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山陰本線 出雲市~東萩

【第52回】山陰本線 出雲市~東萩線


日本海沿岸をその地形のまま、張り付くように進む山陰本線西部は、難工事の連続だった当時の面影とは裏腹に、どこまでも続く雄大な海と小さな港町の風景が展開するシーサイドライン。海に沈む美しい夕陽を追いかけて、ぶらっと各駅停車の旅に出た。

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神話の里・出雲市から軽快なDCで潮風の中へ

デアゴスティーニ編集部

南国の海を思わせるほど、澄み切った美しい海岸が続くすぐ傍を、エンジンの音も軽やかに単行のDCが走り抜ける。ただ、ボーっと車窓を眺めているだけの贅沢な時間が、ゆっくりと過ぎていく。

京都〜幡生間673.8kmという長大路線の山陰本線は、京都〜城崎温泉間と伯備線経由で岡山からの特急が走る伯耆大山〜西出雲間が電化されているのみで、そのほかの区間は非電化のローカル線である。
かつては、一昼夜をかけて各機関区のある駅で機関車を付け替え、長大路線を走り抜く列車もあったが、現在では各都市間を部分的に繋ぐ運用で、地元に密着した鉄道の姿となっている。鳥取、松江、出雲市などの観光都市付近では、高架や複線電化といった近代施設も見られるが、それも全体から見ればほんのわずか。ほとんどは開通当時からの姿そのままに、鉄道の原点を体感できるところが多く残っている。
特に出雲市から西部は、三保三隅〜岡見間のトンネル新設区間でこそ海沿いを走る光景は見られなくなったものの、ほとんどは大正から昭和初期にかけて部分開業を繰り返してきた姿が見て取れる。現在、主流となっている軽快気動車キハ120が走り抜ける様は、時空を越えた新たな鉄道の発見を予感させる。
近代的な高架駅となった神話の里、出雲市からその新たな主役、キハ120に乗って爽やかな潮風の中、西を目指してみたい。

眼下には岩礁と黒松が続くゆったりとしたシーサイドライン

デアゴスティーニ編集部

かつての名所は現在でも変わらず、美しい風景を見せてくれる。国道に設けられた道の駅から、早朝の景色を望む。

山陰本線を西に向かうのだ。そして、海を眺めたい……。そう思い、車内に入ると、まずは進行方向右側の空席を探す。思いのほか、難しくはなかった。どうやら、朝夕の通勤・通学時間帯を外せば、大体にして無理をしなくても大丈夫なようだ。ちなみに、出雲市からは鳥取〜益田間を約3時間30〜40分台で結ぶ特急「スーパーまつかぜ」が1日4往復走っており、これを使う手もある。が、急ぐ旅でもない。ラッシュを過ぎた時間帯の各駅停車に乗車、右側の席を確保してゆっくりと発車を待つことにした。
次の駅となる西出雲の西側には近代的な設備の出雲運転区が広がり、ここまでが電化されている。架線も消え、10数分程走った小田を過ぎた辺りで、早くも眼下には岩礁と黒松が続く、いかにも山陰海岸の風景といった日本海が広がる。これからのシーサイドラインの旅に期待が膨らむ、そんな眺めである。
穏やかな海岸線をしばらく行くと、併走していた国道9号線と分かれ、列車は海岸沿いに絶壁を縫うように走る。これまたいかにも山陰の港町といった風情の波根付近では、斜面の入り江に設けられた小さな船溜りが多く見られるようになってくる。
そういえば、こんなにゆっくりと車窓を眺めるなんてことはしばらくなかった……。そんな気がする。

鳴き砂と海岸と港町……どこまでも続く白い砂浜

デアゴスティーニ編集部

おそらく山陰本線で最も海に近い駅であろう折居駅はその名の通り、この駅で「降りぃ」といっているようだ

山陰の名峰といわれる三瓶山へのアプローチとなる大田市を過ぎると、世界最大規模の「一年砂時計」がある。駅から徒歩で10分ほど行った場所にある仁万辺りから、なるほど、と思わせるほど美しい砂浜が続く。この景色は次の馬路のすぐ前に広がる、鳴き砂で有名な琴ケ浜に繋がる。身を寄せ合うように連なる集落の低い屋根との光景……。絶えることなくサラサラと流れる砂時計や、歩くと「キュッ、キュッ」と鳴く砂浜。時計を巻き戻したようなこの風景。しかし、そこに違和感はない。「もしかすると、鉄道が敷かれるずっと昔から何も変わっていないのかもしれない……」ふと、そう思う。
列車は時空を超えて、静かに山陰の一大車両基地である浜田に滑りこんで行った。

乗車時間を迷いつつも 夕陽を追って西へ行く

デアゴスティーニ編集部

踏切の向こうはいつもの海が広がる風景も、この土地の人にとっては当たり前の日常なのだろう。

かつては機関区を有した駅である浜田。ここは、現在は梅小路蒸気機関車館に保存されている、D51のトップナンバー「1号機」が晩年を過ごした地でもある。
昭和40年代中頃には、D51をはじめ、C57、C56など、数十両の配置があり、山陰の一大基地として君臨。現在でも鉄道部が置かれ、数編成のDCが常駐している。「彼ら」の姿を見ると、主動力は変わっても、やはりここが山陰の要所であるということを、駅のホームからも感じることができる。
かつて、機関車を付け替え、東西に旅立って行った列車の姿が目に浮かぶようなホームに立ち、再び西へと向かう列車を待った。山陰海岸沿いを走る山陰本線沿線には、「夕陽ライン」という代名詞がつけられ、どこからでも海に沈んでいく美しい夕陽を眺められる。中でもこの浜田から西の区間は、まさにその名の通りで、「どの辺りでその時刻を迎えようか」と乗車する列車の時間に迷ってしまう。
そんな美しい夕陽を追って、午後を少し回った辺りで列車に乗り込んだ。
浜田の市街地を抜けると、またすぐに海沿いを走り、おそらく山陰本線の中でも最も海に近い駅であろう折居に着く。この駅はホームから見る限り、ほんの少しでも海のご機嫌が悪ければすぐに波をかぶってしまいそうなくらい海に近い。
ちょっと途中下車してホームのベンチに座り、しばらく海を眺めてみたくなる衝動にかられる。おそらくその場所は全国を探したってどこにもない、とっておきのパノラマ指定席になるだろう。
だが、まあ、今回は車窓からの楽しみを続けることにしよう……。

難工事の連続区間を越えて車窓から眺める贅沢な時間

デアゴスティーニ編集部

日が沈んだあとは漆黒の闇が支配する海と空の間に、ほんのわずかの時だけ見られる、日没前の光が幻想的だ。

まるでプライベートビーチのような小さな入り江に曲線を描いた砂浜が点在する車窓は、どこまで行っても金太郎飴のように続いていると思っていたが、山口線との接続駅である益田を過ぎた辺りから、その光景は変化を見せはじめた。
それまで穏やかな表情を見せていた海岸の風景が、だんだんと険しくなってくる。ついには、断崖絶壁に近い斜面をトンネルと切り通しでかろうじて進む、「海洋山岳鉄道」とでもいうべきスリリングな光景を映し出してきた。
圧巻は、山陰本線が全通するに当たって最後の難工事区間となっていた須佐〜宇田郷間。ここはまさに海岸にへばりつくように進み、トンネル、勾配、絶壁が連続する。
たとえ着工が現代であっても、かなりの難工事を強いられることになるであろう場所。ここに鉄道を敷いた当時の人たちの、その鬼気迫る意気を感じる。だからこそ車窓から目を離すことは難しい。
昭和8(1933)年2月24日、山陰本線最後の難工事区間として残っていた須佐〜宇田郷間が開通。山陰本線がようやく、念願であった京都〜幡生間673.8kmの開通を見た日、この区間を初めて乗車した人たちは、どんな思いでこの車窓を眺めたのだろうか。
この地方、真冬には特有の季節風が吹き荒れる。人の侵入を拒む日本海の荒波に耐えながら、数cm単位で岩盤を切り開いて鉄道を敷いた当時の人たちの情熱とロマン。そんな歴史が背景にあるからこそ、「誰もがゆったりとした車窓を楽しめる路線」が今なお引き継がれているのではないだろうか。
おそらく、開通当時とさほど変わってはいないであろう難所を、ゆっくりと列車は走り抜ける。煌めく波の向うに輝く明るい午後の陽射しが眩しい。
目を伏せた。
夕刻も近づき、赤い夕陽が水平線に沈む様子をシートに腰を沈め、ゆったりと車窓から眺める。そんな、贅沢な時間。
日没後は、キラキラと海の遠くに輝く漁火が見て取れた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/04/30


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