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「さざなみ」

【第46回】 「さざなみ」


房総半島の西岸に延びる内房線は、古くから海水浴や潮干狩りのメッカを控え、かつては「内房」「房総」「京葉」といった愛称名を持つ列車が賑わせていたが、現在は特急「さざなみ」が外房線の「わかしお」と並んで房総の優等列車需要を一手に担っている。

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全車指定制列車として登場した気動車時代の準急「さざなみ」

デアゴスティーニ編集部

「さざなみ」の名は、古くから現在の内房線を行く準急や臨時列車に使用されていたが、表舞台に登場したのは47.7改正で内房線の電車特急としてデビューした時だった。以来、183系が活躍し続けていたが、93.7改正では新鋭のE255系が「ビューさざなみ」として運転を開始している。

かつて房総西線と呼ばれていた現在の内房線に「さざなみ」の名が優等列車に登場したのは昭和38(1963)年10月1日改正でのことだった。当時の房総地区の優等列車は、キハ55型気動車グループが使われていればまだ上等な方で、一般型のキハ20型気動車グループやキハ17型気動車グループもしばしば使われていたほどだったが、そんな時代に、キハ58型気動車グループの準急「さざなみ」が颯爽と運転を始めたのだった。その当時のダイヤは、103D/両国8時20分→館山10時43分、112D/千倉17時57分→両国20時45分で、両国〜千葉間は外房線へ直通する「くろしお」を併結していた。下り方の発着駅が上下で異なっているのは、下り「さざなみ」の館山到着後に「内房3号」で新宿へ向かい、折返しの「内房4号」で千倉へ向かう間合い運用が組まれていたためだった。
この「さざなみ」はキロ28を含む5両編成で、そのグレードの高さから全車自由席が常識だった当時の房総にあって異例の全車指定制が採られたが、運転距離の短さから指定席は定着せず、昭和40(1965)年10月1日改正では「内房」に吸収され姿を消した。ちなみに、昭和20〜30年代は、「さざなみ」「さざ波」といった名が気動車や客車による一般臨時列車や学童臨で使われており、準急「さざなみ」が姿を消しても、永年親しまれたその名は優等列車以外でも使われ続けた。特に、房総西線が千倉まで電化された昭和44(1969)年7月11日からは、101系カナリア色による臨時快速「さざなみ」が新宿、両国、千葉〜館山、千倉間で運転を始めており、昭和46(1971)年まで内房の夏を飾っていた。

房総半島の全線電化とともに183系で走り出した特急「さざなみ」

デアゴスティーニ編集部

E257系500番代の投入により姿を消した183系「さざなみ」。房総特急の代名詞的存在として、サロ付き9連貫通編成のほかに、6+3連や8連のサロなし編成が存在した。

永年、気動車列車が我が物顔で走り抜けていた房総の鉄道にも、昭和47(1972)年に入ると本格的な電車時代が訪れるようになった。同年7月15日、房総東、西線が全線電化開業し、それぞれ外房線、内房線と改称。また、総武本線東京〜錦糸町間の地下線が開業し津田沼までの線増も完了したことから、東京から内房線、外房線へ向けた電車特急が運転される運びとなった。このうち、内房線系統は「さざなみ」と命名され、外房線系統の「わかしお」とともに幕張電車区の新製183系9両編成が充当された。当時、運転距離200km未満の特急といえば、臨時列車の「そよかぜ」しかなく、中距離輸送はまだまだ急行の役割だっただけに、房総半島に登場した真新しい電車特急には賛否両論があった。錦糸町〜館山間の場合、特急と急行の時間差はおおむね10分前後なのに対して、料金は特急が500円、急行が200円(いずれも自由席)と倍以上も違っていたからなおさらだった。その差は、特急の簡易リクライニングシートと急行のボックスシートとの設備差ともいえたが、運転距離の短さが仇となってこれもなかなか説得力を持たなかったようだ。
運転開始当初の「さざなみ」は、東京、新宿〜館山、千倉間に季節2往復を含む8往復が設定され、昭和50(1975)年3月10日改正では季節3往復を含む9往復となり、上り方の発着駅が東京に統一された。そして、昭和57(1982)年11月15日改正では、上越特急「とき」の廃止により捻出された183系1000番代を活用して大増発が行なわれ、並走する急行「内房」をすべて吸収し12往復に躍進した。ただし、終着が夕方のラッシュ時間帯にかかる上りのうち定期1本は新宿着に、季節1本は両国着となり、両国に初めて「さざなみ」が姿を見せるようになった。しかし、その期間は長くはなく、次の昭和60(1985)年3月14日改正では再び全列車が東京着に統一された。

JR移行後は「ビューさざなみ」など最大4種もの愛称名が登場

デアゴスティーニ編集部

JR東日本では初めて、VVVFインバータ制御方式を採用した特急型車両となった255系は、JR転換後に培ったあらゆる方面の技術を基に開発が進められた。

平成3(1991)年3月19日、成田線成田〜成田空港間が開業し、東京都心と成田空港を直結する特急「成田エクスプレス」が運転を開始した。これに伴い、千葉まで総武本線を経由していた「さざなみ」は、3月16日から外房線の「わかしお」とともに、「成田エクスプレス」にスジを譲るために京葉線経由に改められた。京葉線は、蘇我から内房、外房の両線へスルーするため、「さざなみ」「わかしお」とも千葉駅に姿を見せなくなり、東京〜千葉間の特急は大半が「成田エクスプレス」に置き換えられた形となった。また、この改正では東京〜君津間に「ホームタウンさざなみ」が下り2本新設されている。
さて、永年「さざなみ」に使用されてきた183系はこの時期、経年による陳腐化が進んでいた。このため、平成5(1993)年7月2日改正では、新系列の255系が房総特急に投入され、「さざなみ」には12往復中2往復に投入された。255系を使用する列車は、新車による列車をアピールするため「ビューさざなみ」と命名され、183系「さざなみ」と区別された。また、年々増加する通勤客に対応するため、朝の上りには君津〜東京間に「おはようさざなみ」上り1本が増発され、この時点で「さざなみ」に4種の愛称名が揃った。
255系「ビューさざなみ」は、平成6(1994)年12月3日改正でさらに3往復が増発されたが、これに伴い、183系「さざなみ」は季節3往復を含む7往復に後退。季節3往復は平成11(1999)年12月4日改正で廃止され、4往復にまで縮小されてしまった。平成12(2000)年12月2日には夜間の上りに君津〜東京間の短距離列車も登場し4往復半となったが、グリーン車の連結が廃止され、主役はすっかり255系に取って代わられた感があった。

E257系500番代を投入した後「さざなみ」の名前のみが残る

デアゴスティーニ編集部

04.10改正で登場した新鋭のE257系500番代は通常5連で運用されるが、多客時は10連の「重連運用」となる。

そして迎えた2004(平成16)年10月16日改正では、新鋭のE257系500番代が投入され、「さざなみ」からついに183系が姿を消している。その際、「さざなみ」は「おはようさざなみ」「ホームタウンさざなみ」を吸収し5往復となったが、翌年12月10日に行なわれた改正では、「ビューさざなみ」が「さざなみ」に吸収され、内房線特急の愛称名は再び「さざなみ」1本となった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/10/15


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