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「かもめ」

【第39回】 「かもめ」


博多〜長崎間を中心に運転している特急「かもめ」は、運転系統こそ異なるが、戦前は東京〜神戸間に登場した第4の特急に「鷗」としてその名が付けられていた。戦後に入ると「かもめ」の名で京都〜博多間の客車特急として復活し、36.10改正で気動車化されたが、山陽新幹線博多開業を迎えた50.3改正で一度消滅した。現在の「かもめ」は51.7改正で小倉、博多〜長崎間の電車特急で復活を果たした3代目だ。

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登場当初の列車番号は不定期展望車の連結もなかった戦前の「鷗」

デアゴスティーニ編集部

戦前から通して、客車時代は何かと不遇な立場に置かれた2代目「かもめ」だったが、36.10改正では一躍80系気動車に置き換えられ、当時としては最先端の特急に躍り出た。

戦前の国鉄を飾る特急列車は、昭和5(1930)年までに「富士」「櫻」「燕」が出揃ったが、このうち関西志向の列車は東京〜神戸間の「燕」のみであり、多客時は臨時「燕」が運転される盛況ぶりを見せていた。昭和も2桁の時代に入った頃は日中戦争の影が忍び寄ってきたものの、旅行需要そのものはまだ旺盛で、関西志向で東京を午後に発車する特急を増発する声が高まっていた。そこで、昭和12(1937)年7月1日改正で登場したのが東京〜神戸間の「鷗」だった。その当時のダイヤは1031列車/東京13時00分→神戸21時57分、1032列車/神戸8時23分→東京17時20分で、所要時間は同区間を走る「燕」より20分程度余計にかかっていた。また、定期列車であるにも関わらず列車番号は不定期列車のものだったが、これは「富士」と「櫻」の東京発が午後に設定されており、関西方面への旅客がこの2列車からどの程度「」に流れるか予測が難しかったことによる措置と思われる。これは編成面にも現れており、1等車を連結する各等特急であるにも関わらず、1等車は展望車ではなく1等寝台・2等座席合造車が代用されていた。「鷗」の1等車が晴れて展望車となったのは昭和14(1939)年3月のことだった。
昭和16(1941)年12月8日に太平洋戦争が開戦すると、国鉄のダイヤは次第に軍需優先へ流れるようになり、関門トンネルの開通を機に実施された昭和17(1942)年11月15日改正では2・3等特急の「櫻」がいち早く急行に格下げられて姿を消した。このとき、「富士」の長崎直通開始という明るい話題があったが、戦況悪化により実施された翌年2月15日改正で「鷗」はあえなく廃止され、僚友の「燕」は大阪〜神戸間が廃止された。以後も優等列車の削減が繰り返され、昭和19(1944)年4月1日改正では、第1種急行(旧特急)として唯一残っていた「富士」と1等車、食堂車、寝台車が廃止されるという最悪の事態を迎えた。

戦後は2・3等特急に甘んじ 気動車化後は長崎を根拠にする

デアゴスティーニ編集部

クハ481-200同士が向き合って連結された初の併結列車は九州の「かもめ」「みどり」。しかし、残念ながら貫通扉を使用したことはなく、「かもめ」は885系で独立、「みどり」は783系になった。

昭和27(1952)年4月1日に講和条約が発効し、連合軍による永年の占領政策から開放されると世相も落ち着くようになり、戦後いち早く運転されていた「つばめ」「はと」に続いて第3の特急が望まれるようになってきた。この列車は、戦前の「富士」のように九州直通で計画されたが、東京発とすると夜行区間が出てくることは避けられず、1・2等寝台車の絶対数が不足していた当時としては、編成的に苦しい状況だった。そこで、これを関西発着の九州特急として全区間を昼行で運転することとし、昭和28(1953)年3月15日改正で京都〜博多間に「かもめ」を新設した。戦前の「鷗」の名を平仮名書きで受け継ぎ、列車名としては2代目となったこの列車のダイヤは、5列車/京都8時30分→博多19時10分、6列車/博多10時00分→京都20時40分で、京都では下りが東京発の急行「彗星」、上りが東京行きの急行「明星」と接続した。編成は1等車の需要に乏しい山陽本線を走るため、2・3等のみの編成となり、先発の「つばめ」「はと」と比べ、2線級の印象は否めなかった。
昭和30年代に入り、東京〜博多間で「あさかぜ」、東京〜長崎間で「さちかぜ」(のちの「平和」→「さくら」)、東京〜鹿児島間で「はやぶさ」といった九州特急が相次いで運転を開始しても、京都発着の「かもめ」は地道に昼の山陽路を駆け抜けていた。昭和33(1958)年10月1日改正では、列車番号が急行並みの201・202列車となり、特急としては淋しい境遇となった感があったが、昭和36(1961)年10月1日改正では、新鋭の80系気動車に置き換えられ、一気に時代の最先端を行く特急に生まれ変わった。
気動車化された「かもめ」は、分割併合可能な80系気動車の特性を活かして京都〜長崎、宮崎間の2階建て列車に変貌した。その当時のダイヤは、1D(〜2001D)/京都8時00分→長崎20時05分(宮崎22時00分)、(2008D〜)2D/(宮崎8時00分)長崎9時50分→京都22時00分で、小倉で分割される宮崎編成は日豊本線では初の昼行特急となったが、昭和40(1965)年10月1日改正では「いそかぜ」として単独列車となったことから、「かもめ」は京都〜長崎、西鹿児島(現・鹿児島中央)間の運転に改められ、3D(〜2003D)/京都8時00分→西鹿児島22時50分(長崎20時15分)、(2004D〜)4D/(長崎9時40分)西鹿児島7時10分→京都22時09分のダイヤとなった。
さらに昭和43(1968)年10月1日改正では西鹿児島編成が分離され「なは」と改称、入れ代わりに前年10月1日改正から「いそかぜ」に登場した佐世保編成が「かもめ」に連結されることになり、「かもめ」は京都〜長崎、佐世保間の運転となった。その当時のダイヤは3D(〜2003D)/京都8時00分→長崎19時48分(佐世保19時35分)、(2004D〜)4D/(佐世保10時30分)長崎10時10分→京都22時25分で、佐世保編成の小倉〜鳥栖間は「いそかぜ」時代を踏襲して筑豊本線経由で運転された。

51.7で新幹線連絡の長崎特急へ 783系使用車は「ハイパーかもめ」

デアゴスティーニ編集部

長崎本線特急「かもめ」用783系にはミニカフェテリア付きサハ783型200番代が登場。先頭車前面の赤帯が青帯へと変更された。

山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、並行する昼行在来線特急がすべて廃止され、2代目「かもめ」は「つばめ」「はと」などとともに姿を消した。しかし、長崎本線と佐世保線の電化を機に実施された昭和51(1976)年7月1日改正では、「みどり」とともにその名が復活し、3代目「かもめ」が小倉、博多〜長崎間の電車特急としてスタートを切った。この当時は小倉発着が3往復、博多発着が4往復の計7往復が設定され、最初からエル特急に指定された。また、小倉、博多〜肥前山口間では1往復を除き「みどり」を併結していた。
これ以後、「かもめ」は並走する気動車急行「出島」を吸収し、昭和57(1982)年11月15日改正では13往復となったが、昭和60(1985)年3月14日改正で5往復が「みどり」との併結運転を解消、昭和61(1986)年11月1日改正では「かもめ」全列車が単独運転となり、博多〜肥前山口間のフリークエンシーを高めた。
JR移行後は、「かもめ」へ新形式車やリニューアル車の投入が相次いだ。まず、18往復となった平成元(1989)年3月11日改正では、鹿児島本線の「有明」で好評を得た783系が「かもめ」にも2往復に投入された。さらに平成2(1990)年3月10日改正では5往復に拡大し、783系使用列車には「ハイパーかもめ」の愛称名が与えられた。また、同年3月6日には従来の485系をリニューアルした「レッドエクスプレス」車が投入され、平成3(1991)年3月16日改正では485系運用列車すべての「レッドエクスプレス」化が完了している。
平成6(1994)年3月1日改正では、「つばめ」用に登場した787系が「かもめ」5往復にも進出、「ハイパーかもめ」の名が消滅し、全列車「かもめ」に統一された。しかし、787系「かもめ」は短命で、平成8(1996)年3月16日改正では「つばめ」に使用されていた783系と入れ代わる形で「かもめ」から姿を消している。

振り子式新形式の885系は「白いかもめ」と呼ばれる

デアゴスティーニ編集部

00.3改正で「かもめ」に颯爽とデビューした振り子式の885系は「白いかもめ」呼ばれている。

平成12(2000)年3月11日改正では、「かもめ」用として振り子式の新形式車885系がデビューし、26往復中17往復に投入された。反面、永年「かもめ」を支えた485系が撤退し、単独列車は885系、「みどり」「ハウステンボス」併結列車は783系という運用の棲み分けが始まった。
運転面では、昭和63(1988)年3月13日改正で下り1本が「みどり」との併結を再開、平成4(1992)年3月25日からは、季節特急として博多〜ハウステンボス間で運転を開始した「ハウステンボス」との併結も開始、同年7月15日の改正では上り1本で「みどり」「ハウステンボス」との3階建て列車が登場している。
JR以後の「かもめ」は、基軸となる博多〜長崎間以外にも区間列車が登場したのも大きな特徴で、平成6(1994)年2月1日からは臨時ながら博多〜肥前山口間の列車が登場、平成16(2004)年3月13日改正では、「かもめ」としては最短となる諫早→長崎間の列車も登場しており、朝・夜はホームライナー的な役割も果たした。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/03/10


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