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「はやぶさ」

【第5回】「はやぶさ」


かつて東京〜西鹿児島間、約1500kmをロングランしていた特急「はやぶさ」は、鹿児島県へ乗り入れる初の特急としてスタートし、一時は日本一長い距離を走る寝台特急として全国に名を馳せた。しかし、後に「さくら」と併結になり、運転区間が熊本止まりに短縮されるなど縮小され、2009年3月についに廃止された。現在「はやぶさ」の名は、東北新幹線の列車名として甦っている。

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二晩かかった東京─鹿児島間の時間短縮を目指して運転開始

デアゴスティーニ編集部

「はやぶさ」の草創期は山陽本線内でC62が牽引する姿を見られたが、同線の電化延伸とともにその運用範囲は、姫路以西から岡山以西、広島以西へと狭まり、山陽本線全線電化後の39.10改正では、本州区間全線が電機牽引となった。

東京と九州は、今も昔も距離的に遠いことに変わりはないが、同じ九州でも、とりわけ鹿児島は遠かった。九州の動脈をなす鹿児島本線は、戦前に久留米までの複線化を果たしており、鳥栖までは特急「富士」が運転された実績を持つが、久留米〜鹿児島間は昭和30年代になってようやく複線化の工事が始まり、昭和45(1970)年に八代までは複線化されたものの、八代以南は単線区間が散在する、いわゆる「隘路」だった。
そのため、昭和31(1956)年11月19日に戦後初の東京〜九州間特急「あさかぜ」が誕生しても、その運転区間は東京〜博多間に留まり、翌年10月1日に誕生した「さちかぜ」も戦前実績のあった長崎への運転になった。
昭和31(1956)年11月19日改正当時、東京〜鹿児島間の代表的な優等列車は急行「さつま」だった。この列車は下りの場合、東京を21時45分に発車、大阪以西で昼行となり山陽路をまる1日走り続け、九州に入ると再び夜行となり、鹿児島到着は翌々日の5時46分という、気の遠くなるようなダイヤで運転されていた。鹿児島本線久留米以南の低規格区間が足を引っ張り、どうダイヤを調整しても全区間二晩の運転は避けられなかった。しかも編成は上下合わせて3本が必要で、当時、低予算にあえぐ国鉄としては、おいそれと「鹿児島まで特急増発」とは踏み切れなかった。
しかし、九州特急の人気は「あさかぜ」「さちかぜ」ともに高く、鹿児島への特急運転の機運は、それに後押しされるかのように高まってきた。そして昭和33(1958)年10月1日改正では、これまで一般型客車により運転されていた東京〜博多間の「あさかぜ」が新鋭の20系客車に置き換えられることになり、「あさかぜ」に使用していた一般型客車が転用可能になったことから、この年の9月30日東京発の下り列車から初の鹿児島特急「はやぶさ」が運転を開始したのだった。その当時のダイヤは、9列車/東京19時00分→鹿児島翌17時50分、10列車/鹿児島10時40分→東京翌9時30分で、急行「さつま」の時代と比べて10時間近いスピードアップを果たした。
編成は、一般型時代の「あさかぜ」とまったく同じ13両で、一般型客車を使用する特急としては最長距離となる東京〜鹿児島間1494.6km(当時)では3編成が必要となることから、5編成を東京〜長崎間の「平和」と共通で運用させていた。
牽引機は、東京〜姫路間がEF58、姫路〜下関間がC62、下関〜門司間がEF10、門司〜博多間がC59、博多〜鹿児島間がC61で、上りの鹿児島→門司間はC61の通し牽引となり、セノハチ越えを控える上りの広島→八本松間ではD52が後補機に就いていた。途中の客扱い停車駅は、横浜、静岡、名古屋、京都、大阪、神戸、姫路、岡山、福山、広島、岩国、小郡(現・新山口)、下関、門司、博多、久留米、大牟田、熊本、八代、出水で、九州新幹線の終点である鹿児島中央(当時の西鹿児島)は通過扱いとなっていた。
ちなみに、「はやぶさ」の名は、戦前の特急愛称公募のときには第5位の得票を集めた人気のネーミングだったが、なぜか戦後になるまで列車名として採用されず、漢字で「隼」が鹿児島の「薩摩隼人」を連想させるということから採用されたという経緯がある。

20系客車に置換え「あさかぜ」「さくら」と歩調を合わせる

デアゴスティーニ編集部

20系寝台特急の110km/h運転開始に備えてEF60型500番代を置き換えたEF65型500番代は、同1000番代に置き換えられる昭和53(1978)年まで特急牽引の任に就いていた。

昭和33(1958)年、「あさかぜ」に登場した20系客車は、全車冷暖房完備、明るいインテリアと豪華な車内設備で「走るホテル」と呼ばれ一世を風靡した。そこで国鉄では、以後新製する客車は一般型を抑制し、20系の増備に注力することとなり、翌年7月20日には東京〜長崎間の「さくら」を20系に置き換えた。さらに、昭和35(1960)年7月20日には「はやぶさ」をも20系に置き換え、東京〜九州間夜行寝台特急の近代化がほぼ完成した。同時に「はやぶさ」の終着が鹿児島から西鹿児島(現・鹿児島中央)に改められた。
20系化以後の「はやぶさ」は、「あさかぜ」「さくら」と歩調を合わせるように変化を遂げた。昭和38(1963)年12月20日には東京〜広島間の牽引機がEF58からハイパワーの特急牽引専用機・EF60型500番代に変更され15両化、昭和40(1965)年3月20日には2等座席車を2等寝台車に置き換え、全車寝台化が完了している。また、この年の10月1日改正では、直流電化区間の牽引機が、3年後に予定された最高110km/h運転に備えてEF65型500番代に変更され、昭和53(1978)年まで東京〜九州間の寝台特急は同機が限定運用された。

24系の投入で快適性が大きくアップ

デアゴスティーニ編集部

24系のシンボル的存在であるカニ24型0番代を用いた「はやぶさ」。東京口では、個室寝台車オロネ25型を含む100番代グループの電源車として活躍したイメージの方が強い。

「はやぶさ」は運転開始以来、一貫して東京〜鹿児島、西鹿児島間を結んできたが、昭和43(1968)年10月1日改正では、博多止まりの付属編成が長崎まで延長されることになり、「はやぶさ」は東京〜西鹿児島、長崎間の2階建て列車に変化した。これにより、従来、東京〜長崎、佐世保間で運転されていた急行「雲仙」「西海」が廃止された(列車名は関西〜九州間の夜行急行に移り存続)。
この列車は電源車が西鹿児島編成に連結され、鳥栖で西鹿児島編成と長崎編成が分割・併合されることから、長崎編成には簡易電源車のマヤ20が連結された。しかし、20系客車はもともと分割・併合を考慮した構造になっていないため、昭和50(1975)年3月10日改正では、分割・併合が容易な分散電源方式の14系寝台車で運転されていた東京〜熊本間の「みずほ」に長崎編成を譲り、自らは「富士」「出雲」とともに新鋭の24系客車に置き換わり、グレードアップした。
昭和51(1976)年10月1日改正では、昭和49(1974)年4月25日改正から関西〜九州間の寝台特急に投入されていた2段式B寝台車の24系25型が東京口の寝台特急にも投入されることになり、「はやぶさ」「富士」「出雲」を置き換えた(「はやぶさ」は9月27日東京発から置換え)。関西〜九州間特急ではB寝台車のみのオールモノクラスで運転されていたが、A寝台車の需要が高い東京口の寝台特急では新形式の個室寝台車・オロネ25が連結されることになり、「はやぶさ」は装いを大きく変えた。ちなみに50.3改正以後、20系で残る東京口の特急は「あさかぜ」2往復のみとなったが、これらも昭和53(1978)年までには24系25型に置き換えられている。

「富士」に代わり日本一の長距離寝台特急の座へ

デアゴスティーニ編集部

九州内における交流機の牽引は昭和37(1962)年に始まり、鹿児島本線の電化延伸とともにその勢力が拡大。同線の全線電化が達成された45.10改正では、「はやぶさ」全区間が電機牽引となった。

このように、車両面では大きくグレードアップした「はやぶさ」だったが、昭和50年代は相次ぐ国鉄運賃・料金の値上げや新幹線への乗客移転などで、東京〜九州間の寝台特急の人気は下降線を辿るようになる。昭和50年代前半はブルートレインブームに後押しされた感があったが、ブームが冷めると客足は次第に鈍るようになり、昭和60(1985)年3月14日改正では、ロビーカーの連結など、これまでの国鉄には見られなかった新機軸が盛り込まれた。それでも、東京〜西鹿児島間の寝台特急の運賃・料金が航空運賃に迫る現状では、抜本的な改善には至らなかった。
なお、昭和55(1980)年10月1日改正では、それまで日本一の長距離寝台特急として名を馳せた東京〜西鹿児島間(日豊本線経由)の「富士」が東京〜宮崎間に短縮され、その称号は「はやぶさ」に譲られている。

九州新幹線開業を乗り越えるも廃止、現在は東北新幹線にその名を残す

デアゴスティーニ編集部

「はやぶさ」は昭和60(1985)年3月14日の西鹿児島発からハイパワーのEF66に置き換えられた。

JR移行後の東京〜九州間寝台特急は、寝台券の入手が困難な「北斗星」などの人気とは裏腹に縮小傾向へ向かう。「はやぶさ」は輸送人員が減ったことで、平成元(1989)年3月11日改正から定員が少ない1人用B個室「ソロ」の連結を開始したが、抜本的な人気回復には至らず、平成9(1997)年11月29日改正ではついに長年の終着駅だった西鹿児島を離れ、熊本止まりに短縮されてしまった。これにより、昭和55(1980)年10月1日改正以来保持していた日本一の長距離寝台特急の称号を大阪〜札幌間の「トワイライトエクスプレス」に譲ることになった。
「はやぶさ」の縮小傾向はさらに続き、平成11(1999)年12月4日改正ではついに東京〜長崎間の「さくら」と併結となり、41年間単独列車を維持してきた「はやぶさ」にとっては屈辱の改正となった。しかし、このスタイルはある意味、昭和50(1975)年3月10日改正で中止された長崎編成の復活ともとれ、東京〜鳥栖間ではA個室寝台車やロビーカーを備える堂々たるふた桁の編成を誇った。
平成16(2004)年3月13日、九州新幹線新八代〜鹿児島中央間開業により、九州の鉄道地図は激変したが、それにもめげず「はやぶさ」の運転は維持された。しかし、ついに平成21(2009)年3月14日改正でついに姿を消すことになった。
その後、東北新幹線において、平成23(2011)年3月5日からE5系電車の運用を開始するにあって新たに設定した愛称として、「はやぶさ」の名は復活している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したもので

公開日 2013/05/17


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