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真岡鐵道 下館〜茂木

【第67回】真岡鐵道 下館〜茂木


北関東ののどかなローカル線は、第三セクターとして再スタートを切り、地元と連携して2台のSLを導入するなど、鉄道事業への積極的な取組みも示している。その甲斐あって、全国のファンからも注目される元気ある鉄道へと進化した。

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色褪せたくたびれ気味のレールバスが旅を先導

トンネルも長大橋梁もない真岡鐵道は、やさしい地形に素直に敷設された穏やかな路線。沿線にはのどかな風景が展開する。視界を占める緑色の世界に、モオカ14が飛び込んで来た。背景に車体胴部の朱色が映える。

朝のJR水戸線下館駅は、ローカル線の中間駅にもかかわらず、活気づく駅だ。東西に伸びた水戸線の2番線ホームでは、今出て行った下り電車からの乗客たちが、出口や階段を目指して急いでいる。南側に隣接する関東鉄道常総線のホームには、クリームに朱と黒の帯の入ったディーゼルカーが並んでいる。そして反対の北側に、これから乗ろうとしている真岡鐵道のホームがある。
水戸線の2番線ホームと簡単な柵で区切られただけの1番線ホーム。さっきまで空だった1番線に、茂木からの上り列車が入ってきた。乗客が降り切ると、折返し茂木行きになる。車両は17年前の真岡鐵道開業時から活躍を続ける、モオカ63型レールバスの2両編成。塗装が褪せ、だいぶくたびれているようだ。
発車まであと3分という頃、3番線に水戸線の上り電車が到着した。乗換え客が何人か乗り込み、当初はまばらだった車内の客も20人強になっていた。出発信号機が青に変わって発車。前方のオーバークロス道路をくぐるまでのほんの150m、列車はJR水戸線と併走して進む。そしてすぐに、右へと小半径のカーブを切っていく。
住宅街と田園の入り混じった風景の中を進むと最初の駅、下館二高前に到着。駅名の通り、駅のすぐ北東に高校がある。平日の朝夕は、登下校の学生たちでさぞ賑やかなことだろう。線路脇で手を振る親子連れに見送られながら、列車はすぐに発車した。しばらくすると左手に交通量の多い道路が見えてくる。国道249号線だ。列車はこの先、折本、ひぐち、久下田と、ずっとこの国道と併走しながら進んで行く。そしてゆるい勾配を上りつつ、あまり乗降もないまま寺内までやってきた。
寺内を出て国道が離れていくと、次は線内最大の駅、車庫も併設されている真岡だ。何より目を惹くのが、同鉄道本社や地域情報センターが入る鉄筋4階建て駅舎。なんと建物全体がSLをモチーフにデザインされている。
列車はその巨大なSL駅舎の脇で、しばらくの間停車していた。

「凋落」から「再生」へ 100年を越える路線史

駅横に巨大な「SL」。楽しい外観の真岡駅舎には鉄道本社や情報センターも。展望デッキからは駅や車庫が一望できる。

真岡鐵道の開業は明治45(1912)年4月1日。下館〜真岡間16.5kmの真岡軽便線として、官設で敷かれた。……余談だが、この路線は通称「しんかんせん」と呼ばれていたようだ。もちろん、「新幹線」ではなく、両端の駅名を取って「真館線」なのだが……。翌大正2(1913)年7月11日には真岡〜七井間12kmが開通。残る七井〜茂木間が開通したのは大正9(1920)年12月15日のことだった。そして全通から2年後の大正11(1922)年9月2日、線名が改称され、正式に「真岡線」となった。昭和29(1954)年2月1日には、キハ17型が入線。早くも旅客列車が全便ディーゼルカー化されている。さらに、昭和37(1962)年10月1日には、同線初の優等列車、準急「つくばね」が上野〜真岡間で運行を開始。のちに上野〜茂木間への運行区間延長や、準急から急行への格上げなどを経て、昭和43(1968)年9月30日まで運行された。
そして昭和45(1970)年3月5日、貨物列車に残っていたSLが廃止となり、これで同線からSLは姿を消した。昭和53(1978)年10月1日には、益子〜茂木間の貨物営業を廃止。昭和57(1982)年11月1日には、下館〜益子間も貨物営業廃止となった。そして、昭和59(1984)年6月には、国鉄再建法に基づき廃止対象の第二次特定地方交通線に指定されてしまう。地元は真岡線の存続を図るため第三セクター化を選択し、昭和62(1987)年の国鉄分割民営化に伴うJR東日本への暫定移管を経て、昭和63(1988)年4月11日に真岡鐵道として再出発を切ったのである。 実はこの真岡鐵道、かつては終点の茂木からさらに路線を延長するという計画もあった。長倉宿(茨城県東茨城郡御前山村)に至る、「国鉄長倉線」と呼ばれるものだ。建設には着手し、路盤も途中まで完成していたが、結局未成線で終わってしまった。今でも茂木から北へ伸びていく築堤が、はっきりと見られる。

SL列車の運行開始 進化へのさらなる一歩

国鉄の蒸気機関車の中では小ぶりなC12だが、煙を吐き吐き迫ってくる姿は迫力満点。この魅力が子供たちを惹きつける。

停車中の真岡駅では、さまざまなものが目を楽しませてくれる。下館方には線路を挟んで、貨車をはじめDE10型ディーゼル機関車、そして2両のキハ20型ディーゼルカーなどが静態保存されている。その内のキハ20 247はJR真岡線の下り最終列車として真岡に到着したまま、現在の姿になっているという。さらに興味深いのが、左手の車庫の一角に見えている黒光りする小ぶりな特徴ある蒸気機関車。真岡鐵道を語るうえで忘れてはならない。
真岡鐵道が保有しているSLは、C12 66とC11 325の2両。SL列車「SLもおか号」は平成6(1994)年3月27日より、まずはC12 66のみでの運行を開始した。同機は福島県伊達郡川俣町の団地に静態保存されていたものを、JR東日本大宮工場で復元したものだ。もともと、国鉄蒸機時代に真岡線を走っていたのはC12型だったため、馴染み深い汽車の返り咲きとなったわけだ。一方のC11 325は、新潟県水原町の中学校で静態保存されていたものを平成8(1996)年3月に譲り受けた車両である。しばらくは真岡駅構内で保管していたのだが、同じく大宮工場で復元工事を施され、平成10(1998)年11月1日より運行に加わっている。
真岡鐵道のSLには、おもしろい特徴がある。それは「他社にも貸し出される」ということだ。これまでにJR東日本やJR北海道に貸し出されており、只見線への貸出しなどは、ファンに人気の恒例行事となっている。
さて、真岡駅に停車中の列車もそろそろ発車の気配。だが、あいにく今日は平日のため、窓の向こうに見えているC12 66は、煙も蒸気も吐いてはいなかった。

山間へと入り込む清々しい後半部 コットンウェイと陶芸の里

茂木駅に到着したSL列車は、折返しに備えて方向転換を行なう。その作業を間近で見ようと見学通路に乗客が溢れる。

運転士の交代を終え、少し乗客も入れ替わった列車は、真岡駅をあとにした。
ずっと北行してきた線路だが、次の北真岡の手前で東へ向きを変える。田園風景の中をトコトコと走りながら、西田井、北山と列車は停まって行く。
真岡鐵道は「コットンウェイ」の愛称でも親しまれている。江戸時代末期、文化・文政、天保年間に真岡では年産38万反もの木綿が生産され、江戸の問屋が扱う木綿の60%を占めたという。この「真岡もめん」とSLがレールを踏む「コットン、コットン」という音にちなんだネーミングなのだそうだ。
進行方向が再度北に変わると、益子に到着。ここは言わずと知れた陶芸の里。意匠を凝らした近代的な駅舎と、木組みを多用したホーム周辺とが、いい具合に調和している。しかし、構内配線はホーム1面に1線のみの棒線構造。有名観光地の玄関駅にしてはちょっと寂しい。西側に広がる側線跡に、かつての賑わいがわずかながら偲ばれる。
七井、多田羅と、列車は北に向かって淡々と走る。そういえば、真岡鐵道にはトンネルがひとつもない。鉄橋も小さいものはあるものの、長大なものはない。これは地形がやさしく、それに対して素直に線路が敷かれているからだろう。のんびりとした雰囲気は、そこからくるのかもしれない。
列車は市塙の先で、またしても東に進路変更。いつしか田んぼだった車窓の緑が、トウモロコシ畑に変わっていた。列車の送る風が、穂をそよがせながら畑を渡って行く。遠くに低かった山が、かなり近くに迫ってきた。だいぶ山間に入り込んだ感がある。笹原田を過ぎ、天矢場を出ると、それまで緩い勾配で徐々に稼いできた高度を一気に駆け下りる。
下館を発して1時間あまり。全長41.9km、運賃がぴったり1000円の旅は、この坂の下に広がる盆地の集落、茂木でもうすぐ終わる。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/07/15


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