され、とくに長野方面に向かう上り列車は直通が1本もなく、すべてが十日町で乗り換えとなってしまう。
ここから旅の残りは30分弱。飯山線も、一般的なローカル線の風景の中を走る。そして、越後川口で上越線に合流し、旅は終わる。

北陸新幹線の延伸による新たな時代の到来

デアゴスティーニ編集部

遅い春の訪れ。すべてを包み込んでいた雪が消え、沿線はいっせいに色彩を放つ。短い彩りの季節を存分に楽しむかのように。

静かなる豪雪路線にも、まもなく大きな転機が訪れようとしている。
平成9(1997)年10月に長野まで開業した北陸新幹線は、現在も延伸工事を継続している。そして2015年には、長野〜富山、金沢間が開業する予定となっているが、その途中駅として飯山駅が設定されているのだ。その結果、飯山線は飯山駅で北陸新幹線と接続することになり、この地域と東京との密接度は格段に増すことだろう。それに伴い、沿線の人々の動きは活発化し、本来観光資源が豊富な飯山線沿線へ多くの観光客が訪れるようになるはずだ。この長大なローカル線の存在意義が新幹線連絡によって高まるのである。それを素直に喜びたい。
北陸新幹線の開通とともに、いまのしっとりとした趣きのある飯山線は、過去のものとなってしまうかもしれない。しかし飯山線はきっと、また新たなイメージを持った豪雪路線としてその姿を私たちに見せてくれることだろう。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/05/13


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