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「はと」

【第59回】 「はと」


昭和24(1949)年9月15日に戦後初の特急として登場した「へいわ」は国鉄復興の足がかりとして歓迎され、翌年1月1日には「つばめ」と改称。それから約4か月後には姉妹列車として第二の特急「はと」が登場し、東海道特急の黄金時代が本格的にスタートした。「はと」は一時期を除き「つばめ」とペアを組んでいたことから、国鉄特急の象徴として「つばめ」と人気を二分していた。

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戦前は南満州鉄道の急行として中国大陸を疾走した「はと」の愛称

デアゴスティーニ編集部

青大将編成の「はと」。「青大将」といえば「つばめ」が思い浮かぶが、「はと」も堂々たる姿を見せていた。

特急「はと」の運転開始は昭和25(1950)年5月11日のことだが、「はと」の愛称名は戦前、日本支配下にあった中国大陸で使われていた。特急「あじあ」で名を馳せた南満州鉄道で運転されていた急行がそれで、昭和9(1934)年頃の時刻表を見ると、大連〜新京間を10時間30分で結んでいた。この「はと」の愛称名が、終戦後5年を経て「本土」に到達し、東京〜大阪間のメインストリートの特急としてカムバックした。
「はと」の運転開始当時は、すでに戦後初の特急として誕生した「へいわ」から名を変えた「つばめ」が運転されており、特別2等車を連結した堂々たる編成で、東海道本線の看板列車としてそのステイタスを不動のものにしていた。
「はと」はそんな「つばめ」に追随するように3列車/東京12時30分→大阪21時30分、4列車/大阪12時30分→東京21時30分のダイヤで運転された。
「つばめ」同様上下列車とも始発時刻、終着時刻が同じで、「つばめ」が午前発、「はと」が午後発というわかりやすいダイヤとなっていた。昭和25(1950)年10月1日改正では、スピードアップにより終着時刻がそれぞれ1時間繰り上がっている。
「はと」の編成内容は運転開始当初の一時期を除き「つばめ」とほぼ同一だったが、乗務は「つばめ」が大阪鉄道管理局だったのに対して「はと」は東京鉄道管理局の受持ちとなり、昭和25(1950)年6月15日からは「つばめ」ガールに対し「はと」ガールと呼ばれる女性客室乗務員が乗務し、両列車でサービスの質を競ったという。
東海道本線が全線電化された昭和31(1956)年11月19日改正で、「はと」は「つばめ」同様全区間EF58牽引となり、客車ものちに「青大将」と呼ばれたライトグリーンの鮮やかなものに置き換えられた。また、この改正では東京〜大阪間の所要時間が7時間30分となり、ようやく8時間の壁を突破、3列車/東京12時30分→大阪20時00分、4列車/大阪12時30分→東京20時00分のダイヤとなった。改正前に比べて始発駅の時刻は同じで、終着時刻が30分繰り上がった形となった。

東海道特急の151系特急型電車 置換えにより一時姿を消すも復活

デアゴスティーニ編集部

運転開始当初の「はと」が有楽町〜新橋間を行く。都心に高速道路などができる前の古き良き時代だ。

昭和33(1958)年11月1日、東京〜大阪、神戸間に国鉄初の電車特急「こだま」が運転を開始した。空気ばね台車に冷房完備の明るい20系(後の151系)特急型電車は、これまでの特急の概念を根底から覆すほどのインパクトがあったが、それに比べて従来の客車特急「つばめ」「はと」は、冷房は1等展望車に搭載されているのみ、所要時間は同じ特急でありながら、「こだま」の6時間50分より40分も余計に時間がかかるという状況だった。「こだま」の登場は「つばめ」「はと」の陳腐化を促す結果となり、1960(昭和35)年6月1日、両列車とも151系特急型電車に置き換えられ、「はと」の名前は「つばめ」が2往復になるのと引換えに、いったん姿を消した。
未曽有の白紙ダイヤ改正と呼ばれた昭和36(1961)年10月1日改正では、全国的に特急網が整備され、特急全盛時代の基礎が築かれた。151系特急型電車の躍進で日本屈指の特急街道となった東海道本線では、さらに電車特急が増発され、姿を消していた「はと」が1年4か月ぶりに復活した。編成は大阪寄りの先頭車にパーラーカーと呼ばれた1等特別座席車クロ151を連結した11両編成で、これは「つばめ」「こだま」とまったく同じだった。列車名が違っても、共通運用でダイヤを組む電車の特性を活かした結果といえる。ダイヤは、5M/東京13時00分→大阪19時30分、6M/大阪13時00分→東京19時30分で、ほぼ以前の時間帯が受け継がれた。
昭和37(1962)年6月10日改正では「つばめ」1往復が広島まで延長され、電車特急の運転区間がさらに西へ拡大されたが、「はと」のほうは大きな変化がなかった。
東海道新幹線が開業した昭和39(1964)年10月1日改正では、東海道本線の昼行電車特急がすべて廃止され、「つばめ」は東海道新幹線に接続する新大阪〜博多間の電車特急として第二の人生を歩み始めた。「はと」も改正前の気動車特急「みどり」のスジを受け継ぐ形で、足並を揃えるように同区間の電車特急として再出発し、3M/新大阪13時30分→博多22時45分、2M/博多7時10分→新大阪16時30分のダイヤとなった。直流電車の151系が交流区間となる九州に乗り入れるため、下関〜博多間は特殊電源車サヤ420を介して電気機関車牽引により運転されたが、この形はダイヤ設定上で大きな制約となり、「はと」は電車であるにもかかわらず、改正前の気動車「みどり」に比べて15分近くも余計に時間がかかっていた。ちなみに、この年の12月25日には国鉄初の交直両用特急型電車481系がデビューしたが、このときは北陸本線系統の「雷鳥」「しらさぎ」に投入され、山陽本線系統へ投入されたのは昭和40(1965)年10月1日改正のことだった。
481系の投入により、下関と門司での機関車交換が解消され、「はと」のダイヤは5M/新大阪13時30分→博多22時15分、6M/博多7時55分→新大阪16時40分と、151系時代より約30分スピードアップした。一方「つばめ」の方は、鹿児島本線熊本電化により名古屋〜熊本間の運転となり、「はと」との性格の差が出はじめた。

現役末期は「しおじ」とともに本州内特急として使命を果たす

481系化されたのも束の間、昭和43(1968)年10月1日改正で「はと」は「つばめ」とともに、前年10月1日改正で新大阪〜博多間の寝台特急「月光」でデビューした昼夜兼用の特急型寝台電車・583系に置き換えられた。その際、昼行特急としての運転を考慮して、座席専用の1等車サロ581が登場している。この頃になると、豪華な1等展望車やパーラーカーが連結された頃の面影はなくなり、老舗の看板を下げた並の特急という姿になっていた。反面、この改正では「しおじ」1往復が「はと」に季節列車として編入されたため、「はと」は運転開始以来初めて2往復となり「はと1号」「はと2号」という号数が付いた。
山陽新幹線が開業した記念すべき昭和47(1972)年3月15日改正では、「はと」と「つばめ」の性格差が明確になる。「はと」は「しおじ」と同様、本州内のみの運転に留まり、「つばめ」と「みどり」のみが九州まで乗り入れるダイヤに整理されたのだ。この結果、「はと」は4往復に成長した上で、岡山〜下関間の直流区間のみの運転となり、従来の485系運用のほかに181系運用が登場している。この181系には、先頭車にクロ151の旧1等開放室を普通室に改造したクロハ181が連結されており、編成的には151系特急型電車全盛時代を彷彿させるものになった。しかし、クロハ181のグリーン室となった旧1等区分室は、かつての高額な1等座席料金の設定はなく、グリーン料金で乗車できるようになっていたものの、ローカル色が強い山陽本線では需要が低く、その存在は有名無実化していたという。
昭和48(1973)年10月1日、山陽本線では山陽新幹線博多開業前の小改正が実施され、「はと」は臨時1往復を定期格上げして5往復となった。本数的にはこの時期が最盛期となったが、新幹線博多開業を迎えた昭和50(1975)年3月10日改正では、並行昼行在来線特急が原則廃止、「はと」は「つばめ」「しおじ」「かもめ」「みどり」などとともに姿を消し、25年の歴史にピリオドを打った。

※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。

公開日 2017/11/30


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