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長良川鉄道 美濃太田~北濃

【第62回】長良川鉄道 美濃太田~北濃


清流長良川に沿って美濃の山懐深くまで分け入る長良川鉄道。古びたレールバスが鎮座する、終端駅の草生した行止まり線は中部縦断鉄道構想の夢の跡。観光客誘致にひと役買ったトロッコ列車の運転も見合わされている現在、沿線は静かな生活路線の様相を湛えている。

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越前の国を目指し歩み始めた 美濃発北国行き鉄路の進展

デアゴスティーニ編集部

みなみ子宝温泉駅を発車するとすぐに、雄々しい姿を誇る長良川の渓谷が車窓を楽しませてくれる。国道から離れた大矢までの区間は、清流の煌めきが適度な香辛料となって、のどかな里山風景で旅人をもてなしてくれる。

「昔は越美線も関へ出稼ぎに行くお客で賑わったもんですよ」
「関へ働きに行かれていたんですか?」
「そう、刃物を研ぐ仕事ね。包丁とか鋏とか。この辺りの人も畑が暇になると、泊り込みで出掛けていったものです」
長良川鉄道の終点、北濃から線路と並行する国道をぶらぶらと散策していると、畑仕事に精を出すおじさんに声をかけられた。列車の写真を撮り歩いていること、季節の移ろい、そして長良川鉄道ののどかさなど、とりとめのない談笑の中で、ふと、おじさんの口から出た「出稼ぎ」という言葉の響きが、60km程度の距離である関市と奥美濃との間を、数値以上にはるかな道のりであるかのように感じさせた。
現在、第三セクターとして営業している長良川鉄道が走る経路に、旧国鉄路線が開業したのは大正12(1923)年10月5日のことだった。新路線の起点となった美濃太田から美濃町(現・美濃市)までの17.7kmが、美濃地方の中央部を横切る都市間連絡交通として誕生したのだ。もっとも、この美濃太田から高山本線とは別ルートとなる、北を目指す鉄路は、当初の計画では「長良川が作り出した谷あいへ分け入りながら北陸地方に横たわる面白山地の南部を越え、越前の奥座敷である大野を経て福井に至る」という壮大な中部地区縦断路線となるはずであった。
この鉄路の建設は、福井側からも進められた。ただし、南福井〜越前花堂〜勝原間が「越美北線」として開業したのは、岐阜側の路線が北濃まで到達してからかなり後年となる昭和35(1960)年12月15日。しかし、この時期にはすでに沿線利用者の著しい減少傾向が続いていたことなどから、山岳縦断構想は潰えていたようだ。結局、越美北線は昭和47(1972)年12月15日に勝原〜九頭竜湖間が延伸開業したところで行く手を止めた。九頭竜湖と長良川鉄道北部における主要駅の1つ、美濃白鳥との間には、路線バスが国鉄バス(のちにJR東海バス)によって運行されていたが、これも平成14(2002)年をもって廃止になった。長良川鉄道、越美北線双方の沿線には、いくつかの観光名勝や行政上の主要な町が点在しているが、岐阜と福井という文化的に異なる地域を、公共交通を利用して行き来する人の数は決して多くはないようだ。

ほぼ一年おきに延伸を繰り返した越美南線

デアゴスティーニ編集部

国鉄時代から越美南線で運転されていた「清流ながら号」。無蓋貨車を用いたトロッコ列車の草分け的存在だった。

一方、高山本線の支線として出発した「越美南線(現・長良川鉄道)」は、年を追うごとに延長開業を重ねてその営業距離を延ばしていった。そして、新線開業から3年を経た大正15(1926)年7月15日には、美濃町〜板取口(のちに美濃立花に改称、現・湯の洞温泉口)間が開業。それ以降は、郡上踊りで名高い郡上八幡へ至るまで、長良川岸の小さな集落を1つずつ結ぶようにして、ほぼ1年おきに延伸開業が繰り返されていった。昭和2(1927)年4月10日に板取口〜美濃洲原(のちに木尾に改称、現・母野)間、昭和2(1927)年10月9日に美濃洲原〜美濃下川(現・大矢)間、昭和3(1928)年5月6日に美濃下川〜深戸間、昭和4(1929)年12月8日に深戸〜郡上八幡間がそれぞれ開業した。
郡上八幡から先の北進事業は、昭和恐慌の影響を受けてか若干ペースが落ちた。しかし、昭和7(1932)年7月9日に美濃弥富(現・郡上大和)、昭和8(1933)年7月5日には美濃白鳥までと現在も役場などの行政施設が設けられている地域の中心地まで路線は延伸した。そして昭和9(1934)年8月16日、ついに鉄路は現在の終端駅である北濃までおよび、最初の部分開業から11年の時をかけて越美南線がその全貌を現したのだった。
そんな鉄道到来前夜の奥美濃へ思いを馳せていると、おじさんの「出稼ぎ」という言葉が、ますます生々しさを帯びてくる。歩いて3日がかりで行き来したという「町場」へは、現在では1日で行くことができる。朝一番の「デーゼル」に乗れば、ひと用事を済ませても昼過ぎには戻って来られる……。越美南線は沿線住民にとって、関や岐阜といった美濃地方の中心都市を身近に引きつける「魔法の路」であったに違いない。しかし、全通から70年余りを経た現在、北濃駅のホームから望まれる山並みの険しさは、この路線が今日置かれた厳しい経営状況を暗示しているかのように見えた。

新興住宅と山里と渓谷……さまざまな情景が展開する車窓

デアゴスティーニ編集部

長良川が作り出した谷には小さな集落が点在する。それらをひとつずつ結んでいく「長鉄」は文字通りの生活路線だ。

清流を車窓に望みながらの汽車旅、という印象が強い長良川鉄道で、実際に長良川の渓谷美を車内から楽しめる区間は、美並苅安から徳永辺りまでの20kmほど。最初の開通区間である、美濃太田から美濃市にかけては地方都市の近郊区間という面持ちで、田園風景の中に新興住宅地が織り交ぜられた今日の郊外的な風景が続く。美濃市の手前になるとちょっとした丘陵越えがあるものの、里山を切り分けるように高速道路の高架橋や高圧鉄塔が目立つ様は、たまの休日に街暮らしから抜け出した旅人にとって、日常生活の延長上にあるお馴染みの光景と映る。
旧街道筋の装いを残す家並みが印象的な梅山付近を眼下に見る辺りから、列車の周辺を取り巻く緑が密度を増す。短いトンネルをひとつ潜ったと思ったら、ようやく列車の窓越しに長良川がちらちらと見えた。美濃太田を出発してから約30分。丸っこい妻部がかわいい小坊主のような表情を見せる気動車は、いよいよ長良川が作り出した深い谷筋を北上し始めた。川と同時に東海北陸自動車道の高い高架橋が現れた。線路近くへ無遠慮に落ちる、その大きな影が目障りだが、線路は川を渡るとすぐにトンネルへ入り、出口を抜けると線路界隈は再び鬱蒼とした木立に覆われる。
中流域で激しい蛇行を繰り返している長良川に対し、線路は右へ左へとカーブは多いものの、地形をなぞるわけでもなく集落の間を結んでいる。端山を短いトンネルで潜っては少し川沿いに走ったり、鉄橋を渡ったりというロケーションがしばらく続く。昭和初期における地方路線の建設では、長大トンネルで直線的にルートを築いていく工法はまだ一般的ではなかったが、いかにも暴れ川という雰囲気の曲がりくねった地形をトレースする経路はあまりに無駄が多いと判断されたのだろう、切り立った山裾と川の間に線路が続く区間は思いのほか短い。そのため、長良川は思い出したように深い山影から、ふっと姿を見せたかと思ったら、並行する国道とともに視界から消えてしまう。それでも川を望める駅間の距離は、当線における全営業キロ数である72.1kmに対して4分の1を超える距離を占めていることになるから、長良川がこの路線の旅で象徴的な車窓の華であることは間違いないのだが。

透明感に満ちた景色を映し出し 濃密でゆったりした時間を刻む

デアゴスティーニ編集部

相生から郡上八幡方へ1km余りの区間では線路が川岸を忠実にトレースし、ゆったりとした流れをつくる長良川の展望を堪能できる。前方で線路へ覆い被さらんばかりに聳える山並みが渓谷鉄道の雰囲気を高めてくれた。

列車は、この旅で最も渓谷らしい風情を楽しめる、相生を中心としたエリアに差しかかった。ここから、1kmほどにわたって長良川の景色が繰り広げられる。
線路の東側を流れるその水面は、長い年月をかけて削られるうちに荒々しい表情となった岩場で彩られている。川の色は透明感に満ちた空や山を映し出し、引き込まれそうなくらいに濃密だ。
また、いわゆる川線区間で平成14(2002)年4月4日に新設された駅「みなみ子宝温泉」には、その名の通り温泉浴場施設が併設されている。周囲に民家はほとんどなく、自動車でやって来る利用客が圧倒的に多い実状だが、日中1時間に1本程度の運転となる列車からはタオルと風呂桶を小脇に抱え、連れ立って降りてくるご老人の姿があった。時間はまだ午後3時を回ったくらいだったろうか。ゲタ履きで鉄道を足代わりに銭湯ならぬ、温泉という優雅な生活環境がちょっと羨ましくもある。
この先、郡上八幡を過ぎると谷はやや開けた雰囲気となり、山岳路線特有の鬱蒼とした重圧感は、鳴りを潜めてきた。郡上大和、美濃白鳥と、まとまった数の家並みが目立つ街では、車窓越しに商店街なども垣間見られ、時折国道と並走する区間ではチェーン展開しているコンビニやDIY店の存在も目立つ。どうやら、存在感を薄くしつつある鉄道とは裏腹に、流通文化の均一化は、のどかな時が流れていた山間地域にまでおよんでいるようだ。のどかさは便利さと引換えに失われていく憧憬かな……。しかし、今でこそひなびた風情が溢れるローカル線も、開業当初はそれまでの里山風景に違和感をもたらしていたのかもしれない、とも思う。すべては時間がモノの形や色を、周囲の空気と馴染ませるのか……そんな思いが頭をもたげた。
朝の通勤・通学時間帯はとうに過ぎているとはいえ、美濃白鳥から先で乗客はついに3人ばかりとなった。「積載量」の軽さも手伝ってか、気動車は風を切って軽快に駆けて行く。左手に気持ちよく整えられた杉林が車窓を流れていったと思ったら、列車は終点に到着した。乗客が改札口を出て行くと、無人のホームに残ったワンマン乗務の運転士が、箒を手に車内を掃除し始めた。

蒸機列車を出迎えたいと思うほど 遠い日の国鉄の匂いが香る線路際

デアゴスティーニ編集部

北濃に現存する転車台はレトロな手押しタイプ。小型機関車が良く似合いそうな地方交通線然とした大きさだ。

北濃駅の駅前にはすぐに国道156号線があり、その向こうに長良川が流れている。周囲には国道に沿って民家が点在するばかりだ。訪問時には燃えるような紅葉が出迎えてくれたが、人気のない駅前に身を置いていると、やはりこの地を美濃から北へ向かう鉄道の終端とするには「惜しい」と感じた。山深い場所ゆえに鉄道が地域の足となる使命は感じられるものの、奥美濃の寒村で止まっている轍は車社会の現在、あまりに公共交通機関としての存在感が希薄なのは事実だとは思う。
しかしその反面、地図上ではすぐにでも手を繋げそうな北濃と越美北線九頭竜湖の間が、より歯痒さを募らせるのだ。使い古された小型気動車が押し込められている路線の終端部より先に長大トンネルが開かれ、越前の風が吹き込む高速軌道が実現していれば、長良川鉄道も、例えば比較的近年になって中国山中に新設された智頭急行のように、東海北陸のバイパス路線として成長し得たのかもしれないと思わずにはいられない。
国鉄の分割民営化よりも一足早い昭和61(1986)年12月11日に、第三セクター化されてからの鉄路は、大幅な駅の増設をはじめとした経営努力を重ねてきたが、自動車の普及と沿線人口の減少傾向から利用者は減少傾向が続いている。
ところがそうした厳しい懐具合が却って幸いしてか、各駅の随所には良き国鉄時代を髣髴とさせる建物や構内構造が残されている。「原形」の姿を色濃く残す大矢駅をはじめとして美並苅安、深戸、郡上大和、郡上白鳥、終点の北濃など、現役の木造駅舎でいぶし銀の表情を見せるものは少なくない。
さらに、それらの構内をつぶさに観察すると施設の壁、柱などのいたる所に「通票確認」「安全呼称」といった有人駅時代の表記類などが残っており、そうした細部の遺構がレプリカでは表現しきれない「本物」の味わいを醸し出している。北濃に残された手押しの転車台。渓谷をトレースし、シンプルなプレートガーダーの橋梁で渡る長良川沿いのか細いレール。そして忘れ去られたかのように草深いホーム跡へと姿を溶かし込んでいる大矢駅の引込線……。
そんな、遠い日の国鉄地方線と見まごうかのような情景を目の当たりにしていると、ここでC56クラスの小さな蒸気機関車が牽引する、小さな列車を出迎えたい気分になってしまった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/02/14


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