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「なは」

【第30回】「なは」


戦後の沖縄県は、平成15(2003)年8月10日に沖縄都市モノレールが開業するまで、47都道府県の中で唯一鉄道のない状態が続いていた。そんな最中、沖縄の本土復帰への願いから、国鉄の特急に沖縄にちなんだ愛称名が付けられることになり、43.10改正を機に最も沖縄本島の近くを走る西鹿児島(現・鹿児島中央)発着の特急に、沖縄県の県庁所在地である那覇市にちなみ「なは」の名が付けられた。

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「かもめ」の西鹿児島編成分離により誕生した「なは」

デアゴスティーニ編集部

43.10改正で「かもめ」の西鹿児島編成を分離する形で誕生した、80系気動車による昼行「なは」。電車化される48.10改正までは、日豊本線系の「日向」と併結運転された。

昭和43(1968)年10月1日改正前の関西〜九州間の気動車特急は、大阪〜西鹿児島(現・鹿児島中央)、長崎間の「かもめ」、大阪〜宮崎、佐世保間の「いそかぜ」が運転されていたが、これらは方面が異なる2階建て列車であったため、43.10改正ではこの2列車間で運転系統をよりわかりやすくするための運転区間立て替えが実施された。まず「いそかぜ」は佐世保編成が「かもめ」に移され、残った宮崎編成が「日向」に改められた。一方、「かもめ」は「いそかぜ」の佐世保編成を吸収するのと引換えに西鹿児島編成を分離した。この分離された列車が「なは」と命名され、大阪〜小倉間は「日向」と併結で運転された。この当時のダイヤは、1D/大阪7時40分→西鹿児島21時20分、2D/西鹿児島8時55分→大阪22時36分で、「かもめ」時代同様、関西と九州の南端をほぼ1日かけて走破するロングランナーとなった。

電車化とともに「日向」との併結を解消し単独運転に

デアゴスティーニ編集部

客車化当時の「なは」は開放式B寝台のみの無味乾燥な編成だったが、後には個室寝台も連結する充実ぶりをみせた。

そんな「なは」も、鹿児島本線が全線電化開業を迎えた昭和45(1970)年10月1日改正ではあっさり電車化されるかと思われたが、非電化区間を抱える「日向」を併結していた関係もあり80系気動車のまま据え置かれ、全線架線の下を走る気動車特急として走り続けることになった。しかし、昭和48(1973)年10月1日改正を機に、九州や北陸方面の電車特急を受け持つ向日町運転所(現・京都総合運転所)に485系52両が新製配置されると、「なは」も電車化され、「日向」との併結が解消された。
その当時のダイヤは1M/大阪7時05分→西鹿児島20時04分、2M/西鹿児島8時00分→大阪21時01分で、電車化後も列車番号のエースナンバーは変わらなかった。なお、永年パートナーを組んでいた「日向」もこの時全区間単独運転となり、昭和49(1974)年4月25日改正で電車化されている(50.3改正で本州区間廃止、九州内は「にちりん」に吸収)。

50.3改正で昼行から夜行へ転身 「明星」を尻目に単独運転を貫く

デアゴスティーニ編集部

沖縄の本土復帰の願いを込めてその名が登場した「なは」は、復帰実現後も走り続け、50.3改正では昼行から夜行へ転身し583系に置き換えられたが、59.2改正では24系25型客車へバトンタッチしている。

山陽新幹線博多開業を迎えた昭和50(1975)年3月10日改正では、並行する関西〜九州間の昼行優等列車が全廃され、「なは」も廃止されてしまうが、今度は583系を使用する新大阪〜西鹿児島間の寝台特急にその名が充てられることになった。本来なら同系統の「明星」に改称されるところだが、鉄道のない沖縄の本土復帰を願うことから命名された経緯が尊重された形となり、35M/新大阪20時41分→西鹿児島11時44分、24M/西鹿児島16時50分→新大阪7時35分のダイヤで運転された。
ところで、夜行「なは」が誕生した昭和50年代前半は、山陽新幹線博多開業という華々しい出来事があった反面、国鉄財政の悪化に伴う相次ぐ運賃・料金の改訂で国鉄離れが進み、その影響は関西〜九州間の夜行列車が被る形となった。このため、昭和50年代後半にかけては僚友の「明星」の削減が進み、昭和57(1982)年11月15日改正では、客車列車1往復が残るのみとなった。「なは」を含めると関西と鹿児島を結ぶ寝台特急は2往復のみとなり、最盛期の4分の1に縮小される落ち込みぶりだった。
さらに昭和59(1984)年2月1日改正では本家格の「明星」の方が「あかつき」と併結運転となり、永年の単独運転にピリオドを打った。その反面、「なは」は単独運転が維持され、583系から24系25型のモノクラス編成に改められた。

JR移行後は「デュエット」「ソロ」などの個室寝台車が充実

デアゴスティーニ編集部

スハネ25型2000番代「ソロ」、オハ24型300番代「レガートシート」、オハネフ25型2000番代「デュエット」とグレードアップ車が並ぶ、西鹿児島(現・鹿児島中央)発着の頃の「なは」。

43.10改正以来、関西と鹿児島を結んでいた「明星」は昭和61(1986)年11月1日改正でついに廃止されてしまうが、「なは」は昭和62(1987)年4月1日のJR移行後も旅客会社間の垣根を越えて生き残った。そればかりか、これまで2段式B寝台車のみだった編成がさらに充実するようになり、平成2(1990)年3月10日改正では、並行する夜行高速バスに対抗して廉価で居住性の高い3列独立シートを備えた指定席「レガートシート」の連結を開始。寝台車では、平成3(1991)年3月29日から2人用B個室「デュエット」を、平成4(1992)年7月14日から1人用B個室「ソロ」の連結を相次いで開始して、多様化する夜行列車のニーズに対応した。これにより、ほぼ「なは」の役者が出揃った状態になった。

九州新幹線開業後は鹿児島から撤退 長きに渡り命脈を保つ

デアゴスティーニ編集部

通常は付属編成も省略されていた、単独運転晩期の頃の上り「なは」。EF65の次位はオハネフ25型2000番代だが、廊下側から見ているため、ロゴがなければわからない。

「なは」は、昼行時代から一貫して鹿児島との結びつきが続いていたが、九州新幹線新八代〜鹿児島中央間が開業した平成16(2004)年3月13日改正では、新幹線と並行する八代〜川内間が第三セクター「肥薩おれんじ鉄道」に転換された関係で、運転区間が新大阪〜熊本間に縮小された。「なは」が鹿児島を離れたことにより、昭和33(1958)年10月1日改正で登場した「はやぶさ」以来続いていた夜行客車特急の灯が、鹿児島から消えてしまった。
以後の改正では、「さくら」「あさかぜ」「彗星」といった九州特急が相次いで廃止されたが、「なは」は平成17(2005)年10月1日改正で京都〜長崎間の「あかつき」と併結となって生き残り、関西〜九州間寝台特急の命脈を保った。しかしそれも、平成20(2008)年の廃止によって、40年近くになるその生涯の幕を下ろすことになった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/06/14


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