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「有明」

【第10回】「有明」


昭和20年代後半、数少ない九州島内発着の優等列車として誕生したのが「有明」だ。昭和30年代までは準急として運転され、昭和40年代に入ると電車急行として一時的に本州まで顔を見せるようになったが、昭和42(1967)年には初の九州島内発着特急に昇格、昭和50年代は九州内の基幹列車として不動の地位を築いた。

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北九州指向の客車準急として登場 34.9改正で気動車化される

デアゴスティーニ編集部

「有明」のヘッドマークをつけて走る、鹿児島運転所に配置されたキハ82型900番代。

昭和20年代前半における鹿児島本線の優等列車はもっぱら本州直通列車が主体で、昭和24(1949)年9月15日改正時点では、鹿児島本線を日中の有効時間帯に通しで走る優等列車は、東京直通の急行1・2列車(のちの「きりしま」→「霧島」)のみだった。しかし、翌年10月1日改正では全国的に急行・準急列車が増発されたことから、利便性の高い九州島内発着の準急が設定されることになり、鹿児島本線には門司港〜熊本間準急108・107列車が登場した。この列車はおもに有明海の沿岸を走ることから、昭和26(1951)年11月25日には「有明」と命名され、昭和28(1953)年3月15日から大村線を経由する長崎編成を連結するようになった。
昭和30年代に入ると全国的に気動車による優等列車網が形成されるようになった。昭和34(1959)年には「有明」も気動車化されることになり、9月22日改正でキハ55型気動車グループに置き換えられたが、運用は基本編成が同時に新設された米子〜博多間の気動車準急「やくも」と共通となったことから、運転区間が博多〜熊本間に改められた。36.10改正前の気動車「有明」のダイヤは、106D/熊本7時13分→博多9時35分、105D/博多20時14分→熊本22時28分で、客車時代より速達化されたためか、下りのダイヤが大幅に繰り下がった。

2年間だけ本州に顔を見せたのちに九州島内初の特急に抜擢される

デアゴスティーニ編集部

鹿児島本線全線電化開業に伴う45.10改正を機に「有明」は電車化され、80系気動車から581・583系電車に置き換わり、59.2改正まで活躍した。

この気動車「有明」も、鹿児島本線熊本電化を迎えた昭和40(1965)年10月1日改正では「やくも」に吸収される形で米子〜熊本間の急行「やえがき」として発展的解消を遂げた。浮いた「有明」の名は、岡山〜博多間の気動車急行「山陽」が475系電車に置き換えられ熊本まで延長されたのを契機に、こちらへ命名されることになり(「山陽」の名は広島〜博多間の電車急行へ)、401M/岡山8時30分→熊本17時49分、402M/熊本11時58分→岡山21時11分のダイヤで運転された。
しかし「有明」の名が本州に届いていた時期はわずか2年間と短かった。昭和42(1967)年10月1日、初の寝台・座席両用電車581系がデビューし、夜行は新大阪〜博多間の「月光」、昼行は新大阪〜大分間の「みどり」に充当されることになったことから、関西〜九州間で運転されていた気動車特急が再編され、これまで気動車「みどり」の佐世保編成が「いそかぜ」の付属編成に充当されることになった。これに伴い、向日町運転所(現・京都総合運転所)の80系気動車13両が鹿児島運転所(現・鹿児島総合車両所)へ転配されることになり、九州島内発着では初となる特急が鹿児島本線に新設されることになった。この列車は、公募により「有明」と命名されることになり、これまでの電車急行「有明」は「しらぬい」と改称された。特急「有明」の当初のダイヤは、2011D/門司港6時50分→西鹿児島(現・鹿児島中央)13時15分、2012D/西鹿児島17時00分→門司港23時20分で、鹿児島本線全線をほぼ1日かけて往復するものだった。

山陽新幹線の博多延伸にともない計10往復の大勢力へ

デアゴスティーニ編集部

国鉄時代の「有明」の主力形式は485系で、山陽特急が廃止された50.3改正から「有明」の戦列に加わった。

昭和45(1970)年10月1日改正では、鹿児島本線が全線電化開業することから、「有明」はこれに先駆けて9月20日から581・583系電車に置き換えられた。改正後は、新設された京都〜西鹿児島間の寝台特急「きりしま」などと共通運用を組み2往復となり、昭和47(1972)年3月15日改正では、さらに1往復が増発され3往復となった。
山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、山陽本線の在来線特急が全廃されたことによって、南福岡電車区の581・583系254両が向日町運転所へ、向日町運転所の485系のうち66両が南福岡電車区へ、154両が鹿児島運転所へ転配された。この結果、「有明」は一気に581・583系3往復、485系7往復の計10往復に急成長し、新幹線接続特急の使命も受け持つことになった。

55.10で日中の鹿児島本線を占め 国鉄末期には水前寺乗入れも

デアゴスティーニ編集部

昭和62(1987)年からは臨時普通列車として「有明」の水前寺直通が開始され、JR移行後は牽引機のDE10 1755が国鉄色に塗られ、簡易電源車に改造されたヨ8000型が連結された。なお783系を牽引するDE10 1756は783系と同じハイパー色に塗られていた。

国鉄初の減量ダイヤとなった昭和55(1980)年10月1日改正では、鹿児島本線で思い切った列車再編が行なわれ、昼行の急行「かいもん」「ぎんなん」をすべて廃止し、他線乗入れ列車を除く鹿児島本線の昼行優等列車はすべて「有明」に統一された。これで「有明」は18往復の大勢力となったが、このうち3往復は博多〜熊本間ノンストップ運転となった(57.11改正で中止)。
このような急激な施策は、九州自動車道を走るライバルの高速バスを意識したものだった。しかし、実質的な料金値上げとなったせいか利用者減を招く結果となり、昭和59(1984)年2月1日改正では減便と編成縮小の方向へ向かい、581・583系の運用が消滅した。しかし、国鉄最後の改正となった昭和61(1986)年11月1日改正では、国鉄民営化を踏まえ10往復増の25往復とし、博多〜熊本間で日中30分ヘッドのダイヤが組まれた。さらに翌年3月21日からは、臨時ながら豊肥本線水前寺までの直通運転が開始されるようになり(熊本〜水前寺間は普通列車)、この区間では電源車扱いの12系を含む485系がDE10に牽引された。
なお、「有明」の豊肥本線乗入れは平成6(1994)年7月1日に一旦廃止されるが、平成11(1999)年10月1日の肥後大津電化開業時に復活している。

JR化後は新系列車を投入 博多~西鹿児島間の「ハイパー有明」

デアゴスティーニ編集部

JR発足後、最初の新系列特急型電車となった783系は「有明」で華々しくデビューを飾った。写真は登場間もない頃の783系。当時の「有明」で多数を占めていた、クロハ782を先頭にした3連である。

JR移行後の「有明」は、攻めの姿勢が目立つようになる。JRグループ初の全国改正となった昭和63(1988)年3月13日では、28往復中15往復が新系列の783系電車に置き換えられ、博多〜西鹿児島間を約4時間で結ぶ最速列車1往復は「スーパー有明」と命名された。783系を使用する列車は平成2(1990)年3月10日改正で485系「有明」と区別するために「ハイパー有明」と命名された。
一方、従来の485系は、平成元(1989)年4月29日から「有明11号」がキハ183系1000番代を使用する「オランダ村特急」との併結を開始した(92.3に中止)。また、平成3(1991)年2月1日からは「RED EXPRESS」と呼ばれる塗色変更車が充当されるようになり、アコモデーションもリニューアルされた。

シルバーの車体色が鮮やかな新系列787系の登場

デアゴスティーニ編集部

鹿児島本線系統の特急の787系化を達成した「有明」用編成。正面には「ありあけ」とひらがなのロゴが入るのも特徴だった。

「有明」にJR化後初の大きな転機が訪れたのは平成4(1992)年7月15日改正でのことだった。シルバーの車体色が鮮やかな新系列の787系電車が鹿児島本線の特急に投入されることになり、鹿児島系統の「有明」「ハイパー有明」全列車がこれに置き換えられ、その名も「つばめ」と改められた。これにより「有明」は博多〜熊本、水前寺、八代、水俣間の列車名となり、鹿児島系統は「つばめ」、熊本系統は「有明」という棲分けが確立した。同時に「有明」は「ハイパー」の冠名が廃止され、平成6(1994)年7月1日には全列車が783系リニューアル車に置き換えられた。また、平成12(2000)年3月11日改正では全列車が787系に統一されている。
九州新幹線が開業した平成16(2004)年3月13日以降、熊本以南へ直通する「有明」は新八代で新幹線に連絡する「リレーつばめ」に吸収され、鹿児島本線の特急は日中20分ヘッドの運転となったが、このうち2本は「リレーつばめ」、1本は「有明」というパターンとなった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/10/10


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