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「つばさ」

【第11回】「つばさ」


昭和30年代前半まで、奥羽本線の優等列車は夜行急行が主流を占めていたが、36.10改正ではようやく昼行特急が登場し「つばさ」と命名された。以来、「つばさ」は奥羽本線を代表する優等列車として高い人気を維持し、一時は盛岡編成も存在していた。しかし東北新幹線が上野開業を迎えた60.3改正以後は奥羽本線内のローカル特急の色彩が濃くなった。JR移行後は山形新幹線工事の進捗により、徐々に削減されるようになり、92.7改正ではその名が山形新幹線へ転じた。

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登場当初は「白鳥」と連携 38.10改正では盛岡編成も登場

デアゴスティーニ編集部

80系気動車でスタートした特急「つばさ」は、奥羽本線のみならず、東北本線福島以南で初の特急となった歴史的列車でもあった。

昭和36(1961)年10月1日に実施された白紙ダイヤ改正では、80系特急型気動車の増備により、九州と四国を除く非電化の主要幹線にも続々と特急が登場した。この中で、奥羽本線系統では上野〜秋田間に「つばさ」が新設され、5D/上野12時30分→秋田21時00分、6D/秋田8時10分→上野16時40分のダイヤで運転された。秋田では上下とも、同時に新設された大阪〜青森間の「白鳥」と連絡し、両列車を乗り継ぐ場合は通しの特急券が発売される利便が図られていた。この改正前は奥羽本線経由で上野と秋田を結ぶ優等列車は客車急行「鳥海」のみだっただけに、「つばさ」の運転開始は奥羽本線における近代化の幕開けだったといえるが、板谷峠の難所を控える福島〜米沢間ではまだまだEF16による補機を必要とし、それゆえに編成は6両に制限されていた。
一方、上野〜青森間を結ぶ先発の「はつかり」は、36.10改正以降慢性的な混雑を呈するようになったことから、昭和38(1963)年10月1日改正を機に「つばさ」に盛岡編成を増結して「はつかり」の混雑緩和が図られた。しかし、この増結は実際には80系気動車の増備を待って12月5日に実施され、その当時の盛岡編成は、5D〜2005D/上野12時30分→盛岡20時00分、2006D〜6D/盛岡9時05分→上野16時50分のダイヤで運転された

首都圏と山形、秋田両県を結ぶ列車として異常なほど人気に

デアゴスティーニ編集部

奥羽本線全線電化前の臨時「つばさ51号」。この列車は山形以北をDD51が牽引していた。電化後はED75型700番代に交替している>

東北本線の電化が盛岡まで延伸した昭和40(1965)年10月1日改正では、東北本線に481系の50Hz版である483系が投入され、同線に初めて電車特急が登場した。これにより、これまで80系気動車で運転されてきた上野〜仙台間の「ひばり」は483系に置き換えられたほか、上野〜盛岡間には「やまびこ」が新設された。これは「つばさ」の盛岡編成を483系化の上で分離したもので、「つばさ」は上野〜秋田間の単独運転に戻った。また、上野〜山形間で運転されていた「やまばと」を秋田まで延長し、これを吸収した結果、次のような2往復となった。
東北本線の電化は、昭和43(1968)年10月1日改正を機に青森まで達したが、これを機に「はつかり」は改正前の9月9日上野発から583系に置き換えられ、捻出されたキハ81を含む「はつかり」編成は「つばさ」1往復に充当されるようになった。また、10月1日からは1往復の東京直通が開始され、昭和48(1973)年3月31日まで続けられた。
当時の「つばさ」は首都圏と山形、秋田両県を結ぶ列車としては異常なほど人気が高かったため、翌年10月1日改正では、先頭車がキハ82に置き換えられ、若干の定員増が図られている。

45.2には181系気動車に置換え 50.11の電車化でスピードアップ

デアゴスティーニ編集部

奥羽本線最大の難所・板谷峠をEF71とともに越える181系「つばさ」。気動車時代の「つばさ」と板谷越えの機関車は、切っても切れない仲だった。

43.10改正以来、東北本線の昼行優等列車はそのほとんどが電車化され、特急では120km/h運転が始まっていたが、「つばさ」は依然として最高100km/hの80系気動車で運転されていたことから、スピードアップは遅々として進まなかった。当時の奥羽本線は山形までしか電化されていなかったため電車化もおぼつかず、秋田直通の「つばさ」には120km/h運転が可能な大出力気動車が充当されることになった。それが181系気動車で、昭和45(1970)年2月10〜18日には全列車が同系に置き換えられた。
そんな「つばさ」がようやく電車化されるようになったのは、奥羽本線の全線電化を機に実施された昭和50(1975)年11月25日改正でのことで、「つばさ」用に耐寒・耐雪装備の485系1000番代が投入される予定だったが、落成がこの改正に間に合わなかったため、当初は485系一般車を充当、1000番代の投入が開始されたのは翌年3月31日のことだった。
「つばさ」は40.10改正以来、永く2往復態勢が続いていたが、昭和53(1978)年10月2日改正では1往復増発され3往復となり、同時に自由席が連結されエル特急の指定を受けた。

ローカル特急色が濃くなった60.3 山形新幹線工事進捗で削減の道へ

デアゴスティーニ編集部

53.10改正では、定期列車が3往復となり、絵入りのヘッドマークも登場したが、この時が上野発着時代の「つばさ」の最盛期だった。

東北新幹線が開業した昭和57(1982)年は「つばさ」にとって激変の年となった。11月15日改正では東北本線の在来線特急が相次いで削減される中で、「つばさ」も福島で新幹線と接続する連絡特急にその使命を変え5往復となったが、福島以南を廃止した場合、大宮と福島での2度の乗換えが発生し利便性が悪くなることが考慮され、上り2本・下り1本は上野直通で残された。
東北新幹線上野開業を迎えた昭和60(1985)年3月14日改正では、「つばさ」は9往復へ躍進し上野直通も1往復残されたが、奥羽本線内は6〜9両の短編成となり、山形、秋田両県内をこまめに結ぶローカル特急的色彩がより濃くなった。
昭和61(1986)年11月1日改正で11往復となった「つばさ」はそのままJR移行を迎えるが、昭和63(1988)年8月に初の新在直通新幹線である山形新幹線福島〜山形間が着工すると、その工事進捗とともに、在来線「つばさ」の勢力は削がれるようになる。まず、平成2(1990)年9月1日改正では、福島〜関根間、米沢〜山形間を単線化して標準軌化工事が進められることから、「つばさ」は8往復に削減された。さらに関根〜上ノ山(現・かみのやま温泉)間でも標準軌化工事が始まった平成3(1991)年8月27日からは、福島〜山形間の全優等列車が廃止されることになり、「つばさ」は5往復に後退した。このうち、上野直通1往復を含む4往復が仙山線経由に、1往復が山形〜秋田間の区間運転となり、これが在来線「つばさ」の最後の姿となった。

92.7にその名は山形新幹線へ 99.12に新庄まで延伸し現在に至る

デアゴスティーニ編集部

日本の鉄道史上初めて、新幹線と在来線を直通運転したこの400系で、山形新幹線「つばさ」は運行された。超高速鉄道に恵まれない地域にまで「新幹線」を直通させた、大きな功労者である。

平成4(1992)年7月1日、山形新幹線が晴れて開業した。これにより、在来線「つばさ」は廃止され、その名は新幹線へ召し上げられることになった。なお、新幹線に接続する山形以北の在来線特急は「こまくさ」に改称されたが、こちらは平成11(1999)年3月12日改正で廃止されている。
新幹線に生まれ変わった「つばさ」は400系6両編成が充当され、東京、上野〜山形間に14往復が設定された。このうち、東京、上野〜福島間は1往復を除き「やまびこ」の200系と併結となり最高速度240km/hで運転、福島〜山形間は最高速度130km/hで単独運転された。これにより、東京〜山形間は最速2時間27分で結ばれるようになり、それまでの東北新幹線と在来線「つばさ」の乗継ぎより最大42分の短縮となった。
山形新幹線は平成11(1999)年12月4日改正で新庄まで延伸し現在に至っているが、「つばさ」の編成は平成7(1995)年に7両となり、400系も平成13年度までにリニューアルされた新塗色車にすべて変わっている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/11/12


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