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石北本線(下) 留辺蘂〜網走

【第58回】石北本線(上) 留辺蘂〜網走


常紋峠を越えた石北本線は、留辺蘂(るべしべ)を経てこの地方の中心都市・北見へと向かう。北見から網走の区間は、明治期に網走線として開業した区間。農場が広がる丘陵地帯から網走湖畔へと走る路線は、豊かな自然と深い歴史が興味を惹き付けるルートである。

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木材の集積地として栄えた留辺蘂 山々と結んだ森林鉄道も今は昔

デアゴスティーニ編集部

端野から緋牛内へ進むキハ40単行の下り普通列車。常呂川を渡れば広大な田園地帯へ躍り出る。実った作物が初夏の光を受けて輝き、まるで北国の短い夏を謳歌しているようだ。

遠軽から常紋峠を越えた最初の町が留辺蘂。かつて、留辺蘂駅の構内には何本もの側線が敷かれていた。留辺蘂駅に隣接した貯木場には、ここを起点とした温根湯森林鉄道によって多くの木材資源が運ばれてきたという。
その温根湯森林鉄道は、大正10(1921)年9月に17.3kmの本線と6.6kmの支線により開通した。温泉で有名な温根湯を経て、周辺の山々へと伸びていた。大正14(1925)年にはボールドウィン製の蒸気機関車が輸入され活躍。昭和25(1950)年には、石北峠を越え層雲峡まで路線延長が行なわれた。昭和29(1954)年の秋に襲来した15号台風、通称「洞爺丸台風」では、付近の山々に多大な風倒木被害が発生、これを搬出するために森林鉄道が大活躍したという。この時期が最盛期で、総延長は80kmを超えていた。その後、道路の整備などによりトラック輸送に替わり、昭和35(1960)年、使命を終えた。
当時、木材を積み出した側線は、すでにほとんどが取り払われており、ガランとした空間が青空の下に横たわっている。
また、この地に鉄道が建設された当時には、留辺蘂駅は物資の積替え地点でもあった。なぜならば、留辺蘂駅を境に北見側は軌間1067mm、遠軽側が軌間762mmとして建設されたからだ。
人々も物資も、ここ留辺蘂で乗換えが必要だった。北見〜留辺蘂は大正元(1912)年に1067mmで開通。一方の留辺蘂側は、経費節減と工事速成のため、軽便規格の湧別軽便線となった。下生田原(現・国安)まで開通したのは大正3(1914)年10月。しかしその後、名寄へ結ぶ路線は1067mmとされたことから、大正6(1917)年11月には軽便区間が全面的に改軌された。これによって軌間の相違による留辺蘂駅での中継は解消されたが、計画の甘さが多大な無駄を呼ぶ結果となったようだ。

留辺蘂駅が最も賑わう一番列車 車内は何処も変わらぬ通学風景

デアゴスティーニ編集部

留辺蘂駅に到着した下り一番列車はキハ40の4両編成。北見方面へ通学する高校生が多数乗り込んでいった。

留辺蘂から網走へ向かう朝一番の列車は、北見方面への通学に利用されている。ホームには大勢の高校生がずらりと並ぶ。北国の爽やかな風が吹く清々しい朝の光景は、ちょっと寂れかけた駅に華やいだ空気をもたらしている。やがて金華方面からキハ40の4両編成が入線し、ホームいっぱいの学生たちを呑み込んでいった。続いて網走方面からは札幌行きの特急「オホーツク2号」が3番線ホームへ入る。朝の活気ある交換風景を目にしながら、学生たちと同じ列車に乗り込むことにした。
友だちとお喋りに興じる者、教科書を開く者、ヘッドフォンで音楽を聴く者、携帯電話のメールを打つ者と、列車の中での過ごし方は全国何処も変わりない。まるで学校の教室に居るような雰囲気のなか、列車は北見を目指してゆっくりと動き出した。
留辺蘂を出た列車は、無加川に沿った低い丘陵地帯の谷間を縫うように走る。丘の斜面は開墾され、農耕地が何処までも広がっている。車窓右手、南側の丘を越えた向こう側には訓子府の町があり、かつては「北海道ちほく高原鉄道」が走っていた。その間の直線距離は約8kmと意外に近い。
相内を経て、次の東相内の駅舎は北海道らしいデザインの木造駅舎である。今は無人駅となっているが駅舎は意外と大きい。北見を目指す通学生がこの駅からも乗り込み、車内はより賑やかになった。

市街地を抜ける北見トンネルは連続立体交差の一例

デアゴスティーニ編集部

半地下方式の立体交差となった「北見トンネル」は北見駅の西側にある。遠軽側出口を上り列車がやって来た。

ホーム一面だけの無人駅、西北見を出れば車窓に市街地が広がってくる。どの家も屋根の傾斜が強く、急勾配の屋根から四角い煙突が突き出ている。車窓に映る北国の町並みを観察していると、不意に列車が長いトンネルに吸い込まれた。全長1320mの「北見トンネル」だ。線路はすでに山間部を抜けており、線路は市街地付近に敷かれているはず。
 「どうしてトンネルがあるのだろうか……?」
初めてこの区間を列車で通って以来、このトンネルの存在は気がかりだった。
『北見市史』によれば、この北見トンネルは全国でも珍しい、地下方式による連続立体交差の一例なのだという。
北見駅の西方約100mには、主要国道の39号線が通っており、石北本線との「大通り踏切」が交通渋滞を引き起こしていた。
昭和34(1959)年10月、北海道開発局が、大通り踏切を立体交差にする案を発表。しかし、付近の商店主らは、騒音や日照の問題からこれに反対したという。住民たちは昭和43(1968)年3月、措置変更を旭川鉄道管理局に求めた。これは、迂回案、半地下方式、高架化など、さまざまな方式の比較・検討を促すものであった。
これを受けて旭川鉄道管理局は同年12月に半地下方式を提示、昭和45(1970)年に調査が行なわれた。その結果、昭和47(1972)年に連続立体地下方式と決定し、昭和48(1973)年1月に国鉄側が同意。同年10月から工事が始まった。地下方式では問題となる蒸気機関車の運転が終了したことが、少なからず半地下化選択の大きな要因になったと思われる。
やがて工事が完成し、昭和52(1977)年9月18日に特急「オホーツク」が初めて通行。翌10月から通常運用が開始されてる。総工費51億円と10年以上の歳月を費やした立体交差工事は、こうして、北海道では珍しい半地下方式という形態となった。トンネル上部の線路敷は市に分譲され、現在は小公園として整備されているという。列車に乗る分には地下は退屈だが、町の中心に高架が続くより、市街地の風景が損なわれずに済んだのだろう。
沿線の至る所に歴史が隠されていることが、鉄道の面白いところではないだろうか。

主要都市の北見に到着 石北本線の複雑な生い立ちを思う

デアゴスティーニ編集部

北見はこの地域の主要都市。かつては野付牛と呼ばれた。北海道ちほく高原鉄道廃止後は配線が簡素化された。

列車は北見に到着。多くの学生たちが下車していった。さすがにこの地域の主要都市とあって、駅前には商業ビルやホテルなどが建ち、賑やかな印象を受ける。
秋口から春先にかけては、ここ北見から貨物列車も季節運転される。ジャガイモや玉葱などの農産物が、石北本線を経由して消費地へ輸送されている。広い構内の外れに積まれたコンテナが忙しく稼働するのは、秋も深まる頃からだ。貨物列車は非電化の石北本線をディーゼル機関車DD51のプッシュプルによって運転され、石北本線の険しい峠越えに力強く挑んでいる。
平成18(2006)年3月31日までは、北見から根室本線の池田との間に北海道ちほく高原鉄道(旧・国鉄池北線)が運行されていた。国鉄池北線から第三セクターへの転換が行なわれたが、残念ながら廃止されてしまった。この先の北見から網走への路線は、この池北線と切っても切れない縁があった。
北海道に鉄道網が次第に拡がっていった当時、札幌から網走へ向かうメインルートの「網走線」として選定されたのが、のちの池北線を経由するルートだった。網走線は、すでに建設されていた根室線の池田から分岐する形で、明治44(1911)年に北見(当時は野付牛)まで開通。大正元(1912)年に網走まで達し、全通。名称も網走本線となった。時を経て昭和7(1932)年、新旭川からの路線が全通し石北本線となったため、池田〜北見間は「池北線」と名称変更。北見を境に、今日の明暗を分ける形となったのである。
 こうしてみると、現在の石北本線は、石北線として建設された新旭川〜遠軽間、湧別軽便線として建設された遠軽〜留辺蘂間、網走線だった北見〜網走間、そして間を繋いだ留辺蘂〜北見間と、それぞれ違った生い立ちをもった線路の集合体といえる。

北見市街地を抜けて再び美しい田園地帯へ

デアゴスティーニ編集部

夕暮れ色に染まり始めた雄大な田園風景を抜けて、単行のキハ40がやって来た。ガイドブックに載るような有名な観光地ではないが、富良野や美瑛にも劣らないような風景が車窓に広がってくる。

北見を出ると高架区間へ入る。駅の西側は半地下方式が選択されたのに対して、平成4(1992)年に完成した東側は高架による立体交差となった。高架上の柏陽駅で高校生を降ろし、身軽になった列車は高架から降りると愛し野駅に到着。その駅名のように可愛らしい駅だが、並走する国道の騒音も賑やかな郊外の駅だ。
列車は国道沿いのありふれた店舗など眺めながら、次の端野へ。端野の付近にはかつて端野鉱山があり、昭和15(1940)年から、わずか2年間だけ稼働した伝えられる。端野鉱山はマンガン鉱として開発されるもマンガンは出土せず、代わりに耐火レンガの原料となる「珪石」を採掘した。端野鉱山の珪石は端野駅から貨車に積まれ、室蘭鷲別の工場に輸送されたという。
端野を出ると大きく右にカーブ。列車は窮屈な市街地から伸びやかな田園地帯へ駆け抜けて行く。列車の走行音も心なしか気持ち良さそうに聞こえてくる。常呂川を渡り、今度は左に大きくカーブを切れば、作物の育つ、明るい野辺が広がってくる。初夏の光を浴びて輝く緑が、北国の短い夏を謳歌しているようだ。
やがて丘陵の縁へ回り込み、今度は富良野や美瑛を想像させる丘陵の風景が車窓に映し出された。富良野や美瑛のように、ガイドブックに載るような観光地ではないが、それに匹敵するような風景がこの沿線には点在している。
丘陵に挟まれた緋牛内から美幌にかけては、小さな峠越えが待ち構える。全長272mの緋牛内隧道をはじめ、切通し築堤ともに大きいこの区間は、建設が困難な箇所だったという。土質が火山灰で強風に飛散し、降雨時には法面が崩壊するなどの被害もあったようだ。列車は20‰の勾配を上りながら、緋牛内トンネル内のサミットへと向かう。切通しが続き視界は悪いが、 変化に富んだ線形が楽しい。
緋牛内トンネルを抜ければ、下り勾配を軽やかに駆け下りる。

美幌への鉄道誘致と果たせなかった釧美線計画

デアゴスティーニ編集部

昭和34(1959)年に建設された、日本甜菜製糖美幌製糖所を横目に見ながら、特急「オホーツク」が到着。

左手に製糖工場の建物が見えて、列車は美幌駅に到着した。美幌の付近では砂糖の原料となる甜菜の栽培が盛んである。畑では時折、巨大な作業車が蠢いているのを目にする。
この地域の地図を見ていると、石北本線が端野から緋牛内を経て、美幌へ向けて大きく東に湾曲しているのに気がつく。この不自然な形は、この地に線路を通す際、美幌を外すことができなかったことをうかがわせる。実は網走線の最初のルート選定の段階では、端野から美幌を通らず、網走湖の西岸を通すルートが考えられた。これに対して美幌の有志が陳情と請願を行なったのだという。
当時、美幌は屯田兵や入植者で人口も増大しており、また美幌と釧路と結ぶ線路「釧美線」の建設計画も浮上。その強い陳情の結果「拓殖ノ関係上、美幌ヲ経テ網走湖東岸ヲ通過シ、網走市街ニ達スルノ得策ナルヲ認メ」とされ、最終的には美幌を経由するルートとなった。釧美線計画は「相生線」として北見相生までの一部区間が開通したが、のちに第一次特定地方交通線に指定され、昭和60(1985)年に廃止された。釧路までの夢を果たせぬまま使命を終えている。

女満別空港をかすめて網走湖畔を通り網走へ

デアゴスティーニ編集部

自然豊かな網走湖畔を縫って特急「オホーツク」がやって来た。希少なキハ183型100番代が先頭に立つ。

美幌からは大きく左へカーブして、北北東に進路を取る。網走川に沿った平坦地と丘陵の境目を縫うようにレールが敷かれ、線路の両側は樹林帯となっている。その木々の中に埋もれるようにして西女満別駅がある。短いホームと小さな待合室のみの無人駅だ。丘陵の上にはこの地方の「空の玄関」ともいえる女満別空港があり、この空港に最も近い。しかし、この駅で飛行機から列車に乗り換える者はほとんどない。
JR北海道が開発中のDMV(デュアル・モード・ビークル)は、軌道と道路の両用を走行可能な車両である。平成16(2004)年秋の本格的な実用試験の場所として、この地域を走ったことがあった。運転区間は北見〜女満別空港間。北見〜西女満別間は石北本線を線路走行し、西女満別付近で一般道路へと「モードチェンジ」、バスとなって空港を結ぶ試験だ。DMVがこのような形で実用化されれば、地方における空港アクセスのモデルケースとなりそうで興味深い。
次の女満別駅は網走湖畔にある。蒸気機関車現役の時代には、女満別〜呼人間の周辺が有名な撮影スポットだった。
特にファンに人気が高かった列車が、夜行急行「大雪5号」の編成のままやってくる普通1527列車(昭和40年代後半頃)。「大雪5号」の急行区間は札幌〜北見間のみで、北見〜網走間はそのまま普通列車として運転され「大雪くずれ」などと呼ばれていた。普通列車ながら、オロハネ10型というA・B合造寝台車やグリーン車のスロ54型なども連結。これをC58型蒸気機関車が牽引するのだからファンの注目を浴びないはずはない。網走湖畔の線路際にはミズバショウの群生地などもあり、彩りを添えてくれる。
列車は呼人を過ぎて、しばらく走ると再び穏やかな網走湖の湖面を車窓に眺める。周囲39.2kmの網走湖、湖の北側をかつて湧網線が走っていた。
やがて不意に湖が終わり、湖から流れ出る網走川を左手に見ていると、列車はゆっくりと網走駅へと到着した。網走線時代の初代駅はさらに東へ0.8km先の場所にあったというので、徒歩で訪ねてみた。のちに「浜網走」という貨物駅となった初代駅の跡地は、市街地の中に埋もれるように佇んでいた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/10/30


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