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「つるぎ」

【第42回】 「つるぎ」


「つるぎ」の名は、立山連峰北部に位置する標高2998mの剣岳にあやかったもので、36.10改正の際に新設された大阪〜富山間の夜行準急に初めて命名された。大阪〜富山間で有効時間帯にかかる夜行列車は、かつてはこの「つるぎ」と電車の「立山」もラインアップを飾っていた。準急→急行→特急とステップアップし、北陸夜行の一翼を担っていた「つるぎ」だったが、JR移行後は旅客を「きたぐに」と並行する夜行高速バスに奪われる形で94.12改正で廃止された。

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「日本海」の時刻繰上げを機に登場 40.10では客車から電車へ転じる

デアゴスティーニ編集部

36.10改正で「日本海」のスジを受け継いで登場した「つるぎ」は富山指向の列車として設定されていたが、47.3改正以後は対新潟も視野に入れた列車に変貌した。しかし、昭和50年代以降はこれといって列車の個性を打ち出すことができず、特急ながら急行「きたぐに」の後塵を拝すことになった。

昭和36(1961)年10月1日改正は、北陸本線系に初の特急として「白鳥」が誕生した。日本海縦貫線をほぼ日中かけて走破するこの列車は、青森で青函航路の深夜便と接続する北海道連絡の使命を担っていたが、改正前にこの使命を担っていた急行「日本海」は、青森口におけるダイヤが「白鳥」と競合することから、改正では運転時間帯が大幅に繰り上げられた。その結果、富山県内へ有効なダイヤが崩れてしまい、新たに大阪〜富山間の夜行列車を設定する必要が生じた。こうして登場したのが準急「つるぎ」だった。運転開始当初の「つるぎ」のダイヤは、509〜519列車/大阪23時15分→高岡7時03分・7時12分→富山7時44分、520〜510列車/富山20時50分→高岡21時19分・21時22分→大阪5時35分で、ダイヤ自体は改正前の「日本海」を踏襲しており、高岡〜富山間は普通列車として運転された。
北陸本線が金沢まで電化開業した昭和38(1963)年4月20日改正では、急行型交直両用電車による電車急行が大増発され、夜行では大阪〜金沢間で「つるぎ」に競合する形で、電車急行の「第2・3加賀」が設定された。「つるぎ」の方は金沢〜富山間が普通列車化されたものの急行に格上げされ、寝台車が半数を占めるようになった。座席車も下りの大阪〜金沢間では全車指定となる編成に改められ、指定席主体は「つるぎ」、自由席主体は「第2・3加賀」という棲分けが生まれた。
そんな「つるぎ」も昭和40(1965)10月1日改正では全車寝台編成にグレードアップされたが、これを機に列車名が変更されることになり、この改正で東京〜大阪間の夜行急行の任を解かれた「金星」の名が使われることになった。これに伴い「つるぎ」の名は改正前まで「加賀」を名乗っていた夜行電車急行に移ることになり、面目を一新した。その当時のダイヤは505M/大阪22時45分→富山6時25分、506M/富山22時10分→大阪5時10分で、旧「つるぎ」の「金星」とは30分程度の時間差で前後する形で運転されていた。

「つるぎ」「きたぐに」「立山」で絶頂期を迎えた大阪~富山の夜行ラインナップ

デアゴスティーニ編集部

「あかつき」の14系化に伴い47.10改正で20系化され特急に格上げされた「つるぎ」。緩急車は当初、珍車・ナハネフ20が連結されていたが、48.10改正からは広窓の正統派・ナハネフ22も加わるようになった。

昭和43(1968)年10月1日改正を迎えると、系統別に列車名の整理が行なわれたことから、夜行電車急行「つるぎ」は「立山」へ吸収された。一方、「金星」の方は、この改正で名古屋〜博多間に新設された寝台電車特急にその名が移ることになり、空いた夜行寝台急行の名には「つるぎ」が再び使われることになった。ダイヤは503列車/大阪23時30分→富山6時11分、504列車/富山22時30分→大阪5時13分となっており、旧電車「つるぎ」だった「立山4・4号」とは30分程度、続行するダイヤとなった。
翌昭和44(1969)年10月1日改正では、「つるぎ」に大きな変化はなかったが、43.10改正で「日本海」から改称した「きたぐに」の大阪口のダイヤが2時間程度繰り下げられ、36.10改正前の「日本海」のスジに近いものになった。このため、大阪〜富山間の夜行ラインアップは、客車の「つるぎ」「きたぐに」、電車の「立山4・4号」と絶頂期を迎えた。

47.10で大阪〜新潟間の特急に昇格

デアゴスティーニ編集部

特急「つるぎ」の北陸本線内は、当初、田村から先で金沢を境に以西がEF70型1000番代、以東はEF81が牽引していたが、湖西線開業後は全区間がEF81牽引となった。

そんな「つるぎ」に大きな変化が訪れたのは昭和47(1972)年のことだった。同年3月15日改正では、大阪〜富山間の従来のスジを維持しながら新潟まで延長され、503列車/大阪23時45分→新潟10時17分、504列車/新潟18時20分→大阪5時13分のダイヤとなった。この頃には普通車指定席のない全車寝台編成に改められている。さらに10月2日改正では、14系寝台車が向日町運転所(現・京都総合運転所)に配置された関係で、余剰となった20系が北陸や東北へ転用されることになった。北陸では急行「つるぎ」の特急格上げに充当されることになり、特急化された「つるぎ」は、4005列車/大阪23時00分→新潟8時24分、4006列車/新潟20時45分→大阪5時56分のダイヤとなった。急行時代と比べて所要時間が短縮された分、新潟での折返しが2時間程度拡大されたが、運転距離が600kmに満たないことや、急行「きたぐに」とほとんど同時間帯を走ることもあって、速度面でもサービス面でも新味に乏しい特急だった。

51.2では20系から24系25型へ

デアゴスティーニ編集部

湖西線経由となる50.3改正まで特急「つるぎ」の大阪〜米原間は、おもにP型改造を施したEF58が牽引していた。

ところで、昭和49(1974)年4月25日改正では24系25型がデビューし、当初、向日町運転所に配置され、関西〜九州間の寝台特急に優先的に充当されたが、昭和50年度には宮原客車区にも配置され、昭和51(1976)年2月20日には「つるぎ」と「日本海1・2号」に投入された。これにより「つるぎ」は、2段式B寝台車のみのモノクラス編成に改められ、JR移行後もその姿のまま走り続けたが、運転距離の割に全車寝台の割高感が嫌われたのか、旅客を並行する電車急行「きたぐに」と北陸自動車道を走る夜行高速バスに奪われる傾向が強くなり、平成6(1994)年12月3日改正で廃止された。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/06/15


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