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「まりも」

【第54回】 「まりも」


西は函館、東は釧路……。この北海道の東西の2都市間は距離にして600km弱。東海道・山陽本線でいえば東京〜大阪間の距離にほぼ匹敵するから、北海道は広い。かつてはこの区間を約16時間かけて昼夜問わず走り続けた急行があった。それが「まりも」だった。

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戦前から運転されていた函館〜釧路間の直通優等列車

デアゴスティーニ編集部

昭和58(1983)年6月25日以降、「まりも」は全車14系化され、これを機に北海道から10系寝台車が消滅した。

函館と釧路を結ぶ長距離列車の歴史は古く、遠くは明治時代まで遡る。明治44(1911)年7月1日改正で函館〜旭川間の急行を釧路まで延長した3・4列車がそれで、旭川〜釧路間を現在の富良野線経由で運転、1等寝台車を連結していた(急行区間は函館〜旭川間のみ)。しかし滝川から根室本線を経由する急行列車としては、昭和15(1940)年10月10日改正で登場した函館〜根室間の7・8列車が最初で、函館〜釧路間が急行だった。この列車は2・3等寝台車と和食堂車を連結した豪華な急行で、函館〜札幌間は昼行、札幌〜根室間は夜行で運転されたことから、この列車が「まりも」のルーツといえる。
この7・8列車は太平洋戦争の影響で昭和18(1943)年10月1日改正で廃止されてしまったが、戦後は昭和24(1949)年9月15日改正で3・4列車として復活した。ダイヤは3列車/函館15時06分→札幌21時37分着・21時51分発→釧路翌8時41分、4列車/釧路19時55分→札幌翌8時35分着・8時54分発→函館15時20分で、函館〜札幌間は急行、札幌〜釧路間は準急という変則運転だった。全区間が急行となったのは翌年10月1日改正のことで、3列車/函館14時19分→札幌20時40分着・20時47分→釧路翌6時40分、4列車/釧路20時25分→札幌翌8時25分着・8時34分発→函館14時54分のダイヤで運転された。そして、昭和26(1951)年4月1日には「まりも」の愛称名が与えられた。

系統分離後は札幌〜釧路間を寝台車主体の編成で運転

デアゴスティーニ編集部

JR移行後の客車「まりも」は、ヘッドマークも高らかに、特急「北斗星」牽引用のDD51が先頭に立った。

「まりも」は、函館〜札幌間が昼行、札幌〜釧路間が夜行というふたつの顔を持つ急行として昭和20〜30年代の北海道の優等列車をリードしたが、昭和40(1965)年10月1日改正では、函館〜札幌間の昼行区間が「ていね」、札幌〜釧路間の夜行区間が「まりも」に系統分離された。これには、もともと性格の違う列車が1本になっていたことに加え、札幌駅での座席車と寝台車の編成組替えに時間がかかり煩雑だった、冬期におけるダイヤの混乱を可能な限り食い止めたい、という理由があった。昼行区間の「ていね」は、「まりも」時代から引き続き長万部〜小樽間でC62重連が牽引する急行として蒸機ファン注目の的となり、昭和43(1968)年10月1日改正で「ニセコ」に改称されている。C62牽引は昭和46(1971)年9月15日を最後に終了してしまったが、列車自体は昭和56(1981)年2月7日から14系に置き換えられ、昭和61(1986)年11月1日改正まで存続した。
一方の「まりも」は、札幌〜釧路間の夜行急行として寝台車主体の編成となったが、昭和43(1968)年10月1日改正における愛称名の統一で「狩勝」に改称された。とはいえ、編成やダイヤは「まりも」時代と大きな変化はなく、道央と道東を結ぶショートカットとして千歳空港(現・南千歳)〜新得間の石勝線が開業した昭和56(1981)年10月1日改正では、特急「おおぞら」と急行「狩勝」の昼夜各1往復が同線経由に改められたことから、急行の方は再び「まりも」を名乗った。昼行「まりも」が1往復設定され、キハ56・27型で運転されたが、こちらは昭和60(1985)年3月14日改正で特急「おおぞら」に格上げされ、消滅している。

一般型客車から14系客車へ転身JR後は気動車化され再び消滅

デアゴスティーニ編集部

14系寝台車を2両連結し、根室本線を走る特急「まりも」。動力がない客車を連結し走行性能が低下しても、運転距離が短く表定速度も低い道内の夜行列車では問題なかった。

昭和57(1982)年11月15日改正では、これまで10系寝台車+スハ43型客車グループ(座席車)で運転されてきた「まりも」の座席車が14系に置き換えられた。しかし、寝台車の方は14系寝台車の北海道向け改造が改正に間に合わず、しばらくの間は10系寝台車+14系座席車というユニークなスタイルで運転された。床下に発電用のディーゼルエンジンを搭載している10系、14系ならではの技といえるだろう。寝台車が14系化されたのは昭和58(1983)年6月25日のことだった。
JR移行後の平成5(1993)3月18日改正では、この「まりも」に大きな転機が訪れる。これまでの客車急行のスタイルに別れを告げ、183系気動車による特急に格上げされることになったのだ。JR移行後の北海道内では客車急行の気動車化が急ピッチで進み、昭和63(1988)年11月3日改正では、札幌〜稚内間の14系急行「宗谷」「天北」(後の「サロベツ」)がキハ400・480型に置き換えられた。さらに平成3(1991)年3月16日改正では「利尻」も置き換えられ、寝台車にスハネフ14を連結するという、優等列車初の気動車+客車の併結運転を実現した。平成4(1992)年3月14日改正では、札幌〜網走間の客車急行「大雪」が183系に置き換えられた上、特急に格上げされ、「オホーツク」に編入、このときも台車はスハネフ14型が183系の編成に組み込まれた。この手法を「まりも」の特急格上げにも導入した。その結果、愛称名は昼行の「おおぞら」に編入され、「まりも」の名は再び消滅してしまった。

「おおぞら」の全列車スーパー化を機に三度目の愛称復活と根室延長を果たす

デアゴスティーニ編集部

平成13(2001)年7月1日改正で三度目の復活を果たした「まりも」は、札幌〜釧路間の夜を結んだ。

北海道をイメージするもの、といえば阿寒湖のマリモは切っても切れないものなのだろう。二度も愛称が消滅した「まりも」は、平成13(2001)年7月1日改正で三度復活を果たす。この改正では昼行の「おおぞら」が全列車「スーパーおおぞら」化されたことにより、「おおぞら」の愛称名が消滅したことから、「おおぞら13・14号」を名乗っていた札幌〜釧路間の夜行特急が「まりも」に改称された。まさに先祖返りとはこのことで、以来、特急「まりも」は札幌〜釧路間を走り続けた。編成は「おおぞら」時代と変わらず183系気動車+14系寝台車だった
なお、この改正が行なわれた夏シーズンからは、特急となった「まりも」が初めて根室まで延長運転された。ただし釧路〜根室間は定期の快速列車のスジで運転され、列車種別も快速だった。旧型客車時代の「まりも」は、「狩勝」を名乗っていた時代を含めて、釧路発着時に編成の組替えを行ない、座席車のみ釧路〜根室間を普通列車として運転していた実績があった。昭和31(1956)年11月19日改正の時刻表を見ると、7列車として函館から釧路に到着した「まりも」は、50分間の停車時間に編成組替えを行ない、普通427列車として根室まで直通していたのがわかる。このときは、札幌〜釧路間は寝台車を連結した堂々とした姿だったのに、釧路〜根室間は座席車と郵便車、荷物車、貨車だけの混合列車スタイルになるという、信じられない変わり身を見せていた。それでも2等車(現在のグリーン車)を連結していたから、普通列車になったとはいえ、釧路〜根室間では唯一の「優等列車」だったのだ。特急化以後の「まりも」の根室延長は、釧路での編成組替えは行なわないが、客扱いを先頭車のみとし、寝台車を含む2両目以降の車両を締切扱いとしていた。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/06/15


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