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「雷鳥」

【第21回】「雷鳥」


「雷鳥」の名は、富山県の立山周辺に棲息する特別天然記念物「ニホンライチョウ」がその由来で、まさしく北陸特急に相応しい愛称名だ。その「雷鳥」は、国鉄初の特急型交直両用電車により昭和39(1964)年から運転を開始した記念すべき列車で、昭和50年代は北陸本線で最大勢力を誇る電車特急に成長した。その後、主力は681・683系による「サンダーバード」へ移ったが、2015年3月の北陸新幹線開通を控え、その行方が注目されている。

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北陸本線初の電車特急として「しらさぎ」とともに登場

デアゴスティーニ編集部

「サンダーバード」として走る683系0番代。外見の類似から681系の単なる増備型ともとらえられがちだが、時代の変化に合わせて、設計はほぼ一新されている。

北陸本線の電化は、昭和32(1957)年10月1日の田村〜敦賀間の開業に始まり、昭和37(1962)年6月10日には福井まで、翌年4月20日には金沢まで開業した。福井電化後には臨時ながら急行型交直流電車が北陸本線に初めて登場、金沢電化を迎えると「ゆのくに」「加賀」といった定期急行が一斉に運転を開始した。北陸本線の電化の伸展と並行して路線の改良も進み、昭和32(1957)年10月1日には木ノ本〜敦賀間の新線が開業、昭和37(1962)年6月10日には敦賀〜南今庄間の北陸トンネルが開通し、杉津経由の旧ルートが廃止された。また、昭和38(1963)年9月30日には新疋田〜敦賀間のループ線による複線化が達成された。
これら電化と路線改良の進行により、北陸本線高速化の条件は整い、富山電化を迎えた昭和39(1964)年10月1日改正では、いよいよ北陸本線にも電車特急のスジとして大阪発着の「雷鳥」、名古屋発着の「しらさぎ」が設定された。この2列車へは国鉄初の特急型交直両用電車となる481系が投入される予定だったが、その落成が改正に間に合わなかったことから、実際の運転は年も押し迫った同年12月25日から開始された。その当時の「雷鳥」のダイヤは、2001M/大阪12時30分→富山17時15分、2002M/富山13時35分→大阪18時20分で、所要時間は4時間45分と、並行する電車急行と比べ約40分スピードアップした。ちなみに「雷鳥」の名は定期列車としてはこの特急が初めてだが、臨時列車としては昭和34(1959)年7月20日から同年8月13日まで運転された大阪〜長野間の臨時夜行準急に命名された記録が残っている。

当初から評判は上々 80系気動車の充当も

デアゴスティーニ編集部

昭和39(1964)年以来、北陸特急に君臨してきたのが「雷鳥」だった。クハ481は0・100番代が連結されることが多かったが、これらの485系ボンネット車は惜しくも平成15(2003)年9月限りで姿を消した。

「雷鳥」の人気は運転開始時から上々で、昭和41(1966)年10月1日改正では、急行「加賀」1往復を格上げして2往復となった。昭和43(1968)年10月1日改正ではさらに1往復が増発され、米原〜金沢間の高速化により最高速度120km/h運転が開始されている。翌年10月1日改正で1往復、昭和45(1970)年10月1日改正でも1往復が増発され、昭和40年代前半には、少しずつだが着実に勢力を拡大させていった。翌年7月30日からは、臨時ながら毎日運転の「雷鳥71号」が増発され、実質6往復となった。
ちなみに定期「雷鳥」は481系で運転されていたが、昭和42(1967)年3月18日からは多客期の土曜・休日を中心に大阪〜金沢間で80系気動車を使用した臨時「雷鳥」が運転されたことがあった。この列車は上野〜金沢間の気動車特急「はくたか」の間合いを使用して運転されていたことから、「はくたか」が電車化される直前の昭和44(1969)年9月24日限りで運転を終了している。

国鉄で最大本数を誇る屈指のエル特急に成長した昭和50年代

デアゴスティーニ編集部

赤スカートのクハ481を先頭にした485系「雷鳥」。後方にいるブルーの「新快速」が懐かしいが、実は大阪〜京都間ではこの新快速の方が「雷鳥」より速かった。

昭和47(1972)年に入ると「雷鳥」は一大発展の足がかりをつかむ。同年3月15日改正では、大阪〜富山間に3往復が増発(1往復は6月4日から運転開始)され8往復となり、日中は1〜2時間ヘッドでの運転となった。続いて実施された10月2日の改正は、日本海縦貫線が全線電化される記念すべき改正となり、並行する大阪〜青森間の特急「白鳥」が485系電車化され、「雷鳥」は急行「ゆのくに」「立山」を格上げして2往復増の10往復に成長した。
昭和48(1973)年以降は、「雷鳥」を新潟まで延長して「北越」に編入するなどの動きがあった以外は、「雷鳥」の陣容にほとんど変化はなかったが、昭和4(1973)年10月1日改正時点では「白鳥」「北越」「しらさぎ」も合わせた北陸特急グループは17往復にも膨れ上がり、規格ダイヤの導入も相まって、急行よりも利用しやすい列車へ変貌していった。
昭和50(1975)年の3月10日改正では、前年7月20日に開業した湖西線山科〜近江塩津間で優等列車の乗入れが開始され、北陸本線を通過する全特急列車が同線経由に変更された。これにより「雷鳥」を含めた北陸特急の所要時間は平均15分前後短縮された。また「雷鳥」はこの改正を機に全列車が自由席連結となり、エル特急の仲間入りをした。

16往復を数える絶頂期を迎えるも 成長にも陰りが見え始める

デアゴスティーニ編集部

昭和50(1975)年頃からは非貫通の非ボンネット車であるクハ481型300番代も顔を見せるようになった。後には「スーパー雷鳥」タイプの485系が「雷鳥」に充当されているため、少数派になってしまった。

昭和53(1978)年10月2日改正では、急行の格上げや大阪〜新潟間の「北越」を編入したことから16往復を数えるようになり、数の上では東日本の「ひばり」「とき」を超える日本一のエル特急として君臨するようになる。また、これまで485系や489系により運転されてきた「雷鳥」に581・583系が加わるようになり、3系列の特急型交直両用電車が駆使される特急として人気を博した。
このように、数の上で絶頂期を迎えた「雷鳥」だったが、昭和50年代後半に入るとその成長にもやや陰りが見えはじめる。その原因は当時相次いだ「国鉄離れ」で、昭和57(1982)年11月15日改正では、上越新幹線開業に伴い東日本地区で大規模な改正があったものの、「雷鳥」は2往復増の18往復にとどまった。昭和60(1985)年3月14日改正を迎えると、581・583系運用が消滅、前年の12月7日から順次営業休止となっていた食堂車が全編成から外れ、代わりに食堂車を改造した畳敷きの和風電車「だんらん」が連結されるようになり、話題となった。
この頃から、国鉄の分割・民営化を睨んだ新基軸が「雷鳥」にも打ち出されてきており、昭和61(1986)年12月27日からは「雷鳥9・28号」の最後部に七尾線直通の気動車「ゆぅトピア和倉」が併結されるようになった。営業列車における電車と気動車の併結は、この当時非常に珍しかったが、併結区間の大阪〜金沢間は協調運転ではなく、「ゆぅトピア和倉」が「雷鳥」に牽引されるスタイルだった。また、翌年1月21日からは485系のアコモ改善車が「雷鳥」に投入され、サービスアップが図られている。

681・683系の投入によって北陸の主力は「サンダーバード」へ

デアゴスティーニ編集部

JR化直後の「雷鳥」のエースはこの「スーパー雷鳥」用485系で、写真は短命に終わった最初の塗色である。

国鉄末期にはその発展にやや陰りを見せていた「雷鳥」だったが、JR化後は急速にその勢いを盛り返す。その端緒となったのが平成元(1989)年3月11日改正で登場した「スーパー雷鳥」で、富山方に前面展望型のパノラマ型グリーン車を連結した同列車は、北陸トンネル内と湖西線内で130km/h運転を開始した。
平成3(1991)年9月1日には七尾線津幡〜和倉温泉間が直流で電化開業し、「スーパー雷鳥」は7両から基本7両と付属3両の10両となり、付属編成が七尾線へ乗り入れるようになった。付属編成は同時に富山地方鉄道にも乗り入れるようになり、立山発着列車は「スーパー雷鳥・立山」、宇奈月温泉発着列車は「スーパー雷鳥・宇奈月」と命名されたが、この乗入れは現在中止されている。
さて、この時期になると、485系の老朽化が目立つようになり、同系に代わる新系列の特急型交直流電車681系試作車が平成4(1992)年12月26日から臨時「雷鳥85・90号」に投入された。681系量産車が登場した平成7(1995)年4月20日改正では、これまでの485系「スーパー雷鳥」と区別するために「スーパー雷鳥(サンダーバード)」と呼称されたが、平成9(1997)年3月22日改正では「サンダーバード」に改称され、「雷鳥」の文字が消えた。
その「サンダーバード」も2015年3月の北陸新幹線開通を控え、その行方が注目されている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/09/16


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