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「房総急行」

【第24回】「房総急行」


総武本線、内房線、外房線、成田線を基幹路線とする房総半島の国鉄線は、戦前から複雑な路線網を形成していた。昭和30〜40年代には新宿、両国方面から館山や安房鴨川、銚子といった各方面へ直通する多層建て列車が数多く運転されていた。その変遷は、列車の分離や吸収が多く複雑怪奇であり、昭和44(1969)年7月11日の房総西線(現・内房線)の千倉電化までは、房総一円に気動車王国が築かれていた。

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全通時からあった両国を起点とする房総半島循環列車

デアゴスティーニ編集部

全車冷房の165系電車急行「うち房」(右)と非冷房のキハ28型気動車急行「そと房」。

房総半島の内房・外房線がほぼ現在のように形成されたのは、上総興津〜安房鴨川間が開通した昭和4(1929)年4月15日のことだった。当時、現在の内房線と外房線は「房総線」と総称されており、その全通時は両国橋(現・両国)を始終着とした房総半島循環列車が運転されていた。房総線は昭和8(1933)年4月1日に安房鴨川を境に西は房総西線、東は房総東線に改称された。
房総線が全通した頃、総武本線はまだ秋葉原とつながっていなかったため、房総各線の列車は両国橋を起点に、まったく独立した形態で運転されていた。房総急行が長く両国始発を保っていたのはこの名残りだ。
昭和5(1930)年頃の時刻表を見ると、総武本線下りの両国橋発は日中20分間隔とほぼ等間隔で運転されている。優等列車こそなかったが、千葉以遠へ運転される列車のなかには、錦糸町〜千葉間をノンストップで運転される列車もあり、現在でいえばさしずめ快速的存在だった。

戦前からあった房総の風物詩─名称付きの夏の海水浴臨

デアゴスティーニ編集部

昭和39(1964)年に80系電車で運転された準急「白浜」。房総西線内はDD13に牽引された。

総武本線が秋葉原とつながったのは昭和7(1932)年7月1日のことで、このときに御茶ノ水〜両国間で電車運転が開始されている。この電車運転は昭和10(1935)年7月1日には千葉まで拡大され、このときから千葉までの「電車」と両国を始発とする「汽車」が並行して運転されるようになる。現在でいえば、総武快速線と緩行線の感覚がほぼこの時期に形成されたといっていいだろう。
房総半島の列車といえば、夏の海水浴臨が一年で最大の風物詩だが、海水浴列車は戦前も運転されており、昭和10(1935)年前後の夏には愛称名付き列車が登場している。代表的なものとしては、両国〜安房鴨川、安房北条(現・館山)間の「さざなみ」(房総西線経由)、両国〜安房鴨川、安房小湊間の「うしほ」(房総東線経由)がそれで、「さざなみ」は6往復、「うしほ」は4往復運転された。しかしこれらの列車は、日中戦争の激化により昭和15(1940)年に愛称名なし列車に戻っている。ただし、スジ自体は2往復が残り、昭和17(1942)年11月15日改正までは運転されていたという。
太平洋戦争突入後も、千葉までは「電車」と「汽車」が並行して運転されていたが、昭和19(1944)年10月11日改正では、「汽車」の大半が両国発着から千葉発着に変更され、半島循環列車もほとんどが安房鴨川で系統分離された。

戦後間もなく登場した愛称名付き快速「汐風」

デアゴスティーニ編集部

夏季臨としてオールキハ17型気動車で運転された急行「汐風」。

戦後になると、房総各線の列車は車両不足のため大幅な間引き運転を余儀なくされた。特に総武本線は、首都圏から流入してくる千葉県各地への買い出し客で大混雑した。「電車」と「汽車」の乗換え口であった千葉駅は、終日、輪をかけたように混雑が続いたという。
そんな状況も昭和24(1949)年9月15日改正では、房総半島循環列車の増発などもあって少しずつ改善されていき、翌年夏シーズンには7月16日〜8月20日の土曜・休日にのみ、両国〜館山間に「汐風」という愛称名付き快速が登場している。

「夕凪」「さざなみ」「黒潮」「千鳥」など多数の列車名が登場

デアゴスティーニ編集部

「くろしお」は一時全車指定準急として運転されたが、後に「外房」に吸収され、一般列車化された。

さらに昭和27(1952)年の夏シーズンには「汐風」のほかに新宿〜館山間に「夕凪」と「さざなみ」、新宿〜安房鴨川間に「黒潮」(房総東線経由)が運転された。それぞれの列車は運転日が異なっており、「汐風」は日曜運転、「夕凪」は土曜運転、「黒潮」は休日運転とされ、「さざなみ」のみ毎日運転だった。
ちなみに、これらの海水浴臨には後年、「清澄」「浜風」「千鳥」といった愛称名が登場しているが、昭和38(1963)年には房総西線系統が「汐風」、房総東線系統が「黒潮」に、昭和39(1964)年には房総西線系統が「白浜」、房総東線系統が「清澄」に整理されている。

房総における多層建て気動車列車のはしり「房総の休日」

デアゴスティーニ編集部

「外房」のうち、半島1周列車は一時期「そとうみ」を名乗っていた時期があった。

昭和20年代までの房総各線の列車は客車列車が主体で、気動車は久留里線や木原線(現・いすみ鉄道)などの支線区系でガソリンカーが細々と運転されているにすぎなかった。しかし昭和28(1953)年、国鉄初の本格的な液体式気動車キハ45000(後のキハ17)が登場すると、千葉地区が導入モデル線区に指定され、昭和29(1954)年の夏シーズンには「汐風」「夕凪」「黒潮」の3列車が気動車化された。そして同年10月1日改正では、房総東・西線のほとんどの列車が気動車となった。
房総各線における気動車化の波は、昭和30年代に入ってもさらに続き、昭和30(1955)年2月13日〜3月16日には、新宿始終着で房総半島を一周する快速「花園号」が運転された。これをきっかけに、春と夏には新宿〜館山、外川間で「房総の休日」が運転されるようになり、同年11月15日からは、平日は千葉発着で房総東・西線を2周する定期快速となり、休日は「房総の休日」として、新宿発着で運転されるようになった。平日のダイヤは、101列車/千葉9時00分→安房鴨川11時25分(房総西線経由)、202列車/安房鴨川11時30分→千葉13時26分(房総東線経由)、201列車/千葉13時40分→安房鴨川15時35分(房総東線経由)、102列車/安房鴨川15時36分→千葉17時56分(房総西線経由)で、休日に新宿〜千葉間延長運転される場合は新宿発8時00分、新宿着19時10分となり、千葉入出庫の運用は、千葉〜館山間の普通112・153列車を新宿まで延長する形で行なわれた。「房総の休日」は、翌年1月20日から銚子行きも連結されるようになり、新宿〜千葉間は101・102列車に併結された。

「犬吠」「内房」「外房」のサブ列車名が付いた準急

デアゴスティーニ編集部

50.3改正時に電車化された総武本線系統の急行「犬吠」。この名は昭和33(1958)年7月10日から両国〜銚子間で運転を開始した房総初の準急に付けられた記念すべきものでもある。

昭和33(1958)年に入ると、キハ55型気動車グループが全国的に増備されるようになり、他線区で捻出されたキハ25などが千葉地区に転入してきた。そこで同年7月10日改正では、両国〜銚子間に房総初の優等列車として準急「犬吠」が登場した。この列車は同年11月10日から両国〜千葉間で房総西線経由の館山行きと房総東線経由の安房鴨川行きを併結するようになったことから「房総」と改称した。
しかし、千葉でそれぞれの編成が分割される際、誤乗を招く恐れがあるということで、「房総」の列車名は、銚子行きが「房総(犬吠)」、館山行きが「房総(内房)」、安房鴨川行きが「房総(外房)」とされ、カッコ付きでサブの列車名を入れて行先を区別するようになった。
房総の気動車準急は、昭和34(1959)年7月1日改正で2往復増発され3往復となったが、新設の2往復は房総東・西線を循環する列車となったため、こちらに「房総」の列車名が付けられることになり、従来の新宿〜銚子、館山、安房鴨川間の準急は「京葉」と改称された。
2代目の「房総」は、千葉で銚子行き、房総西線経由、房総東線経由の3方向に分割される多層建て列車で、カッコ付きの列車名も続けられたが、昭和36(1961)年10月1日改正では、銚子行きを「総武」として分離して2往復とも房総東・西線の循環列車とし、カッコ付き列車名は消滅した。
しかし、「房総」と「京葉」は半島循環列車であるか否かで列車名が区別されているだけで、分割駅となる千葉では行先がわかりにくい列車となっていた。そこで昭和37(1962)年10月1日改正では、総武本線系統が「犬吠」、成田線系統を「水郷」、房総東線系統が「外房」、房総西線系統が「内房」と整理された。「犬吠」「水郷」は「総武」から改称された列車で、「総武」の名はわずか1年と短命だった。

読みは「がいぼう」から「そとぼう」、「ないぼう」から「うちぼう」へ

デアゴスティーニ編集部

キハ58型気動車グループによる急行「外房」。昭和40(1965)年10月改正前は「がいぼう」と読まれていた。

昭和38(1963)年10月1日改正では、房総東・西線に従来の「外房」「内房」のほかに、全車座席指定制の「くろしお」「さざなみ」が登場した。しかし、この2列車は昭和40(1965)年10月1日改正で座席指定制が中止され一般列車化された。また、房総東・西線の準急名である「外房」「内房」の読みはそれぞれ「がいぼう」から「そとぼう」、「ないぼう」から「うちぼう」へと改められた。
昭和41(1966)年3月5日、全国の100km以上を走る準急がすべて急行に格上げされることになり、「外房」「内房」をはじめとする房総の準急はすべて急行となった。昭和43(1968)年に入ると、3月28日に千葉〜成田間が電化開業、さらに7月13日には房総西線千葉〜木更津間が電化開業し、房総地区に次第に電化の足音が聞こえてきた。そんな中、この年の10月1日改正では、「外房」は「そと房」、「内房」は「うち房」と改められ、昭和44(1969)年7月11日の房総西線千倉電化を迎えることになる。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2014/12/17


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