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信越本線 長野〜妙高高原

【第68回】信越本線 長野〜妙高高原


長野県北部を縦断する幹線として発展を遂げた信越本線北部。本州の中央部を駆け抜けた特急列車の姿はすでになく、ローカル線の雰囲気を湛えるようになって久しいが、長野から妙高高原へ向かう経路は、今なお山岳路線の魅力が一杯だ。

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ようやく届いた寒波到来の便りに想いは信州の山を彷徨いはじめる

長野市の郊外は、東西をなだらかな丘陵で囲まれた田園地帯だ。盆地名物の朝霧がようやく晴れ始め、低い陽光が築堤に降りた霜を溶かし出した頃、周囲ののどかな情景に似つかわしい、飯山線からの乗入れ車が来た。

年末から続いている温暖状態から、各地のスキー場が雪不足に悲鳴を上げていたある年の冬。ニュースの映像に映し出された枯野が広がるばかりとなっている越後湯沢のゲレンデは「これが1月の上越線沿線か?」と我が目を疑いたくなるような光景だった。そんな中、カレンダーの最初の1枚が捲られようとする頃になり、ようやく今シーズン初の寒波が日本列島を駆け抜ける、と天気予報が伝えてきた。北陸地方より北では山間部でひと晩に50cm以上の降雪が見込まれているという。
こうなると温暖な地域に住んでいる旅好きにとっては、やおら冠雪を頂いた秀峰が彩る山岳路線の車窓が気になりはじめる。沿線に流れるすべての音をことごとく吸収して、時が止まったかのような静寂の世界を造り出す雪原の向こうにアスピーテ形の稜線が聳えている……。そんな情景を思い浮かべていたら、黒姫山の麓を列車が駆ける、信越本線の景色が脳裏でイメージと同調した。
流れ続けている予報によると、「週末には寒気が抜け、各地で晴天が期待できそう」とのことだ。そんな耳寄り情報に、半ば反射的に、傍らのパソコンから長野行きの1番列車をネット予約した。

豊野まで山列車の露払いを務める 飯山線の気動車列車に乗り込む

特急型の189系で運転される快速「妙高」。長野駅のホームに佇む姿には、信越本線特急時代の華やかさがある。

朝の混雑もひと息ついた長野駅の構内には、冬ならではの優しい陽光が射し込んでいた。改札口の近くに掛けられた時刻表で直江津行き列車の発車ホームを確認して4番線乗り場まで来たのだが、当座のホームには乗り込むべき電車ではなく、「戸狩野沢温泉」と行先を表示したキハ110が人待ち顔で停まっている。時刻表を見た時には気づかなかったのだが、飯山線の下り列車が信越線の列車よりも15分ほど先に発車するようだ。
飯山線で長野口の列車はすべて長野駅を始発終点としているので、豊野までは信越本線上を走っている。短い旅ではあるものの、異なる種類の列車に乗る機会が得られるのは、けっこう楽しい気分にさせられるものである。それでは、この「信越本線の列車」に乗り込むとしようではないか。

春まで眠りに就くリンゴの木が車窓を規則的なリズムで流れた

三才〜豊野間では車窓から長野新幹線車両センターが望まれる。早朝には仕業に出るE2系の並ぶ様子が見られる。

北長野を発車すると、すぐに長野電鉄長野線がオーバーパスし、長野電鉄と並行して流れている南浅川を渡る。さらに新幹線の高架橋が再び信越本線の東側へ移り、3路線がせわしなく交差する。長野駅を発車して10分ほどすると、車窓には規則正しく植えられた果樹園が目につきはじめる。長野の郊外は全国でも五本の指に数えられるリンゴの生産地だ。そのためか、この辺りの信越本線とは少し離れた場所を走る国道18号線沿線には、リンゴ狩りや産地直販の看板がやたらと目立つ。
それとは対象的に列車からの眺めは、看板などのほとんどない、朴訥とした素朴な農村風景が展開する。そんな道路と鉄路の沿線風景は「生活の足は鉄道で、行楽の足は自動車」という交通の二極化をちらりと表現しているような印象で、鉄道に乗って行楽に興じたい身としては、なんとも複雑な気分になってしまうのだ。
さて、車窓の向こうに目をやれば須坂、小布施など、千曲川東岸の町を隔てて冠雪の山並みが遠望でき、信州らしい山と町の融合を楽しむことができる。町並みの手前の畑の中には、数編成のE2系電車が顔を覗かせている。長野から付かず離れずの間合いで並行してきた新幹線の車両基地だ。ゆっくりと流れる順光に浮かび上がった模型のような情景が、「鉄っちゃん」の視線を当然のごとく引き付けてくれる。
その、長々と横たわる車庫がのどかな田園風景の中に掻き消されたところで、列車は豊野へ到着した。

複線区間の雰囲気がしばし続く豊野ジャンクション界隈の鉄路

飯山線が分岐している豊野駅。構内の北側で数百mにわたって直線的に続く4条のレールには幹線の趣がある。

飯山線の分岐駅である豊野は、黒姫に向かって続く山岳区間へのアプローチ地点だ。ホームは上下線が互い違いの位置に設けられ、若干雑然とした構内の様子は、JRというよりは地方私鉄の風情である。豊野から分岐する飯山線は、大正10(1921)年に飯山鉄道として開業している。飯山線が国有化されたのは昭和19(1944)年と比較的遅い時期に当たるので、離れたホームは旧国鉄と民間路線の乗換え駅当時の名残なのかもしれない。
長野駅の発時刻と同じ時間差で姿を現した列車は、空色と淡い灰色を基調とした「長野色」の115系。これこそが現在の信越本線で活躍するローカル列車、本来の姿である。
豊野から2km弱の間、真っ直ぐに敷かれた線路は飯山線と並行する。飯山線の線路上には架線が張られていないので異なる路線であることはすぐにわかるのだが、それでも複線の雰囲気は十分だ。飯山線が豊野から分岐したのちの、最初の駅である信濃浅野の手前で両線が「ハ」の字を描くように左右へ大きく離れていく。この辺りから信越本線は、鳥居川の流れを遡って古間まで20‰前後の急勾配となる。こうなると、いよいよ本格的に山間部へと足を踏み入れた行く手の冬山の絵画的情景を、ついつい勝手に期待してしまう。
この、北陸側へ抜ける険しい山越えルートに鉄道が開業したのは、明治21(1888)年5月1日のことである。日本海の港町直江津からの資材輸送という大きな使命を担い、すでに官設鉄道として関山までの区間が開業していた路線は、いよいよ近代北国街道の開通に漕ぎ着けたのだ。新規開業区間である関山〜長野間には当初、田口(現・妙高高原)、柏原(現・黒姫)、牟礼、豊野の各駅が設置された。
路線名の通り、開業時より「信州」と「越後」を結ぶ主要幹線という性格を帯びていた信越本線は、昭和41(1966)年8月24日に長野〜直江津間が電化される。さらに、輸送の需要増が見込まれた昭和50年代には複線化が計画され、昭和55(1980)年9月17日に黒姫〜妙高高原間の、1駅間が複線開業した。
線路の北側に川の流れが続き、左右を急峻な山で蔽われている牟礼までの道。日足の短い冬の旅ゆえ、外を流れる谷景色は日影の部分が多い。その切り立った斜面には、土砂が崩れ落ちている箇所もちらほら見られて、少々おどろおどろしい。今から一世紀以上も前、ほとんど人海戦術に頼るしかなかったのであろう、鉄道建設に秘められた労苦の跡が、険しい表情の車窓に浮かんでいるかのようだ。

山岳路線の序章は冬枯れの行脚25‰の急坂で高度を上げていく

電化に際して、旧来からあったトンネルのいくつかは、断面積が大きな形状を持つ電車対応型に振り替えられた。

列車は高度を稼ぐも、思い描いていたような白い綿帽子を被った渓谷は一向に姿を見せてくれない。その代わりに、次の駅が近づくにつれて谷間が広くなり、薄茶色の枯れ山が外を流れるばかりである。車窓を「ジッ……」と見据えている視線の先を察したのか、隣に腰掛けたご婦人が声を掛けてくれた。
 「2〜3日前までは、この辺りも真っ白だったけれどねぇ。まあ、黒姫まで行けば雪がまだあるはずですよ。あそこは高い所にあるからね」
慰めにも似た言葉を虚ろに聞いているうちに列車は牟礼に到着。1番ホームには一駅一品運動で設置されたという天狗の像が置かれ、その手を振る姿が「そんなに気を落とさずに」と元気づけてくれているように思えてくる。そんな優しい(?)天狗に見送られ、牟礼を発車して国道18号線を潜ると、再び線路際へ寄り添ってきた鳥居川とともに、列車は渓谷の細道を辿りはじめる。
急カーブを切り、窓の外に列車の先頭部がチラつくと、床下から響いてくるモーターの唸りが微かに高くなってきた。山岳路線仕様の強力な走り装置を備えた115系は、淡々と行程を踏んでいるが、実はこの周辺で勾配標は25‰を指しているのだ。
古間駅が近づき、列車は短い2本のトンネルを潜る。これらは昭和41(1966)年8月24日の長野〜直江津間電化に対応して、従来よりも広い断面形状で新規に掘られたものである。山中に開けられた暗闇へ突入する直前で、現在は道路として使われている石積みのトンネルポータルが視界を過ぎる……と、ひとつ目のトンネルを抜けた所で、周囲の田園風景が、ついに白銀に変貌した。

躍り出た高原駅は白銀の別世界 黒姫山の偉容が出迎えてくれた

古間から黒姫にかけて、ゆったりとした稜線を広げる黒姫山が全貌を現す。下り列車の前方に立ちはだかる姿は雄々しい。しかし、冬場の柔らかな順光線下では、ふくよかな日本女性を思わせる優しい表情を見せてくれる。

念願の「雪」だ。
やっと出会えた白い風景を前に、思わず古間駅のホームへ飛び出す。左手に大きくカーブを描いて去って行く列車を見送ると、その奥に丸みを帯びた白銀の三角形がわずかに顔を覗かせている。長野、新潟の両県に跨る妙高山の山頂付近である。
出発前に描いていた旅程では、ホームから黒姫の山容を望むことのできる黒姫駅で下車して、周囲を散策する予定でいた。しかし、高原らしい澄み渡った青空にあっさりと予定を変更だ。古間と黒姫の間を線路近くの道に沿って歩いてみよう。
駅前から延びる道は一昨晩の降雪にもかかわらず、きれいに除雪されていて快適に歩けそうだ。右手に線路を見ながら国道18号線の方へ向かうと、やがて針葉樹の森が視界の両脇を取り囲み、しばしの森林浴気分を味わわせてくれる。それらの木立が途切れると、正面に開けた黒姫の町並み越しに、なだらかな台形を描く黒姫山が姿を現した。少し視点を左手に移すと、三角定規の長辺を下にして置いたような形の飯縄山や霊仙寺山も見える。雪景色の中では、いずれも標高2000m前後の中庸な高さの山々が神々しい。
国道を黒姫駅の方へ向かって歩いて行くと、信越本線を跨ぐ辺りで、今度は線路の背後に黒姫山が鎮座した。二十数年前、この情景をひと目見たくて、雪道に足を取られながら訪れた時と、ほとんど変わらない「山背仕立て」の風景にしばし見とれる。ほどなくして、特急時代と同じ塗色を纏う、189系電車の快速「妙高」が足下を駆け抜けていった。わずかに巻き上がった雪煙に、189系が特急「あさま」として現在の「妙高」よりも長編成で信越路を頻繁に行き交っていた、国鉄時代の雄々しさが重なった。

ゆったりとした複線の配置は冬将軍に備えた豪雪地帯の証

古間駅までやって来て、ようやく白銀の世界と出会えた。青空の下で、一面の雪原が眩いばかりに輝いていた。

189系の艶姿を満喫すれば、ここから1.5kmほどの黒姫駅への足取りも軽い。やって来た直江津行きの普通列車での列車旅、再開である。妙高高原までは、信越本線でたったひと駅間の複線区間だ。
散りばめられた雪原の白さが眩しい。高原の畑作地帯を横目に、車窓に美しく広がる黒姫の山容を堪能していたら、不意打ちを食らわすかのように黒々とした針葉樹の木立が、ふいに視界を遮る。続いて、長野行きの上り列車とすれ違う。窓を揺さぶる風切音がほんの一瞬、人煙稀な山岳区間に幹線の賑々しさを連れてきた。
野尻、赤川と2本の少し長めなトンネルを潜って、列車は見る間に高度を下げていく。山影に垣間見られる国道18号線の旧道は黒姫側から九十九折れの急坂になっているので、道路よりも山裾を迂回している鉄道も、かなりの勾配で下り込んでいるはずだ。山間の開けた西側後方に架かる国道のバイパス橋を遠望しながら、ローカル電車は北へ、北へと進路を取る。
列車の向かう先、妙高高原駅の手前に流れる関川が県境の目印だ。雪化粧も取れず、春にはまだほど遠そうな面持ちの流れをひと跨ぎすると、そこはもう新潟県である。さて、ここからは県境のシンボル的存在である、妙高山のビュースポットへ向かうとしよう。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/08/15


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