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「しらさぎ」

【第48回】 「しらさぎ」


昭和30年代まで、中京圏の中心である名古屋と北陸を結ぶ優等列車は、最短距離となる高山本線経由が優勢だった。しかし、北陸本線の電化が延伸すると米原経由の方が所要時間で有利となり、名古屋と北陸を最短時間で結ぶ列車として特急「しらさぎ」が誕生した。

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「雷鳥」の間合いを活用した中京対北陸のビジネス特急登場

デアゴスティーニ編集部

現在でこそ名古屋発着米原経由の北陸特急は定着しているが、昭和30年代は運転距離が短い高山本線経由が主流で、米原を経由する遠回りな「しらさぎ」の運転は当時としては冒険ともいえるものだった。

北陸本線の交流電化は、昭和30年代後半に入って急速に進捗し、昭和37(1962)年6月10日に敦賀〜福井間が、昭和38(1963)年4月20日には福井〜金沢間が完成。金沢電化を機に急行型交直両用電車471系による電車急行が大増発され、北陸本線の優等列車は本格的な電車時代へ突入していった。一方、特急の方は、大阪〜青森、上野間に気動車特急「白鳥」が運転されていたが、その需要は旺盛で、北陸本線に特化した新たな特急の増発が切望されるようになった。
このことから、金沢〜富山間の電化が完成した昭和39(1964)年10月1日改正を機に大阪〜富山間の電車特急「雷鳥」が新設されることになったが、これに投入する予定だった特急型交直両用電車481系の製作が新幹線0系の製作と重なったこともあり、その第1陣落成は10月27日までずれ込み、実際の営業運転開始は試運転を経た12月25日からとなった。
さて、当初の「雷鳥」は、関西対北陸の行楽需要を優先して上下列車とも昼から夕方にかけての時間帯にダイヤが設定された。このため、大阪〜富山間で同日中の折返し運用を組むと既存の「白鳥」とダイヤが競合することから、「雷鳥」の間合いに対中京の新たな列車を設定して需要を創出することとなり、名古屋〜富山間に「しらさぎ」が登場することとなった。その運転開始時のダイヤは、2004M/富山18時15分→名古屋22時40分、2003M/名古屋8時00分→富山12時25分で、上りは下り「雷鳥」の富山到着後、下りは上り「雷鳥」の富山発車前に設定され、必然的に中京から北陸をターゲットにしたビジネス向けダイヤとなった。
これまで、名古屋方面から米原を経由して北陸本線へ入る昼行優等列車は準急「こがね」「しろがね」しかなく、名古屋〜富山間では最短距離となる高山本線経由が常識だったので、米原を経由する名古屋発着の北陸特急は、当時の国鉄としては冒険ともいえる列車だった。しかし、特急型電車の快速性は高山本線経由より60.3km(当時)も運転距離が長くなる米原経由のハンデをものともせず、下りでほぼ同時間帯を走る高山本線経由の準急「しろがね1号」より30分程度速い4時間25分で運転された。しかも、冷房完備とあって人気は上々だった(準急「しろがね」は1等といえども冷房はなかった)。
このため、昭和43(1968)年10月1日改正では、北陸本線で特急の120km/h運転が開始されたのを機に2往復となり、名古屋〜富山間は4時間を切る運転に。昭和46(1971)年4月26日には名古屋〜金沢間列車も登場し3往復となった。続く昭和47(1972)年3月15日改正では、急行「こがね」「しろがね」を格上げして全列車が名古屋〜富山間の運転となる4往復となった。このうち1往復は名古屋〜博多間特急「金星」の神領電車区滞泊時間を活用して設定され、583系で運転された。

50.3以降は「加越」とともに等間隔ダイヤを実現

デアゴスティーニ編集部

金沢所へ運用が移管された50.3改正では、不足する485系を補うため1往復のみ489系が充当され始めた。

山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、急行「ゆのくに」「きたぐに」を除く関西発着の北陸本線系優等列車がすべて湖西線経由に変更された。そのため、「しらさぎ」のみでは北陸本線米原口の優等列車が手薄になることから、米原〜金沢、富山間に特急「加越」6往復が新設された。「しらさぎ」の方は2往復増の6往復となり、名古屋〜金沢間列車が復活した。これにより、米原口の電車特急は「しらさぎ」と「加越」を合わせた12往復となり、ほぼ1時間ヘッドの運転が実現した。
その際、「しらさぎ」の運用は金沢運転所(現・金沢総合車両所)へ移管され、特急「白山」で使用されていた489系も運用に加わった。また、583系は南福岡電車区から向日町運転所(現・京都総合運転所)へ運用が移管され、「しらさぎ」1往復の運用が続けられた。
次の昭和53(1978)年10月2日改正では1往復増の7往復となり、583系運用が消滅。全列車が金沢運転所の485系または489系に統一された。

60.3改正では初の減便で485系は7連 489系は9連に短縮

デアゴスティーニ編集部

01.3改正からは「スーパー雷鳥」の編成を転用したグレードアップ化が図られ、「しらさぎ」のイメージが一挙に変わった。

上越新幹線が開業した昭和57(1982)年11月15日改正では、上野〜金沢間特急「はくたか」の廃止など北陸特急に再編の動きがあったものの、「しらさぎ」は1往復が季節列車化されたにとどまった。
この季節列車は、次の昭和60(1985)年3月14日改正で名古屋〜米原間が廃止され、「加越」に編入された。このため「しらさぎ」は初の減便となる6往復へ後退し、編成も12連から485系は7連、489系は9連に短縮。いずれの編成からも食堂車が消滅した。
JR移行後、初の全国改正となった昭和63(1988)年3月13日改正では、6往復すべてが名古屋〜富山間の運転となったほかに大きな動きはなかったが、米原〜金沢間では東海道新幹線と連携した速達特急として「きらめき」が1往復新設されている。
次の平成元(1989)年3月11日改正では、「加越」2往復が名古屋まで延長され「しらさぎ」に編入、8往復となった。この運転態勢は平成15(2003)年10月1日改正まで永く続き、下り名古屋発が毎時10〜14分、56分となる規格ダイヤも確立された。なお、489系編成は、89.3改正で「白山」「あさま」との共通運用から分離され、「加越」「北越」と共通の7連に短縮されている。

03.10改正で「加越」を吸収 米原を経由する唯一の北陸特急に

デアゴスティーニ編集部

「しらさぎ」は全列車が683系化され、5・8・11連という3パターンの編成で運転された。

「しらさぎ」の運転区間は永く、名古屋〜金沢、富山間の時代が続いていたが、平成2(1991)年9月1日改正では、七尾線津幡〜和倉温泉間が電化されたのを機に、名古屋〜金沢間の1往復が和倉温泉まで延長され、「しらさぎ」は初めて支線へ足を踏み入れることになった。また、運用面では、89.3改正以来、485系または489系の7連運用が続いていたが、平成9(1997)年10月1日改正では、北陸本線内で485系基本7連に3連を増結した10連で運転される列車も登場している。
21世紀に入ると、陳腐化した車両設備の改善が図られるようになり、平成13(2001)年3月23日から同年10月1日改正にかけて485系編成のグレードアップ化が行なわれ、「スーパー雷鳥」に使用していたパノラマ型グリーン車クロ481型2000・2100番代も連結されるようになった。
さらに、平成15(2003)年3月15日改正からは、特急「サンダーバード」などに投入されていた新鋭の683系が投入され始め、同年6月1日には「しらさぎ」全列車が683系化された。
「加越」は、平成9(1997)年3月22日改正で「きらめき」を吸収して7往復となり、平成15(2003)年7月19日には全列車が683系化されたが、平成15(2003)年10月1日改正では車両やダイヤ面で差異がなくなった「しらさぎ」へ吸収され、「しらさぎ」は倍増の16往復となった。
これにより「しらさぎ」の運転区間は、名古屋〜富山、和倉温泉間のほかに、旧「加越」の米原〜金沢間が加わった。また、上り1本は泊〜名古屋間の運転となり、「しらさぎ」が初めて富山以東に顔を見せたが、平成20(2008)年3月15日改正で泊始発を特急「おはようエクスプレス」に譲り、富山発に改められている。
なお、平成16(2004)年10月から平成19(2007)年9月にかけて、高山本線飛騨古川〜猪谷間(最終的には角川〜猪谷間)の水害による長期不通により、名古屋〜富山間に臨時列車が1往復設定され、名古屋〜金沢間は名古屋〜和倉温泉間の列車に併結されていた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2016/12/14


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