模型を作ってシェアするホビーコミュニティ ホビコム by デアゴスティーニ

「ひかり」

【第25回】「ひかり」


「ひかり」の名が初めて日本の国有鉄道(戦前の日本統治下の外地を含む)に登場したのは、昭和8(1933)年4月から釜山〜京城(現・ソウル)間で運転された急行からだった。戦後は昭和33(1958)年4月25日に博多〜別府間の臨時気動車急行で復活。39.10改正では、公募により東海道新幹線へ「栄転」し、永年、東海道・山陽新幹線の代名詞として君臨していたが、品川駅が開業した03.10改正では本数の上で完全に「のぞみ」に凌駕され、「こだま」と並ぶバイプレイヤーとして運転され続けている。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


戦前の「弾丸列車」構想を実現 当初は東京〜新大阪間4時間で結ぶ

デアゴスティーニ編集部

富士の裾野をバックに快走する0系「ひかり」。39.10改正で運転を開始し、JR移行後に「のぞみ」が登場するまでは、この「ひかり」がまさに東海道・山陽新幹線の象徴だった。

昭和30年代前半、国鉄本社では東海道本線の輸送力増強策として、東京〜大阪間に広軌による別線を設け、電車による高速運転を行なう計画が持ち上がっていた。戦前のいわゆる「弾丸列車」を彷彿させるこの別線は「新幹線」と命名され、昭和34(1959)年4月20日、新丹那トンネル東口で起工式が取り行なわれ工事がスタートした。以来、工期5年半という驚異的なスピードで東海道新幹線東京〜新大阪間が開業した。
東海道新幹線の運転に当たっては、その愛称名が公募によって選ばれたが、途中、名古屋、京都のみに停車する速達タイプの列車には1位の「ひかり」が、各駅停車タイプには10位「こだま」が選ばれた。
東海道新幹線は、東京〜新大阪間最速3時間10分で運転される予定だったが、東京オリンピックを視野に入れた突貫工事の影響で路盤が不安定な区間が出たことを考慮して、当初は「ひかり」4時間、「こだま」5時間とする徐行運転が行なわれた。ダイヤは東京発基準で1時間当たり「ひかり」1本、「こだま」1本の運転とするいわゆる「1-1ダイヤ」とされ、スタート時の運転本数は「ひかり」14往復、「こだま」16往復となった。

東京〜新大阪間は3時間10分で運転 万博を契機に16両編成へ増強

デアゴスティーニ編集部

1等(グリーン)車のデザインは「金」がイメージされていたため、座席も「黄金色」となり、豪華な雰囲気が醸し出された。この座席も未交換のまま、廃車まで装備していた車両があった。

開業から1年が経過した昭和40(1965)年10月1日改正では「2-2ダイヤ」へ移行し、「ひかり」は東京、新大阪発ともに毎時00、30分発の2本運転となり、翌月1日には晴れて最高速度210km/hによる3時間10分運転がスタートした。スピードアップした新幹線の人気は上々で、昭和42(1967)年10月1日改正では「3-3ダイヤ」へ移行し、「ひかり」は東京発、新大阪発ともに毎時00、20、40分発の20分ヘッドによる3本運転とされた。昭和44(1969)年10月1日改正では、依然として人気が高い「こだま」の利用客に配慮して「3-6ダイヤ」へ移行。「ひかり」の1時間当たりの運転本数に変化はなかったが、この時点で東海道新幹線の運転本数は開業時と比べて3倍の規模に達しており、当時の運転技術や施設水準に照らし合わせて輸送力は逼迫しつつあった。加えて、翌年3月16日からは大阪市で日本万国博覧会が開催されることから、本数でカバーできない分を増結で補うことになり、昭和44(1969)年12月8日から「ひかり」の16連化が開始された。当時、「ひかり」用の0系12両編成は30本あり、これに普通車を順次増結することで、万博開催を前にした昭和45(1970)年2月25日には全編成の16連化が完了している。

山陽新幹線開業で停車駅が多様化 昭和44年からは食堂車営業開始

デアゴスティーニ編集部

「食堂」の機能も兼ねて、カウンター席に座席も設けられた35型のビュッフェ室。

昭和47(1972)年3月15日、「ひかりは西へ」のキャッチフレーズも高らかに山陽新幹線が岡山まで開業した。これにより基本ダイヤは「ひかり」を重点とする「4-4ダイヤ」へ移行し、車両の効率的運用を図るため、新大阪以遠へ直通する列車はすべて「ひかり」とされた。このため「ひかり」は山陽新幹線内では「こだま」の役割も果たすようになり、便宜上、新大阪〜岡山間ではノンストップ列車が「Wひかり」、新神戸、姫路の2駅停車列車が「Aひかり」、各駅停車列車が「Bひかり」とされ、最速列車の「Wひかり」の場合、東京〜岡山間は4時間10分となった。同年10月2日改正では、東京〜新大阪間で名古屋、京都のみ停車だった「ひかり」のうち、3往復が初めて米原にも停車するようになった。
昭和49(1974)年に入ると、山陽新幹線博多開業が目前に迫ってきたこともあり、それを見据えた食堂車の連結が始まり、同年4〜8月に「ひかり」用H編成へ組み込まれ、9月5日から早くも食堂の営業が始まっている。
その博多開業は、昭和50(1975)年3月10日に実現、改正前の「4-4ダイヤ」は維持されたものの、「ひかり」の運転パターンは複雑化した。これを下り東京発で見た場合、00分発は博多行き(新大阪以遠岡山、広島、小倉停車の「Wひかり」)、12分発は新大阪行き、24分発は岡山行き(新大阪以遠各駅停車の「Bひかり」)、48分発は博多行き(新神戸、姫路、岡山以遠各駅停車の「Aひかり」)となり、東京から広島以遠の最速所要時間は広島まで5時間8分、博多まで6時間56分となった。

55.10から「ひかり」中心ダイヤへ ダブルデッカーも登場

デアゴスティーニ編集部

量産化改造前の2階建て食堂車内。これまでにない視界を提供した、走るレストランとして高く評価された。バブル期には順番待ちの長蛇の列ができたものである。

昭和50(1975)年6月には、遅れていた東京駅15番ホームが完成、昭和51(1976)年7月1日には50.3改正時点では懸案だった「5-5ダイヤ」へ移行し、「ひかり」に初めて新横浜、静岡停車列車が登場した。また、同年8月には窓破損時を考慮して、側窓が小窓になった0系が登場している。
この時期から、深刻な累積赤字に悩む国鉄を象徴するかのように新幹線の低迷が始まり、国鉄始まって以来の減量ダイヤとなった昭和55(1980)年10月1日改正は「こだま」の削減が進められた。それを補完するように「ひかり」では停車駅が拡大し、熱海、三島以外は「ひかり」の停車駅となり、「ひかり」の「こだま」化傾向が現れつつあった。山陽新幹線では、三原〜博多間で路盤が安定したことから210km/h運転が可能となり、東京〜博多間は16分短縮の最速6時間40分となった。
このような「ひかり」中心のダイヤは、昭和60(1985)年3月14日改正でも推し進められ「6-4ダイヤ」へ移行した。「ひかり」の停車駅は飛躍的に増え、1時間に1本は熱海〜豊橋間で原則2駅停車する「HKひかり」が登場した。これにより「ひかり」は熱海、三島にも停車するようになり、東海道新幹線全駅に「ひかり」が停車するようになった。また、0系の登場以来、21年ぶりに車両のモデルチェンジが図られ、同年10月1日改正からは新幹線初のダブルデッカー車を含む100系試作車1編成が投入され、当面は月・火・金・土曜を中心に運転された。
国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61(1986)年11月1日改正では、最高速度が220km/hに引き上げられ、東京〜新大阪間は最速2時間56分と、3時間の大台を切った。

車両の新陳代謝が激しかったJR時代 「グランドひかり」が営業開始

デアゴスティーニ編集部

JR西日本が誇る「グランドひかり」V編成。2階建て車両を4両とし、次世代新幹線車両を待たずに270km/h運転に挑むなど、100系の中の「白眉」と讃える向きも多い。500系登場以前の、東海道・山陽新幹線のスーパースターであった。

JR移行後の東海道・山陽新幹線は、新大阪以東をJR東海、以西をJR西日本が受け持つことになり、両社の独自性を活かした施策が目立つようになった。
新富士、掛川、三河安城、新尾道、東広島の5駅が一挙に開業した昭和63(1988)年3月13日改正では、JR西日本が0系の座席配置を2+2に改良した「ウエストひかり」の運転を開始。平成元(1989)年3月11日改正では「7-4ダイヤ」へ移行し、JR西日本ではダブルデッカー車を4両組み込んだ100N系「グランドひかり」を投入。山陽新幹線内では230km/h運転を実現している。
平成4(1992)年3月14日改正では1時間に「ひかり」を8本も運転する「8-3」ダイヤが登場する一方で、最高速度が220km/hと歩止まり状態となっていた0系および100系を走行性能面で大幅に凌ぐ300系が登場し、同系を使用した最高速度270km/hの「のぞみ」が東京〜新大阪間で運転を開始した。「のぞみ」は臨時列車の扱いながら、同区間の所要時間は最速「ひかり」を凌ぐ2時間30分となり、新横浜には停車しても名古屋には停車しない異端ぶりを発揮した。
この「のぞみ」の登場により、平成5(1993)年3月18日改正から、「のぞみ-ひかり-こだま」の基本ダイヤとなり、「のぞみ」が1時間当たり1本の運転となる「1-7-3ダイヤ」となった。

05.10改正では「のぞみ」と主役交替 「ひかりレールスター」の投入へ

デアゴスティーニ編集部

東海道〜山陽直通用「ひかり」のリニューアルは、結局、新世代車両投入により完全には行なわれなかった。写真は平成10(1998)〜11(1999)年に走った「バンジョーとカズーイの大冒険号」。

300系の登場以来、新幹線車両の新陳代謝は加速度的に進み、平成9(1997)年3月22日改正ではJR西日本が最高300km/hを叩き出す500系を山陽区間の「のぞみ」に投入。同年11月29日改正では東海道区間にも進出した。そして平成10(1998)年3月14日改正では、500系の増備により「のぞみ」用だった300系が「ひかり」にも充当されるようになった。平成11(1999)年3月13日改正では、JR東海が最高285km/hの700系を投入し、永年新幹線の顔だった0系は追われるように同年7月31日に運転された下り「ひかり313号」を最後に東海道「ひかり」から引退。0系自体も9月18日限りで東海道新幹線から撤退している。
700系はJR西日本にも登場し、平成12(2000)年3月11日改正では700系7000番代「ひかりレールスター」の投入を開始。これまでの0系「ウエストひかり」に代わる山陽区間の利便性を図る目玉列車となった。700系の台頭は、ついに国鉄末期から登場した100系をも淘汰する結果となり、平成15(2003)年9月16日には「ひかり309号」を最後にダブルデッカー車を組み込んだ100系編成は東海道・山陽新幹線の定期運用から離脱した。
旧勢力ともいえる車両たちが相次いで姿を消したのちの平成15(2003)年10月1日、東海道新幹線の利便を飛躍的に向上させるといわれる品川駅が開業し、基本ダイヤは「7-2-3ダイヤ」へ移行。ここに完全な「のぞみ」中心ダイヤが実現した。「ひかり」は1時間当たり最大2本の運転となり、東京〜広島間や東京〜博多間の長距離運転もなくなったが、車両は300系、700系で統一され、駅間最高速度は全区間で270km/hに到達した。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/01/14


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。