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「立山」

【第44回】 「立山」


立山は富山県の南東部に位置し、北アルプスの北西へ連なる一大連峰だ。これにちなんで関西から富山指向の急行に名付けられたのが「立山」だ。この列車は31.11改正で「北陸」から「のれん分け」する形で登場したが、北陸急行の中では最も電車化が遅れた。昭和40年代に入ると、ようやく富山指向の電車急行として活躍を始め、一部の列車は富山地方鉄道へ乗り入れるようになった。57.11改正では583系化されたものの、一気に季節夜行1往復のみに転落し、60.3改正で姿を消している。

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「北陸」の系統分離により誕生した大阪~富山間の「立山」

デアゴスティーニ編集部

客車急行時代の「立山」。全区間が蒸機牽引だった時代は大阪〜富山間で7時間以上も要した。

昭和20年代、北陸本線を代表する優等列車といえば、大阪〜青森間の「日本海」と大阪〜上野間の「北陸」だった。両列車とも戦前から運転されており、日本海側の東西を結ぶ基幹列車として輸送事情の悪かった昭和20年代をリードしてきた。「北陸」の場合、大阪〜上野間を東海道、北陸、信越、高崎の各線を経由するという、現在では考えられないような系統で運転されていたが、昭和20年代は車両増備や列車増発へ割く予算に乏しく、その代わり1本の長距離列車を仕立ててさまざまな地域の需要を満たすダイヤが組まれていた。このため「北陸」は、首都圏と北陸圏の夜行需要と、北陸圏と関西圏の昼行需要の両方を満たす列車として運転されていた。
しかし、昭和31(1956)年11月19日改正では東海道本線の全線電化が達成され、全国的に輸送規模の拡大が図られた。急行「北陸」は、富山県内の時刻が早朝・深夜に偏っており、必ずしも対関西の昼行列車としては利用しやすいダイヤとはいえなかったことから、北陸本線を境に東西に系統分離されることになり、「北陸」の方は上野〜福井間の夜行列車として残存、対関西としては新たに大阪〜富山間に「立山」が設定された。その当時のダイヤは、503列車/大阪12時05分→富山19時26分、504列車/富山12時00分→大阪19時30分だったが、準急「ゆのくに」が「立山」に先行する形で運転されていたことから、3等客の人気は格安の「ゆのくに」に集まっていたという。

僚友が次々と電車化される中で唯一客車で取り残された「立山」

デアゴスティーニ編集部

43.10で夜行急行「つるぎ」を吸収し、4往復となった「立山」。しかし、47.10で1往復が特急「雷鳥」へ格上げとなり、最大の4往復態勢はわずか4年で終わりを告げた。

昭和30年代後半に入ると、電化の伸展により北陸本線の輸送事情は一変し、金沢電化を迎えた昭和38(1963)年4月20日改正では、北陸本線に急行型交直両用電車の471系が本格的に投入され、大阪〜金沢間に「ゆのくに」「加賀」といった電車急行が増発された。昭和39(1964)年10月1日改正で北陸本線が富山まで電化開業すると、大阪〜富山間の電車急行は改正前の下り「第1ゆのくに」と上り「第2加賀」を富山まで延長した「越山」となり、「立山」は客車のまま残された。ちなみに、同年12月25日からは大阪〜富山間に481系特急型交直両用電車による初の特急として「雷鳥」が運転を開始したが、同列車は後に「立山」を脅かす存在となった。

43.10で富山行き全列車を吸収 45.7から富山地鉄乗入れを開始

デアゴスティーニ編集部

「立山」の付属編成3連は、勾配が点在する富山地方鉄道にも乗り入れることから、抑速ブレーキ付き475系が限定運用された。

このように昭和30年代後半は僚友が次々に電車化される中で、近代化に取り残されていた「立山」だったが、昭和40(1965)年10月1日改正では北陸電車急行の列車名が整理され、大阪〜金沢間は「加賀」、大阪〜富山間昼行は「立山」、大阪〜富山間夜行は「つるぎ」とされ、「立山」は471・475系に置き換え、ようやく電車急行として表舞台に立つことになった。その当時のダイヤは、501M「第1立山」/大阪9時00分→富山14時11分、502M「第1立山」/富山8時10分→大阪13時32分、503M「第2立山」/大阪13時30分→富山18時51分、504M「第2立山」/富山15時00分→大阪20時24分で、客車時代より約1時間のスピードアップとなった。
昭和43(1968)年10月1日改正を迎えると、「立山」はさらに勢力を拡大し、1往復増発されるとともに、既存の夜行「つるぎ」を吸収し4往復となった。また、昭和44(1969)年からは富山以遠への季節延長が実施され、同年10月1日改正では2往復が糸魚川までの延長を開始、昭和45(1970)年10月1日改正ではもう1往復が加わった。なお、同年7月15日からは下り「立山1・4号」と上り「立山2・3号」の付属編成が富山地方鉄道立山まで乗り入れるようになった。また、昭和46(1971)年10月1日からは43.10改正で定期列車復帰を果たしていた「ゆのくに1・4号」の付属編成が富山地方鉄道宇奈月温泉までの乗入れを開始したが、昭和47(1972)年3月15日改正では「立山1・3号」に振り替えられている。この改正における「立山」のラインアップは次の通りだった。
・501M〜6511M「立山1号」/大阪7時50分→富山12時34分・12時45分→糸魚川13時49分(宇奈月温泉13時43分)
・502M「立山1号」/富山9時05分→大阪13時56分
・503M〜6513M「立山2号」/大阪13時15分→富山18時02分・18時14分→糸魚川19時20分
・6514M〜504M「立山2号」/糸魚川9時22分(立山9時36分)→富山10時25分・10時35分→大阪15時25分
・505M「立山3号」/大阪15時45分→富山20時34分
・6516M〜506M「立山3号」/糸魚川15時20分(宇奈月温泉15時22分)→富山16時25分・16時35分→大阪21時23分
・507M〜6517M「立山4号」/大阪23時05分→富山5時50分・6時00分→糸魚川7時07分(立山6時47分)
・6518M〜508M「立山4号」/糸魚川20時46分→富山21時49分・22時00分→大阪5時03分
なお、国鉄車の富山地方鉄道乗入れに際しては、富山駅構内に同鉄道への連絡線が敷設されたほか、富山地方鉄道線内が直流であることから、この途中に交直切換えのデッドセクションが設けられた。

57.11で季節夜行1往復のみに583系の大半を座席状態で運転

デアゴスティーニ編集部

北陸の電車急行全盛時代の「立山」。大阪〜富山間は12連で運転された。

47.3は糸魚川や富山地方鉄道への乗入れが一層充実し、「立山」にとって絶頂となった改正だったが、日本海縦貫線が全線電化開業した昭和47(1972)年10月2日改正では、1往復が「雷鳥」に格上げされ、3往復に減少した。また、昭和50(1975)年3月10日改正では、前年に開業した山科〜近江塩津間の湖西線が本格運転を開始、「きたぐに」と「ゆのくに」を除く全優等列車が同線経由となり、「立山」も湖西線経由に変更されている。
昭和50年代に入っても、「立山」はしばらく昼行2往復、夜行1往復の態勢が続いたが、上越新幹線が開業し、これに接続する北陸本線の列車体系が大幅に改編された昭和57(1982)年11月15日改正では、北陸本線に残存していた昼行電車急行がすべて「雷鳥」に格上げされ、「立山」は夜行1往復のみとなった(同時に「立山」の富山地方鉄道乗入れも中止)。しかもこの夜行は、同改正で大阪〜新潟間に短縮された「きたぐに」と運転時間帯が接近することから、繁忙期のみ運転される季節列車とされた。ただし、車両はこれまでの471・475系から特急型の583系に置き換えられグレードアップされ、「立山」が583系の急行転用第1号となった。
583系はもともと寝台・座席兼用電車として誕生しており、夜行で運転する場合はグリーン車を除き全車寝台状態で運転されるのが原則だったが、「立山」に充当される際は寝台使用は12両編成中わずか3両のみで、最繁忙期になるとこの寝台車も座席状態で使用されるケースがあった。ちなみにこのような例は、50.3改正で山陽本線筋の「明星」「彗星」と常磐線筋の「ゆうづる」に見られたが、このときは寝台セット要員の不足による措置で、「ゆうづる」に至っては全車が座席車で運転されていた。これらの列車は、翌年10月以降、順次寝台車に戻されている。
57.11改正で1往復がかろうじて残った「立山」も、「きたぐに」と時間帯が接近しているとあっては存在価値が薄いため、昭和60(1985)年3月14日改正では合理化の対象となり姿を消したが、使用されていた583系は「きたぐに」に受け継がれ、その後も走り続けた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/08/15


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