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「あまぎ」

【第51回】 「あまぎ」


現在、首都圏と伊豆地方を結ぶ優等列車は「スーパービュー踊り子」と「踊り子」の2枚看板となっているが、「踊り子」が登場する以前は、特急「あまぎ」と急行「伊豆」が運転されていた。「あまぎ」の方は、80系電車が東海道本線にデビューして間もない昭和25(1950)年に同系を使用した東京〜修善寺、伊東間の準急に命名された。

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国鉄初の電車準急として登場した80系電車の伊豆準急「あまぎ」

デアゴスティーニ編集部

黎明期の「あまぎ」は、80系による準急として運転されたが、先頭には「急」のマークが付けられていた。

首都圏からの行楽地として名高い伊豆半島東部は、伊東、熱川、下田、修善寺といった著名な温泉が林立する行楽のメッカだ。しかし、明治時代は海岸沿いを通る道はなく、人々は天城峠など、山間の隘路を通って難行苦行の旅を強いられていた。そんな伊豆半島東部に鉄道が敷設されたのは昭和に入ってのことで、東海道本線の丹那トンネルが着工したのを機に建設が始まり、難工事の末、昭和13(1938)年12月15日に伊東線熱海〜伊東間が全通、当初から電化路線としてスタートしている。
伊東線は行楽路線の傾向が強かったため、戦前から東京直通列車が存在していたが、優等列車の運転はなく、東海道本線内を実質的に快速運転する列車が存在していた。
戦後は、昭和23(1948)年11月6日に土曜運転となる不定期3823列車が東京〜伊東間で運転を開始した。この列車も客車列車だったが、昭和24(1949)年2月12日には準急に昇格し、同年5月7日から修善寺編成を併結している。また、10月1日からは、東京〜修善寺、伊東間に休日運転の準急3807・3832列車が新設され、「いでゆ」と命名された。さらに12月3日には第2の愛称名付き列車として東京〜三島、伊東間に3817・3836列車「いこい」が登場している。
このように戦後の伊豆方面の優等列車は徐々に整備されていき、昭和25(1950)年3月1日に国鉄初の中距離電車80系が登場すると、同年10月7日からは伊豆方面へも進出するようになり、3819T・3832Tの1往復が準急「あまぎ」として運転を開始した。その当時のダイヤは3819T(〜2819T)/東京12時50分→修善寺15時30分(伊東14時53分)、(2832T〜)3832T/(伊東13時32分)修善寺12時48分→東京15時40分で、14両編成のうち4両が付属編成で、駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道駿豆線)の修善寺まで乗り入れていた。この列車こそ、国鉄初の電車準急となった記念すべき列車で、客車の「いでゆ」「いこい」より30分速い所要時間で運転されていた。また、東京〜熱海間では特急と互角の所要時間だったことから、準急とはいえ、電車化の効果は絶大だった。
昭和26(1951)年3月31日からは「いでゆ」も電車化され毎日運転となったほか、東京〜伊東間に設定されていた土曜運転の「はつしま」(下りのみ)も80系電車で運転されるようになったことから、伊豆方面の電車準急は3本となったが、昭和28(1953)年3月15日改正では下り「はつしま」と上り「あまぎ」が「いづ」に、下り「あまぎ」が「はつしま」に改称され、「あまぎ」の名が消滅。その後「あまぎ」は昭和29(1954)年10月2日から運転を開始した新宿〜熱海間の臨時客車準急に命名された。この列車は品鶴貨物線を経由し、新宿〜小田原間がノンストップになるという、当時としてはユニークな運転形態が採られていた。

39.10でようやく完全レギュラー化 43.10では「伊豆」に吸収される

デアゴスティーニ編集部

昭和30年代は臨時や不定期運転扱いで不遇だった「あまぎ」も、昭和44(1969)年にようやく特急の地位を獲得し、昭和51(1976)年までは157系で運転されていた。

昭和30年代前半の「あまぎ」は、臨時客車準急として出たり消えたりの「浮草稼業」だったが、昭和36(1961)年10月1日改正では「十国」とその名を入れ替える形で東京〜伊東、修善寺間の全車指定制電車準急としてレギュラーの地位に復帰した。その当時のダイヤは、2805M(〜2705M)/東京14時03分→修善寺16時25分(伊東16時00分)で、車両は153系にグレードアップされたが、土曜運転のみにとどまった。なお、この年の12月10日には伊豆急行伊東〜伊豆急下田間が開業し、南伊豆へもようやく鉄路が伸びることになった。これに伴い、国鉄からは「伊豆」や「おくいず」といった準急が乗り入れるようになり、「あまぎ」の方は昭和38(1963)年12月から乗入れを果たしている。
昭和39(1964)年10月1日改正を迎えると、「あまぎ」は完全レギュラー化を達成する。これまで準急として運転されていた僚友の「伊豆」の名が、特急「ひびき」の廃止により捻出された157系を使用した新設急行に回ることになり、これまでの「伊豆」のスジは「あまぎ」が受け継ぐことになったのだ。これにより「あまぎ」は2往復となり、801M(〜701M)「第1あまぎ」/東京12時57分→修善寺15時27分(伊豆急下田15時48分)、(2808M〜)708M「第1あまぎ」/伊豆急下田16時10分(修善寺16時40分)→東京19時24分、2805M(〜2705M)「第2あまぎ」/東京14時03分→修善寺16時26分(伊豆急下田16時57分)、2804M「第2あまぎ」/伊東18時22分→東京20時34分のダイヤとなった。
昭和41(1966)年3月5日には100km以上を走る準急がすべて急行に格上げされることになり、「あまぎ」も晴れて急行に昇格したが、昭和43(1968)年10月1日改正で伊豆方面の優等列車の名は一気に「伊豆」「おくいず」に統一されてしまう。これで再び「あまぎ」は浪人生活に入ることになった。

伊豆初の特急としてその名が復活 185系「踊り子」の登場で廃止

デアゴスティーニ編集部

157系の老朽化に伴い、昭和51(1976)年1月には183系1000番代の置換えが開始され、3月には4往復すべてが置き換えられた。

絶えず「伊豆」の陰を歩んできた「あまぎ」も、昭和44(1969)年4月25日にはついにセンセーショナルな逆転劇を起こす。この日から東京〜伊豆急下田間に新設された特急に命名されることになり、定期「伊豆」2往復の格上げを含む4往復の特急「あまぎ」が登場した。車両は「伊豆」に使用していた157系と新鮮味に欠けたが、東京〜網代間は横浜や熱海にすら停車しないノンストップ運転となるなど、スジの上では特急らしい新味を出していた。その当時のダイヤは次の通りだった。
・あまぎ1号=6021M/東京8時00分→伊豆急下田10時39分、6022M/伊豆急下田11時29分→東京14時06分
・あまぎ2号=1023M/東京8時50分→伊豆急下田11時26分、1024M/伊豆急下田11時56分→東京14時38分
・あまぎ3号=8025M/東京14時50分→伊豆急下田17時41分、8026M/伊豆急下田17時55分→東京20時49分
・あまぎ4号=1027M/東京15時12分→伊豆急下田18時03分、1028M/伊豆急下田18時33分→東京21時20分
このうち「1号」は休日運転の季節列車、「3号」は予定臨時列車だった。
昭和50年代に入るまでは、この「あまぎ」の陣容に大きな変化はなかったが、使用していた157系の老朽化が進んだことから、昭和51(1976)年1月25日からは季節1往復が田町電車区の183系1000番代に置き換えられ、同年3月1日には全列車の置換えが完了。157系はお召し用を除いて引退している。
その後も4往復態勢を貫いた「あまぎ」だったが、昭和56(1981)年には特急型と近郊型の折衷タイプとなる185系が登場し、急行「伊豆」の一部へ暫定投入、同年10月1日改正から伊豆方面の優等列車が同系を使用する特急「踊り子」に統一され、「あまぎ」は「伊豆」とともに姿を消している。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/03/14


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