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山田線 盛岡〜宮古

【第50回】山田線 盛岡〜宮古線


山田線は、盛岡から宮古を経由して釜石に至る157.5kmの路線だ。このうち盛岡〜宮古はあの区界峠を頂点とする、北上山地越えの区間である。峠を越えれば閉伊川の渓谷を走り、風景の美しさと懐かしさが旅人を魅了する。2007年に旅した記録をお届けする。

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懐かしい国鉄色の車両が活躍 のんびりムードの山田線へ

デアゴスティーニ編集部

盛岡駅で発車を待つ「快速リアス」。キハ58が活躍したが平成19(2007)年3月より盛岡地区に100系が入線。山田線はキハ52に統一された。

以前、夜遅い東北新幹線に乗車していたら、盛岡駅到着直前の車内放送で「山田線宮古行きは、翌朝10時48分までお待ち下さい」というアナウンスがあり、冗談ではないかと笑ってしまったことがあった。山田線では盛岡から宮古方面への列車が上り列車となっているが、時刻表を開くと、宮古行きの上り一番列車「快速リアス」の発車時刻は確かに10時48分。盛岡から3駅隣の上米内まで運転される列車は7時台と8時台に各1本あるが、相当のんびりしたダイヤ設定だ。
そんな山田線に乗って、宮古までの旅を楽しもうと思い、盛岡駅のホームで「快速リアス」を待っていると、やがて姿を現したのはキハ58型。ここ山田線で仕事に就く車両たちは、すべて国鉄時代に製造され、かつては急行列車でも活躍したキハ58やキハ52などの強者たちだ。また、この車両たちを管理するJR東日本盛岡支社では、平成13(2001)年秋より、数両をそれまで盛岡支社オリジナルの車体色から国鉄時代の塗色に戻し、多くのファンの人気を得ている。
白をベースに赤いラインというシンプルな出立ちのキハ58の車内に入ると、そこには汽車旅の雰囲気が漂っていた。ズラリと並んだ向い合わせのボックスシートに座れば、足元からアイドリングが伝わってくる。エンジンこそ小松製作所や新潟トランシス製へと換装されているものの、ディーゼルカーは格別の旅情を授けてくれる。

建設時に国会の議題にもなった北上山地の秘境を走り行く

デアゴスティーニ編集部

大志田駅の前後は25‰の急勾配が延々と続いている。

建設時に国会の議題にもなった北上山地の秘境を走り行く
エンジンの唸りが高なり、盛岡駅のホームをゆっくりと出発。やがて列車は右カーブでIGRいわて銀河鉄道と分かれる。すぐに渡る河川は北上川だ。北上川が悠々と市内を流れる盛岡は、清々しい印象を受ける。
上盛岡、山岸と盛岡郊外の小駅に停車。しばらくは住宅地を進むが、山岸から先は北上川支流の米内川が寄り添い、里山の風景が車窓に展開する。やがて朝のみ運転の区間列車が折り返す上米内に停車。木造駅舎が建つ駅の周囲は、田園の小集落の好ましい佇まいだ。列車はここから標高744mの区界峠へ向けてのアタックが始まる。上米内を出ると車窓からはあっという間に人家が遠のき、線路の両脇には森林が迫る。深山へ分け入る趣である。並走する道路は未舗装の林道が1本。米内川の流れも渓流の様相となる。岩手県の県都、人口30万を擁する盛岡からここまでわずか25分、距離にして約12km。そのあまりの風景の変貌ぶりに、目を見張らずにいられない。
山田線は盛岡から、港町の宮古を経て釜石を結ぶ157.5kmの路線である。岩手県の内陸と沿岸の町を結ぶ、いわゆる「ろっ骨線」として建設された。大正12(1923)年に上米内まで、5年後の昭和3(1928)年には区界までが開業した。その後も松草、平津戸、陸中川井と少しずつ延伸しながら、昭和9(1934)年11月に宮古まで達した。釜石まで全通したのは昭和14(1939)年9月17日である。
しかし、建設はされたが、そのルートは険しいうえに沿線には人跡未踏の場所も多く存在した。山田線が建設されることとなった大正9(1920)年には、帝国議会で野党議員から時の総理大臣、岩手県出身の原敬に対し、こんな質問があったという。「総理は、そんな山奥に鉄道を敷いて山ザルでも乗せる気ですか?」。これに対して原は、「よく調べてもらえばわかることですが、日本の国有鉄道法では、山ザルは乗せないことになっています」と返答した。
そんな昔日の答弁が目に浮かぶように、いよいよ山深くなった車窓に、清冽な米内川の流れが映る。秘境駅としてすっかり有名になった大志田駅の手前では、勾配を稼ぐように狭い谷間にΩ形のセミループが描かれる。列車の進行する方角が目まぐるしく変わるが、トンネル内のことで実感に乏しい。かつて宮脇俊三が中国の山岳路線「成昆鉄路」を旅した際に、コンパス(磁石)を持参。ループ線やS字カーブを確認する様子が書かれているが、この区間もコンパスを用意すれば良かった……と、思ってみてもあとの祭りであった。

最大の難工事区間を抜け区界峠のサミットへ

デアゴスティーニ編集部

大志田の待合室に掲示された時刻表。宮古行きの最初の列車は19時36分という驚異的な発車時刻である。

セミループを抜ければ、山の斜面の中腹に存在する大志田である。先ほどまでは列車の目線にあった米内川の流れを、かなり下方に見下ろしている。セミループの線形の効果が表れているようだ。
さて、大志田駅、1日に停車する列車は上りが2本、下りはわずかに1本のみ。乗車する「快速リアス」はもちろん、あっさり通過。大自然に囲まれた短い板張りのホームは注意していないと気がつかないほどだ。駅の周囲には民家が数軒点在しているのみである。しかし、この駅には、次の浅岸とともに昭和57(1982)年まではスイッチバック式で駅員が配置されていた。列車交換も可能だったのである。退避する普通列車を横目に、急行列車が本線を通過するシーンが日常的に繰り広げられていた。かつては現在とは比べられないほど列車本数が多かったのだ。
大志田を過ぎてもなお米内川を遡るが、全長1183mの第一浅岸トンネルで尾根を横断すれば、トンネルを抜けて寄り添ってくるのは米内川より一本南側の沢を流れる中津川だ。中津川沿いのカラマツ林や雑木の山間を抜け、数件の民家がポツンと現れると大志田同様に秘境駅と称される浅岸を通過する。連続する25‰の急勾配に挑む老雄キハ58。山間の隘路に力強いエンジン音を轟かせて、孤高の力走が続く。
それにしても、この何もない山中に線路を建設した当時の人々の労力には頭が下がる。上米内〜区界間の建設は、24kmの間に合計すると約9kmのトンネルを掘るという山田線最大の難工事区間だった。当時の記録では「一夜にして千人もの建設作業員の村が山中に出現。飯場の周囲には診療所や分校、娯楽施設等が併設された。また、工事による犠牲者が出た時のために、火葬場までも建てられた」と伝えている。この区間の工事では23の尊い人命が犠牲となっている。
長大な第一飛鳥トンネル(2263m)、続いて第三飛鳥トンネル(1114m)と抜ければ、間もなく標高744mの区界峠のサミットに達する。盛岡駅の標高が125mだから、24kmの間に619mも標高を上げたことになる。この峠が、山田線はもちろん、東北地方の鉄道の最高地点ということを知っている乗客は、この列車の車中に何人いることだろう。
「快速リアス」はひとつの使命を果たしたとばかりに、ゆっくりと区界駅に進入した。伸びやかに開けた高原の景色が、辺りを包んでいた。

ゆったり設計の国鉄型車両 思い思いの時間を過ごす乗客

デアゴスティーニ編集部

浅岸駅を見下ろすと、スイッチバック時代の配線がうかがえた。「快速リアス」が静かな山間にエンジンを響かせて通過。

「快速リアス」は区界でひと息入れて、長い長い下り込みに入る。この峠の駅から港町の宮古までは、一方的な下り勾配が約66.5kmにわたって続いている。さっきまでと打って変わり、まるで苦渋から解き放たれたような、軽快なジョイント音が床下から心地よく響いてくる。車窓には牧場や高原野菜の畑が広がり、車窓風景までも気持ちがよい。
松草を過ぎる頃から、車窓に閉伊川の清流が寄り添ってきた。まだ護岸工事も少なそうな自然濃厚な川原の風景が続く。山々の紅葉は盛りを過ぎてしまったが、新緑や紅葉の最盛期には絶景が堪能できそうである。
次に通過する平津戸と、川内の間にある通称「小滝鉄橋」は、映画「大いなる旅路」のモデルとなった列車転落事故が発生した現場である。昭和19(1944)年3月12日、当地では珍しい大雪が降り雪崩が発生。崩壊した鉄橋を貨物列車が通過して脱線転落。機関士が死亡、機関助士も負傷の大事故だったという。当時の貨物列車の牽引は蒸気機関車で、山田線ではC58がもっぱら使用されていた。事故に遭った機関車はC58 283号機で、この機関車のナンバープレートは、宮古駅前に建立された「超我の碑」に添えられている。
そんな蒸気機関車時代の記憶を刻むように、今なお川内駅構内に建つ給水塔が、山田線の旅をより印象深いものにしてくれる。「快速リアス」は通過してしまうが、古びたコンクリートの遺構を見るために車窓右手に注目したい。小さな駅を通過してしまう快速列車では、本当の山田線の旅情は味わえないかもしれない。週末だけでも良いから、日中運行の観光客用の各駅停車を1本設定してもらいたいと思うのは、贅沢な話だろうか。
区界から快調に坂道を駆け降りる「快速リアス」。車内では居眠りする人、お弁当を広げる人、読書する人、じっと車窓を眺める人と、乗客たちが思い思いの時間を過ごしている。小さな子供が座席に立ち、後ろのボックス席を覗いては、はしゃいでいる。そんな列車の車内を、窓から差し込む秋の光が前から後ろへと順番に照らしてゆく。
「この光景、どこかで見たことがある」と、少し昔、国鉄時代の急行列車で旅しているような、懐かしい感情が湧き上がってきた。そんな思いにさせるのは、慣れ親しんだキハ58だからなのだろう。キレイな新型の車両もいいが、ゆったりとした設計の国鉄車両は、やはり捨てがたいものがある。
列車は速度を緩めて、久々の停車駅、陸中川井に到着した。沿線では主要な町であるが、川幅を広げた閉伊川沿いにのどかな雰囲気の町並みが広がっている。次の腹帯を通過すると、岩泉線を分岐する茂市はもうすぐだ。

山間のジャンクションで急行全盛時代を今に思う

デアゴスティーニ編集部

国鉄色を先頭に鉄橋を鳴らして「快速リアス」が通過。青空の下、閉伊川の渓谷を縫って、軽快な下り込みが続く

山間のジャンクション、茂市は広い構内を持つ。昼間はやや閑散として少し持て余し気味だが、岩泉線の列車も出入りする朝6〜9時台は賑わいを見せる。特筆すべきは6時52分入線の岩泉線682Dの到着から。すぐにキハ52型3両編成の山田線638Dが、6時53分に川内から到着。続いて6時56分には宮古からの633Dが入線し、今では希少となった国鉄型キハ52が5両、この茂市に集結するのである。キハ52は2両が国鉄一般色に戻されているので、運用によっては5両中2両が国鉄色で運転される場合もある。そんな風景をぜひ見てみたいものだ。
また早朝の宮古発631Dはキハ58型2両に、川内まで回送され、折り返し683Dとなるキハ52型3両を連結した豪華5両編成で運転される。こんな車両運用がこなせるのも、ディーゼルカーの成せる技で、同時に国鉄時代の多層建て急行を思い出させる。
多層建て急行といえば、昭和43(1968)年10月のいわゆる「ヨン・サン・トオ」で仙台〜秋田間を結ぶ急行列車となったディーゼル急行「陸中1号」を思い出す。この列車は、仙台から東北本線、釜石線、山田線、花輪線、奥羽本線を経由して13時間半かけて秋田を結ぶという驚異的な遠回り列車だったのである。さらに驚くのはその道中で、ほかの方面を目指す(あるいは来る)さまざまな急行列車を併結・分割しながら運転されたことである。このような列車を多層建てというが、「くりこま」(のちに「たざわ」)「むろね」「さかり」「みちのく」「むつ」の5本ものディーゼル急行と併結・分割を繰り返しながら運転されていた。まったく複雑極まりない列車があったものだ……と、感動すら抱いてしまう。のちに急行「陸中」は宮古を境に、秋田行きは急行「よねしろ」と分離されたが、ダイヤはほとんどそのままだった。また、当時は盛岡から山田線、釜石線、東北本線を循環し盛岡へ戻る、急行「そとやま」と逆回りの急行「五葉」なども運転されていた。ある意味名物だったこれら急行列車は、東北新幹線が開業する昭和57(1982)年まで活躍した。

バスに路線に負けない未来を求め 列車は宮古へと入る

デアゴスティーニ編集部

茂市を過ぎれば閉伊川の川幅も広がる。昔ながらのツートンカラーは、風景にも負けない存在感を持っている。

そんな当時の強者たちを思い浮かべつつ、茂市をあとにする。列車は変わっても昔と変わらない閉伊川の流れも、ここまで来ると川幅を広げた。
蟇目(ひきめ)という面白い駅名の無人駅を通過、昭和21(1946)年11月の水害で、この蟇目と平津戸の間が被災して長期間不通となった。当時、釜石線は仙人峠で分断されており、山田線は岩手県沿岸と内陸を結ぶ唯一の鉄道であった。ゆえに山田線の不通は深刻で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が釜石線の建設を指示し、釜石線全通に至った話は有名である。
「快速リアス」は千徳を通過して次第に宮古の市外区域に入る。線路の両側は道路が敷かれているが、その車窓に映る道路上に、偶然にも盛岡と宮古を結ぶ路線バス「106急行」の走る姿が見えた。山田線がこのようなダイヤ設定の中で、国道106号線を行き交う「106急行」は1時間に1本以上の頻度で運転されている。盛岡駅前から宮古駅前までの所要時間は約2時間、料金は1970円と、列車もバスも大差ない。なのにバスのこの盛況ぶりはなぜだろう。JR九州ならば、バスへの対抗策として、リクライニングシートの特急でも走らせているに違いない。先人が苦労して建設した鉄道が、今日、十分に活用されていないのは、なんとももったいない話だ。
やがて、左手方向から三陸鉄道のレールが寄り添い、「快速リアス」は、宮古駅にゆっくりと進入して歩みを停めた。盛岡から2時間。自然豊かな山田線の旅を満喫できた。
山田線の線路は宮古から先、進路を90°変えて南下して釜石を目指す。しかし、全線を直通する定期列車は、現在1本も運転されていない。まるで別の路線のようである。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/02/28


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