模型を作ってシェアするホビーコミュニティ ホビコム by デアゴスティーニ

「あけぼの」

【第47回】 「あけぼの」


「あけぼの」は、上野〜秋田、青森間を奥羽本線経由で結ぶ寝台特急として永く君臨していたが、秋田新幹線開業を機に、上野〜青森間を上越線、羽越本線経由で結ぶ寝台特急に命名された。また、奥羽本線の寝台特急に昇格する以前は、仙台〜青森間を現在の北上線経由で結ぶ気動車急行に命名されており、その40年以上にわたる変遷は実に目まぐるしいものだった。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


仙台〜青森間の急行として登場 「きたかみ」に改称され43.10で消滅

デアゴスティーニ編集部

「あけぼの」の名は37.7に仙台〜青森間の気動車急行に登場したが、その歴史の大部分は奥羽本線経由の寝台特急時代に集約される。その「あけぼの」は最後の定期20系特急としても知られている。

「あけぼの」の列車名が初めて登場したのは昭和37(1962)年7月15日のことだった。当時、仙台と秋田を結ぶ優等列車は陸羽東線経由の準急「たざわ」が存在していたが、この列車はシーズンを通して利用率が高かったため、この系統の列車を増発する目的で、仙台〜青森間を横黒線(現・北上線)経由で運転する優等列車が設定された。それが急行「あけぼの」だった。この列車の運転開始当初のダイヤは、701D/仙台13時50分→青森21時56分、702D/青森6時25分→仙台14時30分だったが、秋田〜青森間の前身のスジは、意外なことに大阪〜青森間の荷物列車2047・2048列車だった。この列車は、昭和36(1961)年10月1日改正から秋田〜青森間に限り準急として客扱いを行なうため座席車が連結されたが、本体は荷物列車だったため、当時の国鉄監修時刻表上では愛称名のない秋田〜青森間準急として表記されていた。
急行「あけぼの」は、当時、秋田機関区に配置されていたキハ58型気動車グループ4両(仙台〜秋田間は3両)編成で運転を開始したが、昭和38(1963)年4月20日からは金沢〜青森間に新設された「しらゆき」を秋田〜青森間で併結するようになった。なお、「しらゆき」は下りの場合、形式上は金沢〜秋田間の運転となっており、このうちの2両が「あけぼの」の増結車として青森まで直通していた。
ちなみに急行「あけぼの」の経由線区だった横黒線は昭和41(1966)年10月20日に北上線に改称、「あけぼの」は昭和43(1968)年10月1日改正で、経由線区のわかりやすい「きたかみ」に改称され(「きたかみ」の名は、この改正まで上野〜盛岡間の電車急行に命名)、昭和57(1982)年11月15日改正まで運転された。

45.7から臨時特急として登場 45.10で定期特急に昇格

デアゴスティーニ編集部

「あけぼの」の運転開始当初は非電化だった山形以北でDD51が牽引していたが、奥羽本線が全線電化開業した昭和50(1975)年11月25日にはED75型700番代と交替した。

「あけぼの」の名が消滅してから2年後の昭和45(1970)年、今度は特急として活躍の場が巡ってきた。この年、上野〜青森間を奥羽本線経由で結ぶ寝台特急の新設が企図され、10月1日改正から特急「あけぼの」が運転を開始することになったのだ。「あけぼの」新設に際しては5月に20系客車が当時の秋田客車区に新製配置されはじめた関係で、7月1日からこれらの早期落成車を使用した臨時「あけぼの」が上野〜秋田間で毎日運転されることになった。その当時のダイヤは、9001列車/上野22時05分→秋田7時20分、9002列車/秋田21時25分→上野6時50分で、これまでの急行「津軽」より2時間ほどのスピードアップを果たした。10月1日改正を迎えて、定期運転されるようになってからは上野〜青森間の運転となり、1001列車/上野22時05分→青森10時39分、1002列車/青森18時05分→上野6時50分のダイヤとなった。
この「あけぼの」は秋田県内を有効時間帯に収めた関係から、山形県内には停車しないダイヤが組まれていたが、昭和48(1973)年10月1日改正では上野〜秋田間に「あけぼの」1往復が増発され、山形県内に停車するようになった。増発列車のダイヤは、1003列車/上野22時28分→秋田7時34分、1002列車/秋田21時00分→上野6時46分で、下り列車の新庄着は4時59分と、ぎりぎり寝台車を利用できる設定となっていた。

55.10で24系に置き換えられ 定期20系特急の灯が消える

デアゴスティーニ編集部

上野〜黒磯間の牽引は運転開始当初からEF65型1000番代がその任に就いていたが、平成5(1993)年12月1日改正からは上野〜小牛田間がEF81の通し牽引に変更された。

昭和50年代に入ると、20系の特急撤退、急行転用が進み、昭和53(1978)年10月2日改正で上野〜盛岡間の「北星」、上野〜金沢間(上越線経由)の「北陸」が14系に置き換えられると、20系で残る定期特急は「あけぼの」2往復のみとなった。
その「あけぼの」も昭和55(1980)年10月1日改正を機に、ついに24系に置き換えられることになり、9月28日発の「あけぼの2号」から置換えを開始、9月30日発「あけぼの3号」が最後の定期20系特急となった(いずれも始発駅基準)。
東北新幹線が本格運転を開始した昭和57(1982)年11月15日改正では、奥羽本線でも昼行移転が進むかに見えたが、逆に「あけぼの」は「津軽」1往復を格上げして3往復となった。このうち「3・4号」の1往復は24系25型による運転となり、特急「あけぼの」始まって以来、A寝台車のないモノクラス列車となった。また、この頃になると、3段式24系の2段化改造が進み、24系で残る2往復については、昭和58(1983)年7月11日に2段化が完了している。
昭和60(1985)年3月14日、東北新幹線が待望の上野乗入れを実現し、夜行列車の昼行移転が進むきっかけとなった。この時期、3往復の陣容だった「あけぼの」も1往復で編成の季節減車が実施され、翌年11月1日改正では3往復とも10両編成に統一されている。さらにJR移行後の昭和63(1988)年3月13日改正では、上野〜札幌間に「北斗星」が新設された関係で1往復が廃止され、残る2往復とも上野〜青森間の運転となった。

山形・秋田新幹線に古巣を追われ 上越・羽越筋へ転じる

デアゴスティーニ編集部

軽量化のため架線集電による電源供給を諦め、MG、パンタグラフを廃した「あけぼの」のヘッドマークを冠したカニ22。実質的にカニ21と同様の車両となったが、改番はされなかった。

首都圏から東北新幹線を通って、乗換えなしで山形へ至る山形新幹線は、日本初の新在直通新幹線として建設されていた。平成2(1990)年9月1日には福島〜山形間でその工事が進捗し、標準軌化への第1期工事が開始されることになったことから、「あけぼの」は1往復が陸羽東線経由に変更、1往復が上越線、羽越本線経由の特急へ転じ「鳥海」と改称された。1往復となった「あけぼの」のダイヤは、1001列車/上野21時38分→青森10時28分、1002列車/青森17時35分→上野6時29分で、陸羽東線内はDE10が重連で牽引するという珍風景が見られた。また、この改正では年々低下する寝台特急の需要創出を図るため、女性専用車「レディースカー」の連結を開始、翌年3月16日からはA・B個室寝台車の連結も開始している。
 このような流れに乗りつつ、かろうじて奥羽本線筋にとどまっていた「あけぼの」だったが、平成9(1997)年3月22日改正で秋田新幹線が開業すると、大曲〜秋田間が標準軌に改軌されたことから秋田への直通運転が不可能になり、そのスジは廃止されてしまった。ただし、「あけぼの」の名は、かつての「あけぼの」から派生して登場した上越線、羽越本線経由の寝台特急「鳥海」を改称することで存続、めぐりめぐって愛称名が元に戻る形となった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/11/12


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。