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24系「夢空間」

【第28回】24系「夢空間」


「夢空間」とは、近い将来の新しい寝台特急像を確立すべく、平成元(1989)年3月に登場した豪華車両に与えられた愛称である。「横浜博覧会」に関連して展示されるという変わったデビューを果たしたのち、JR東日本の「スペシャルカー」として、未来の寝台特急を夢見て創造されたラグジュアリーな空間を演出した。

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夢の列車の出発地点は展示用の「パビリオン」

デアゴスティーニ編集部

「北斗星」のテールサインを掲げて「夢空間北斗星」に運用される「夢空間」。ブルー、ブラウン、グリーンと1両ずつ異なる車体色が個性的だ。営業運転開始後の「夢空間」は、24系「北斗星」用改造車との組合わせで対北海道向けの臨時列車運用に入るのが定番となった。

昭和63(1988)年3月の青函トンネルの開業とともに登場し、大ブームとなった「北斗星」の成功は、好景気とも相まってさらに新しい寝台特急への期待を呼んだ。分割民営化、新会社発足という大変革の時期から、1年弱しかないという短い準備期間のうちに構想をまとめ、既存車を改造して対応しなければならなかった「北斗星」用車両製作時のような制約は外し、一から存分に腕を振るって新型車両を設計したいという機運もまた、JR東日本内部では高まっていた。豪華、斬新な商品はいつか飽きられる時が来る。そのためにも追い風が吹いているこの時期にこそ、新しい寝台列車の開発が望まれたのである。
折しも、新たに「みなとみらい」と呼ばれることになった横浜港内の広大なエリアで、平成元(1989)年3月25日から10月1日まで「横浜博覧会(YES ’89)」の開催が予定されていた。JR東日本もパビリオンとして「近未来の寝台列車」を出展することが決まった。こうして、24系25型900番代が製造されるに至ったのである。

モックアップか試作車か? 難しかった「夢の列車」の性格づけ

デアゴスティーニ編集部

EF81に牽引され帰京してきた「夢空間あきた」。大型観光キャンペーンに合わせて、このほかにも七尾線に直通した「夢空間わくら」など、さまざまな臨時列車が積極的に運転され、大活躍した。

鉄道車両としては極めて特異なことに、このグループは当面、営業運転に投入される予定もなければ、投入される路線、列車も未定。しかも新製後半年間は展示物として置かれるという条件で製作に着手されている。そのため当初は、実車両ではなくモックアップとして作るという案もあった。そうなると走行系機器が不要になり、不燃性の問題から鉄道車両に使用することができない素材も「建造物」用としてなら使えることから、インテリア上の制約も少なくなる。しかし、「夢の列車」が実際にJRの線路上を走る、という面がやはり重視され、このプランはいつしか沙汰やみとなった。
ところが実車といえども、その第一の目的はハードウェアを試作し、実際に利用客に見せて反応を調査したいという点には相違なかったのである。つまり列車に「使う」以前に、あくまでインテリアを中心に「見せる」ための車両であったことは、製造の経緯として見逃せない。
ただ、展示終了後の使用方法が不確定とはいえ、ある程度の見通しがないと車両の設計はできない。そこで、順当なところとして、人気の高い「北斗星」系統の首都圏発北海道方面行き列車に運用することが前提とされたのである。

有名百貨店が「競作」した個性派デザインの車両が登場

デアゴスティーニ編集部

海浜幕張駅前で展示される「夢空間」。技術的な面での試作車の例は数多いが、インテリア開発のために試作された車両は、おそらく空前絶後となるであろう。

このような条件に基づき、設計概要が決定された。まず、走行系機器、電気回路、基本サービス機器などは24系25型と共通化され、併結運転することとされている。JRとしては初めて、「24系」を新製したことになる。また北海道乗入れ用に、酷寒地対応車両となった。これらにより、技術開発的な要素はほとんどなくなり、車両メーカー各社によるコンペティションは、デザインコンペ的な傾向が強くなったともいわれている。
車種構成は、シティホテル並みの設備を持つA個室、乗客の交流や憩いの場となるラウンジ、最後尾の展望を楽しめるレストランの3両とされた。それぞれバラエティに富んだプランを比較検討するため別々のメーカーに発注され、内装デザインは有名百貨店が担当する形で製造がスタートしている。
A個室寝台車「デラックススリーパー」、オロネ25 901は日本車輌が製造し、インテリアは高島屋が手がけている。基本コンセプトは居住部分と寝室からなる2人用個室に、バスタブを持つサニタリー部分を付属させるという、ホテルの「スイートルーム」あるいは「ツインルーム」を意識したものであった。デザインテーマは「オールド・ニュー」で、クラシカルにまとめられている。
客室は1両にツインルームが3室。定員はわずか6人で、居住スペースにはかつてないゆとりが確保された。うち1室は特別室で、セミダブルベッド2台が線路方向と枕木方向に各1台置かれたベッドルーム、ソファ、テーブル、クローゼットを備えるリビングルームで構成されている。

世界的にも珍しい「バスタブ」付き車両とピアノのあるラウンジカー

デアゴスティーニ編集部

営業初列車として「世界鉄道デザイン会議」参加者を乗せて日光線を行く「夢空間」+「スーパーエクスプレス・レインボー」。最高のデビューを果たしたものの、その設計コンセプトを活かした量産車が現れることはなかった。

サニタリーは洋風ホテルと同様の、トイレと一体となったユニット式であるが、やはり注目を集めたのは「バスタブ」。個室内のシャワーならば「北斗星」の「ロイヤル」で実現していたが、列車内のバスタブとなると全世界を見渡しても、南アフリカ共和国の超豪華列車「ブルートレイン」ぐらいしか例がなく、「お湯につかることを好む」日本人の嗜好にマッチした設備と評された。ちなみに、この車両と「トワイライトエクスプレス」用のスロネフ25はほとんど同時期に完成しているが、客室からの展望については、こちらは従来と変わらず、狙いの違いが如実に現れていて興味深い。
ほかの2室も基本的な設備は同じ。ベッドは線路方向に並行に置かれたシングルベッド×2基だが、移動は可能でダブルベッド風にできるよう配慮されている。リビングルームはベッドルームと兼用。なおそれぞれの「エクセレントスイート(特別室)」「スーペリアツイン」という愛称は、営業運転開始時に付けられたものである。
「ラウンジカー」オハフ25 901の製造は富士重工業、インテリアは松屋が担当している。テーマは「知的遊空間」で、アール・ヌーヴォー風のデザイン。列車内の社交場、バーと位置づけられた。
車内スペースの大半はラウンジフロアに充てられている。中央部には半円形の本格的なバーカウンターを配置。周囲には自由に動かせるラウンジチェアが14脚置かれる。また、場の雰囲気に相応しくアップライトピアノもあり、自動演奏のほか、ピアニストによる演奏も可能となっている。窓も車両本来の固定窓の内側にカット入りガラスで意匠された開閉式の内窓を設け、レースのカーテンとともにラウンジらしい演出がなされている。乗降口回りにはレストルーム(トイレ、洗面所)、乗務員室を持つ。
「ダイニングカー」オシ25 901は東急車輛、東急百貨店の東急グループコンビで製造されている。何より最後尾に連結されることが特徴で、展望をほしいままにできるほか、床面積が増え、車内の通り抜けもなくなり、落ち着いて食事ができるようになった。ダイニングフロアは、フルコースディナーを供することを前提とした3列配置で定員18人。中央部には4人用の個室も設けられている。厨房スペースはオシ24などとほぼ同様だが、機器類は最新のものを設置している。デザインは伝統的な様式美を基本に現代感覚を加えたもの。照明には白熱灯を多用してソフトムードを醸し出すとともに、ホームなど外から見た時の美しさにも配慮している。

桜木町駅前で展示されたのちスキー臨時列車でデビュー

デアゴスティーニ編集部

「デラックススリーパー」と称されるオロネ25 901の車内。ゴージャスさを前面に押し出した内装と設備は、それまでの鉄道車両のイメージを覆した。

最終的に横浜博覧会への出展は諸事情で見送りとなったが、同博と連動して同じ会期で会場近くの桜木町駅前広場で展示されることとなり、イベント名としては「夢空間 ’89」となった。このことから車両そのものも、のちに「夢空間」と呼ばれるようになる。会場ではプラットホームが仮設されデラックススリーパー、ラウンジカーの見学が行なえるようになっていたほか、ダイニングカーは実際にレストランとして営業している。
イベント終了後は海浜幕張駅前でも展示されたのち、営業運転に向けて整備が行なわれた。この時、新製時に甲種回送されたオロネ25 901以外の2両は初めて本線上を走行している。配置は尾久客車区(現・尾久車両センター)である。
初の営業運転は、東京で開催されていた「世界鉄道デザイン会議」の出席者を、平成元(1989)年10月25日に日光へのエクスカーションに招待した際の団体臨時列車であった。この時、往路の池袋〜日光間は651系が、復路の日光〜池袋間では「スーパーエクスプレス・レインボー」と手を組んだ「夢空間」が使用されたのである。
その後しばらくは出番がなかった「夢空間」であったが、平成3(1991)年からは一般の臨時列車としての運用が始まり、処女列車は同年1月10日から運転された寝台特急「北斗星トマムスキー」(横浜〜トマム間)となった。以降、配置区が同じ「北斗星」用の24系と組んでの運転が定番となり、上野〜札幌間(「夢空間北斗星」など)や石勝線方面へ、旅行シーズンごとにしばしば運転されている。羽越、奥羽本線方面や、関西方面へも乗入れ実績を作った。なお、一般デビュー時の寝台料金は「エクセレントスイート」が6万6000円、「スーペリアツイン」が5万円(「スイート」と同額)と設定されていた(その後、消費税導入などにより改訂)。
当初の製造目的であった「新世代寝台列車の開発」は、その後のバブル崩壊などにより一旦中断のやむなきに至ったが、平成11(1999)年運転開始のE26系「カシオペア」として、形を変えて結実した。ただ、社会的な嗜好の変化により、豪華さを基調とする「夢空間」のデザインは必ずしも時代の先端を行くものとはいえなくなってしまい、E26系でもシンプルな内外観が採用されることになった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/04/15


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