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「おおぞら」

【第12回】「おおぞら」


「海線」と呼ばれる室蘭本線には急行「すずらん」などの優等列車が存在したものの、昭和30年代前半まで特急未開の地だった北海道。そこに満を持して登場したのが北海道初の特急「おおぞら」だ。この「おおぞら」の名は、後に、振り子機構を用い一世を風靡した283系気動車を採用した列車「スーパーおおぞら」として、今に引き継がれている。

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「海線」経由で計画された北海道初の特急「おおぞら」

デアゴスティーニ編集部

「おおぞら」のパイオニアとして君臨した80系は北海道の特急網形成に大きく寄与した。

昭和35(1960)年7月1日、函館〜札幌間に待望の気動車急行「すずらん」が登場した。当時新鋭のキハ55型(冬期はキハ22)を主体にした編成で、「海線」経由にもかかわらず函館〜札幌間を5時間で結び、従来の「海線」経由の客車急行より1時間13分のスピードアップを果たした。
この「すずらん」は大変好評で、いよいよ「北海道に特急を」という機運が高まってきた。昭和36(1961)年4月15日には急行型気動車のキハ56・27型が札幌〜釧路間の急行「狩勝」に投入され、北海道内の気動車による優等列車ネットワークが強化されていく。そして満を持して登場したのが、特急「おおぞら」だった。
昭和36(1961)年10月1日、全国規模の白紙ダイヤ改正が実施され、全国に80系気動車による特急網が形成された。その一翼を担った「おおぞら」は1D/函館4時55分→旭川11時25分、2D/旭川17時30分→函館24時00分のダイヤで運転を開始した。「おおぞら」は函館〜札幌間を距離の長い「海線」経由で運転されたが、これは新型気動車投入により、距離が長くなっても勾配の多い「山線」経由より時間的に有利であること、室蘭本線沿線には、主要都市や観光資源が多いことが大きな理由だった。
「おおぞら」というと、釧路行きのイメージが強いが、釧路編成が登場したのはデビューから1年後の昭和37(1962)年10月1日のことだった。このときは旭川編成と釧路編成が併結され、滝川で分割された。釧路編成は当時、根室本線経由だった。
昭和39(1964)年10月1日、函館〜網走、釧路間に北海道第二の特急「おおとり」が誕生した。下りの場合、「おおぞら」は「はつかり」→青函連絡船1便からの接続を受けていたが、「おおとり」は「はくつる」→青函連絡船3便からの接続を受け、対北海道の特急接続チャンネルは2系統となった。
函館〜札幌間を走る気動車特急は、昭和40年代に入って「北斗」「北海」が誕生、80系による特急は最盛期を迎える。昭和42(1967)年3月1日には旭川編成が札幌止まりとなり、函館〜釧路間の単独運転となったが、昭和47(1972)年3月15日改正では、「北斗」に釧路編成を増結して、「おおぞら」に編入したことで、再び釧路、旭川併結編成が登場している。また、昭和45(1970)年10月1日には「おおとり」の釧路編成を吸収して2往復となった。

石勝線開業後は主役の座が新鋭の183系へ移る

デアゴスティーニ編集部

183系は昭和50年代後半から80系に代わって「おおぞら」の主役の座についた。

昭和50年代に入ると「おおぞら」にふたつの転機が訪れる。ひとつは昭和55(1980)年2月1日、「おおぞら5・4号」に183系気動車が投入されたことだ。これまで北海道の特急は80系のひとり舞台だったが、登場以来19年が経過し、過酷な北海道の気象条件に晒されたこともあって老朽化が目立ってきた。当時投入された183系は900番代の試作車で、しかも編成は1本のみだったため、「おおぞら」では隔日運用となった。
もうひとつの転機は昭和56(1981)年10月1日に石勝線が開業したことだ。これまで「おおぞら」は滝川、富良野経由で札幌〜釧路間は約6時間を要していたが、千歳空港(現・南千歳)から分岐して日高山脈を抜け、トマム、新得を経由する石勝線は道東へのショートカットとして大いにその威力を発揮、札幌〜釧路間の所要時間は最大1時間08分短縮された。以後、札幌と帯広、釧路方面を結ぶ優等列車はすべて石勝線経由となる。
石勝線開業時でおもしろかったのが、唯一、函館〜釧路間に残った「おおぞら3・2号」だった。石勝線開業前は札幌に立ち寄るため白石〜札幌間のみ重複運転が行なわれていたが、石勝線が千歳空港で分岐するために、千歳空港〜札幌間往復88kmも重複運転が行なわれたのだ。もちろん函館〜千歳空港間から千歳空港以遠へ行く場合、札幌で途中下車しない限り、重複分の運賃・料金は必要なく、乗車券も千歳空港で分岐する形で通しで購入できた。

「おおぞら」のイメージを一新した183系500・1500番代

デアゴスティーニ編集部

国鉄末期に登場した183系500番代。当初はアイボリーにオレンジのストライプ塗装だった。

昭和57(1982)年9月、183系量産車37両が札幌運転区に新製配置され、9月11日、「おおぞら」全列車が183系化された。これにより、「おおぞら」から80系の運用がいったん消滅するが、1985(昭和60)年3月14日改正で「おおぞら」が2往復増発されたときに、札幌〜帯広間の1往復に復活している。
昭和61(1986)年11月1日改正では、唯一、函館〜釧路間を通しで運転されていた「おおぞら3・2号」の函館〜札幌間が「北斗」に編入されることになり、ついに「おおぞら」は函館に姿を見せなくなった。また、この改正ではさらに「おおぞら」に新風が吹き込まれた。将来の最高120km/h運転に対応した183系500番代が投入されたのだ。この500番代は前面が貫通型となり、0・900番代とはまったく異なる姿で登場した。またグリーン車は国鉄では初となるハイデッカータイプのキロ182型500番代が加わり、北海道の気動車特急のイメージを一新した。これにより、「おおぞら」から80系は完全に姿を消した。

JR化後には夜行列車も登場 気動車と寝台客車の連結が話題に

デアゴスティーニ編集部

JR化以後の183系はブルーを基調とした、いわゆる「HET」色となった。

JR移行後の平成2(1990)年9月1日、札幌〜帯広間の「おおぞら」が「とかち」に改称され、「おおぞら」を補完する新しい特急としてデビューした。また平成5(1993)年3月18日改正では、これまで夜行急行として運転されていた札幌〜釧路間の「まりも」が特急に格上げされることになり「おおぞら」に編入された。この結果「おおぞら」に初めて夜行列車が登場、寝台車は気動車併結用の引通し改造を施したスハネフ14型とオハネ14型が連結された。気動車と無動力の寝台客車が連結されるケースは前年に実施された「オホーツク9・10号」に次いでのことだった。

283系投入で全列車がスーパー化へ

デアゴスティーニ編集部

JR北海道期待の星として登場した283系「スーパーおおぞら」。

JR移行後の北海道内は高速道路の開通、航空網の充実、高速バスの台頭など、鉄道を取り巻く環境が年々厳しくなっていた。JR北海道では昭和63(1988)年から183系500番代による最高120km/h運転を開始、さらに機関出力をアップした120km/h対応の550番代が登場し、高速化に対応した。
平成6(1994)年3月1日改正では函館〜札幌間に281系「スーパー北斗」がデビュー、並行する「北斗」には130km/h運転対応の183系2000・2050・3000番代(キハ183型1550番代、キロ182型500番代、キハ182型550番代を改造)を投入し、現在のような最高130km/h運転を開始した。
この動きに呼応して、「おおぞら」も高速化の要求を無視できない状況となり、根室本線の軌道改良を実施、平成9(1997)年3月22日に振り子式気動車283系を「スーパーおおぞら」としてデビューさせた。これにより、札幌〜釧路間は最速で3時間40分と4時間の壁を切り、一躍スピードアップ競争のトップに躍り出た。曲線を本則+30km/hで通過できる性能は絶大で、従来の183系と力の差を見せつけた。「スーパーおおぞら」は高まる需要に次々と「おおぞら」を置き換え、ついに平成13年(2001)年7月1日、「おおぞら」全列車が「スーパーおおぞら」化し、夜行「おおぞら」は再び「まりも」と改称され、伝統の「おおぞら」の名は消滅した。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2013/12/06


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