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「しなの」

【第49回】 「しなの」


中央本線名古屋〜塩尻間は通称「中央西線」と呼ばれ、山深い木曽谷を越える風光明媚な区間として知られている。この区間で昼行準急として初めて設定されたのが「しなの」だった。長野県の旧国名である「信濃」が列車名の由来となった同列車は、準急から急行、特急へステップアップしても、その名を変えることなく中央西線優等列車のエースとして君臨し、カーブに強い振り子式電車383系が「(ワイドビュー)しなの」として健脚ぶりを発揮している。

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中央西線初の昼行準急として登場 34.11改正で気動車急行に昇格

デアゴスティーニ編集部

JR移行後も第二世代の振り子式車両たちがデビューするまで振り子式特急のトップランナーだった381系。最初の投入列車である「しなの」の定期運用からは、すでに退いている。

中央西線は、開通当初から各所に勾配や急曲線が点在する難路線として知られており、蒸気機関車牽引の客車列車ではスピードアップにおのずと限界があった。昭和27(1952)年頃の時刻表を見ると、定期優等列車は名古屋〜長野間に夜行準急(のちの「きそ」)が1往復設定されているのみで、名古屋〜塩尻間は5時間弱を要していた。特急「(ワイドビュー)しなの」は2時間弱で結んでいるので、まさに「隔世の感」がある。
そんな中央西線に臨時ながら初めて昼行優等列車が設定されたのは昭和28(1953)年9月1日のことで、「しなの」と命名された。この臨時準急は同年11月11日改正で定期列車に格上げされ、昭和29(1954)年10月1日改正時は、2805列車/名古屋9時55分→長野15時30分、2806列車/長野12時50分→名古屋18時29分のダイヤで運転されていた。
昭和30年代に入ると、上野〜日光間の準急「日光」へ準急型のキハ44800型気動車(のちのキハ55型気動車グループ)が投入されたことをきっかけに全国に気動車準急網が築かれるようになり、昭和34年度には325両のキハ55型グループが新製された。中央西線にも客車準急の置換え用に投入されることになり、客車「しなの」は昭和34(1959)年12月13日から多治見機関区のキハ55型グループに置き換えられた。同時に急行に格上げされ、801D/名古屋8時45分→長野13時13分、802D/長野15時08分→名古屋19時43分のダイヤで運転された。全区間で客車時代より約1時間のスピードアップとなり、難路線の中央西線にもようやく高速化の兆しが現れるようになった。

36.10でキハ58型グループ投入 国鉄初の大出力気動車も登場

デアゴスティーニ編集部

63.3改正から前面展望可能なパノラマ型グリーン車クロ381型10番代が連結され、急行「つがいけ」や「シュプール号」などの運用にも就いた。

昭和36(1961)年に入ると、急行型のキハ58型気動車グループが北海道や信越地区を皮切りに投入されるようになり、同年10月1日改正までには中央西線の優等列車を受け持つ名古屋機関区に21両、長野機関区に33両が配置された。これに伴い、名古屋〜長野間には「しなの」に加えて「信州」「あずみ」といった急行が増発されるとともに、大阪〜長野間の「ちくま」が長野機関区のキハ57に置き換えられ急行に格上げされた。これで、名古屋〜長野間の急行は4往復となったが、編成はすべてキハ58型グループ8両による共通運用とされ、名古屋区持ちの車両は下り「しなの」→上り「信州」→下り「あずみ」→上り「しなの」→下り「信州」→上り「あずみ」の順に運用が回されていた。
さらに、昭和37(1962)年12月1日には名古屋〜新潟間に新潟機関区のキハ58型グループを使用した「赤倉」が登場(60.3改正で「南越後」に改称され長野〜新潟間のみ残存、63.3改正で再度「赤倉」に改称)、多治見〜長野間には下りのみながら気動車準急「きそこま」(43.10改正で「きそ」に吸収)が加わり、中央西線系の優等列車は次第に充実するようになる。昭和38(1963)年10月1日改正では、上野〜長野間で165系による電車急行が設定されるようになったことから、「信州」の名が信越急行に召し上げられ、既存の「信州」は「しなの」へ吸収された。同時に「しなの」「あずみ」の受持ちが名古屋機関区から長野機関区へ移管されている。
「しなの」は昭和41(1966)年10月1日改正で3往復、昭和42(1967)年10月1日改正では「きそこま」を名古屋まで延長する形で吸収し4往復となるが、1基当たりの機関出力180psのDMH17Hを2基搭載するキハ57を主体とする編成をもってしても、山岳線区である中央西線でのさらなるスピードアップには限界があった。そこで、国鉄では機関1基のみで出力を向上させた試作急行型気動車キハ90・91を昭和42(1967)年秋に「しなの」へ投入し、1往復は増結車以外、すべてこの新系列気動車による編成に置き換えられた。

43.10改正で中央西線初の特急に48.7からは振り子式特急の道へ

デアゴスティーニ編集部

中央西線初の特急列車「しなの」用に開発された181系気動車は、急勾配線区用として500psの走行機関を搭載した大馬力気動車となった。

キハ90・91の「しなの」への投入は一定の成果を収め、昭和43(1968)年10月1日改正からはキハ91の機関を改良したDML30HSC機関(出力500ps)を搭載し80系気動車に準じた車体を持つ181系気動車14両が名古屋機関区に配置され、中央西線に初めて設定された特急へ投入された。この特急は「しなの」と命名され、既存の急行「しなの」は「あずみ」とともに「きそ」へ吸収された。
中央西線高速化の期待を込めて登場した特急「しなの」の当初のダイヤは、11D/名古屋8時40分→長野12時51分、12D/長野15時10分→名古屋19時24分で、名古屋〜長野間は急行時代より約40分短縮された。さらに、翌44(1969)年10月1日改正では、名古屋〜長野間の複線化が進んだことから所要時間は最速3時間58分となった。昭和46(1971)年4月26日改正では、名古屋第一機関区に181系気動車21両が追加配置されたのを機に、急行「ちくま」1往復の格上げと新設により3往復となり、そのうちの1往復が大阪まで延長された。
とはいうものの、表定速度は依然として60km/h台と低速で、さらなる高速化にはカーブによる遠心力でスピードが相殺されにくい電車の投入が不可欠と考えられるようになった。そこで登場したのが国鉄初の振り子式台車を備えた381系電車で、中央西線が全線電化開業した昭和48(1973)年7月10日には8往復となった「しなの」のうち6往復に投入された。これにより表定速度は70km/h台に向上、名古屋〜長野間は最速で3時間20分となり、気動車化当初と比べて1時間近くも短縮された。残る2往復も、昭和50(1975)年3月10日改正で381系に置き換えられ、「しなの」の電車化が完了している。なお、電車化により本数が増加した「しなの」は、昭和48(1973)年10月1日にエル特急に指定されている。

中央西線用の振り子式特急型電車として383系が登場

デアゴスティーニ編集部

95.4には新型の振り子式車両383系が投入され、96.12には「しなの」全列車を置き換えた。

電車化以後の「しなの」は、険しい山岳路線でその健脚ぶりを遺憾なく発揮し、昭和57(1982)年11月15日改正では10往復(季節1往復を含む)の大台に乗るとともに、大糸線への乗入れを開始している。また、昭和63(1988)年3月13日改正では、前面展望型のグリーン車・クロ381 11〜13が登場した。
JR移行後の「しなの」は昭和63(1988)年3月13日改正で16往復に拡大され、381系が依然として主力として活躍していたが、平成7(1995)年には同系の老朽化対策として中央西線用の振り子式特急型電車としては22年ぶりのモデルチェンジとなる383系の量産先行車が登場し、同年4月29日から名古屋〜木曽福島間の臨時特急「しなの91・92号」に投入された。その量産車は同列車の走行実績を基に製造され、平成8(1996)年6〜10月に70両が落成、同年11月18日から381系を置き換えるようになり、12月1日に実施されたダイヤ改正で定期「しなの」全列車の置換えが完了している。この時点で最高速度が130km/hに向上し、名古屋〜長野間の所要時間は最速2時間43分になるとともに、列車名は「(ワイドビュー)しなの」に改称されている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/01/16


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