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「にちりん」

【第13回】「にちりん」


九州の東半分を結ぶ日豊本線は鹿児島本線と並ぶ九州の一大幹線で、別府や宮崎など著名な観光都市が控える一方、「宗太郎越え」と呼ばれた直川〜市棚間の急勾配区間で名を馳せた線区でもある。この日豊本線に特急として君臨したのが「にちりん」だ。43.10改正以前は急行として運転されていたが、その期間はごくわずかで、特急としての活躍期間の方が圧倒的に長かった。

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初代「にちりん」は急行列車 そののち特急として復活

デアゴスティーニ編集部

気動車急行を前身に持つ「にちりん」は、43.10改正で日豊本線初の昼行特急に昇格し、当初は80系気動車でスタートした。50.3改正以後は485系の大攻勢に押され、55.10改正で80系気動車は「にちりん」から退いている。

日豊本線の優等列車で忘れてはならないのが昭和33(1958)年4月25日から博多〜別府間で運転を開始した臨時気動車急行「ひかり」だ。この列車は臨時ながら記念すべき国鉄初の気動車急行で、同年5月1日には定期化され豊肥本線経由で熊本まで延長されたものの、8月1日には準急に格下げとなった。この「ひかり」の別府編成が都城まで延長されたのは、昭和34(1959)年4月1日のことで、同年9月22日改正では西鹿児島(現・鹿児島中央)まで延長された。しかし昭和39(1964)年10月1日改正を迎えると、「ひかり」の名がこのとき開業した東海道新幹線に召し上げられたことから、西鹿児島編成は「にちりん」に改称された(豊肥本線乗入れ編成は「くさせんり」と改称)。これが「にちりん」の歴史の第一歩となったが、翌年10月1日改正では広島〜別府間の急行「べっぷ」に吸収され「青島」と改称、初代「にちりん」の名はわずか1年の命だった。
それから約半年後の昭和41(1966)年3月25日、早くも2代目として「にちりん」の名が復活する。運転区間は初代「にちりん」とほぼ同じ博多〜西鹿児島間だったが、博多〜別府間は「ゆのか」(下りのみ)、博多〜宮崎間は「佐多」と併結となり、どちらかというと、この両列車に母屋を借りた形での運転に甘んじていた。
急行時代は「日輪」と書いて太陽を表すその名とは裏腹に輝けなかった「にちりん」だったが、昭和43(1968)年10月1日改正では、博多〜西鹿児島間の気動車特急に格上げされ、ようやく日の目を見るようになる。その当時のダイヤは2011D/博多7時35分→西鹿児島16時20分、2012D/西鹿児島11時45分→博多20時30分で、全区間の所要時間は8時間45分だった。

55.10改正で全列車が電車化 57.11改正で17往復半の大所帯に

デアゴスティーニ編集部

485系は昭和47(1972)年4月27日から「にちりん」での運用に就いたが、昭和50(1975)年頃からは青森所からの九州転入車が増え、この頃からクハ481-200が先頭に立つようになった。

43.10改正当時、日豊本線は大分より先の幸崎まで電化が完成されており、昭和47(1972)年3月15日改正では1往復が485系により増発された。この時点で設定上は2往復となった「にちりん」だが、増発分に充当される485系の落成が改正に間に合わず、下りは4月27日から、上りはその翌日から運転を開始している。
これ以後、電車・気動車2本建ての「にちりん」が続くが、日豊本線の電化が南宮崎まで達した後の昭和50年3月10日改正では、博多まで開業した山陽新幹線の接続特急の使命を担って8往復の陣容となったものの、気動車で運転される列車も1往復残った。気動車1往復は昭和49(1974)年4月25日改正で登場した博多〜宮崎間(肥薩線、吉都線経由)の「おおよど」と共通運用だったことから存置されていたようなもので、日豊本線全線電化後の昭和55(1980)年10月1日改正で「おおよど」が廃止されると、「にちりん」は全列車が電車化された。同時に、向日町運転所(現・京都総合運転所)の581・583系も進出するようになり、今度は485系と583系の2本建てとなった。
国鉄時代の「にちりん」の躍進は昭和57(1982)年11月15日改正でピークに達し、急行「日南」「ゆのか」の格上げなどにより17往復半の大所帯となったが、昭和59(1984)年2月1日改正では581・583系が撤退、昭和60(1985)年3月14日改正では485系の5連または7連に統一されて短編成化が促進された。また、昭和61(1986)年11月1日改正では上り2本が下関終着となり、「にちりん」は初めて本州に姿を見せた。

新系列車の勢力拡大により博多口から485系が消滅

デアゴスティーニ編集部

91.10頃から登場した485系「RED EXPRESS」。南福岡区の485系は01.3改正を機に鹿児島へ集められ、別府以南の「にちりん」の運用に就いた。

JR移行後の「にちりん」は、485系に代わる新系列電車の投入が盛んに行なわれ、485系リニューアル車「RED EXPRESS」、783系、787系、883系、885系が投入された。
平成2(1990)年3月10日改正では、すでに鹿児島本線の「有明」に投入されていた783系を博多、小倉〜大分間の「にちりん」3往復に充当し、「ハイパーにちりん」に改称した。以後、新系列車の投入により「にちりん」から派生する新しい名の列車が登場し、平成5(1993)3月18日改正では787系の投入により「にちりんシーガイア」と「ドリームにちりん」が登場している。「にちりんシーガイア」は、宮崎市郊外にあるリゾート施設「フェニックス シーガイア リゾート」にちなんだ名で、「ドリームにちりん」の方は急行「日南」を格上げした夜行列車だ。この両列車は平成12(2000)年3月11日改正で783系に置き換えられた。
一方、平成7(1995)年4月20日改正では、日豊本線に振り子式の883系が投入されるようになり、博多〜大分間に4往復の「ソニックにちりん」が登場、従来の783系「ハイパーにちりん」は「にちりん」に改称された。「ソニックにちりん」は平成9(1997)年3月22日に「ソニック」に改称され、列車名としては「にちりん」グループから決別したかのように見えたが、大分以北が「ソニック」、別府以南が「にちりん」という図式となり、両者が連携を取りながら運転されていた。また、「ソニック」には平成13(2001)年3月3日改正から「白いソニック」こと885系が投入されるようになり、485系「にちりん」が博多口から姿を消している。
このような新系列車の勢力拡大により、日豊本線の表舞台から追い落とされてしまった485系だが、JR化初期の平成3(1991)年10月には「RED EXPRESS」と称する485系のリニューアル車が順次投入された。

「きりしま」「ひゅうが」が系統分離 「ソニック」と連携して活躍

デアゴスティーニ編集部

95.4改正から「にちりん」グループの仲間入りをした883系は、その斬新な車体が話題を撒いた。

小倉〜鹿児島間462.6kmを擁する日豊本線は、同じ「本線」とはいえ、小倉〜大分間と大分〜鹿児島間では列車本数や線路条件が格段に異なる。それはダイヤ上に顕著に現れており、JR化後は別府、大分、宮崎を境に「にちりん」の系統分離が進んだ。平成7(1995)年4月20日改正では、宮崎以南の「にちりん」が「きりしま」に系統分離された。さらに、平成12(2000)年3月11日改正では「にちりん」を補完するため延岡〜宮崎、南宮崎、宮崎空港間の「ひゅうが」が登場した。また、この改正では門司港〜博多間で運転されていた「にちりん」「つばめ」の100号代列車が「きらめき」に改称されている。平成15(2003)年3月15日改正では、「にちりん」が別府以南へほぼ封じ込まれ、大分以北の「ソニック」との連携が完成し、活躍することになった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/01/10


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