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「出羽」

【第43回】 「出羽」


現在の山形県と秋田県の大部分は、江戸時代以前に出羽の国と呼ばれ、東北有数の「国」だった。また、この国にそびえる月山・羽黒山・湯殿山の三山は「出羽三山」といわれ、山岳信仰の霊峰として知られている。そのような由緒ある由来から名付けられた「出羽」は、奥羽本線の看板夜行列車「津軽」を補完するため、昭和35(1960)年に不定期準急でスタート、後に急行、特急とステップアップし、任務を全うした。

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「津軽」を補完する目的で登場 最初から煙とは無縁の快適列車

デアゴスティーニ編集部

「出羽」33年の歴史のなかで特急時代は約3分の1だったが、上越新幹線の陰に隠れて、その存在はあまり目立たなかった。

戦後の奥羽本線経由の夜行急行は、昭和22(1947)年6月29日改正で誕生した急行405・406列車が最初だ。この列車は、急行401・402列車となった後の昭和25(1950)年12月20日に「鳥海」と命名、昭和31(1956)年11月19日改正で「津軽」と改称され(「鳥海」の愛称名は奥羽本線の昼行急行に命名)、平成5(1993)年12月1日改正で廃止されるまで、上野と青森を結ぶ奥羽本線経由の夜行として君臨した。
この「津軽」は、上野〜青森間の列車であるものの、全区間を利用する乗客の割合は繁忙期を除いては少なく、平均的に山形県内への利用客が多かった。昭和30年代前半の奥羽本線といえば、非電化・単線で、峠の難所も随所に控えていたことから輸送力は脆弱で、奥羽本線唯一の夜行列車だった「津軽」は常に混雑を抱えた状態で運転されていた。それを幾分でも緩和すべく、利用客の多い山形県への輸送に特化した不定期準急が昭和35(1960)年6月1日改正で誕生した。それが準急「出羽」だった。当時のダイヤは、1409列車/上野23時30分→新庄8時26分、1410列車/新庄19時50分→上野5時00分で、上野〜郡山間は磐越西線直通の準急「いわしろ」を併結していた。この当時、東北本線はすでに福島まで電化されており、奥羽本線を含む上野〜秋田間では一部の列車を除き無煙化が達成されていた。「出羽」は客車列車であるものの、登場当初から蒸気機関車の煤煙に悩まされることのない、快適な列車だったといえる。

19年間変わらぬ車両・ダイヤで運転された気動車「出羽」

デアゴスティーニ編集部

気動車急行時代の「出羽」。上野〜山形間は10両以上の壮大な編成で走るが、新庄〜酒田間はわずか3〜4両のミニ編成となる。

未曽有の白紙ダイヤ改正といわれた昭和36(1961)年10月1日改正は、奥羽本線初の特急「つばさ」が80系特急型気動車により運転を開始した記念すべき改正となった。上野〜秋田間の夜行列車では「津軽」のほかに「男鹿」が増発され、奥羽本線の優等列車は一挙に充実した感があった。「出羽」は定期急行に格上げされ、寝台車も編成に加わるなど、編成的には主役の「津軽」に優るとも劣らない内容になった。
「出羽」の客車時代はその後2年間続いたが、昭和38(1963)年10月1日改正では一転して気動車化され、陸羽西線を経由して酒田まで運転区間が延長された。気動車化当時のダイヤは、405D/上野23時20分→酒田8時29分、406D/酒田19時35分→上野5時10分で、気動車ならではの柔軟な運用を生かして、利用率の高い上野〜山形間は10両以上の長大編成で、陸羽西線内は3〜4両の短い編成で運転するなど、乗客の需給に見合った編成が組まれていた。
この気動車「出羽」は、その後約19年間、一貫してキハ58型気動車グループが使用され、ダイヤもほとんど変わらない状態で運転された。その間、奥羽本線では昭和43(1968)年9月23日に山形まで電化完成、昭和50(1975)年10月13日には全線電化完成と大きな出来事があったが、そのようなことに影響されることなく、我関せずで淡々と運転されてきたのは奇跡といえるかもしれない。

57.11で上越線・羽越本線経由の寝台特急にコンバートされる

デアゴスティーニ編集部

「出羽」のヘッドマークは、列車名の由来である「出羽三山」を模したものだ。新津〜秋田間はEF81の牽引となった。

そんな「出羽」も、東北新幹線が本格的に増発された昭和57(1982)年11月15日改正では影響を免れなかった。この改正では「津軽」2往復中1往復が特急「あけぼの」に格上げ、残った1往復は20系客車に置き換えられた。また昼行特急の「つばさ」は、福島で新幹線に接続する福島〜秋田間の列車が増発された。このような大きな動きにより、新幹線への乗客の移転が進むことが予想されたことから、「出羽」は廃止され、共通運用だった磐越西線の「いいで」も廃止された。
一方、この改正では上野〜秋田間を上越線・羽越本線経由で結んでいた急行「鳥海」が特急に格上げされることになった。同時に、上野〜青森間の昼行特急「いなほ」が新潟〜秋田、青森間の運転となり、1往復だけ残された上野〜青森間の列車が「鳥海」と命名された。これにより特急格上げ後の元「鳥海」は「出羽」を名乗ることになり、「出羽」は上野〜秋田間の寝台特急として新たなスタートを切った。その当時のダイヤは、2001列車/上野21時40分→秋田8時20分、2002列車/秋田20時00分→上野6時08分だった。途中、新潟には寄らず、新津からストレートで羽越本線に入るルートで運転され、上り列車は新潟県内からも利用可能なダイヤが組まれていた。準急・急行時代は「出羽」を名乗っているにも関わらず、山形県内で足を踏み留めていた同列車だが、特急化でようやく秋田県にも姿を見せるようになり、文字どおり「出羽」の名に合致する列車となった。車両は24系24型が使用され、当時、2段B寝台が特急にかなり普及していたため、3段寝台の「出羽」はだいぶ見劣りした内容だったが、同年12月21日の秋田発から編成の一部に2段化改造を施したオハネ24が連結されるようになった。

山形新幹線工事の進捗により「鳥海」とふるいにかけられ消滅する

デアゴスティーニ編集部

特急「出羽」の電源車は、編成の方向転換により、平成2(1990)年9月に上野寄りから秋田寄りに変更された。

特急「出羽」はJR化以後も存続したが、豪華な個室寝台車の連結はなく、開放A寝台車とB寝台車だけの地味な姿が維持された。そんな「出羽」に引導を渡すきっかけになったのは、平成2(1990)年9月1日改正だった。この改正では、山形新幹線福島〜山形間の工事が進捗したことから奥羽本線の優等列車の一部廃止や経路変更が実施され、特急「つばさ」が削減、急行「津軽」は仙山線経由に変更となり、寝台特急「あけぼの」2往復のうち1往復が陸羽東線経由となった。残る「あけぼの」1往復は上越線・羽越本線経由となり「鳥海」と改称、その名は昭和60(1985)年3月14日改正で消滅して以来の復活となった。これにより、上越線・羽越本線を経由する寝台特急は「出羽」と「鳥海」の2本体制となったが、割高なJRの寝台特急は利用率が低く、同系統に2本の特急は供給過剰気味となった。このため、個室寝台車を連結しない「出羽」が平成5(1993)年12月1日改正で廃止され、その名にピリオドを打った。ちなみに「出羽」を追いやった「鳥海」は、陸羽東線経由の「あけぼの」が平成9(1997)年3月22日改正で廃止され、長年、上野〜青森間の特急で親しまれてきた「あけぼの」の名に変えられて消滅している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/07/16


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