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「しおじ」

【第58回】 「しおじ」


山陽新幹線が博多まで達した50.3改正以前、山陽本線昼行特急のエース的存在だったのがこの「しおじ」だ。「潮」の「路」の意を持つこの愛称名は、いかにも瀬戸内海沿線の山陽路に相応しいもので、最盛期は181系、485系、581・583系の揃い踏みでラインアップを飾り、山陽路の電車特急では最後まで181系が使用された。また、不定期列車では14系座席車を使う初の特急となるなど、意外な面も見せていた。

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「つばめ」「はと」の481系化で「しおかぜ」とともに増発傾向へ

デアゴスティーニ編集部

「しおじ」は、東海道本線の昼行電車特急の伝統を受け継いで151系でデビューしたが、47.10改正以後は485系の進出に押され、山陽路の181系は「しおじ」を最後に昭和48(1973)年5月に撤退した。

東海道新幹線が開業した昭和39(1964)年10月1日改正では、東海道・山陽本線筋で運転されていた昼行特急の東京〜大阪間が全廃され、黄金街道を飾った151系は田町電車区に30両を残して120両が向日町運転区(現・京都総合運転所)へ転属した。これらは、この改正で設定された新大阪で新幹線と接続する在来線特急に充当され、新大阪〜博多間に「つばめ」「はと」、新大阪〜下関間に「しおじ」、大阪〜宇野間に「うずしお」、新大阪〜宇野間に「ゆうなぎ」が登場した。この5列車には東海道特急時代と同じクロ151を含む151系12連が共通で使用されたが、その中にあって「しおじ」は直流区間の山陽本線内で完結する特急として、2010M/下関6時30分→新大阪14時35分、2009M/新大阪15時20分→下関23時20分のダイヤで運転された。
鹿児島本線が熊本まで電化開業した昭和40(1965)年10月1日改正では、「つばめ」「はと」が交直両用特急型電車の481系に置き換えられたことにより151系が捻出され、「しおじ」は1往復増の2往復となった。同時に新大阪〜広島間には僚友の「しおかぜ」が2往復登場している。
さて、山陽本線は上りの瀬野〜八本松間が急勾配区間となっており、主電動機に出力100kWのMT46を搭載する151系は、6M6Tの12連では広島→八本松でEF61による後押しが必要となっていた。これがスピードアップの妨げとなっていたことから、主電動機を出力120kWのMT54にパワーアップした181系への改造工事が、向日町区配置車については昭和40年度から進められていた。この工事は昭和41(1966)年8月までに完了し、同年10月1日改正を機に「しおじ」をはじめとした山陽路の直流特急はすべて181系化された。また、昭和35(1960)年6月1日改正で「つばめ」「はと」が電車化された折に、これまでの1等展望車に代わる豪華な特別車両として誕生したクロ181(旧クロ151)は、利用率の低下から1等開放室を2等開放室化するクロハ181への改造工事が開始され、昭和41(1966)年10月31日にはクロハ181-8が最初に落成、昭和42(1967)年3月31日まで全部で8両が落成し、同年4月以降「しおじ」「しおかぜ」のクロ181が優先的に置き換えられた。これにより残るクロ181連結列車は「うずしお」「ゆうなぎ」のみとなったが、これらも昭和43(1968)年10月1日改正までにはクロハ181に置き換えられている(「ゆうなぎ」はこの改正で「うずしお」に統合された)。

43.10改正で「しおかぜ」を吸収 最盛期は7往復の陣容となる

デアゴスティーニ編集部

「しおじ」に初めて485系が登場したのは昭和46(1971)年7月のことで、その当時は毎日運転の臨時列車だった。前面貫通型の200番代は昭和47(1972)年12月から向日町所に配置されはじめ、以後は「しおじ」にも充当された。

昭和42(1967)年10月1日改正で初の座席・寝台兼用の特急型電車として新大阪〜博多間の寝台特急「月光」にデビューした581系は、昭和43(1968)年10月1日改正を機に583系とともに増備されたことから不定期「月光」1往復が増発されたが、この昼間運用となる列車は「しおじ」1往復のスジを博多まで延長した不定期「はと」となった。これにより「しおじ」は1往復減となったが、運転系統が似ていた「しおかぜ」2往復を吸収したことから、新大阪〜広島間2往復、新大阪〜下関間1往復の計3往復の陣容となった。さらに、翌年10月1日改正では、新大阪〜下関間に1往復が増発され4往復となった。
鹿児島本線が全線電化開業した昭和45(1970)年10月1日改正では、京都〜西鹿児島(現・鹿児島中央)間に581・583系による特急「きりしま」が新設されたことから、新大阪〜下関間に増発された「しおじ」1往復には581・583系が充当されるようになった。
昭和46(1971)年に入ると、翌年に山陽新幹線岡山開業を控えていたことから、大規模なダイヤ改正は見送られ、代わって毎日運転の臨時特急を運転することで輸送力の増強が図られた。その中で「しおじ」は、同年7月15日から485系による「しおじ72・71号」、7月23日から581・583系による「しおじ71・72号」が設定され、実質7往復となった。

山陽路最後の181系特急に 山陽新幹線博多開業で全列車廃止

デアゴスティーニ編集部

45.10改正からは「しおじ」にも581・583系が投入され、50.3改正で廃止となるまでラインアップを飾った。

山陽新幹線が岡山まで開業した昭和47(1972)年3月15日改正では、山陽路の特急は岡山発着が基本となったが、「しおじ」だけは利用率の高い新大阪〜広島間で岡山乗換えの速達効果が薄いと判断されたことから、新大阪発着で残された。反面、山陽特急のラインアップが大幅に再編されたことから、一挙に3往復に減少した。これまで臨時列車扱いで運転されていた485系運用列車も正式な定期列車に昇格し、「しおじ」の車両は181系、485系、581・583系が1往復ずつ揃い踏みとなった。同年10月には1往復増発され4往復と勢力をやや戻すが、代わって181系運用はわずか1往復のみとなり、これも翌年5月26日から485系に置き換えられ、「しおじ」から181系が撤退。これが山陽路における最後の181系の姿となった。
昭和48(1973)年10月1日改正では、さらに1往復が増発され5往復となった「しおじ」は、485系4往復、581・583系1往復の陣容とされたが、山陽新幹線が博多まで達した昭和50(1975)年3月10日改正では、同じ山陽路を走る「つばめ」「はと」「みどり」の昼行電車特急群とともに廃止され、以後、昼間の山陽本線は支線乗入れ以外の優等列車は一切走らない、長大なローカル線と化した。
ちなみに、一貫して電車特急として運転されていた「しおじ」だったが、不定期列車としては47.3改正から客車列車が3往復設定されており、当初は12系が使用されていた。しかし昭和47(1972)年11月16日発の下り「しおじ54号」から特急型の14系座席車に置き換えられ、これが記念すべき同系の特急運用第1号となった。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/10/15


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