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「ひばり」

【第29回】「ひばり」


特急「ひばり」は、上野〜仙台間で最大15往復を数えた東北本線の顔であり、昭和50年代の電車特急をリードするエース的存在だった。豪華車両の連結といった派手な動きはなかったが、数とスピードで他を凌駕したその存在は、主役が東北新幹線に移った現在でもレールファンの脳裏から離れない。

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非公式に「ひばり」と呼ばれていた東京〜広島間急行39・40列車

デアゴスティーニ編集部

黒磯でED75と顔を合わせた「ひばり」。ヘッドマーク部が破損しているらしく、応急措置としてテープが張られている。

「ひばり」の愛称名は、昭和36(1961)年から昭和57(1982)年まで、一貫して上野〜仙台間の特急に使用されていたが、昭和25(1950)年には、東京〜広島間急行39・40列車に命名されていた。この列車は、昭和24(1949)年9月15日改正で登場した愛称名なしの東京〜姫路間の急行43・42列車が前身で、同年12月に早くも岡山まで延長、翌年5月には呉線経由で広島まで延長された。このときに広島地区では非公式ながら「ひばり」の愛称名が付けられた。したがって、全国版の国鉄監修時刻表には列車名の掲載はなく、わずかに日本交通公社大阪支社が発行した西日本版のローカル時刻表に掲載された程度だったという。それだけにこの「ひばり」の名が、当時、どれだけ浸透していたかははっきりしない。ちなみに急行「ひばり」の昭和25(1950)年10月1日改正時点でのダイヤは、39列車/東京21時30分→広島翌16時13分、40列車/広島12時40分→東京翌7時23分で、東京〜岡山間は宇野発着の急行501・502列車を併結していた。当時、3等寝台車は復活しておらず、1・2等寝台車もごく限られた急行にしか連結されていなかったため、急行「ひばり」は長距離急行であるにもかかわらず2・3等座席車のみの編成だった。同年11月2日には国鉄本社レベルで全国の主要な急行に愛称名が付けられることになり、「ひばり」は正式に「安芸」と命名され、東京〜広島間の急行としては昭和45(1970)年10月1日改正まで活躍を続けた。

昭和35年に誕生した特急「ひばり」設定から半年後にようやく運転開始

デアゴスティーニ編集部

「ひばり」というと昭和50年代に電車特急として隆盛をきわめたが、当初は不定期の気動車特急という意外な姿で登場した。

東北の鉄道は、昭和35(1960)年12月10日に上野〜青森間の特急「はつかり」が気動車化されて以来、近代化の道を歩み始めた。翌年10月1日改正では近代化がさらに推進され、上野〜秋田間には奥羽特急「つばさ」が、大阪〜青森間には日本海縦貫線を走破する特急「白鳥」が登場し、その立役者となった非電化区間のクイーン80系特急型気動車が大いに注目を集めた。その派手な動きのなかで、上野〜仙台間にひっそりと誕生した特急が「ひばり」だった。東北本線南部では「つばさ」と並んで初の特急であることから地元の期待も大きかったと思うが、この改正では不定期列車としての設定に留まり、実際に運転を開始したのは、昭和37(1962)年4月27日からだった。半年以上も「棚晒し」にされたのは、未曽有のダイヤ改正で80系特急型気動車に予備車の余裕がほとんどなく、定期列車における万が一のトラブルを考えると、同系の安定した運用を見極めるまで不定期列車は運休扱いとする国鉄の慎重姿勢があったからだという。こうしてようやく運転を開始した「ひばり」のダイヤは、1004D/仙台7時30分→上野12時25分、1003D/上野16時30分→仙台21時23分で、仙台から東京への日帰りを指向していた。

交直両用電車の運転開始により 東北本線は電車時代を迎える

デアゴスティーニ編集部

夕闇迫る上野駅で発車を待つ483系「ひばり」。483系登場時のクハ481は、写真のようにスカートにシャッター付きタイフォンを備えていたが、485系登場後のクハ481-29〜とクハ481型100番代は、耐寒・耐雪構造の見直しでタイフォンの高さを尾灯に揃えた。

「ひばり」の運転開始と前後して、東北本線黒磯以北の交流電化は着々と進められ、昭和34(1959)年7月1日には同線最初の交流電化区間として黒磯〜白河間が電化開業、以後は昭和35(1960)年3月1日に福島まで、昭和36(1961)年3月1日には仙台まで達していた。しかし、直流、交流の双方で運転できる交直両用電車は、昭和36(1961)年6月1日に近郊型の401系が常磐線に投入されたばかりで、東北本線まで手が回る状況ではなかった。東北本線にようやく交直両用電車が走りはじめたのは、昭和37(1962)年のことで、急行型の451系が8月11〜19日に上野〜郡山間の臨時準急3103M・3104M(愛称名なし)で運転を開始している。451系は同年10月1日に晴れて上野〜仙台間の急行「みやぎの」に定期列車デビューし、東北本線はようやく本格的な電車時代を迎えるに至った。

483系投入によりビジネス特急としての片鱗をみせる

デアゴスティーニ編集部

東北特急最多の勢力を誇っていた「ひばり」。仙台所485系が運用の中心だが、47.3改正では青森所の583系も戦列に加わっている。

451系登場以後、これまで客車で運転されていた東北本線の急行、準急は次々と電車化され、昭和38(1963)年10月1日に仙台運転所が開かれると一気に電車急行網が花開いた。「ひばり」はこのときに定期化された。
急行型交直両用電車は一定の成果を上げたことから、国鉄は特急型の交直両用電車の製作に着手し、昭和39(1964)年12月25日には60Hz用の481系を「雷鳥」「しらさぎ」に投入、つづいて昭和40(1965)年10月1日改正で50Hz用の483系が仙台運転所に配置され、「ひばり」のほか「つばさ」から分離されて誕生した上野〜盛岡間の「やまびこ」に投入された。同時に「ひばり」は1往復が増発され、1M「第1ひばり」/上野8時00分→仙台12時35分、2M「第2ひばり」/仙台18時00分→上野22時35分、6M「第1ひばり」/仙台8時00分→上野12時35分、5M「第2ひばり」/上野18時00分→仙台22時35分と、上野、仙台双方から日帰りダイヤが組まれ、早くもビジネス特急の片鱗を見せている。

「ヨン・サン・トオ」改正以後 在来線トップレベルのスピードに

デアゴスティーニ編集部

上野方の先頭にクロ481、その次位にサロ481を連結していた時代もあった。

東北本線の全線電化を迎えた「ヨン・サン・トオ」こと昭和43(1968)年10月1日改正では、「ひばり」の勢力は季節1往復を含む6往復とさらに拡大したが、この改正で気動車「やまばと」から分離されて電車化された上野〜会津若松間の特急「あいづ」、上野〜山形間の単独運転となり電車化された「やまばと」、上野〜盛岡間の特急「やまびこ」と共通運用が組まれるようになり、「あいづ」の磐越西線内のホーム有効長や変電所容量などを考慮して485系9両編成に統一された。
東北本線全線電化により、「ひばり」の表定速度は在来線トップレベルの90km/h近くにまで引き上げられ、上野〜仙台間は最速3時間53分で結ばれるようになった。

53.10改正で最多本数の15往復を誇る

デアゴスティーニ編集部

「ひばり」は最盛時には15往復を誇り、上野〜仙台間の庶民の特急として親しまれた。

東北本線の昭和40年代後半は、輸送需要がピークに達した時期だった。「ひばり」は並行する「はつかり」「やまびこ」とともにフル回転で輸送需要を乗り切っていたが、さすがに9両編成では厳しく、昭和45(1970)年7月1日から12両編成化を開始。同年10月1日改正では、7往復としたうえで6往復が12両編成となった。さらに昭和47(1972)年3月15日改正では季節2往復を含む11往復に増強、同年10月2日改正では11往復すべてが定期列車となり、ほぼ1時間間隔の運転が確立した。また、この改正からは「数自慢、待たずに乗れる」がキャッチフレーズのエル特急に指定され、「ひばり」は東北本線の看板特急として不動の地位を固めた。
昭和48(1973)年10月1日改正で13往復となった「ひばり」は編成的にもバラエティ豊かになっている。主力は485系だが、そのなかでも代表格のクロを含む仙台所12連をはじめ、クロとサロが連結された仙台所13連、サロが2号車に連結された青森所12連、「はつかり」などと共通運用となった青森所583系13連の4パターンが登場している。
しかし、これらのバラエティは、「ひばり」が最大本数の15往復となった昭和53(1978)年10月2日改正では485系12連に統一され、面白みに欠けるラインアップとなった。

東北新幹線上野開業で一挙に姿を消す

デアゴスティーニ編集部

サクラ咲く中を颯爽と走り行く、非貫通型のクハ481-300を先頭にした「ひばり」。

さて、この時期になると東北新幹線の工事が本格化し、「ひばり」との主役交替の足音が聞こえてくるようになる。昭和55(1980)年10月1日改正では1往復減の14往復と大勢に影響はなかったが、東北新幹線大宮暫定開業を迎えた昭和57(1982)年6月23日には、大宮〜仙台間に6往復設定された東北新幹線「あおば」と引換えに「ひばり」は8往復に縮小、僚友の「やまびこ」は列車名を新幹線に召し上げられて全廃された。そして同年11月15日、東北新幹線は速達タイプの「やまびこ」18往復、各駅停車タイプの「あおば」12往復の計30往復と本格的に増発され、東北新幹線と並行する在来線の昼行特急の大部分に廃止の引導が渡された。
これにより、上野〜青森間の「はつかり」は盛岡以北に封じられ、「つばさ」「あいづ」「やまばと」は上野直通が存置されたものの、「ひばり」はその座のすべてを東北新幹線に讓り一挙に姿を消した。それはいかにも急速に成長した「ひばり」らしい引き際だった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/05/14


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