模型付きマガジン・特選商品を買うなら、ホビー好きが集まる、ホビコム by デアゴスティーニ

「いなほ」

【第52回】 「いなほ」


庄内地方と呼ばれる山形県北部は、日本でも有数の米の単作地帯として知られている。かつて上野〜秋田、青森間を上越線、羽越本線経由で結んでいた特急「いなほ」は、まさにその「実り」を象徴するかのように命名された愛称だった。「いなほ」の国鉄時代は秋田、青森を指向した長距離列車という性格だったが、国鉄末期からJR化以後は上越新幹線に接続して、新潟県内と山形県北部を結ぶローカル特急色が強まった。

ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは


「はくたか」電車化で「つばさ」から流れてきたキハ81型でデビュー

デアゴスティーニ編集部

「いなほ」の運転開始当初はキハ81を含む80系気動車7両で運転され、47.3改正からは中間にキハ82を連結したユニークな編成が登場した。

昭和36(1961)年10月1日改正以降、東京と秋田を結ぶ代表的な昼行優等列車は奥羽本線経由の「つばさ」だった。この「つばさ」は80系気動車により1往復でスタートし、昭和40(1965)年10月1日改正では、盛岡編成を新設の電車特急「やまびこ」に譲り、「やまばと」の秋田延長により、上野〜秋田間2往復態勢とされた。「つばさ」の人気は上々で、繁忙期ともなると、特急券の確保は困難を極めたが、編成は奥羽本線内で板谷峠の急勾配区間を控えていることから7両と制限されており、輸送力増強はままならなかった。昭和43(1968)年10月1日改正では、「はつかり」の583系化により、尾久客車区のキハ81型を含む17両の80系気動車が「つばさ2・2号」に転用された。
一方、昭和44(1969)年10月1日改正では、信越本線と北陸本線が全線電化されたことにより、上野〜金沢間を信越本線経由で結んでいた「はくたか」が上越線経由に変更のうえ485系に置き換えられた。これにより「はくたか」に使用されていた80系気動車は「つばさ2・2号」に転用されることになり、キハ81型を含む7両編成は上野〜秋田間を上越線、羽越本線経由で結ぶ新設の特急に充当されることになった。これが「いなほ」だった。「はくたか」の80系気動車が「つばさ」に転用されたのは、電動発電機を持つキハ81より12名定員が多いキハ82が連結されているためで、当時人気の「つばさ」の定員を少しでも確保しようという苦肉の策だった。一方の「いなほ」は、その「つばさ」を補完するべく誕生した列車だった。その当初のダイヤは、2011D/上野13時50分→秋田22時00分、2012D/秋田9時25分→上野17時40分で、2011Dは上野から秋田へ直通する最終列車として重宝された。なお、この「いなほ」は同改正で常磐線に新設された上野〜平(現・いわき)間の不定期特急「ひたち」と共通運用となっていた。実際、「ひたち」は毎日運転されていたが、冬季に「いなほ」が遅延するのを見越して、451系を待機させ代行運転に備えていた。

「いなほ」の運転開始当初はキハ81を含む80系気動車7両で運転され、47.3改正からは中間にキハ82を連結したユニークな編成が登場した。

デアゴスティーニ編集部

「いなほ」は47.10改正を機に電車化され、青森所の485系12両編成が充当された。この改正当時、青森所にはボンネットタイプの100番代も少数が配置されており、わずかな時期に「いなほ」へ充当されたことがある。

昭和47(1972)年に入ると、8月5日に羽越本線と白新線が全線電化され、日本海縦貫線全線が電気運転で結ばれた。これにより、同年10月2日にダイヤ改正が実施され、これを前にして「いなほ」と大阪〜青森間の「白鳥」が青森運転所(現・青森車両センター)の485系に置き換えられた。また、「いなほ」と共通運用だった常磐線の「ひたち」も電車化されている。「いなほ」は電車化と同時に上野〜青森間の1往復も加わり、2往復となった。ダイヤは2041M/上野10時30分→青森20時35分、2043M/上野14時30分→秋田22時03分、2042M/秋田6時10分→上野13時39分、2044M/青森7時30分→上野17時39分で、上野〜秋田間では気動車時代より27分のスピードアップとなった。昭和54(1979)年7月1日からはさらに上野〜秋田間に1往復が加わり、奥羽本線経由の「つばさ」とともに上野〜秋田間のラインアップがさらに充実していった。
しかし、昭和57(1982)年11月15日に上越新幹線が開業すると「いなほ」に一大変化が訪れる。上野〜青森間の「3・4号」を除き、全列車が新潟で新幹線に接続する羽越本線系統の在来線特急に改編され、新潟〜青森間に1往復、新潟〜秋田間に4往復が設定された。なお、上野発着で残った「3・4号」は「鳥海」に改称され、上越新幹線の開業により「とき」が消滅した後は、上野〜新津間を通る唯一の昼行特急となったが、昭和60(1985)年3月14日改正で廃止された。
57.11改正では、東北新幹線の本格運転開始により上野〜秋田間の最速ルートが田沢湖線経由による「やまびこ」→「たざわ」のリレーにシフトした。このため、在来線区間が長い上越新幹線「あさひ」→「いなほ」のリレーは利用客が少なく、昭和60(1985)年3月14日改正では「いなほ」6往復すべてが6両のモノクラス編成になるという、「いなほ」史上最大のスケールダウンとなった。
昭和61(1986)年11月1日改正では、「いなほ」の利用客の実態を考慮して、対秋田、青森というよりは、対庄内地方を意識したラインアップが組まれ、7往復中4往復が新潟〜酒田間の運転となった。

青森、秋田から上沼垂へ運用が移管されたJR化後の「いなほ」

デアゴスティーニ編集部

新潟〜酒田、秋田、青森間で運転されていた「いなほ」。かつては上野〜秋田、青森間の長距離特急として君臨したが、57.11改正から新潟で上越新幹線に接続するアクセス列車に変貌した。

JR移行後の昭和63(1988)年3月13日改正では、これまでオールモノクラスだった「いなほ」8往復中7往復に新鋭のクロハ481を連結した青森運転所の6両編成が充当され、無味乾燥な編成内容がやや変化した。平成5(1993)年3月18日改正では新潟〜村上間の短区間列車も登場したが、平成7(1995)年12月1日改正で廃止され、「いなほ」は新潟〜酒田間主体へシフトしていった。
電車化以後の「いなほ」の運用は、一貫して青森運転所または秋田運転区(現・秋田車両センター)が受け持ってきたが、平成8(1996)年3月30日には8往復中3往復が上沼垂運転区(現・新潟車両センター)の受持ちに変更され、アイボリーにライトブルーの新塗色車が「いなほ」にも登場した。平成9(1997)年3月22日には秋田新幹線開業に伴い「いなほ」全列車の受持ちが上沼垂に移管され、同年10月1日には1往復に485系のリニューアル車となる3000番代が投入された。
平成16(2004)年3月13日改正時点で、「いなほ」は7往復が設定されており、1往復が新潟〜青森間、2往復が新潟〜秋田間、4往復が新潟〜酒田間の運転となった。特に青森直通の「7・8号」は平成13(2001)年3月3日改正で廃止された「白鳥」の「忘れ形見」でもあった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/04/15


ブラボー0 お気に入り登録0   ブラボーとは



コメント0件


コメントを書く1,000文字以内

Ms_noimage

コメントを投稿するにはログインが必要です。