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信越本線 妙高高原~直江津

【第69回】信越本線 妙高高原~直江津


車窓の向こうには妙高山が全貌を現し、かつて陸路と海路が会合した海辺の町へ向かう行路で、途中駅に設けられたスイッチバックが旅の楽しさを盛り上げる。信越国境は鉄路敷設の苦闘の歴史を垣間見せながら、豊かな実りを育む上越の平野へと流れ込む。

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秀峰に急勾配そしてスイッチバック これこそが信州鉄路の三大アイテム

真っ白く雪化粧を施された田園の向こうに妙高が凛とした姿を見せる。信越山線から特急列車は姿を消して久しいが、「あさま」などで活躍した189系は快速運用に活路を見出している。そのいでたちは特急時代とほぼ変わらない。

信州を巡る鉄路といえば、車窓を飾る日本アルプスの秀峰はもちろんのこと、山越え区間で見られるスイッチバックの線路形状にも、大いに興味をそそられるものがある。
行く手には険しい勾配が立ちはだかり、鬱蒼とした森の中で電車のモーター音は重々しく響く。山越えの力闘が続く最中、ゆったりと流れる車窓から、列車の速度が「小走り」ほどまでに落ち始めたと感じた次の瞬間、前方に知恵の輪みたいな形状をしたシーサスクロスが現れる。ポイントの上で列車は本線から離れ、行止まりホームが設けられている小駅に停まったかと思うと、わずかな停車時間ののち、今までの進行方向とは逆に動き始め、本線を跨いでホームや駅舎と対峙する引上線へ、スルスルと滑り込んでいく。やや間をおいて外の景色が再び逆方向に流れ、列車は本線に復帰。まるで何事もなかったかのように旅程を進めて行く……。途中駅の構造までは思いもおよばない旅行者にとっては、短い時間で右へ左へと動きを変える列車の動作は小さな驚きとなり、スイッチバックの存在を知っている者にとっても、その線形はいかにも山越えの難所を人知で克服しているかのごとき、頼もしい施設と映るのだ。
そんな山岳路線の象徴ともいえるスイッチバックだが、列車の運転に、複雑かつ時間がかかる動きを強いられることは輸送上の弱点となっていることも否めない。そのため、近年では車両の高性能化や路線の経路変更などが進められる中、その個性的な姿は次第に姿を消しつつある。
信越本線関山〜二本木間は、かつてスイッチバックが連続し、高原に複雑な線形が入り組んでいた。その様子はスイスの登山鉄道と見まごうかのような山路の魅力が凝縮された区間であった。現在、関山駅のスイッチバックは撤去されているが、未だに旧構内はその佇まいを残しているという。また、防雪林の向うに妙高山の雄姿が聳える沿線風景は数十年来も変わらず、旅人を澄んだ大気の渦中へと誘なってくれる。

普通っぽい姿をした山間駅の傍らで錆にまみれたポイントが手招きする

現在の関山駅に用いられているプラットホームからは、スイッチバック時代に使われた引上線跡が望まれる。

消えゆく残像と今を生きる分岐器の鼓動という、両極端なスイッチバックのある情景を体感すべく、妙高高原から直江津行きに乗車した。窓越しにはるか下方の谷を覗き込めば、すぐ目の前を流れる冬枯れの枝もまた、緑の季節とは異なる自然の造形と映る。左手に家屋のまとまった集落が遠望されるようになると、3両編成の電車は緩やかな曲線ホームの関山駅に、滑らかな足取りで流れるように滑り込んでいった。
江戸時代より北前船の寄港地であり、商港町として栄えた直江津を中心として計画された鉄道網の中で、直江津〜関山間は最も早く実現化された区間である。
官設鉄道として建設された鉄路は、明治19(1886)年8月15日に開業を見た。その後、この山間のささやかな集落が約2年間にわたって鉄路の終点駅であった史実は、関山以南での厳しい鉄道敷設工事をうがわわせる。特に、妙高高原駅〜関山駅間の大田切沢に横たわる築堤の建設は、信越本線における敷設工事の中で、碓氷峠の碓氷トンネル掘削と並ぶ難工事であったと伝えられる。
谷間を切り開き、うず高く土砂を積んで造った高い築堤。そこへトンネルを掘って線路と並行する関川の支流である大田切川の水を流す建設事業には、約30万人の労働者が従事した。そして、人海戦術による当時の土木工事を取り巻く労働環境は、落盤事故や疫病の蔓延で79人もの犠牲者を出す。随所で難工事を克服し、長野までの区間が延伸開業したのは、明治21(1888)年5月1日であった。そんな悲話を孕みながら完成した石積の巨大な坑洞は、完成から100年以上を経た今日も、鉄路を支える黒子として機能している。
現在は、列車の交換設備こそ備えているものの、1面2線ホームの平凡な線路形状である関山駅は、昭和60(1985)年まで構内に大規模なスイッチバックを持ち、まさに信越山線を象徴する仕様の駅であった。下り列車の先頭部付近から前方を望むと、正面に聳える防雪林の左手に絡み合った線路が見える。これが旧関山駅構内の中心部付近だ。
現役の本線と隣接した鉄道遺構は、車窓から傍観して通り過ぎようとしている旅人を「ようこそ、ぜひこちらへ!」と手招きしているように映る。ドアが開くと同時に、自然と足は軟勾配の上に設けられた関山のホームに向いた。

逝ってしまった分岐器や標識の数々 その全貌は防雪林の陰に隠れていた

駅の移設以来、この駅名標は手入れされることも取り払われることも忘れ去られたように、風雪に晒されつつ、時の流れを見つめ続けてきたのだろう。あばた顔となった白地に浮き出す、斑点模様の赤錆が痛々しい。

階段を上り、ホームより高い位置に設けられた駅舎を潜って外へと向かい、駅前の道を二本木方向へ歩いて行く。線路の北側に接して密集している家並みは、かつての駅前通りだろうか。右手の民家が途切れた辺りで枯れ草に被われた錆びたレールが現れた。その向こうには、かなりの年月にわたって使われていないことがひと目でわかるような、荒れた風貌のプラットホームが横たわっている。道路の近くには広めの空き地がある。かつてこの一帯には、駅舎をはじめとした鉄道の主要施設が建っていたのだろう。空き地の一角には、洒落たデザインの家が建ち、傍らでは住人らしいご夫人が愛車の洗車に余念がない。
忙しそうに手を動かしていたが、昔の話しなどをうかがえればと声をかけてみる。しかし、一家がここへ引っ越してきたのは4年ほど前だそうで、自宅のある土地や家の裏に広がる、駅と思しきものの素性は知らないという。それでも、いくつものポイントが組み合わせられていたはずの幅が広くなった道床部分を見つめていると、そこにスイッチバックを行き交っていたD50やD51の勇壮なドラフトが重なってくる。発車の際には、黒煙はゆっくりと上空の彼方まで、立ち上っていったことだろう。折しも、防雪林越しに伝わってきた電車の通過音が、憧景と現実の境目を埋めようとしているかのように聞こえてきた。
枯れ尾花が住人となっている島式ホームへ上がってみる。本線のある方向には防雪林が1kmくらいの長さで整然と隊列を組んでおり、まるで朽ちていく構内を車窓から覆い隠しているかのようだ。
それでもホーム上には駅名標が立てられたままになっており、停車場としての体裁を辛うじて保っている。4つある駅名標のうち、2つは記載された文字が判別できないほどの錆びようだ。駅名が判読できるものも、文字の記された黒いペンキの部分を残して全面が錆色に染まり、刻々と風雪に浸食されている。その姿はまさに駅のミイラという表現が相応しい。手で少しでも触れようものなら、ハラハラと崩れ落ちてしまいそうな駅名票の塗料が、むやみにかかわってはいけない、呪文のような魔性を孕んでいるかのようである。少しずつではあるが、確実にその存在を消している旧関山駅の構内からは、消えていくモノのはかなさが漂ってくる。

西方に鎮座する妙高山は今でもアルペンルートのランドマーク

プラットホームから線路が延びている方を眺めると、スイッチバックの中心部を正面から見ることができる。分岐器が織り成す線路の重なりは、鉄路を象徴するがことくに力強く映る反面、工芸品にも似た繊細さを醸し出す。

異次元からやっと抜け出したような、若干、虚ろな気分で現在の駅に戻った。すると現ホームの下方にも、草生したかつての引上線跡が見える。再び引き込まれるように、遺構をぼんやりと眺めながらホームで佇んでいると、旧駅の呪縛を解くように遠く妙高高原方でヘッドライトが眩しく光を放った。やって来た直江津行きは快速「妙高」だ。この列車には在来線の特急「あさま」などで活躍した、特急型車両の189系電車が用いられている。
優等車両らしく、乗降ドア通路と客室部分を仕切っているドアを開けて中へと入る。座席の頭が当たる部分にクロスが掛けられていないことを除けば、客室内の仕様は特急時代とほとんど変わっていない。シートはゆったりとリクライニングするし、中枠のない広い窓から眺める展望は快適だ。そのうえ、晴天に恵まれた沿線では、鎧兜のような男性的出で立ちが魅力の妙高山を始めとした冠雪の山々が華を添えている。白と枯れ色の斑模様が目立っていた山里も、二本木へと至る棚田は未だ真っ白な化粧が剥げることもなく、銀盤の様相を呈していた。
この辺りは、普段であれば車体の半分くらいが雪の壁に被われていても不思議ではない区間だ。よく見れば日当たりの良いあぜ道部分は、雪の層が耕作地よりも解けて薄くなっているせいかやや黒ずみ始めている。空色と白が織り成す穏やかな冬景色も、そう永くは続きそうにないことを予感する。
二本木駅までは、沿線のゆったりとした田園風景からは意外なくらいの急勾配を下る。車窓を流れる景色に、再び枯れ野が目立つようになると、列車はブレーキ音をきしませながら、二本木駅の構内へ滑り込んで行った。

目的地に向かって列車は右へ左へ 鉄道旅行を楽しくさせるその動き

特急運用時代には通過していた二本木のスイッチバックを行き来するのは、快速「妙高」で活躍する189系電車。編成は6両と特急時代よりも短縮されたものの、「あさま」塗色のままで信越山線に君臨する姿は頼もしい限りである。

関山駅がかつてのスイッチバック駅であったのに対して、二本木駅は現役のスイッチバック駅である。本線上にホームと引上線へ渡る分岐装置が組み込まれた構内配線なので、駅に停車しない列車はスイッチバックを行なわずに通過することもできる。
この区間に優等列車が運転されていた時代、すべての特急、急行は二本木駅を通過していた。それに対してスイッチバック駅時代の関山では、急行列車の一部が停車していた。長野〜直江津間から優等列車が姿を消した現在、二本木駅には、すべの定期列車が停車する。
ホームへ入線するには必ずスイッチバックを要する列車群の中には、もちろん「あさま」色の189系も混ざっている。色かたちの異なる車両がやって来るホームは、特急全盛時よりもむしろ華やかだ。また、構内の西側には、日本曹達二本木工場へ続く専用線が延びている。この専用線を用いた貨物輸送は、平成19(2007)年3月31日限りで廃止された。それまでは、構内北端部に敷かれた幾条かの側線にコンテナ車やタンク車が見られたものだ。それでも、工場へ向っている旧専用線は、遊園地を走る遊覧電車のように大きな弧を描き、複雑な配線を持つ構内のカオス性をより濃くしているように目に映る。
その様子を高い場所から一望できたら、よくできた模型のレイアウトを眺めているような楽しいひと時を過ごせるだろう。そんな「都合のいい足場」はないものかとホーム上から周辺を見回してみるが、駅構内が町中の高台にあるので、ここ以上に高い建物は見当たらない。そんな中、北側の工場から太く背の高い煙突がニョッキリと立っている。思わず「あの位置に展望台があれば、一日中いても飽きないだろうな……」と呟いてしまう。

目的地に向かって列車は右へ左へ 鉄道旅行を楽しくさせるその動き

上越市内は商工業の町であるとともに、豊かな土壌に恵まれた稲作地帯でもある。駅周辺を離れれば、沿線はのどかな田園風景に。畦道越しに駆ける上沼垂色の485系快速「くびき野」が、当地の地域性を表しているようでもある。

列車がスイッチバックする光景を間近で眺めるには、配線の心臓部である構内の中ほどが一番だ。改札を抜けて駅前の小路を関山方へ進み、線路を少しだけ見下ろしがちに望む、小さな丘の斜面に陣取る。
まもなく、急角度で落ち込んでいるように見える直江津方面から、舞台を競り上がる感じで長野行きの列車が姿を現した。まだ寒い季節とはいえ、陽光の生み出す熱気が線路周りに陽炎を燻らせ、車両下部の輪郭に紗を掛けて宙に浮いているかのごとき錯覚をもたらす。真正面から迫って来る189系は、四方に伸びる線路が収束しているダイヤモンドクロッシングの手前で、シュート回転がかかったボールのように右方向へと曲り、引上線へと突っ込んで行く。この、一見イレギュラーな動きこそがスイッチバックの真骨頂だ。引上線の先は、三角屋根が被さった雪囲いになっている。そのひなびた姿が、線路界隈を周囲の街景色から浮かび上がらせて、昔話の舞台さながらの山深い雪国の鉄路を想い起こさせる。
概ね1時間に上下1本ずつの列車がやって来るばかりの構内は、電車のジグザグショーが終れば、広めの構内は次の列車が到着するまでひっそりと静まり返る。
気がつけば線路に落ちる架線柱の影は長くなっている。さらに冷たさを増した妙高下ろしが里心をくすぐった。「さて、次の電車で行くとするか」。再びホームへ上がって直江津行きを待つ。列車が来るべき関山方を改めて眺めると、本線はすぐ横の平坦な引上線との対比で、はっきりとした急坂になっている様子がよく分かる。周囲に田畑が広がろうとも、町並が線路に寄り添おうとも、やはりここは紛れもない「山線」なのだ。線路を跨ぐ国道の向うにタイフォンがこだますると、ほどなく長野色の115系がやって来た。
二本木のホームを離れれば、上越の平野部へ向って坂道を転がるばかり。深く険しく、されど伸びやかな眺めも随所に散りばめられた信越山線の旅も終焉間近となる。乗り込んだ列車の行先である直江津までは、あと30分ほどの道のりだ。車窓は「お約束」とでもいわんばかりに、目的地とは逆の方向へ軽快に流れ出した。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2018/09/15


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