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「フラノエクスプレス」

【第33回】「フラノエクスプレス」


北海道のジョイフルトレインとして知られた「アルファコンチネンタルエクスプレス」の成功は、道内の各リゾート地を刺激するところとなった。そのうち、動きが早かった富良野地区へ向けて、国鉄は2本目のリゾート気動車を走らせた。それが「スキーのメッカ」富良野へと走ったリゾートトレイン、「フラノエクスプレス」である。

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「アルファコンチネンタルエクスプレス」の成功が起爆剤

デアゴスティーニ編集部

「アルファコンチネンタルエクスプレス」に続くリゾートトレインとして改造された「フラノエクスプレス」。ジョイフルトレインの代表的列車としてその名を馳せた。

国鉄がハイグレードな列車を製作して、リゾートホテルがその座席を一括して買い上げ、スキーツアー客の輸送に当てるという「アルファコンチネンタルエクスプレス」(ACE)の営業戦略は、斬新な発想として当時の鉄道、観光両業界から大いに注目を集めるところとなった。
そして、その成功が明らかになると、これに追随する動きが活発になってくるのも必然のことである。中でも積極的だったのが、富良野にある西武鉄道系の「富良野プリンスホテル」であった。同ホテルは、昭和49(1974)年に開業。何度もFIS(国際スキー連盟)ワールドカップの会場となった富良野スキー場に隣接しており、名門ホテルグループの1つとしてスキー客の心をつかんでいた。
1980年代の富良野は、もとより道央きっての観光都市であった。だがその頃は、ラベンダー畑観光や、昭和56(1981)年放送開始のテレビドラマ「北の国から」の人気もさることながら、まだまだ「スキーリゾート」としてのイメージが強かった。

名門ホテルとタイアップし 富良野のイメージ向上を図る

デアゴスティーニ編集部

この写真は4連化された「フラノエクスプレス」。スタイリッシュなシェイプが北海道の大地とよく似合っている。

その富良野が大きな危機感を覚えるようになったきっかけが、昭和56(1981)年の石勝線の開通である。トマム、サホロといったスキーリゾートの新興勢力が千歳空港直結の利便性を謳い文句に売り出しを図り始めたこともひとつ。そして、それまで富良野を経由していた特急「おおぞら」が一夜にして石勝線経由となって消え、一見、富良野が大きくその地位を下げたように思われたことも大きかった。
国鉄も富良野には配慮し、急行「狩勝」を従来通り滝川経由で存置したものの、「ACE」が石勝線に現れると、富良野がリゾートの魅力として相対的に見劣りするようになったことも否めなかった。「ACE」の影響力はそれだけ大きかった。
そこで、プリンスホテルはホテル買取り型のスキーツアー列車を札幌〜富良野間に運転することを提案。国鉄もこれに同意し、昭和61(1986)年5月からプロジェクトチームを組んで列車の開発に共同で取り組むことになった。こうした経緯から、同年12月に登場したのが「フラノエクスプレス」である。

80系気動車を改造して登場 シンプルなデザインが基調

デアゴスティーニ編集部

展望室から見下ろしたキハ84の運転台。機器類は80系気動車のものが流用されている。

「フラノエクスプレス」の製作に当たって、「ACE」の改造と運用の実績から設計の見直しが図られたのは当然である。最大の変更点としては改造種車をキハ56、キロ26から80系特急型気動車としたことが挙げられよう。
80系は昭和61(1986)年11月1日のダイヤ改正で、183系500番代のデビューにより、北海道内の定期特急の運用から外れることになっていたため、種車の捻出が容易という事情があった。そして、80系を使用すれば、懸案であった最高速度のアップなど走行性能の改善が行なえるばかりでなく、空気ばね台車による乗り心地の改善なども期待できた。
編成は3両とし、前面展望室を設けるとともに、中間車もハイデッカー化して、人気が高い展望席を大幅に増やすことになった。改造種車はキハ80 164(→キハ84 1)、キハ80 165(→キハ84 2)、キハ82 109(→キハ83 1)である。
これらは昭和42(1967)年に特急「北海」新設用として函館運転所に新製配置された生え抜きの「道産子」で、80系の最終増備車となったグループから選ばれている。完成後の編成は札幌側からキハ84 1+キハ83 1+キハ84 2の3連となった。
キハ84は、キハ80の乗降口と反対側の構体を約3分の1撤去し、運転室と展望室からなるユニットを新製して接合した。「ACE」と同様の構造であるが、デザイン的には曲線を多用。前面も後退角を設けた優しい風貌となり「女性的なイメージ」と評されている。
展望室の床面は従来よりも700mm上げられているが、段差は設けられず、前面よりも側面方向への展望を重視した形である。定員も20人に拡大された。後部の一般客室も、通路を除いて床を170mm嵩上げしている。
中間車キハ83は、キハ82の車体は使用せず、載替えによってオールハイデッカー構造とした。床面の高さは、キハ84の展望室部分と同様、700mm高められている。

インテリアはモノトーンを用い 気品のある雰囲気を共通

デアゴスティーニ編集部

荷物棚も省略され、開放感溢れる雰囲気作りが行なわれた展望室の車内(写真はキハ83)。国鉄の古いイメージを打破したデザインとして、その最末期に誕生している。

客室に設置されたシートはいずれもフリーストップ式の回転式リクライニングシートとした。シートピッチは960mmである。
客室出入口には大型荷物置場とスキー置場を設けて収納の便を図るとともに、客室内へ荷物を入れず雰囲気を保つようにされたのは「ACE」と同じ。ビュッフェはなく、キハ83に車販準備室を備えた。
インテリアはウォームグレーに白と黒を基調としたモノトーンで纏められ、豪華さよりも、シンプルで気品のある雰囲気が強調されている。シートモケットには、濃いウォームグレーとシルバーグレーの2色が配された。
なおハイデッカーの部分では、窓に熱線吸収ガラスを採用しカーテンを省略。荷物棚も設けず、広い窓から降り注ぐ太陽の光と、外に展開する広大な風景を一番のサービスと考えている。一般客室部分はやや趣を変えて、くつろぎを求める利用客向けに、半間接照明を荷物棚の基部に埋め込んで設けた。妻面にはビデオ投影用の大型スクリーンも装備している。
外部塗色のテーマは「スポーティ」「クリア」であった。基調は雪をストレートにイメージした白。これにピンクとスカイブルーの帯を巻き、裾の部分にはミッドナイトブルーを入れている。ピンクは花、スカイブルーは北海道の大空を表している。乗降口付近には、FISワールドカップ富良野大会の公式マスコット「Mr.Fu(ミスター・フー)」と「Melle. PECKER(マドモアゼル・ペッカー)」のイラストが入った、エンブレムプレートを取り付けた。

走行性能は特急型と同等 昭和61(1986)年に運転開始

デアゴスティーニ編集部

特急「フラノエクスプレス」の間合い運用で、ラベンダーの咲く富良野線を行く。高い評価を得て、「フラノエクスプレス」は昭和62年度「ブルーリボン賞」も獲得した。改造車としては「サロンエクスプレス東京」に続く受賞である。

走行系機器に関しては基本的に80系から変更は加えられておらず、キハ84がDMH17H×2、キハ83がDMH17H×1と発電用のDMH17Gを装備することも変わりはない。最高運転速度は100km/hである。
ただし制御電圧回路を交流100Vから直流24Vへと改造している。これは183系気動車と合わせたもので、同系列との併結、混結運転を可能としている。
台車は種車のままで、DT31B、TR68Aを履いている。冷房装置は既存のものは使用されず、キハ84はAU79×1、キハ83はAU76×2を新たに搭載した。
改造は苗穂工場で行なわれ、昭和61(1986)年12月12日に完成。12月19日より、札幌〜富良野間をノンストップで結ぶ臨時特急「フラノエクスプレス」として運転を開始した。「ACE」とはやや異なり、3両のうち富良野プリンスホテルの買い取り枠は2両だけで、残り1両分は一般発売されていた。また、富良野到着後は、間合い運用として富良野線富良野〜旭川間を臨時快速として1往復している。
「フラノエクスプレス」最初のシーズンの運転は、国鉄の終焉とJRグループの発足を挟んで、昭和62(1987)年4月5日まで続いた。この間、小樽運転区で行なわれた「さよなら国鉄/JR北海道スタート」のイベントにも「ACE」とともに参加している。

夏季はクルーズ列車に変身 「ANAビッグスニーカートレイン」でも活躍

デアゴスティーニ編集部

「ANAビッグスニーカートレイン」として運用中の姿。「空陸連携」を重視する北海道の鉄道らしい、ツアー専用列車であった。

スキーシーズン後は、全日空が北海道内で運転していた「周遊バス」をレールに乗せた形の「ANAビッグスニーカートレイン」(札幌〜新得間)に使用され、JR北海道は塗色も「ANA」のイメージカラーに変更するというサービスを見せた。
これに際して、増結用であるキハ80 501が昭和62(1987)年5月に苗穂工場で完成した。この車両の半室は、キハ83と同じハイデッカー式の客室であるが、残り半室がラウンジ、ビュッフェ、電話室、更衣室などを設けた利用客サービスのためのスペースとなっており、「フラノエクスプレス」編成に新しい魅力を加えている。
増結後の編成はキハ84 1+キハ80 501+キハ83 1+キハ84 2。なお、キハ80 501の種車はキハ82 110となっている。当時、キハ80の在籍車はまだあったにもかかわらず、車体の載替えのほか、走行用機関1基のキハ82を2エンジン化改造したことになる。
以後、冬は特急「フラノエクスプレス」、夏は「ANAビッグスニーカートレイン」をはじめとする団体列車に運用されるパターンが定着。特急「フラノエクスプレス」の運転区間は、昭和63(1988)年から千歳空港(現・南千歳)へ延長され、平成2(1990)年には「ACE」も加わって3往復となっている。
しかし、車齢10年を数えた1990年代後半となると、主要幹線のさらなる高速化と種車から流用した走行系機器の老朽化が進み、「フラノエクスプレス」は次第に使いづらい車両となってきた。不況の影響による観光客の減少はリゾート気動車の運用に余裕をもたらし、玉突きによってついに平成10(1998)年11月1日限りで、最古参となっていた「フラノエクスプレス」は運用を外れることになった。「引退の花道」として、同年10月には道内各地に向けて「さよならフラノ」が運転されている。
その後は保留車となり、永年留置されていた。除籍は平成16(2004)年9月で、キハ84 1のみ苗穂工場に保存されたが、ほかの3両はそのまま解体となっている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/09/15


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