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「白鳥」

【第45回】 「白鳥」


かつて大阪〜青森間約1040kmを日本海縦貫線経由で丸1日かけて走る電車特急としてその名を馳せた「白鳥」。その運転開始は昭和36(1961)年10月1日で、以来約40年もの間、「日本海縦貫線のクイーン」の名を欲しいままにしていた。

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もともとはローカル気動車準急に使われていた「白鳥」の愛称

デアゴスティーニ編集部

日本一の長距離を走る電車特急としてJR移行後もその名を轟かせた「白鳥」だったが、長距離列車削減の流れに抗うことはできず、01.3改正でついに日本海縦貫線特急としての40年の歴史にピリオドを打っている。

大阪〜青森間の特急「白鳥」の運転開始は「サン・ロク・トオ」改正こと昭和36(1961)年10月1日改正でのことだが、「白鳥」の愛称名はそれ以前にすでに登場していた。昭和35(1960)年12月26日から秋田〜青森〜鮫間で運転を開始した気動車準急がそれで、由来は青森県の小湊付近に飛来する白鳥だった。この列車は、「サン・ロク・トオ」で大阪〜青森間に新設される特急の愛称名が「白鳥」に決まると「岩木」と改称された。
さて満を持して登場した「真打ち」の「白鳥」だが、こちらは新潟県の水原付近に飛来するハクチョウが愛称の由来だという。当初の運転区間は大阪〜青森、上野間で、ダイヤは2001D(〜2004D)/大阪8時05分→青森23時50分(上野20時35分)、(2003D〜)2002D/(上野8時50分)青森5時20分→大阪21時12分だった。大阪から旅路をともにした青森編成と上野編成は直江津で分割し、上野編成は信越本線を経由して、いまはなき碓氷峠をED42の助けを借りて越えていた。一方の青森編成はひたすら北を目指すが、当初は新潟へは寄らず新津からそのまま羽越本線へ入っていた。

2両の食堂車が競演した80系気動車時代

デアゴスティーニ編集部

日本海をバックに羽越本線を行く、電車化以前の昭和47年の80系「白鳥」。夏季繁忙期の堂々たる13両編成だ。

充当された車両は、当時、向日町運転区と尾久客車区に新製配置された80系特急型気動車で、青森編成は向日町、上野編成は尾久区の受持ちとなっていた。おもしろいのは、両編成ともに食堂車を連結していたことで、上野編成は日本食堂上野営業所、青森編成は日本食堂青森営業所が担当、メニューも違っていたという。大阪〜直江津間では2両の食堂車が競演していたわけで、食堂車が実質的に全廃されている現在からは想像もつかない。
ところで、特急「白鳥」運転開始の話しに必ずといってよいほどついてまわるのが「能生騒動」というエピソード。北陸本線の能生駅は、当時、急行や準急すら停車しない小駅だったが、特急「白鳥」の運転開始当初は客扱いをしない運転停車とされていたのを、当時の金沢鉄道管理局が誤って地域版の時刻表に停車の掲載をしてしまった。これを見た地域住民がすっかり客扱い停車するものと思い込み、駅界隈は歓迎ムード一色となったが、実際に停車した列車はドアが開かずに発車してしまい、歓迎に湧いた人たちは唖然としたという。現在では考えられないトラブルだが、「サン・ロク・トオ」改正がいかに未曽有の大改正で、現場に混乱をきたしたかがわかる。
「白鳥」の青森、上野両編成の併結は、昭和40(1965)年10月1日改正まで続き、この改正では上野編成が同じ80系気動車による「はくたか」として分離され、「白鳥」は大阪〜青森間の単独列車となった。また、この改正からは新潟を経由するようになり、大阪基準では新潟〜青森間で編成が逆になるパターンが廃止まで続く。

日本海縦貫線全線電化により電車特急として生まれ変わる

デアゴスティーニ編集部

日本海縦貫「白鳥」の最後を飾ったのは京都総合所の国鉄色ボンネット編成だったが、485系「白鳥」の出番は非ボンネット車の方が多かった。

いわゆる「日本海縦貫線」とは、米原〜直江津間の北陸本線、直江津〜新潟間の信越本線、新潟〜新発田間の白新線、新発田〜秋田間の羽越本線、秋田〜青森間の奥羽本線を指し、各線では部分的に電化が進められていた。このうち最後まで未電化のまま残されていたのが羽越本線と白新線で、両線が昭和47(1972)年8月5日に全線電化されたことにともない、同年10月2日改正
で「白鳥」は晴れて485系電車化された(実際には9月30日発の上りから電車化)。電車化直後の「白鳥」のダイヤは4001M/大阪10時10分→青森23時50分、4002M/青森4時50分→大阪18時48分で、気動車時代に比べて約1時間のスピードアップを果たした。昭和49(1974)年7月20日に大阪〜敦賀間のショートカットとして、山科〜近江塩津間の湖西線が開業すると、翌年3月10日改正では一部の急行を除き日本海縦貫線の優等列車がすべて湖西線経由となり、「白鳥」の所要時間はさらに10分短縮された。
昭和57(1982)年11月15日改正では、これまで金沢〜青森間で運転されていた気動車急行「しらゆき」を格上げする形で、もう1往復の「白鳥」が登場した。ただし、運転区間は福井〜青森間で、編成も「本家」の12連に対して食堂車非連結の9連と格下の感は拭えなかった。結局この福井「白鳥」は、昭和60(1985)年3月14日改正で「北越」に吸収されてしまった。

長距離列車としての存在意義が薄れ ついに3本の列車に系統分割へ

デアゴスティーニ編集部

61.11改正では運用が上沼垂区へ移管され、JR移行後はボンネット編成でもアコモ改良車であることを示す新塗色となっていた。

1往復に戻った「白鳥」は、その後も寡黙に長駆1040kmの旅をこなしていたが、編成は昭和60(1985)年3月14日改正で食堂車が外され、翌年11月1日改正では10連から9連に縮小された。すでに国内の長距離旅行は航空路のシェアが大勢を占め、昼行列車ではもっとも長い距離を走るといわれた「白鳥」は、その存在意義が年々薄れていた。加えてJR移行後は北陸本線系統に「サンダーバード」の愛称で親しまれる681系や683系といった新鋭車が相次いで投入され、末期の「白鳥」は「雷鳥」グループの増発に埋没する形で、かろうじて存在しているという状態だった。
大阪〜青森間の列車とはいえ、実質的には大阪〜金沢間、金沢〜新潟間、新潟〜青森間の列車を1本につなぎ合わせたような姿ともいえ、全区間を通して乗る客は、レールファンか飛行機嫌いの一部の旅行者だけというのが現状だった。それだけに廃止=系統分割は時間の問題といわれていたが、平成13(2001)年3月3日改正で、ついにそれが現実のものとなった。現行の下りダイヤで「白鳥」の痕跡を残す列車としては「雷鳥5号」(大阪→金沢)、「北越3号」(金沢→新潟)、「いなほ7号」(新潟→青森)が相当し、これらの列車を乗り継げば廃止前の「白鳥」とほぼ同じ時間帯で青森まで到達できたが、名門列車の消滅は、やはり一抹の寂しさを感じさせた。

平成14年の東北新幹線八戸開業で「白鳥」の愛称が先祖帰り

デアゴスティーニ編集部

1年9カ月の沈黙を破って「白鳥」は第3世代へ。02.12改正で登場した「スーパー白鳥」は「白鳥」とともに東北新幹線と接続する本州〜北海道間の連絡列車として活躍した。

日本海縦貫線から「白鳥」の名が消えて約1年9カ月、今度は平成14(2002)年12月1日、東北新幹線八戸開業にともない、八戸〜青森〜函館間の新設在来線特急に「白鳥」の名が復活することになった。もちろん変遷的には日本海縦貫線の「白鳥」とは別物だが、元をたどれば昭和35(1960)年に運転を開始した準急「白鳥」と運転系統が似ていることから、「白鳥」の名が先祖帰りしたといえるだろう。
この「白鳥」は485系3000番代を使用するJR東日本の受持ち列車に命名され、新鋭の789系を使用するJR北海道受持ちの列車は「スーパー白鳥」と命名された。「白鳥」を象徴するヘッドマークは、485系3000番代はLEDのため味気ないが、789系の方はかつての「白鳥」を彷彿させる白鳥のイラストがしっかりと描かれており、「白鳥」の血統はヘッドマークに受け継がれた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/09/15


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