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「みずほ」

【第37回】 「みずほ」


39.10改正前に登場した東京発着の九州特急の中で、名バイプレーヤーとしてその名を知られたのが「みずほ」だ。一般型客車による不定期特急でデビュー、20系に置き換えられたのは一番遅かった。しかし、僚友である「あさかぜ」「富士」「さくら」「はやぶさ」は長らくその名を残したが、「みずほ」だけはいち早く廃止され、「さくら」に統合されてしまった。ただ、その名は九州新幹線の列車名として現在にまで引き継がれている。

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毎日運転の不定期列車として登場 昭和38年まで一般型客車で運転

デアゴスティーニ編集部

「みずほ」は不定期列車でスタートした関係から、39.10以前に誕生した九州特急では20系化がもっとも遅れた。しかし、47.3改正ではいち早く新鋭の14系寝台車に置き換えられ、廃止まで使用された。

東京発着の九州特急は、昭和35(1960)年7月20日に「はやぶさ」が20系に置き換えられ、いよいよ円熟味を増してきた。九州特急に対する需要も旺盛になるばかりで、国鉄ではこの年の12月24日から年末年始の臨時列車として、東京〜熊本間で特急「あさかぜ」の臨時列車の運転を開始した。この列車は臨時であることから一般型客車により運転され、寝台車主体であるものの、食堂車は連結されなかった。
昭和36(1961)年10月1日改正を迎えると、この臨時「あさかぜ」は不定期列車に格上げされ「みずほ」を名乗った。その当時のダイヤは、1003列車/東京18時20分→熊本13時20分、1004列車/熊本16時30分→東京11時30分で、所要時間は19時間ジャストだった。下り東京発の場合、「あさかぜ」の10分前に運転されており、20系特急の補完役を果たしていた。編成は臨時「あさかぜ」時代と同様に一般型客車だったが、食堂車が連結されるようになった。
「みずほ」は不定期列車とはいえ、九州特急の需要増から設定以来毎日運転されていた。そのため昭和37(1962)年10月1日改正では不定期時代のダイヤのまま定期列車に格上げされた。ただ、この時点でも一般型客車による運転は変わらず、冷房を搭載しない「みずほ」は先発の20系「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」に大きく水を空けられていた。

20系客車に置き換えられ 日豊本線への乗り入れを開始

デアゴスティーニ編集部

「みずほ」の20系時代は昭和38(1963)年から昭和47(1972)年までの足かけ9年間続いた。

そんな「みずほ」も昭和38(1963)年6月1日にはようやく20系に置き換えられ、同時に懸案だった日豊本線への乗入れを開始し、東京〜熊本、大分間の2階建て列車となった。その当時のダイヤは、7(〜2007)列車/東京18時20分→熊本13時22分(大分12時55分)、(2008〜)8列車/(大分16時50分)熊本16時30分→東京11時30分で、大分編成の方は門司で分割後に電源車を確保するため、オハシ30型2両を改造した簡易電源車マヤ20が連結された。
東海道新幹線が開業した昭和39(1964)年10月1日改正では、「みずほ」の大分編成が分離されて「富士」となり、「みずほ」は再び東京〜熊本間の単独運転に戻った。昭和40(1965)年10月1日改正では、基本編成と付属編成に各1両連結されていた2等座席車が2等寝台車に置き換えられ、「みずほ」は他の九州特急と足並みを揃えて全車寝台化された。

47.3改正で14系寝台車に置換え 50.3改正では長崎編成が登場

デアゴスティーニ編集部

14系寝台車による定期夜行寝台特急の第1号が、熊本行きの「みずほ」。EF65P・PF、EF66と牽引機は替わった。

昭和43(1968)年10月1日改正を迎えると、九州特急は東海道・山陽本線で待望の110km/h運転を開始した。これにより、「みずほ」は所要時間が45分短縮されて18時間15分となった。20系を使用した「みずほ」の最盛期はこの頃で、山陽新幹線が岡山まで延伸した昭和47(1972)年3月15日改正を機に新鋭の14系寝台車に置き換えられた。14系寝台車は、「さくら」のような分割・併合列車の場合、その作業を容易にするため分散電源方式が採用されており、分割・併合しない「みずほ」も一体運用とされたことから置き換えられた。また、この改正では「はやぶさ」と共通運用の「あかつき」が増発されたため、西鹿児島(現・鹿児島中央)での間合いを確保することから、下り「はやぶさ」のダイヤが繰り上げられた。その結果、「みずほ」も列車番号とダイヤが変更され、5列車/東京17時00分→熊本11時16分、6列車/熊本16時50分→東京11時05分となった。
山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、東京発着の寝台特急にも大きな動きがあった。看板特急である「あさかぜ」が1往復廃止され、「はやぶさ」「出雲」「富士」が新鋭の24系に置き換えられたのだ。「みずほ」の方は14系寝台車による運転に変化はなかったが、24系化された「はやぶさ」の西鹿児島、長崎各編成の分割・併合は簡易電源車の改造が必要となることから、その長崎編成が分割・併合が容易な14系「みずほ」の付属編成に充てられることになった。これにより「みずほ」は39.10改正以来の2階建て列車となった。その当時のダイヤは、5(〜4005)列車/東京17時00分→熊本11時23分(長崎12時19分)、(4006〜)6列車/(長崎15時47分)熊本16時36分→東京11時05分だった。

昭和50年代はB寝台が2段化される JR化後はグレードアップもなく廃止

デアゴスティーニ編集部

九州内を走る「みずほ」。九州区間では昭和49(1974)年頃からヘッドマークが廃止されていたが、59.2改正で復活している。

昭和50年代の「みずほ」は、山陽新幹線博多開業の影響や、相次ぐ国鉄の運賃・料金値上げにより、利用率の減少傾向が目立っていた。一方、「あさかぜ」「はやぶさ」「出雲」「富士」が2段式B寝台車の24系25型に置き換えられたこともあって、「さくら」とともに3段寝台のまま残されていた「みずほ」は設備的に見劣りするようになり、サービスアップのための14系寝台車の2段化工事が昭和50年代後半から進められた。「みずほ」については、昭和58(1983)年12月17日の下り東京発から2段化改造車の置換えが始まり、翌年9月12日には全車の置換えが完了している。また昭和59(1984)年7月20日の下り東京発からは、グループ客向けの4人用B個室「カルテット」の連結を開始している。
「みずほ」の東京〜下関間の牽引機は、40.10改正以来、一貫してEF65が担っており、昭和53(1978)年7月から9月にかけて500番代から1000番代へ交替していったが、昭和60(1985)年3月14日改正では、貨物列車の削減により余剰となった大出力機EF66が東京発着の九州特急に充当されることになり、「みずほ」の東京〜下関間は24分短縮された。さらに国鉄最後の改正となった昭和61(1986)年11月1日改正ではさらに48分短縮され、大出力電機の高速性能が如何なく発揮された。
JR移行後の「みずほ」は、他の九州特急がグレードアップされる中で、「さくら」同様に豪華なA個室寝台車が連結されることもなく、旧態依然とした姿のまま運転されていた。平成3(1991)年6月1日には食堂車が営業を休止するなど逆にサービスダウンし、九州特急自体も、所要時間で航空機や新幹線と在来線特急の乗継ぎパターンに大きく水を空けられ衰退していた。その結果「みずほ」は「はやぶさ」と「さくら」に埋没する形で平成6(1994)年12月3日改正で廃止されてしまった。
しかし「みずほ」は、2011年3月12日から九州新幹線鹿児島ルート全線開業と同時に復活し、その名を今に残している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/01/14


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