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「はまなす」

【第34回】 「はまなす」


ハマナスは北海道の砂浜に自生する紫紅色の花で、耐寒性が高いことから、北海道を象徴する植物として知られている。この名を列車名に戴いたのが、函館〜網走間のロングラン準急として登場し、現在JRにおいて客車を使用する唯一の夜行急行列車として残っている「はまなす」だ。

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愛称名なしの準急として登場 当初は釧路編成に併結される

デアゴスティーニ編集部

「はまなす」のバックサインを掲げるスハネフ14型550番代。オハネフ25からの改造車が違和感なく連結されている。「都合」で他系列、他形式に編入された14系、24系は数多いが、いずれも少数派となるのが宿命である。

函館〜札幌間は、現在、特急「スーパー北斗」がわずか2時間台で結んでおり、完全な昼行区間に変貌しているが、かつてこの区間には夜行の急行「すずらん」、快速「ミッドナイト」が運転されていた。「すずらん」の方は、歴史を遡ると、昭和25(1950)年10月1日改正で登場した函館〜釧路間準急405・406列車がそのルーツといえ、当時は405列車/函館22時53分→釧路19時21分、406列車/釧路8時45分→函館7時16分のダイヤで運転されていた。ただし、運転経路は「山線」と呼ばれる倶知安、小樽経由で、準急区間は函館〜小樽間のみだった。
この列車は、昭和30(1955)年6月1日からは昼行区間も準急としての運転となり、網走直通編成を併結するようになった。その当時のダイヤは、509(〜407)列車/函館23時35分→網走15時49分(釧路16時03分)、(408〜)510列車/(釧路12時55分)網走13時10分→函館6時14分で、網走編成の北見〜網走間は普通列車として運転されていた。この併結列車は、昭和33(1958)年10月1日改正で愛称名が付けられることになり、釧路編成は「狩勝」、網走編成は「はまなす」と命名された。なお、永年の併結相手だった「狩勝」は昭和36(1961)年4月15日から気動車化され、札幌〜釧路間の単独急行となったため、「はまなす」もこの時から単独列車となった。

併結の函館~釧路間準急のスジが消えた不思議

デアゴスティーニ編集部

「はまなす」を牽引するDD51は「北斗星」色となっていたが、63.3改正で登場してからしばらくの間は国鉄色を纏って先頭を飾っていた。

ところで、函館〜網走間準急509・510列車として運転されていた時代の初代「はまなす」だが、資料に目を移すと不思議な記載がある。この列車は、一貫して函館〜釧路間準急を併結しているはずだが、31.11改正の国鉄監修時刻表を見ると単独列車になっており、併結相手の函館〜釧路間準急のスジが消えているのだ。ちなみに、愛称名が付いた33.10改正の国鉄監修時刻表では両者の併結が記載されている。また、31.11改正時に当時の国鉄札幌鉄道管理局が作成した「主要旅客列車編成順序及び牽引定数表」に掲載されている編成順序表にも509・510列車の編成表しか載っていない。

36.10改正で気動車急行に 37.5改正で晴れて札幌発着へ

デアゴスティーニ編集部

「はまなす」の最後尾に連結されたスハフ14型550番代。分散電源方式の14系では、発電装置一式の取付け改造が何度か行なわれ、スハフ14、スハネフ14に編入されている。

「はまなす」は夜行区間も含めて北海道の南端から東端へほぼ1昼夜かけて走る壮大な列車だったが、昭和36(1961)年10月1日改正では、旭川を境に系統分離されることになり、函館〜旭川間は「たるまえ」に改称、函館〜札幌間は室蘭本線、千歳線経由に変更された。残る旭川〜網走間は気動車化されて急行「第2・1はまなす」となり、札幌〜網走間には新たに急行「第1・2はまなす」が増発された。その当時のダイヤは、次のとおりだった。
・「第1・2はまなす」=505D/旭川7時35分→網走11時49分、506D/網走16時23分→旭川20時32分
・「第2・1はまなす」=501D/札幌9時35分→網走16時04分、502D/網走12時40分→札幌19時15分
札幌発着の「第2・1はまなす」は、札幌〜釧路間の急行「第2・1狩勝」、札幌〜稚内間(天北線経由)の急行「天北」を併結した3階建て列車で、函館発着の「オホーツク」「摩周」「宗谷」と並ぶ多層建て列車として、改正時の目玉列車となった。
36.10改正当時は、北海道におけるキハ58型気動車グループ(キハ56、キハ27、キロ26)の配置が追いつかず、「はまなす」2往復は大半がキハ22で占めるという見劣りする編成であった。同気動車グループの増備が進んだ昭和37(1962)年5月1日改正では、「第1・2はまなす」が札幌まで延長され、「はまなす」は2往復とも晴れて札幌発着となった。札幌延長後の「第1・2はまなす」のダイヤは、505D/札幌8時00分→網走14時36分、506D/網走16時00分→札幌22時39分で、札幌〜滝川間は「第1・2狩勝」を併結した。一方、従来から札幌発着だった「第2・1はまなす」の方は、併結列車だった「第2・1狩勝」が分離され併結列車は「天北」のみとなった。

43.10改正では「大雪」へ統合 その名が消える

デアゴスティーニ編集部

06.3改正時点で、JR線に残る急行はわずか4本となってしまったが、その中の1本が青森と札幌を結ぶ「はまなす」だ。北海道内と東北北部を結ぶ列車としてはなかなか利便性が高く、JR北海道内では唯一の定期客車急行として孤軍奮闘している。

昭和38(1963)年6月1日改正では、永らく函館〜札幌間を客車急行として運転されていた「大雪」が気動車化されることになり、「ライラック」と改称した。その関係で「大雪」の名は札幌〜網走間の気動車急行に充てられることになり、「第2・1はまなす」が「大雪」に改称(札幌〜滝川間は「狩勝」を併結)、「第1・2はまなす」の方は小樽発着となり、501D/小樽9時30分→網走16時41分、502D/網走12時30分→小樽19時51分のダイヤで運転された(札幌〜旭川間は「天北」を併結)。これ以後、札幌側から運転される石北本線系統の昼行優等列車は、「はまなす」をはじめ、「大雪」、函館発着の「オホーツク」を含め3本となったが、「オホーツク」は昭和39(1964)年10月1日改正で特急「おおとり」に格上げとなり、「大雪」同様、札幌〜網走間の急行へその名が移った。しかし、昭和43(1968)年10月1日改正では、「はまなす」「大雪」「オホーツク」がすべて「大雪」に統一された。「オホーツク」の名は、この改正で旭川〜名寄間を石北本線、名寄本線(現・廃止)経由で結ぶローカル急行で存続したが、「はまなす」はほかの列車に採用されることなく封印されてしまった。

青函連絡船深夜便の使命を受け継ぎ 登場した「はまなす」

デアゴスティーニ編集部

秋田延長時代の「はまなす」急行券・B寝台券。平成4(1992)年のもので、この頃は定期列車と同じ「はまなす」を名乗り、B寝台車も延長区間を直通していたのがわかる。

43.10改正で消えた「はまなす」の名は、国鉄時代にはついに復活することはなかったが、青函トンネルを含む海峡線が開業した昭和63(1988)年3月13日改正では、青森〜札幌間に新設された客車急行で復活することになった。新たに登場した急行「はまなす」のダイヤは、201列車/青森22時55分→札幌6時18分、202列車/札幌22時00分→青森5時17分で、青森では大阪〜青森間の「白鳥」(現・廃止)や盛岡〜青森間の「はつかり25・27号」(現・廃止)に連絡し、かつて青函航路の深夜便が担っていた使命をトンネル経由で受け継ぐ形となった。また、上り列車では、函館から札幌方面への最終列車的役割も担っており、現在は、唯一の青森〜札幌間の夜行急行としても機能している。

一時期は秋田まで延長運転のあった「はまなす」

デアゴスティーニ編集部

青森〜秋田間を牽引したED75型700番代。ヘッドマークは定期区間からそのまま引き継がれた。

当初の新生「はまなす」は、座席車のみの編成で運転されていたが、平成3(1991)年7月25日からはB寝台車が、平成9(1997)年3月22日改正ではカーペットカーが連結され、平成4(1992)年3月14日改正で札幌〜釧路間の急行「まりも」が特急に格上げされると、指定席に使われていたリクライニングシートのドリームカーが「はまなす」へ転用されるようになった。編成は14系で統一されているものの、寝台車(寝台車は24系25型も連結)、リクライニングシートの指定席、カーペットの指定席、簡易リクライニングシートの自由席という編成内容は、かつてのバラエティ溢れる一般型客車の夜行急行を彷彿させる。なお、現在の「はまなす」は一貫して青森〜札幌間で運転されているが、平成2(1990)年7月12日からの一時期は、臨時に秋田まで延長運転されていたことがあった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2015/10/14


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