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「だいせん」

【第16回】「だいせん」


出雲大社で名高い島根県出雲地方を指向する列車は東京発着の「出雲」が代表格といえるが、関西発着の代表格はこの「だいせん」だった。その名は43.10改正で大阪と島根県各地を福知山線、山陰本線経由で結ぶ急行の総列車名として付けられたが、それ以前は、京都から山陽本線、伯備線を経由して大社へ至る列車に命名されていた。

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43.10改正までは運転距離の短い伯備線ルートで運転される

デアゴスティーニ編集部

急行としては33.10改正でスタートした「だいせん」は、43.10改正で伯備線経由から福知山線、山陰本線経由の急行に転身、気動車・客車の2本建て状態が61.11改正まで続いた。

関西と島根県出雲地方は戦前から結びつきが強く、東海道本線の丹那トンネルが開通した記念すべき昭和9(1934)年12月1日改正では、大阪〜出雲今市(現・出雲市)間に昼行407・408列車、大阪〜大社間に夜行405・406列車などが設定されていた。この2本の列車は現在でいえば快速だったが、405・406列車は2等寝台車を連結しており、実質的な優等列車だった。
これらの列車は尼崎から福知山線を経由していたが、当時の福知山線と山陰本線はほとんどが単線だったため、速達性を考慮すると距離が短い伯備線ルートが戦後になって脚光を浴びるようになり、昭和28(1953)年3月15日改正では岡山〜松江間に快速1往復が設定され、3915列車/岡山10時30分→松江15時05分、514〜3914列車/松江9時28分→岡山14時13分のダイヤで運転された。この列車は昭和33(1958)年10月1日改正で上り方を京都、下り方を大社と発着駅が変更され急行に昇格、「だいせん」と命名された。その当時のダイヤは301〜901列車/京都10時30分→大社19時27分、902〜302列車/大社7時35分→京都16時44分で、京都〜岡山間は広島行きの急行「宮島」に併結されていた。この「宮島」は昭和36(1961)年10月1日改正で気動車化されたことから、「だいせん」の併結相手は名古屋〜鹿児島間の「さつま」に変わった。
昭和37(1962)年10月1日改正では、当時の米子機関区にキハ58型気動車グループが13両増備されたことから「だいせん」は晴れて同グループの5両編成に置き換えられた。その当時のダイヤは901D/京都10時40分→大社18時24分、902D/大社10時30分→京都18時07分で、気動車化されたことで単独運転とされ、全線の所要時間も30分以上短縮された。
気動車化された「だいせん」は、昭和38(1963)年4月20日改正で相生〜東岡山間が前年に全通した赤穂線経由に変更され、同線沿線から京阪神方面への利便が図られた。また、昭和39(1964)年3月20日からは週末のみ京都〜姫路間で姫新線直通の急行「やまのゆ」を併結するようになった。なお、末端の出雲市〜大社間は、昭和41(1966)年10月1日改正で普通列車に格下げられている。

大阪〜島根間の福知山線経由急行は43.10改正ですべて「だいせん」に

デアゴスティーニ編集部

定期客車1往復は53.10改正を機に一般型から20系に置き換えられ、同時にA寝台車の連結が中止された。

快速時代から数えて15年間、伯備線の代表列車として運転されていた「だいせん」に最大の変化が訪れたのは昭和43(1968)年10月1日改正でのことだった。この改正では、大阪と島根県内を福知山線、山陰本線経由で結ぶ急行の総愛称名として鳥取県西部の大山国立公園にちなんだ「だいせん」の名が採用されることになり、これまで伯備線経由で運転されていた「だいせん」は「おき」に改称された。この「おき」は、改正前まで大阪〜出雲市、大社間で運転されていた夜行客車急行に命名されており、昭和40(1965)年10月1日改正以前は「しまね」と名乗っていた(「しまね」はこの改正で米子〜博多間の夜行急行へコンバート)。伯備線にコンバートされた「おき」は、昭和46(1971)年4月26日に181系気動車による特急に格上げされ「だいせん」よりも出世したが、山陽新幹線が岡山まで開業した翌年3月15日改正では岡山発着とされ、その名も「やくも」と改称、現在は381系電車で運転されている。ちなみに「おき」の名は昭和50(1975)年3月10日改正で鳥取、米子〜小郡間に設定された特急に命名され、現在は「スーパーおき」として187系気動車により運転されている。
さて「だいせん」の方だが、43.10改正で次のような4往復の陣容となった。
・「1・2号」=701D(〜721D)/大阪9時50分→益田19時58分(大社17時56分)、(724D〜)704D/(大社10時57分)益田8時50分→大阪19時22分
・「2・1号」=703D/大阪14時52分→松江22時18分、702D/松江7時10分→大阪14時31分
・「3・4号」=701〜121列車/大阪21時25分→大社7時15分、702列車/出雲市21時20分→大阪6時43分
・「4・3号」=9711D/大阪22時50分→大社8時45分、6712列車/出雲市11時25分→大阪21時20分
改正前は「1・2号」が「三瓶」、「2・1号」が「白兎」(大阪発着編成)、「3・4号」が「おき」、下り不定期「4号」が「伯耆」、上り不定期「3号」が「山陰観光団体列車」を名乗っていたが、改正後は「三瓶」が「さんべ」と名を変え、米子〜博多間の夜行急行へ(「しまね」から改称)、「伯耆」は姫新線、因美線経由の陰陽連絡急行へ転じている。「白兎」は改正前、大阪発着と京都発着の2階建てだったが、改正後は京都発着のみが残った。

61.11で夜行1往復のみが残る 大社線乗り入れは廃止

デアゴスティーニ編集部

43.10以後の定期気動車「だいせん」は山陰西部を指向する1往復と鳥取、松江を指向する1往復が運転されていた。

こうして4往復の陣容が整った「だいせん」だったが、その勢力は昭和47(1972)年3月15日改正で早くも削がれる。この改正では山陽新幹線が岡山まで達し、「ひかり」と「やくも」の乗継ぎパターンが確立したことから、所要時間がかかる「だいせん」は整理され、季節(不定期)1往復が臨時に格下げ、「2・1号」は大阪〜鳥取間の運転に変更され「いなば」と改称された。その結果、「だいせん」は昼夜1往復ずつの態勢となったが、昭和48(1973)年10月1日改正では臨時1往復が季節列車に返り咲き3往復と盛り返し、昭和53(1978)年10月2日改正では「いなば」から「いでゆ」と名を改めていた旧「だいせん2・1号」の流れを汲む大阪〜鳥取間列車が復帰し、「だいせん」は47.3改正以来の4往復に戻っている。また、この改正では夜行1往復が20系に置き換えられた。
しかし、この状況も永くは続かず、昭和55(1980)年10月1日改正では季節夜行1往復が廃止、昭和61(1986)年11月1日改正では、福知山線と山陰本線福知山〜城崎(現・城崎温泉)間の電化開業を機に特急「北近畿」が設定されたことから、昼行「だいせん」は一気に「北近畿」に吸収され、夜行1往復のみが残存することになった。この夜行は寝台が14系、座席が12系に置き換えられ、倉吉〜出雲市間が快速に格下げられた。なお、「だいせん」の大社線乗入れは昭和60(1985)年3月14日改正で中止、大社線自体も平成2(1990)年4月1日に廃止されている。

キハ65型「エーデル」で命脈を保つもついに廃止へ

デアゴスティーニ編集部

永く客車列車により運転されていた夜行1往復も99.10改正ではついに気動車化され、キハ65型「エーデル」車2両が廃止まで走り続けた。

こうして夜行1往復のみとなった「だいせん」は急行が相次いで削減されたJR移行後もしぶとく残り、普通列車となる倉吉以西では下りが1番列車、上りが最終列車的な性格を持ちながら運転された。また、寝台車は2段化、座席車はリクライニングシート化されるなどサービスが改善されたが、夜行需要の減少に歯止めがかからず、平成11(1999)年10月2日改正ではキハ65型「エーデル」車2両編成に置き換えられ、運転区間が大阪〜米子間(倉吉〜米子間普通)に短縮された。
平成13(2001)年3月3日改正では、金・土曜日と休日に限り大阪〜出雲市間で全区間の急行運転が復活したものの、平成16(2004)年10月16日改正では、ついに命脈が尽きてしまった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/04/14


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