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「みどり」

【第50回】 「みどり」


現在、「かもめ」や「ハウステンボス」とともに西九州の特急網を形成しているのが「みどり」だ。現在の「みどり」は、51.7改正で小倉、博多〜佐世保間に登場した電車特急に端を発するが、その名としては36.10改正で設定された大阪〜大分間の気動車特急がルーツとなる。

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設定当初は不遇にも運休扱いで登場40.10で筑豊・佐世保両線へも進出

デアゴスティーニ編集部

「みどり」は36.10改正で関西〜九州間の昼行特急として誕生したが、51.7改正では「かもめ」とともに西九州の特急として生まれ変わった。鹿児島、長崎本線内は「かもめ」と併結の12連で運転されており、写真手前の4両が「みどり」の編成だった。

全国に気動車特急網が形成された昭和36(1961)年10月1日改正における山陽本線筋では「かもめ」が80系気動車に置き換えられたほか、大阪〜広島間に「へいわ」、大阪〜博多間に「みどり」が設定された。このうち「みどり」は「かもめ」の補完列車という位置づけで、3D/大阪13時40分→博多22時35分、4D/博多7時25分→大阪16時20分のダイヤが設定されたが、当初から運休扱いとなり、実際に運転が開始されたのは同年12月15日からだった。これは前年に登場して上野〜青森間の「はつかり」に投入された80系気動車1次車にトラブルが続いたため、新たに登場した2次車に対してはより慎重を期するために取られた措置で、本来「みどり」用に充当される予定だった車両は、青森、秋田、長崎、宮崎の各地へ分散させ、他列車への応急組替え用に待機させられていた。
運転開始後の「みどり」は下りが東京7時00分発の「第1こだま」から、上りが東京23時00分着の「第2つばめ」へ連絡することで東京〜博多間の日着を可能にしたが、当時、東京〜九州間の移動は夜行が主流で、日中をフルに使って移動する需要は少なかった。
東海道新幹線の開業、山陽本線の全線電化を機に実施された昭和39(1964)年10月1日改正で「みどり」は、「つばめ」とともに151系のまま西下した「はと」へそのスジを譲り、2代目の「みどり」として気動車のまま新大阪〜熊本、大分間の2階建て特急に生まれ変わった。その当時のダイヤは、3D(〜2003D)/新大阪10時30分→熊本21時35分(大分21時10分)、(2004D〜)4D/(大分9時10分)熊本8時30分→新大阪19時35分で、新幹線連絡の使命も受け持つようになった。しかし、鹿児島本線の電化が熊本まで延伸したのに伴って実施された昭和40(1965)年10月1日改正では「みどり」の熊本編成のスジを熊本まで南下した「つばめ」に譲ることになり、これまでの基本編成は新大阪〜佐世保間の運転となった。ただし、この編成は小倉〜鳥栖間を筑豊本線経由で運転され、同時に佐世保線にも入線するようになったことから、両線では初の特急列車となった。

42.10で581系初の昼行特急に43.10では481系に置換え

デアゴスティーニ編集部

42.10改正では「月光」の昼の顔として581系による電車特急に生まれ変わったが、その活躍はわずか1年に終わった。

昭和42(1967)年10月1日改正では、世界初の寝台・座席両用電車となった581系が関西〜九州間の特急にデビューした。充当列車は夜行が新大阪〜博多間の「月光」となったが、ペアを組む昼行の方は日豊本線が幸崎まで電化されていたことから、新大阪〜大分間「みどり」の電車化に充てられた。その当時のダイヤは、1M/新大阪9時30分→大分19時35分、2M/大分9時30分→新大阪19時47分で、1M「みどり」は8M「月光」の新大阪折返し、7M「月光」は2M「みどり」の新大阪折返しという昼夜兼行のダイヤが組まれていた。なお、改正前の気動車「みどり」の佐世保編成は「いそかぜ」の付属編成に充てられている。
しかし、「みどり」の581系時代は長くは続かず、昭和43(1968)年10月1日改正では1等車の需要が多い日豊本線の事情を考慮して、サロを2両連結した481系に置き換えられた。
その後の「みどり」は45.10、47.3、47.10という3度の大改正でも1往復のまま存置されていたが、昭和48(1973)年3月1日改正では岡山〜下関間の「はと」1往復を大分まで延長する形で1往復が加わり2往復となった。さらに日豊本線の電化が南宮崎まで達した昭和49(1974)年4月25日改正では、1往復が宮崎まで乗り入れるようになった。
しかし、2代目「みどり」の活躍はそこまでで、山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、山陽本線の昼行特急全廃により廃止されてしまった。

51.7に九州内特急として再スタート 国鉄末期は全列車単独運転に

デアゴスティーニ編集部

43.10改正では581系から481系に置き換えられた2代目「みどり」。その活躍は山陽新幹線が博多まで達する50.3改正まで続いた。

その「みどり」の名が復活したのは昭和51(1976)年7月1日のことだった。長崎本線と佐世保線の電化が完成したのを機にダイヤ改正が実施され、小倉、博多〜佐世保間の九州内特急として現在の3代目「みどり」が誕生したのだ。この時、小倉、博多〜長崎間には「かもめ」も登場しており、「みどり」は6往復すべてが小倉、博多〜肥前山口間で「かもめ」と併結となった。しかし、編成の方は肥前山口までは485系12連の長大編成となるが、分割後はわずか4両のミニ編成となり、グリーン車には東北特急「ひばり」で活躍していたクロ481が充てられていた。
その後、3代目「みどり」は、パートナーの「かもめ」とともに増発が重ねられ、昭和55(1980)年10月1日改正では10往復となり、小倉〜博多間を廃止。昭和57(1982)年11月15日改正では残る急行「弓張」を吸収して13往復の大所帯に成長した。このうち5往復は昭和60(1985)年3月14日改正で単独運転となり、昭和61(1986)年11月1日改正では全列車が単独運転となった。これは、60.3改正以後に実施された列車を短編成化してその分増発を行なうという施策に沿ったもので、「かもめ」「みどり」をそれぞれ切り離すことで、博多〜肥前山口間の乗車機会拡大が図られた。
しかしJR移行後は、「有明」が増発されたために線路容量に余裕がなくなってきたことから、昭和63(1988)年3月13日改正では下り1本で早くも「かもめ」との併結が復活している。また、この改正では永年グリーン車に使用していたクロ481がクロハ481に置き換えられた。

00.3で783系への置換えが完了 現在は「ハウステンボス」も併結

デアゴスティーニ編集部

783系に統一された現在の「みどり」は、 博多〜早岐間で「ハウステンボス」を、博多〜肥前山口間で「かもめ」を併結し、3階建て列車の一翼を担っている。

JR移行後の九州内特急は、783系や787系など新時代に相応しい新型特急車が積極的に投入されたが、「みどり」だけは佐世保線内の単線、最高速度95km/hという制約が災いしたのか、全列車が485系のまま存置される時期が永かった。平成2(1990)年12月1日からは「RED EXPRESS」と呼ばれる485系リニューアル車が投入されたが、485系も寄る年波には勝てず、平成12(2000)年3月11日改正では、「みどり」全列車が783系に置き換えられた。
ちなみに、平成4(1992)年3月25日からは、佐世保市に滞在型テーマパーク「長崎オランダ村ハウステンボス」が開業したのに合わせて、博多〜ハウステンボス間に特急「ハウステンボス」が運転を開始しているが、この列車は佐世保線内の線路容量の問題から、博多〜早岐間では全列車「みどり」に併結され運転されている。平成17(2005)年3月1日改正時点で「みどり」は16往復が設定されており、4往復で「ハウステンボス」を併結しているが、このうち下り1本、上り3本は「かもめ」とも併結となった3階建てとなっている。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/02/17


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