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「宗谷」

【第14回】「宗谷」


日本最北の街・稚内。北海道に憧れる人なら、誰でも立ち寄りたくなるこの地へは戦前から優等列車が運転されていたが、戦後の本格的運転は昭和30年代まで待たなくてはならなかった。「宗谷」は戦後初の宗谷線昼行急行として登場。最盛期は函館〜稚内間約600kmを半日かけて駆け抜ける宗谷本線の看板列車として名を馳せたが、現在はその座を特急「スーパー宗谷」に譲っている。

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戦前は樺太連絡航路に接続する重要ルートだった函館〜稚内間

デアゴスティーニ編集部

キハ400・480化された後の「宗谷」には、国鉄急行型気動車の末裔・キハ56が1両だけ増結される例が多数あった。もちろん「宗谷」の運転最終日にも中間に連結され、ありし日の急行型気動車の旅を堪能することができた。

戦前の稚内への道は、北海道で屈指の黄金街道だった。日本最北の街・稚内は、当時、日本領だった南樺太の大泊(現・コルサコフ)への国鉄稚泊航路が大正12(1923)年5月1日に開設されたことから、樺太連絡の重要拠点として賑わった。この稚泊航路と接続する鉄道の方は、大正11(1922)年11月1日に旭川〜稚内が全通、小樽〜稚内間で直通列車の運転が開始された。当時の稚内は現在の南稚内、音威子府〜稚内間は廃止された浜頓別経由の天北線だった。
稚泊航路開設と同時に函館〜稚内間に急行1・2列車(急行区間は函館〜滝川間)が登場した。この列車は、大正15(1926)年9月25日に幌延経由の現・宗谷本線が稚内まで延びたことから、浜頓別経由より21.6km短い幌延経由に変更された。昭和3(1928)年12月26日には稚内〜稚内港間が開業し、優等列車は桟橋に近い稚内港まで延長された。稚内港は現在の稚内だ。
昭和9(1934)年12月1日改正では、稚泊航路の増便により、函館〜稚内間急行は2往復となり、昭和12(1937)年3月4日には、1往復に特別室付きの2等寝台車が連結を開始して戦前の絶頂期を迎えるが、これらも戦局の悪化により、昭和20(1945)年3月20日までには姿を消している。

宗谷本線内はわずか2両のキハ22でのんびりと走っていた初期の「宗谷」

デアゴスティーニ編集部

平成12(2000)年3月改正で宗谷線急行から離脱したキハ400・480は、日高本線の臨時快速「優駿浪漫」にも使用されたことがあったが、現在は全車引退している。

戦後になると、北海道内では昭和22(1947)年6月29日から函館〜旭川間に急行が復活、後に「大雪」と命名されるが、稚内へはなかなか優等列車が復活しなかった。ようやく日の目を見たのは、昭和33(1958)年10月1日改正でのことで、札幌〜稚内間に夜行準急「利尻」が登場した。この時代、全国的に気動車による優等列車が増発されつつあり、北海道内でも昭和34(1959)年5月1日に初の気動車準急「摩周」が釧路〜川湯(現・川湯温泉)間で運転を開始した。この列車には本州型のキハ20を極寒冷地仕様としたキハ21が充当されたが、デッキがなく保温効果が薄いことから、デッキ付きで車内設備がキハ55などに準じた極寒冷地向けの一般型気動車キハ22が登場、昭和35(1960)年から北海道内を走る各地の優等列車に充当されるようになった。このなかには、札幌〜網走間の準急「オホーツク」、札幌〜稚内間の準急「宗谷」が含まれており、同年7月1日からは両者が札幌〜旭川間併結の2階建て急行として運転を開始した。その当時の「宗谷」のダイヤは、3302D〜502D/稚内6時43分→札幌13時45分、501D〜3301D/札幌16時05分→稚内22時50分で、かろうじて稚内から札幌への日帰りができる設定となっていた。「宗谷」は旭川〜稚内の単独区間はわずか2両となり、「オホーツク」に至っては北見〜網走間で単行運転になるという、いかにも北海道らしい最果てローカル準急の出で立ちだった。

36.10改正で函館発着の壮大な3階建て急行の一角に組み込まれる

デアゴスティーニ編集部

平成12(2000)年3月改正で宗谷線急行から離脱したキハ400・480は、日高本線の臨時快速「優駿浪漫」にも使用されたことがあったが、現在は全車引退。

昭和36(1961)年に入ると、北海道にキハ58型気動車グループの酷寒冷地仕様であるキハ56・27、キロ26が配置されるようになり、同年4月15日から札幌〜釧路間の急行「狩勝」に充当されるようになる。そして迎えた10月1日の白紙ダイヤ改正では、函館を起点として、網走、釧路、稚内へ向かう壮大な3階建て併結急行が設定され、それぞれ「オホーツク」「摩周」「宗谷」とされた。これにより「宗谷」は札幌発着のローカル準急から青函航路の接続を受ける函館発着急行としての歩みを始めた。その当時のダイヤは、13D〜2303D/函館11時10分→稚内22時32分、2304D〜14D/稚内6時30分→函館17時50分で、長万部〜札幌間は室蘭本線、千歳線を経由していた。ちなみにこの改正では、札幌〜稚内間を天北線経由で運転する急行「天北」や旭川〜稚内間の準急「礼文」も登場、「天北」は平成元(1989)年の天北線廃止まで「宗谷」とともに走っていた。
この3階建て急行は分割・併合が容易な貫通型のキハ56・27の特性を活かして最大で15両編成となったが、それでも「宗谷」はわずか4両で、しかも1等車が連結されないなど、脇役の座に甘んじていた。そんな「宗谷」がようやく一人前の急行となったのは、昭和39(1964)年10月1日改正でのことで、このときは併結相手の「オホーツク」「摩周」が特急「おおとり」に格上げされることになり、単独運転となった。編成は1等車を含む8両で、夏の多客時はさらに増結され、最盛時は10両以上になることもあった。なお、単独運転化後は室蘭本線、千歳線経由から倶知安、小樽回りの函館本線経由に変更され、気動車急行「ライラック」、客車急行「まりも」とともに山線優等列車のラインナップを飾った。

60.3改正で14系客車に置換え JR化後はキハ400・480を投入

デアゴスティーニ編集部

急行「宗谷」の最終運転日である平成12(2000)年3月10日に配られた「さよなら乗車証明書」。走行風景とヘッドマーク、サボの写真が付いたこの証明書には「宗谷線急行の歴史」と題した簡単な年表が書かれており、各列車の足跡を振り返ることができる。

その後の「宗谷」は、17年間大きな変化はなく、函館〜稚内間を昼行で結ぶ唯一の優等列車として地道に運転されてきたが、昭和56(1981)年10月1日改正では、札幌中心の旅客流動を考慮して、函館〜札幌間が特急「北海」に格上げされることになり、「宗谷」は20年ぶりに札幌〜稚内間の運転に戻った。しかし、充当されていたキハ56・27は老朽化やアコモデーションの陳腐化が進んでいたため、昭和60(1985)年3月14日改正では、天北線経由の僚友「天北」とともに、簡易リクライニングシートを備えたオハ14・スハフ14型座席車主体の14系客車に置き換えられた。
ちなみに14系座席車は、山陽本線の夜行客車急行が廃止されると相次いで北海道に渡り、昭和56(1981)年2月7日から函館〜札幌間の急行「ニセコ」へ投入が開始された。さらに、昭和57(1982)年11月15日改正では、「利尻」「大雪」「まりも」の夜行3列車の座席車も置き換えられている。
しかし、客車化後の「宗谷」は、線路規格の低い名寄〜稚内間はDE10での牽引を余儀なくされ、気動車時代より所要時間が10〜20分程度延びる結果となり、アコモデーションの向上とは裏腹に評判は芳しくなかった。そこで、JR移行後の昭和63(1988)年11月3日改正では、「天北」とともにキハ40・48に気動車特急のアコモデーションに準じた改造を施したキハ400・480が投入され、面目を一新した。

00.3改正で宗谷線は高速化時代へ 新鋭「スーパー宗谷」が登場

デアゴスティーニ編集部

宗谷本線の「革命児」といえば、この261系「スーパー宗谷」だ。平成12(2000)年3月改正で登場し、札幌〜稚内間は急行時代より52分速い最速4時間58分で結んだ。

「宗谷」は運転開始以来、一貫して1往復態勢を貫いてきたが、平成元(1989)年5月1日に天北線音威子府〜浜頓別〜南稚内間が廃止されると、同線で運転されていた急行「天北」も同時に廃止され、残ったスジが音威子府〜稚内間を幌延経由として「宗谷」に編入された。その結果、「宗谷」は2往復となり、「宗谷1〜4号」と初めて号数が付いた。しかしその期間は短く、平成4(1992)年7月1日改正では、沿線の要望で「宗谷3・4号」を「サロベツ」と改称、「宗谷」は再び1往復に戻った。以後の宗谷線急行のラインナップは「宗谷」「サロベツ」と夜行の「利尻」、それに旭川〜稚内間の「礼文」となり、同系統の列車でありながら、それぞれ異なった愛称名を持つ結果となった。
 JR移行後の北海道の鉄道は、改正を重ねるごとに特急の増発が行なわれ、平成12(2000)年1月時点で北海道に残っていた急行は、札幌〜青森間の夜行客車急行「はまなす」と、宗谷本線の4本の列車のみとなっていた。宗谷本線の急行は同年3月11日改正で「宗谷」は特急「スーパー宗谷」、「サロベツ」は特急「サロベツ」、「利尻」は特急「利尻」に格上げされ、「礼文」は廃止。旭川〜名寄間は130km/h運転可能な高速化工事が完成し、「スーパー宗谷」には車体傾斜装置を備えた新鋭の261系気動車を投入、宗谷本線の顔は一気にリフレッシュされた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/02/14


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